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35 友達

「お祖母様、今日、孤児院の慰問に行ってもいいですか?」

「今日は私は行けないのよ。エヴァちゃんだけになってしまうわ」

「何度か行っているので一人でも大丈夫ですよ。辺境伯領でも慰問していましたから慣れています」

「本当?今日はグレタが騎士団と演習の予定があったわよね。フェリスを連れて行きなさい。ロダン公爵家の騎士に護衛させましょう」

「ありがとうございます。それでは、厨房で持っていくおやつを用意してもらいますね」

「ええ、そうしなさいな。それにしても、ここで花嫁修行を、と思ったけれど、勉強はほとんど必要なかったわね。あとは、この国の作法だけど、それもほとんど問題ないし。貴族名鑑まで見ていたことには驚いたわ」

「お母様が勉強を教えてくださったんです。貴族名鑑はレイモンド様がお見えになった時にじっくり読み込んだので、まだ覚えていることが多かっただけですよ」

「エリザベスがここで学んだことが娘に伝わって活かされるのね。何も無駄はなかったのね」

二人は心の中で同じ人の笑顔を思い出しながら、そっと微笑みあった。



フェリスの膝の上に置かれた籠の中には、ロダン公爵家の料理人達が腕を奮って作ったおやつや軽食がたくさん入っている。

「フェリス、ここの暮らしは慣れた?」

孤児院へ向かう馬車の中でエヴァが尋ねた。

「はい、驚くほどよくしてもらってます。公爵家の使用人の先輩方から仕事をしっかり教えてもらえるし、グレタさんも優しいですし。それにちゃんと一人部屋まで貰えてありがたいです」

「そう、よかったわ。グレタもフェリスの覚えが早いって褒めていたわよ」

「本当ですか?早く一人前になりたいです」

「ふふふ、きっともうすぐよ」

負けず嫌いで頑張り屋のフェリスは必死に先輩達に食らいついて仕事を覚えていると聞いた。

きっと彼女も居場所探しに必死なんだろう。彼女の境遇が自分と重なるだけに、自分が居心地がいいと思う場所を見つけてほしいと願わずにはいられなかった。


馬車の音が聞こえたのだろうか、孤児院の前でエヴァを子供達や院長が待っていてくれた。

「今日はどんな遊びをするの?」

「エヴァ様!今日はこのご本を読んで!」

「私が描いた絵を見てほしいの」

エヴァの周りに二重も三重も子供達が群がる。

「ふふふ。今日は時間がたっぷりあるから、みんながやりたいこと一つずつやっていきましょう」

「エヴァ様、ようこそお越しくださいました。エヴァ様が来られると知った子供達が興奮してしまって門の前で待つと聞かなかったのです」

「歓迎してくれて嬉しいです。今日もおやつを持ってきたので、あとで皆で分けてくださいね。何か困ったことや足りないものはないですか?」

「はい、この前色々と差し入れしてくださったおかげで大丈夫です」

「そうよかったわ」

院長と微笑み合ったエヴァを待ちきれなくなった子供達が手を引いて連れていく。

エヴァをとり囲む子供達からの笑い声が空に響き渡る。院長とフェリスは眩しそうにその光景を眺めていた。



「エヴァ様お疲れでしょう。どうぞ、休憩なさってください」

「院長、お気遣いありがとうございます。子供達から元気をもらっているから平気ですよ。でも、少しだけここの教会の庭を見に行ってきてもいいかしら?」

フェリスと一緒に教会の庭に出たエヴァは、散歩を兼ねて一つ一つの植物をじっくりと眺め始める。


「公爵家の庭が素晴らしいってことは素人の私でもわかりますが、この庭はエヴァ様にとって興味を惹かれるものが何かあるのですか?」

「そうねぇ……例えば、あそこの木の下には、様々な薬草がたくさん生えているわ。それに、向こうには食べられる実をつける植物もある。どんな植物が生えているのを見てしまうのは幼い時からの癖みたいなものなの」

はにかんだように笑ったエヴァをフェリスは微笑ましく眺める。


「私、エヴァ様に出会えて本当に良かったです。こんな穏やかな世界があることを知りませんでした」

「そう言ってもらえてよかった。これからもたくさん素敵なことが起こるわよ。きっと」

突然、庭の向こうの茂みからガサガサという音が聞こえてくる。

フェリスの猫耳がピクピクと動き、警戒した顔つきになる。

音ともに現れたのは、エヴァより年下だろうか。小麦色の肌を持った細身の少年が顔を出した。

「どなたですか?」

フェリスが警戒したまま尋ねると、その少年は「お腹減った……」と言うやいなやバタっと地面に倒れた。


顔を見合わせた二人は、恐る恐る倒れている少年に近づいた。

少年の服はボロボロで、血糊が所々についている。

お腹がグゥとなる音が少年のお腹から聞こえた。

「怪我をしているの?大丈夫?」

エヴァが声をかけると「お腹減った……」と答えが返ってくる。

「フェリス、何か食べるものを多めに持ってきて。あと沢山のタオルと包帯も」

「でも……」

「私なら大丈夫。怪我をしているみたいだし、この状況じゃ私を襲うこともできないわよ」

すぐに戻ります!と言って走って孤児院へ向かったフェリスを見送ると、目の前でうつ伏せに倒れたままの少年に声をかけた。

「あなたの名前は?」

「……アイハム」

「アイハム、寝返りを打つことはできる?そう、仰向けになってくれる?」


仰向けになったアイハムの全身を目で確認する。

「血がお洋服についているわ。怪我をしているの?腕を見せてもらえる?」

服の袖を捲ると右腕に深い切り傷があった。

「酷い傷だわ!どうしたの?」

「……」

「傷を放っておいたのね。少し膿んでしまっているわ。お医者様に見てもらいましょう」

「それは嫌だ。放っておいてくれ」

顔を背けて嫌がる様子に、無理強いはできないエヴァは困ってしまった。


ちょうど頼んだ物を持ってきたフェリスが戻ってきたので、サンドイッチとクッキーをアイハムの前に差し出した。

「まずはお腹を満たしてね」

食べ物の誘惑には勝てなかったのだろう。起き上がったアイハムはこちらを警戒しながらもすごい勢いで食べ物を口に運ぶ。

「ここにあるものは全部あなたのものよ。誰も取らないからゆっくり食べてね。喉に詰まっちゃうわよ」

何度かそう声をかけて食べ終わるのをじっと待っていた。


「ね、やっぱりその傷が気になるの。お医者様に見せるのが一番だけど、それは嫌なのよね。それなら、せめて簡単に治療だけでもさせてもらえないかしら?」

「あんたが?」

「ええ、あの木の根元を見て。あの木の根元に生えているのは薬草なの。それを揉んだものを傷口に当てて包帯で巻けば、膿んでいる傷が少しは楽になると思うわ。私に任せてくれる?」

逡巡していたアイハムはやがて小さく頷いた。


フェリスに言って、近くの井戸から水をバケツに汲んできてもらう。

エヴァは薬草をとってくると、まず傷周りと服から出ている手足と濡らしたタオルで綺麗に拭いた。そして薬草を柔らかくなるまで手で揉んだものを傷の上に貼り付けて、包帯を巻いた。

「少し染みるかしら?しばらくこのままにしておいてほしいの。アイハムはここの孤児院の子?」

尋ねると首を横に振る。

「親御さんと街で一緒に住んでいるの?」

また首を横に振った。

「……おうちはある?」

想像通り首を横に振る。

「今夜はここのベットで寝ない?ここの孤児院に頼んでみるわ」

「それは嫌だ。寝るところはちゃんとある。さっきはお腹が減っていただけだ」

さっきまでお腹が減って倒れていた同じ人物とは思えないほど、強い拒絶の色が目に浮かんでいる。

「そう……無理は言えないけれど、でもあなた熱が出ているわよね」

深い傷が膿んで、体が熱を出したのだろう。触った手足が熱かった。

「……」

「せめて熱が下がるまで、この孤児院のベットで寝てくれないかしら?」

「……」

「初めての場所は怖い?」

「怖くなんかはない!ただ……」

少年は燃えるような瞳でエヴァを睨んでいたが、ふっとその火が瞳の中から消えるのがエヴァはわかった。


「それならこうしない?」

「今日だけは諦めてこの孤児院に泊まってくれる?私は明日もくるわ。その時にたくさん食べ物を持ってきてあげる。そうすれば、明日アイハムがここを出ても数日は食べるものに困らないわ」

「……」

「ね?いいでしょう?」

「どうして?どうしてここまでするんだ?俺とは初めて会っただろう?」

「行きがかり上、あなたに関わってしまった私としては、すごく心配なの。包帯も取り替えてあげたいし、食べるものも差し入れしたいの」


「じゃあ今夜だけ」

渋々といった体で頷いたアイハムにエヴァはにっこりと微笑むと、アイハムを孤児院の院長の元へ連れて行った。

院長に事情を話して、アイハムを今夜だけ置いてもらうことにした。

アイハムは物珍しそうに孤児院の中を見渡し、エヴァの周りを取り囲んでいる子供達を不思議な様子で見ていた。


「なんですか?あの子!」

帰りの馬車の中でフェリスはアイハムの態度が悪いと文句を言っていたが、なぜか憎めないのよね、とエヴァは思っていた。



翌日も孤児院へのお土産とアイハムへ渡す食材を持って、フェリスと共に孤児院へ向かった。

「エヴァ様、あんまりあの少年をつけあがらせないでくださいね。いたんですよ、ああ言う人に構ってもらいたいけれど表現するのが下手くそな子。」

ふふふと思わず声を漏らして笑ってしまった。

──私もフェリスもアイハムも、人に構ってもらいたいのに上手く甘えられない子達だと思うわ。三人似た者同士ね。


「いいのよ、全員に見向きされなくても。一人にでも気づいてもらえたら嬉しいのではなくて?」

「……そうかもしれませんが」

「ふふ、なんか放っておけないのよね。手負いの野生動物を餌付けしている気がするわ」

「あの子は人族の匂いがします」

驚いたようにフェリスを見たエヴァに照れたように説明した。

「獣人は鼻がいいんです」


翌日だと言うのに、またも熱烈に出迎えてくれた子供達とひとしきり遊んだエヴァはアイハムを探した。

院長に尋ねると、庭にいるだろうとの回答だった。孤児院では、他の子達と微妙な距離感を保ちながらも上手くやっていた様子にホッとする。


一緒に庭へ出てきたフェリスがクンクンと鼻を動かした。

「近くにいますよ」

「本当に鼻がいいのね」

様子を伺っていたのだろうか、木の上から音もなくアイハムが降りてきてエヴァの前に立った。


「アイハム!顔色がいいわね。よく眠れたかしら?はい、約束の食べ物よ」

かごを奪い取るように受け取ったアイハムが中を覗く。

「……たくさんある」

「ええ、そのまま持って行っていいわよ。もし仲間がいるなら皆で分けてね」

「……仲間なんていない」

「そうなのね。寂しくない?」

「……寂しい?そう思ったことはない」

どんな人生を歩んできたんだろう。年の割に鋭い眼光がただ者ではない雰囲気を醸し出している。


「傷はどうなったかしら?見せてくれる?」

素直に腕を出してきたものだから、少しエヴァは嬉しくなってしまった。

「傷はだいぶ良くなったわね。膿もあまり出ていないし。今日は塗り薬を持ってきたの。これを塗ればすぐによくなるわ」

軟膏を塗って、用意してきた新しい包帯を巻いた。

「はい、できたわ。今夜も孤児院には泊まらない?」

「……」

(おや?迷っている?)

「良かったら怪我が治るまでここにいたら?」

「なんでこんなに……他人の俺によくしてくれるんだ?」

「そうね……なんでだろう。なんか……放っておけなかったのよ。それでは駄目かしら。理由がないと納得しない?」

「……そういうわけじゃないけど……貴族の気まぐれかと」

「あながち間違っていないかもしれないわね。あなたにここで偶然会えたことも、こうやって傷の手当てをしてあげられるのも、私が今貴族だからかもしれない。確かに、この街の全ての傷ついている子に何かをしてあげられるわけではないもの。でも、アイハムに出会ってしまったし、関わってしまった以上はちゃんと向き合いたいの。きっかけがどうであれ、もう私たちは他人以上よ」

微笑んだエヴァの顔を信じられないものをみるかのように、アイハムがまじまじと見つめる。


「他人以上になったらどうなるんだ?」

「そうね……お互いのこと色々知って友達になるのかしらね。私もあまり友達がいないからよくわからないわ。アイハムが嫌じゃなければ、私たち友達になりましょうか」

「は?お前本気で言ってるのか?こんな得体がしれないやつと貴族が友達になれるわけないだろう」

「貴族っていうのは今は関係ないわよ。それに私が前に居た所ではずっと異質だと言われていたの。それこそ得体がしれない奴って噂が広まっていたくらいよ」

魔女と呼ばれていた頃を思い出す。

もうちっとも胸が痛くない。きっと今が満ち足りているんだろう。

「友達になって何をするんだ?」

「本当ね、友達って何をするのかしらね?ねぇ、フェリスはわかる?」

「……残念ながら私も友達がいなかったので……わかりません」

「ふふふ。友達がいない3人が集まってるのね」

思わず笑い出したエヴァを見て、フェリスも笑い出した。二人の笑いに誘われるかのようにアイハムも思わず口元が緩む。

そんなアイハムを見て、きっとこんなことで笑い合えるのが友達なんだろうな、ってエヴァは少しだけ悟ったような気になった。


「さて、もうそろそろ私たちは戻らなきゃいけないわ。また、来るわね。その籠の中身はアイハムから院長に渡しておいてくれる?」

「なんでだ?俺にくれたんだろう?」

「そうだけど、孤児院に傷が治るまで泊まってくれるんでしょう?」

「……」

「アイハムの傷が治って、出ていくって時にもっともっとあげるわよ」

「……わかった」

アイハムはエヴァを一瞥してにやりと笑うと、籠を持ってどこかへ走っていった。


「エヴァ様いいのですか?あんな子友達になって」

「いいのよ。私たち三人は今日友達になった気がするわ」

「……私も?」

「ふふふ、そんな気がしない?」

耳をぴこぴこ動かしながら頬を真っ赤にして俯いたフェリスを見て、かわいいなと思ったエヴァは嬉しくてふふふと笑い続けた。


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