37 逢瀬
「いつまで続けるのですか?」
孤児院からの帰りの馬車でフェリスが尋ねてきた。
今日もアイハムに孤児院で過ごすように説得したところだった。
「そうね、いつまでかしら。ふふふ、我慢比べみたいね」
くすくすと笑うエヴァを呆れたようにフェリスは見つめた。
「なぜそんなに気になるのですか?」
「時々縋り付くような視線だったり、不安そうな視線を感じるのよ。私たちに見せる姿勢は強がっているだけのように思えて、気になってしまうのね。私が手を差し伸べるのをやめたら、すごく傷つくと思うの」
院長の話では他の子供たちとの交流が少しずつ増えてきたと言う。今まで殆ど一人で生活してきたのだろう。他人との共同生活の温かさを知ってほしいとも思った。
孤児院で夜を過ごすように毎回説得しているけれど、段々と形だけのやりとりになってきた気もする。簡単に頷きたくないのだろう。
昼間はどこかへ出かけているらしいが、夜はちゃんと戻ってきているそうだし、エヴァが来る日は孤児院で待っていてくれる。意外に素直なのかもしれないなと思うと可愛いらしく思えてしまう。
少しずつアイハムは自分のことをエヴァに話してくれるようになった。
両親の顔も知らない捨て子だったそうだ。食堂の主人が拾ってくれて育ててくれたと教えてくれた。故郷に戻って会いたい?と聞くと、アイハムは考え込んでしまい答えはなかった。
この国へきた理由も、どうやってここまで来たのかも頑なに話そうとはしない。右腕の怪我に関係があるのかもしれないとエヴァはなんとなく思っていた。
ある日の午後、ナンシーと二人で薔薇園の四阿でお茶をしていると、祖父が顔を出した。
「お祖父様もご一緒にお茶をしてくださいますの?」
「ああ、時間ができたから少しだけな」
エドワードはニコニコと微笑みながら、使用人に用意させた席に座る。
「エヴァがここにきてくれてよかった。ナンシーも見違えるように笑顔が増えたな」
「ええ、楽しいと思える日々がくるなんて思ってもいませんでしたもの」
「相談なんだが……そろそろエヴァをこちらの社交界に慣れさせたいと思う」
「あら、何かありまして?」
「ああ、王都の貴族からパーティへのお誘いがひっきりなしだ。そろそろ何か一つ出ておいた方がエヴァの今後のためにもいいのではないかと思ってな」
「そうですね……最初は、夜会よりはお茶会の方がいいわね。まずは人脈を作った方がいいわ。他の種族より人族のお茶会から参加しましょうか」
「ナンシーの親族あたりはどうか?」
「それなら、姪っ子のカミーユにしましょう。あの子から度々督促を受けているのよ。エヴァに会いたいって」
「カミーユ……モロー伯爵夫人か。モロー伯爵は確か文官だったな。よし、そうしよう」
「ええ、それなら早速連絡をとるわ。エヴァちゃんはお茶会用のドレスを作りましょうね」
「お祖母様……私、お茶会に行ったことがないのです」
祖国ティフリス王国の辺境伯領は王都から離れていたし、周辺の貴族とは叔母が悪口を吹聴していたこともあって全く交流がなかった。
「大丈夫よ、お茶会のマナーなんて簡単よ。それに今、私と毎日お茶をしているでしょう。同じようにすればいいのよ。必要なことは全て伝えてあるし、もうエヴァちゃんにはマナーが身についているわ」
いつの間にかナンシーが教えていてくれたようだ。
「お祖母様ありがとうございます!」
孫娘の嬉しそうな笑顔に、祖父母達も目を細めて微笑んだ。
モロー伯爵家でのお茶会の日がやってきた。
エヴァは侍女たちの手によって、綺麗に着飾ってもらう。
モロー伯爵の屋敷は王都のはずれの広大な敷地にある。
「私たち一族は自然の中で暮らす方が好きなのよ」
貴族の中でロダン公爵家は王都から一番遠いところに位置するそうだ。
「まぁ、叔母様!ようやく来てくださったのね!待ち焦がれていたわ!」
馬車から降り立ったエヴァ達を明るい声で歓迎してくれたのは、ナンシーの姪であり、エリザベスの従姉妹のカミーユだった。
「エヴァ・スタールと申します。よろしくお願いいたします」
「カミーユ・モローよ。あなたのお祖母様の姉の娘なの。だからお母様の従姉妹でもあるわ。本当にエリザベスに似ているのね。ようやくエヴァさんに会えて嬉しいわ」
「まぁまぁカミーユ。あなたは相変わらず騒々しいわね。今日はこの国でエヴァの初めてのお茶会なの。よろしく頼んだわよ」
「叔母様、任せて。今日の人選はかなりお気に召すと思うわよ」
「さ、エヴァさん、他の方にも紹介したいわ。こちらへどうぞ」
案内されて向かったのは、モロー家の庭園の中に造られた四阿だった。
そこにはすでに五名の貴婦人達が最上位であるナンシー達を待っていた。
「皆様、紹介するわ。私の叔母のロダン公爵夫人とその孫のエヴァ・スタール嬢よ」
「エヴァ・スタールと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
ナンシーが厳選したと言うだけあって、エヴァに皆優しかった。会話も弾んだお茶会が佳境を迎えた頃、
「今、王都ではルーカス殿下のご寵愛を受けていらっしゃるエヴァ様に多くの貴族が興味津々なのですよ」
一人の侯爵夫人の発言を皮切りに、他の夫人達も頷きながら王都の貴族の中で回っている話を教えてくれた。
「閣議で集まった大臣達の前でエヴァ様を妃にしたいとおっしゃったと聞いたわ」
「今までどんな令嬢にも靡かなかった鉄仮面のルーカス殿下が、とても甘い表情をエヴァ様には見せていらっしゃると噂されているけれど、皆、信じられない思いでいっぱいなのよ。そんなルーカス殿下を見たことがないから。だから、どのパーティで二人のお姿が見られるかが今の関心の一つよ」
「お忙しい殿下は会いに来られない代わりに、毎日お花をエヴァに贈ってくださるのですよ」
「まぁとても愛されていらっしゃるのね」
祖母の言葉に夫人たちの温かな眼差しが、照れて頬を赤らめているエヴァに集まる。
毎日届く花のおかげで、公爵家中の花器を使っているのではないかと思うほどだ。部屋の中には置き切れず、屋敷中に花が飾られている。
「ふふふ、若いっていいわね」
貴婦人たちの温かな言葉に照れ臭さを感じながらも、ルーカスがエヴァのことを周りにちゃんと公言してくれていることに胸が震えるような喜びを感じた。
──幸せすぎて、夢みたい。早くルーカス様にお会いしたいな。
ルーカスのことを想うとエヴァは、会えない寂しさや切なさで胸の奥が締め付けられる。
「そういえば、エヴァ様は今度宮殿で開かれる舞踏会は行かれるの?」
「舞踏会ですか?」
「ええ、レイモンド殿下が開く舞踏会なの。ルーカス殿下がエヴァ様への想いを宣言してしまったから、レイモンド殿下もそろそろお相手を見つけなくてはならないってことで、お妃候補を探す舞踏会とも言われているわ。どちらにしても、レイモンド殿下の場合は相手が吸血鬼で限られているから、それ以外の種族はただ楽しむだけのものだけれど」
「どうでしょう。私もいっていいいのでしょうか」
──ルーカス様に会えるなら行きたいわ。
「エドワードに相談してみましょう」
祖母の方を見ると、微笑んで答えてくれた。
「お祖母様、とても楽しいお茶会でした。連れてきてくださってありがとうございました」
「今日お会いした方のご主人達は要職についている方ばかりなの。カミーユの人選はさすがだったわね。今後積極的に付き合っていった方がいい方ばかりだったわ」
「カミーユ様には後で礼状を送りますね」
馬車の中で祖母と話をしながらも心の中はルーカスのことでいっぱいだった。
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「何で舞踏会を開くことにしたんだ?」
「ルーカス、ノックもせずに入ってくるとはどうしたんだい?」
レイモンドが書類から目をあげて穏やかに微笑んだ。
「何をそんなに慌ててるの?舞踏会を開くことになったのはルーカスのせいだよ。ルーカスがエヴァちゃんを妃にするって閣議の時に公言したから、早く僕も婚約者を決めろってうるさく突っつかれているんだよ」
「ロダン公爵家には招待状は?」
「五大貴族を無視するほど、僕は強くないよ」
「エヴァを囮にする気か?」
「その前にルーカスが解決すればいいんじゃない?」
「……」
ルーカスはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「状況はどうなの?」
「公爵家を張っている者から、頻繁に同じ商人が屋敷を訪れていると報告を受けた。エリモス連邦の部族の容貌をしているらしい。商人を装い打ち合わせをしているのかもしれない」
「アロペクス家が絡んでいる可能性はやっぱり高いんだね」
「あと、気になることが一つ。地質学者に話を聞いたんだ。鉱山があるメデルド領の鉱脈がエリモス連邦との国境向こうまで伸びている可能性があると」
「なるほど、エリモス連邦側の鉱山の利権狙いとも考えられるのか」
「なぜ国境付近にペトラ族が現れるのかと利権とがどう絡んでくるのかがいまいちわからない。調査のため明日にでも現地へ行ってくる」
「リュゼ令嬢の方は?」
「相変わらずしつこく寄ってくる」
眉を寄せて顰めっ面になったルーカスを見てレイモンドがカラカラと笑った。
「そうかまだ諦めていないんだね。舞踏会でエヴァちゃんとの仲を見せびらかせれるよう頑張ってきてね」
「……明日出立して、身分を隠してメデルド領の街に入る。侵入して来る奴を捕まえて黒幕を吐かせてくる。ただ、下っ端だと知らない可能性があるだろうな。そうなると、向こうの国へいって長老と話す必要が出てくるかもしれない。」
「わかった、こちらからもエリモス連邦の首長にはルーカスが友好のためにぺトラ族と会う可能性があると、私の名前で連絡を入れておこう」
「よろしく頼む。俺が不在時に何か仕掛けてくる可能性もある。警戒を怠らないでくれ」
「わかった」
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エヴァが就寝前にソファで本を読んでいると、バルコニーの窓に小石が当たるような音が何度か聞こえてきた。
不審に思ったエヴァがそっと窓に近づくと、思いもよらない人物がそこにいた。
輝く赤い瞳がエヴァを真っ直ぐに見ている。風に靡く柔らかな金色の髪の毛が闇夜の中で光り輝いているかのようだった。
「ルーカス様!」
バルコニーでは、ルーカスが長い人差し指を口にあてて、静かにとジェスチャーしている。
我に返ったエヴァは頷きながらも、慌ててバルコニーの窓を開けた。
「ルーカス様?どうしたのですか?」
小声で尋ねたエヴァにそっと微笑んだルーカスは、腕を伸ばすとエヴァをぎゅっとだき寄せた。
「会いたかった」
耳元で聞こえる甘い掠れたような声に早くなった心臓の鼓動が痛い。
「何かあったのですか?」
抱きしめられながらも、いつもと違う状況に不安になった。
「遠征に行ってくる。その前にどうしても会いたくて、ロシュに頑張ってもらって飛ばしてきた」
無理してまで会いに来てくれたことが嬉しくて、エヴァもルーカスの背中に腕を回しぎゅっと抱きしめ直す。
「嬉しいです。ルーカス様に私もずっとお会いしたかったです」
「ふふふ、嬉しいな。嬉しすぎて離れ難いよ」
ルーカスとエヴァはしばらくそのままお互いを抱きしめながら静かに佇んでいた。
お互いの体温が溶け合ったような気がした頃、そっと離れたルーカスはエヴァの髪を撫でながら瞳を見つめてきた。
「変わったことはない?」
「この前、モロー伯爵夫人のお茶会に参加してきましたよ」
「ああ、モロー伯爵は文官だったか。楽しかった?」
「ええ、楽しかったです。他の方にもお会いしましたよ。そういえば、お祖父様から舞踏会のお話を聞きました。そこでルーカス様にお会いできますか?」
「それまでには戻ってくる予定だ」
「お待ちしております。ルーカス様とダンスを踊ってみたいです」
エヴァの笑みを嬉しそうに見つめたルーカスは「そうだな、それを楽しみに戻ってこよう」と笑った。
「ドレスを贈ろう。装飾品も……」
「頂いたイヤリングがありますよ」
「またつけてくれるのか?」
「ええ、もちろんです」
嬉しそうに笑ったルーカスの笑顔にエヴァの心が幸せな気持ちで溢れそうになる。
「もう戻らなくてはならない。エヴァ、くれぐれも気をつけるんだぞ。それと……もしかしたら俺のことで舞踏会で何か言って絡んでくる奴がいるかもしれない。そういう奴の言うことは気にするな。俺はエヴァを選んだんだ」
よくわからないながらもエヴァは頷いた。
「ご武運をお祈りしています。どうかお気をつけて」
美しいルーカスの顔が近づいたかと思うと、エヴァの頬に柔らかいものが触れた。
ルーカスの唇だと分かった頃には、すでに離れていた。
目を見開いたエヴァをみて嬉しそうに笑ったルーカスは、もう一度「愛している」と言いながらエヴァをぎゅっと抱きしめると、バルコニーからあっという間に姿を消した。
バルコニーの手すりから慌てて下を覗いたエヴァは、もうルーカスの姿を見つけられなかった。それでも、残った香りが確かにここにルーカスがいた証拠のような気がして、しばらく佇んでいた。




