33 加護
翌朝、出発するルーカスと子供達を見送るため、玄関ポーチへ向かったエヴァは憮然とした表情を浮かべるフェリスと困った顔のグレタを見かけた。
「どうしたの?」
近寄ってグレタにそっと尋ねてみる。
「エヴァ様の侍女になりたいからここに残りたいですって。だから、王都に戻りたくないって言ってるんです」
「あら、私の?」
エヴァはフェリスの方を向いた。さっきまでのグレタへの憮然とした態度はなりをひそめ、すがるようにエヴァを見つめている。
──懐かれるようなことした覚えないのだけれど。
「ねぇ、グレタ。少しだけフェリスと二人で話をしてもいいかしら?」
「わかりました。ただ警護のため、少し離れたところにいます」
「ありがとう」
フェリスにもう一度向き合ったエヴァは尋ねた。
「何か故郷に戻りたくない理由があるのではなくて?」
俯いたフェリスがお腹の前でぎゅっと握りしめている両手は心なしか震えている。震えを止めるかのようにフェリスの手を両手で包み込んだエヴァは、微笑みながらフェリスの顔を覗き込んだ。
「言いたくないなら詳細は聞かないわ。ただ、できる限りのことはしてあげたいの」
意を決したように顔をあげたフェリスは、顔を真っ赤にさせながらぽつりぽつりと話を始めた。
「もう私には父母はいません。だから親戚の家に戻ることになるのですが、いい思い出がないのです。多分親戚も私が戻ると食い扶持が増えるだけで喜ばないと思います。王都に行って働くことも考えました……。エヴァ様の私達への態度やヴィクターへの献身的な姿を見て……人間なんて大嫌いだったけれど……エヴァ様のことは……嫌いじゃない……です。侍女って仕事にも興味あるし……それならエヴァ様のところで働きたいって思って……」
気恥ずかしげに俯きながら自分の気持ちを伝えてくれたことに驚きつつも、嬉しかった。
「そんな風に思ってくれて嬉しいわ、ありがとう。私はここの公爵家に残るの。さっき話をしていたグレタも侍女として残るのよ。もし私の侍女になりたいのなら、グレタや他の公爵家の使用人に色々教えてもらうことになるわ。それでもいいのかしら?」
一生懸命、首をブンブンと縦に振るフェリスを好ましく感じる。
「私の一存では決められないから、公爵やルーカス殿下にも確認していいかしら?」
ルーカスの姿を探しても見つからなかった。
騎士服を着た、灰色の髪の毛を持つ騎士団団長補佐のリコスを見つける。
「リコス様、ルーカス様は今お忙しいかしら?」
「そうですね、先ほど打ち合わせをされていましたが……何かありましたか?」
「獣人の子が一人ここに残って私の侍女になりたいって言っているのです」
「そうですか。子供達はそれぞれの故郷へ戻るか、希望者は王都へいって仕事をするかを選べると伝えています。エヴァ様はその子が侍女になってもよろしいのですか?」
「ええ、構わないわ」
「わかりました。ルーカス様に確認して参ります」
フェリスを見ると、グレタの話を真面目に聞いているようだった。
二人の関係がうまくいくといいなと願わずにはいられない。
一人になったエヴァの元へヴィクターが駆けてくる。高揚しているのか兎の耳がピンと立っている。
「エヴァ様!色々ありがとうございました!この御恩は絶対に忘れません」
「気にしなくて良いのよ、ヴィクター。困っている時はお互い様よ。今度はあなたが誰か困っている人を見たら手を差し伸べる人になってくれたら嬉しいわ」
微笑みながら膝をかがめてヴィクターの瞳を見て伝えると、顔を真っ赤にさせたヴィクターが宣言をした。
「僕は王都に行って、ルーカス皇子の騎士団に入ります。頑張って早くエヴァ様を守れるよう強くなります!」
可愛らしいヴィクターから力強い言葉を聞いて、エヴァは胸が熱くなった。
「ありがとう。守ってもらえるような人になれるよう私も頑張るわ。ヴィクターも頑張ってね」
エヴァの嬉しそうな微笑みに、ますます真っ赤になったヴィクターはペコリと頭を下げると走って他の子供達の元へ走っていった。
その姿を見送っていると、後ろから耳元で囁かれる。
「俺も貴女を守るよ。俺の愛しい人」
驚いたエヴァが振り返ると、ルーカスが微笑みながら立っていた。
「そろそろ出発の時間だ」
「はい、どうかお気をつけて……」
赤い瞳を細め柔らかな笑顔でエヴァを見つめるルーカスに、昨夜のことを思い出したエヴァは気恥ずかしくて顔が上げられない。
「暫く会えなくなるんだ。エヴァの顔をもっとよく見せて」
ルーカスに顎を持ち上げられたエヴァは、真っ直ぐにエヴァを見つめる赤い瞳に吸い込まれそうだった。
「ロダン公爵の了解はとった。迎えにくるから待っていてね」
手を強く引かれ、気が付けばルーカスの腕に抱きしめられていた。
「エヴァ、愛している」
低い掠れたような声で耳元で囁かれた言葉に、エヴァの胸が震えた。
腕の中に囲ったまま体を少し離したルーカスが、エヴァの名を蕩けるように甘い声で呼ぶ。
ルーカスの顔を見上げたエヴァの頬に唇を落とすと、悪戯が成功した子供のように無邪気な笑顔を見せた。
ロシュの背にまたがったルーカスは名残惜しそうにエヴァを見つめながらエドワードに声を掛けた。
「ロダン公爵、あとはよろしく頼む」
「はっ、お任せください」
一礼したエドワードを一瞥したあと、もう一度エヴァの方に瞳を向けるとロシュに出発の合図を出した。
「さ、エヴァ様、部屋へ戻りましょう」
ルーカス達が見えなくなるまで屋敷の門の外で見送っていたエヴァにグレタが声を掛けた。
「ええ、そうね。あ、その前にお祖父様とお話がしたいの」
同じく門の外まで見送りに出ていた祖父に声をかける。
「お祖父様、よろしければ後でお時間をいただけますか?伺いたいことがあって」
「もちろんだ。エヴァと過ごす時間ほど大切なものはない。エヴァさえよければ、このまま場所を変えてお茶でも飲みながら話をしよう。こちらも今後について話をしたかったんだ」
エドワードは使用人にお茶の準備を命じると妻のナンシーを呼び、温室へと向かった。
ロダン公爵家の広々と温室を見てエヴァは思わず一体何部屋分あるのだろうと思ってしまう。
温室の中には、花々の香りが品よく漂っている。見たことがない品種もあって、エヴァは瞳を輝かせた。
「さぁこっちにおいで」
エドワードに呼ばれて近づくと、温室の中に設置してある可愛らしいテーブルの上にお茶の準備がされていた。勧められて座った席からは、温室に咲いている花々がよく見える。
「旅の疲れは取れたかい?」
使用人がお茶を入れて下がるとエドワードがエヴァに尋ねた。
「はい、お気遣い頂きありがとうございます」
「ルーカス殿下と昨日話をして、婚約が整うまでエヴァはここで暮らすことになったんだが……よかったかい?」
──婚約!
改めて人の口からその言葉が出ると、気恥ずかしい。
「……ええ、もちろんです。お祖父様とお祖母様ともたくさんお話ししたいですし、ここの庭園をもっとじっくり見せて頂いて勉強もしたいです」
「そうか……そう言ってくれて嬉しいよ。ところで、エヴァはロダン公爵家についてどんなことを知っている?」
「……母からは何も聞いていないのです。いつかは教えてくれるつもりだったのだろうとは思うのですが。ダキア皇国の五大貴族の一つで、薔薇や草木を育てることに優れた一族とはレイモンド様から教えて頂きました」
頷いたエドワードは、ロダン公爵家の成り立ちについてまず説明しよう、と話を進めた。
「ロダン公爵家は精霊王の血筋を持つ人族が祖となるんだ。精霊は草木、動物、人、物などひとつひとつに宿っていると言われる、目には見えない神秘的な存在だ。それらの取りまとめが精霊王だな。その精霊王の加護が我々ロダン公爵家の後継者に引き継がれていくと言われている。エヴァが持っているネックレスは代々後継者に引き継がれるもの。そして、精霊王が愛し子と認めた時は、その石に力が宿ると言われている」
「後継者……?」
エヴァは胸元から形見のネックレスを取り出した。
ネックレスを愛おしそうに見つめたナンシーは「今はエヴァが持っているのね。嬉しいわ」と呟く。
バーク伯爵から襲われた時に薔薇の枝が伸びてエヴァを守ってくれたのも、石がチリチリと合図をするかのように危険を察知して教えてくれたことも……精霊王の加護のおかげ?私が愛し子なの?
「ああ、ルーカス様からエヴァがそのネックレスの石のおかげで助かった話を聞いたよ」
エヴァは二人に石が赤く淡い光を放った時のことを説明した。
話の内容の衝撃が強かったようで目に涙をためて聞いていたナンシーが、エヴァの手をとって「精霊王が守ってくださって無事でいてくれたのね、良かった」と言うとはらはらと涙を流した。
「私達夫婦にはエリザベスしか子供はいなかった。彼女が結婚した時にせめてものお守りとして、そのネックレスを渡したんだ。それが正しくエヴァの元へ引き継がれて良かった」
叔父叔母に見つからずに取られなかったことは幸いだったとエヴァも思う。
「それならお母様はなぜ助からなかったのですか?」
母だって精霊王の加護で助かることはできたのではないか。
「加護は必ずしも命を救うものではない。精霊王であっても輪廻を止めることはできない。エリザベスはそれが運命だったのだろう」
「輪廻……」
「そのネックレスはこれからもエヴァが身につけていてくれ。エヴァのことを精霊王が愛し子と認めたんだから」
祖父の言葉にエヴァは頷いた。
ネックレスの赤い石をぎゅっと握る。
(精霊王様、守ってくださってありがとうございます。これからも子孫として恥じない生き方をします)
心の中で精霊王に誓いを立てた。
祖母が落ち着いたのを見ると、エドワードがこれからのことを話そうと話題を変えた。
「エヴァは、ルーカス殿下との婚約の話を進めても良いのかい?」
見送りの時に見せたエヴァへのルーカスの愛情表現にエドワードの心中で思うものはあったが、エヴァが愛されていることはよくわかった。
エドワードの問いに、照れて赤くなりなったエヴァは頷いた。
「それならば、ロダン公爵家として、エヴァを孫だと公表し後ろ盾となっていく。いいかい?」
「はい、よろしくお願いいたします」
「エリザベスの時はちゃんと花嫁支度ができなかったの。エヴァちゃんの花嫁支度を手伝わせてね」
祖母が喜ぶ姿を見て、どこか現実味のないふわふわした気持ちになっていたエヴァも心の底から幸せな気持ちが募っていった。
「これから暫くここに暮らすのだけれど、何か希望はあるかい?」
「はい、私もお母様みたいに緑の手を持ちたいのです。だから庭のことや植物のこと、農作物のことを色々学びたいです」
祖父はエヴァのお願いを聞いて笑い出した。
「やはりエヴァは精霊王に愛されるだけあって、ロダン公爵家の子らしいお願いだな。わかった、後で庭師を紹介しよう。農作物に関しては、専門的に勉強した方がいいから家庭教師をつけよう。色々教わるといい」
「それと、エヴァちゃんは王家に嫁ぐのだから、ダキア皇国のマナーや歴史も学ばないといけないわね。忙しくなるけれど、その家庭教師もつけなくてはいけないわ」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
祖父母がエヴァのことを想って、いろいろ考えてくれることが嬉しかった。
それから三人は時間をかけて、まるで今までの空白を埋めるかのようにティフリス王国でのエヴァの日々のこと、エリザベスやクラウドのことをたくさん話したのだった。




