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40 ダンス

「ダンスを踊ろう」

エドワードがエヴァへ手を差し伸べてきた。

楽団が奏でるワルツが聞こえてくる。


ティフリス王国の舞踏会ではレイモンドの見事なリードのおかげでなんとか踊りきった状態だったエヴァは、ロダン公爵家でダンスレッスンを受けていた。時間が許す限りエドワードがダンスパートナーを務めてくれたのだった。


「ええ、お祖父様。練習した成果を出せるよう頑張りますわ」

微笑んだエヴァに、今日は楽しめばいいんだよ、と優しくエドワードは返す。

見事なエスコートでダンスフロアまで出てきた二人は向かい合うと、音楽に合わせて軽やかなステップを踏み出した。


「とても上手だよ」

「本当ですか?ありがとうございます。でも、お祖父様のリードのおかげですよ」

「残りの人生で、まさか美しい孫娘とダンスを踊ることができるとは思わなかったよ。改めて、私達のところへ来てくれてありがとう」

祖父の言葉に、エヴァの胸が熱くなる。

「私こそ、受け入れてくださって本当に感謝しています」

「せっかく側に来てくれた美しい孫娘を嫁に出すのは本当に辛いな」

祖父の寂しそうな顔に胸がぎゅっとなる。

「まだ具体的なことは決まっていませんよ。まだまだご一緒させてくださいね」

無邪気に笑う孫娘を慈しむような瞳で見つめながら、エドワードも微笑み返した。


祖父の次に、エルフィーと踊る。

まだ婚約者もおらず、顔立ちが整っていて高位職についているエルフィーは令嬢達から熱烈なアプローチを受けていた。次のお相手にと、エヴァとのダンスが終わるのを待ち構えているかのような令嬢達の視線が痛い。

「エルフィー様は婚約者の方はいらっしゃらないのですか?」

「う〜ん。内務大臣の仕事の方が面白くてねぇ。僕もルーカス殿下みたいにはっきり断れれば楽なんだろうけど……」

温和で柔らかな物腰を持つエルフィーには、獲物を狙うかのように強い視線を向けてくる令嬢達を怖がっているようだ。

「それにしても、ルーカス様が戻られてなくて残念だったね」

「ええ、今夜お会いできるかと思ったのですが……。無事にお戻り頂くことを一番に願って、お会いできることを楽しみにとっておきますわ」

「さすが冷徹な騎士団長が惚れ込む訳だ」

エルフィーと微笑みながらも、エヴァはルーカスに会いたくて、寂しくて、心の中に穴がぽっこりと開いたままだった。



「喉が乾いたろう。何か飲むものを持ってきてあげよう」

エドワードの気遣いに甘えることにしたエヴァは、壁側から祖母とエルフィーが楽しそうに踊る姿を眺めていた。

エヴァが一人で佇んでいると、嘲りが混じったような甲高い声が近づいてくる。


「そのドレスは少し厚かましいのではなくて?」

エヴァを上から下まで不躾にじろじろと見ながら言う声の主を見ると獣耳を持った獣人の令嬢だった。数名の獣人の令嬢達がエヴァを取り囲むように寄ってくる。

「ルーカス殿下をどんな手でたらし込んだのかしらね」

「早く国に戻ればいいのよ」

「ここよりもだいぶ遅れている国でしょう。田舎臭いわね」

獣人の令嬢達は豊満な体を惜しげもなく見せた作りのドレスを着ていた。同性ながら目のやり場に困ってしまう。


令嬢達の後ろから、妖艶な声が聞こえてきた。

「余りいじめると人族はすぐ泣くわよ。気をつけて」

取り巻きの令嬢達の後ろから、獰猛な光を湛えた鋭い視線でミュゼ嬢がエヴァを睨みつけていた。

「ルーカス殿下に気に入られている噂もどうせ自作自演でしょ。その色を着ていいのはミュゼ様だけよ」

一人の令嬢が持っていたワイングラスを振りかぶったのを目の端で捉える。

(ドレスにかけられてしまう!)

瞬時のことでどうしようもできなく、目を思わず瞑ったエヴァの耳に地を這うような低い声が聞こえた。

「俺の大事な人に何をしようとした?」


瞳を開けると正装である軍服を着たルーカスが、見る者を震え上がらせるような凍てついた薄笑いを形のいい唇に浮かべ、ワイングラスを振りかぶった令嬢の腕を掴み睨みつけている。

軍服のせいか威圧感がいつもより増しているようだ。静かに怒りを湛えたルーカスの様子に畏れをなした令嬢達は、慌ててその場を離れた。


ミュゼ嬢と腕を掴まれた令嬢だけがその場に残った。

ルーカスは恐怖で震えている令嬢の腕を離すと、不愉快そうな表情を浮かべながらワイングラスを令嬢の手から取り上げて近くにいた給仕に手渡した。

「次はない」

冷酷な声でルーカスが告げると、令嬢は細く頷きよろめきながら小走りで去っていった。


「あら、ルーカス様お戻りになられたのですね。おかえりなさいませ。お待ち申し上げておりました。どうか私と踊ってくださいませんか?」

ミュゼが先ほどの騒動がまるでなかったかのように、甘い声でルーカスに強請っている。


ルーカスはミュゼを一瞥することもなく、エヴァの瞳を真っ直ぐに見つめながら近づいてきた。

エヴァの前に立つと、ほうっとため息をついたルーカスの顔には蕩けるような甘い笑顔が浮かぶ。

「エヴァ、月並みな言葉しか言えないが、とても綺麗だ。ドレスも似合っていて嬉しい。来るのが遅くなってすまなかったな。俺と一曲踊ってもらえるだろうか」

突然のルーカスの登場に未だ呆然としているエヴァの手を微笑みながら優しくとると、ダンスフロアへとエスコートしていく。


初めてみるルーカスの甘い表情に度肝を抜かれた舞踏会参加者達が、我に返ったようにざわめき始めた。


場を読んだ楽団の指揮者がテンポの早い明るい曲を演奏し始める。ルーカスの登場にざわめいていた会場も楽団が奏でる音楽によってざわめきが掻き消され、ダンスを楽しもうとする者達がそれぞれフロアに出て踊り始めた。


エヴァは夢心地でルーカスのリードに身を委ねていた。

「初めて舞踏会でダンスを踊るよ」

「こんなにお上手なのに?」

「ああ、練習はしたけれど女性とダンスなんて面倒だと思っていた。抜け出して騎士団の仕事をしにいっていたよ。これほどまでダンスが楽しいものなんて知らなかったな」

そう言うと、ルーカスはエヴァの腰を持ち上げるようにターンをする。エヴァのドレスの裾が綺麗に膨らんで花が咲いたかのような美しい造形を見せる。

「ふふふ、私もこんなに楽しいダンスは初めてです。ダンスをルーカス様と踊れてすごく嬉しいです」

エヴァは思いを言葉にして真っ赤になりながらも、ルーカスの輝くような赤い瞳から目を逸らすことができないでいた。


お互いの瞳をうっとりと見つめながら二人だけの世界で踊る姿を、参加者達は驚きながらも見守っていた。

「まさかあのルーカス殿下があんな優しいお顔をされるなんて」

「あの令嬢が噂の方?なんて美しいのかしら」

「美しいお二人でお似合いだわ」

「それに比べてリュゼ嬢の惨めなこと。鬼のような形相になって睨んでいてよ」

「あれだけ冷たくされても、ルーカス殿下に執着しているなんて、鋼の心を持っていらっしゃるのね。でも流石に……このお二人の仲睦まじい様子を見たら諦めるでしょうね」

「どう見てもルーカス殿下はあの妖精のような令嬢に夢中の様ですものね」

周りの囁きに気付かない程夢中で踊っていると、あっという間に曲が終わってしまった。


「改めてお帰りなさいませ。いつ戻られたのですか?」

曲が終わるやいなや、引っ張られるようにルーカスに連れられてバルコニーへ出てきたエヴァは、軍服姿のルーカスの姿に目を奪われながら尋ねた。

「さっき戻った。エヴァが襲われたと向こうで聞いたんだ。居ても立ってもいられなくて……無事でよかった」

ルーカスがエヴァを引き寄せてぎゅっと強く抱きしめた。

「それにさっきも……」

「グレタのおかげで無事でしたよ。先ほどはルーカス様に助けて頂きました。ありがとうございます」

暗がりといえど、周りの目が気になってしまい、ルーカスに強く抱きしめられているエヴァは気が気ではない。

「ね、ルーカス様、皆に見られてしまいますよ」

「他の奴らが手を出せなくなるから、別に見られてもいい。ああ、ただこんな美しいエヴァの姿を他の奴らに見せるのも癪だ。このまま腕の中に閉じ込めておきたいくらいだよ」

「ア・・アリガトウゴザイマス」

魅惑さが増した美丈夫のルーカスに耳元で甘く囁かれる言葉に、胸が高鳴りすぎて痛いほどだった。


「遠征はいかがでしたか?」

「ああ、知りたいことがわかった。あとはこっちで片付けるだけだ。はぁ……会いたかった……ようやくエヴァに会えた」

エヴァの白いうなじにそっとルーカスが唇を落とした。

「ル、ルーカス様!!」

驚いて慌ててルーカスの腕の中から離れようとしたエヴァが、思い出したようにルーカスに小声で尋ねた。

「もしかしたら……ルーカス様、血が飲みたいのですか?お疲れでしたか?」

聞いた瞬間、体を離したルーカスがおかしそうに笑いだす。

「そうだな、エヴァの血はいつでも飲みたいと思う。でもまだ大丈夫だ」

「まだ?ですか?」

「ああ、結婚式が終わったら……ははは、この話はまた改めてちゃんと話すよ」

吸血鬼一族なりの儀式があるのかもしれない、と勝手に解釈したエヴァは神妙に頷いた。


「ルーカス様、私もずっとお会いしたかったです。ご無事に戻られて安心しました」

一呼吸置いてからエヴァも素直に自分の気持ちを伝えた。

じわじわと頬が熱を持っていくのがわかる。

恐る恐るルーカスを下からそっと覗くと、暗がりの中でルーカスもまた顔を赤く染めていたのがわかった。

「エヴァから言われると嬉しくて顔が緩むな……」

そう呟いたルーカスは、ふぅーと息を吐くとすぐに元の余裕のある表情に戻った。


「俺が贈ったドレスを着たエヴァにどうしても会いたくて……襲われたことも心配だったし……ロシュと一緒に先に戻ってきたんだ。今から執務に戻って片をつけなくてはいけないことがある。明日も宮殿に来られるか?一緒にお茶しよう」

「また明日も会えるんですね」

嬉しくて思わず笑顔で答えたエヴァの頬を、指の背で撫でるように触れていたルーカスが「そんな顔されたらこれ以上先に進みたくなるから、今はここで我慢する」と苦笑いをした。

「我慢……ですか?」

「うん、エヴァにもっと触れていたくなる」

さらりと言うとルーカスは、いつの間にかバルコニーの隅に潜んでいた部下にエドワードを連れてくるよう指示を出した。


含み笑いをしながらやってきた祖父に「明日もエヴァを宮殿に連れてきてほしい」と話したルーカスは、エヴァに向き直ると無念の表情を浮かべた。

「本当は馬車までエスコートしたいのだけれど、時間が無くて執務に戻らなくてはいけない。送ってやれずすまない。ここでエドワードに引き渡すけれど……また明日な」

「気になさらないでください。こうしてお会いできただけで十分すぎるほど幸せです。明日もお時間を作ってくださってありがとうございます」


ようやくルーカスに会えた喜びでいっぱいの笑顔で挨拶すると、祖父母と一緒に舞踏会を後にした。


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