32 求婚
祖父母とエヴァ、ルーカスの四人で晩餐を楽しんだあと、ルーカスから庭園を散歩しようと誘われた。
「ちょうど薔薇園が見頃なの。二人で行ってらっしゃいな」
祖母が優しくエヴァに薦める。使用人にショールを持って来させると、ルーカスに手渡した。
「エヴァちゃんがいたティフリス王国よりも北に位置しているから、夜はまだまだ肌寒いわ。ルーカス殿下、エヴァちゃんにかけてあげて頂けるかしら?」
「ええ、もちろん喜んで」
端正な顔が近づくとエヴァの肩にルーカスの腕が回る。ドキドキと早鐘のような動悸が聞こえてしまうのはないかとエヴァは焦ってしまう。
ルーカスはエヴァにショールをかけ終わると、微笑みながら手を差し出した。
「さぁ行こうか」
頬を染めながらルーカスの手に、エヴァは自分の手を重ねる。幾度となく触れ合った手にすっかり馴染んでしまった。
祖父母からの温かい視線に見送られながら、二人はロダン公爵家の庭へ散歩に向かった。
「たくさんの植物が植わっていて見事ですね」
王家の薔薇園を代々維持してきた緑の手の持ち主の家系というロダン家の庭園だけあって、見事な配置の庭造りがされていた。
「ああ、そうだな。さすが五大貴族の庭園なだけあるな」
思わず気になった植物を見ると立ち止まってしまうエヴァを急かすことなく、ルーカスがゆっくりとエヴァに合わせてエスコートをしてくれる。
「うう……ごめんなさい。散歩にきたのに、いちいち立ち止まってしまう私に付き合ってくださって」
夢中になりすぎて、好き勝手に自分が植物を眺めていたことに気がついたエヴァが謝罪する。
「いや、エヴァが何にどんな興味があるのか知れてこちらは楽しいぞ」
「本当にルーカス様は優しすぎて困ります」
「なぜ困る?」
柔らかな赤い瞳がエヴァを覗き込んだ。
エヴァの胸がドキンと大きく高鳴った。
──言えない。自分が特別って勘違いしそうになるなんて。
気まずくなって、ふいと視線をそらしたエヴァの目に薔薇園の入口が映った。
「ルーカス様、あそこに薔薇園がありました。入ってみませんか?」
薔薇園は、エヴァが今までに見たどの薔薇園よりも薔薇の種類が豊富で、見事な設計だった。
「うわぁすごい」
思わず声を出してしまったエヴァは胸いっぱいに薔薇の香りを吸い込む。
空に浮かぶ明るい月の光に照らされて一つ一つの薔薇が輝いているようだ。
「そこに座らないか?」
ルーカスが指差した方に四阿があった。
四阿からの景色も計算されているのだろう。
目の前に薔薇が迫ってくるような、薔薇の木々に囲まれているような、そんな感覚になる見事な配置だった。
「こんなに素晴らしい薔薇園は初めてです。王家の薔薇園を作るロダン家ならではなんでしょうね。ルーカス様の薔薇園もロダン家が作ったのですか?」
「ああ、王家に子供が生まれた時、ロダン家の当主が薔薇園を設計する。だから俺のはエドワード殿が設計したんだ。ただ、維持している庭師は山羊の獣人だ」
「山羊の獣人……」
「ああ、名はケラトと言う。俺は爺と呼んでいるがな。白髪で白い髭が豊かだが口の悪い年寄りだ」
思い出し笑いをするかのように、少しだけルーカスの口元が緩んだ。
「幼い頃、嫌なことがあったりする度に薔薇園に逃げ込んでいたんだ。他の者は入れないからな。その度に爺に説教されてたよ」
「ルーカス様を説教?」
「ああ、発破を掛けられたよ。こんなところで泣いてる暇があれば、戦ってこいって。おかげで騎士団長になるまで強くなれたが」
自嘲気味に笑ったルーカスの手に、エヴァはそっと手をおいた。
大国の皇子であり、母は人間のため吸血鬼になれないルーカスはエヴァが思うよりももっと過酷な経験をしているのだと思った。
「私もケラト様に認めてもらえる庭師になれるよう頑張りますね」
その言葉を聞いて、心なしかルーカスの肩が落ちたようだった。
はぁとため息をついてから、片手で顔を覆ったルーカスはエヴァが重ねた手をぎゅっと握った。
「ルーカス様?」
顔をあげたルーカスは、皇子の威厳と色香を纏った眼差しでエヴァを真っ直ぐに射抜くように見つめた。
エヴァは、ルーカスの燃えるように輝いて見える赤い瞳から目が逸らせない。
「俺のいい方が悪かった。もう一度伝えたい。俺のそばにいてほしい。庭師としてではなく、一人の女性として」
「えっと……庭師ではなく?薔薇園の話は?」
「ああ、庭師ではなく、俺の薔薇園に入ることを許可された存在として薔薇を育ててほしい」
「……」
庭師ではなくてルーカスのそばにいるってことは……
考え込んでしまったエヴァの頬の片方を、微笑みながらルーカスがそっと包んだ。
「エヴァのことを愛している。俺の妃になってくれないか?」
「妃?」
「俺と結婚してほしい」
頭の中が混乱してルーカスの言葉がぐるぐると回る。
「だって……」
「うん?」
「ルーカス様は第二皇子だから、私とは世界が違う方だし……」
「エヴァは五大貴族でもあるロダン公爵家の令嬢だよ。身分は問題ない」
「優しくしてくださるから、ずっと勘違いしないように言い聞かせていたのに……」
「勘違いじゃない。エヴァにしか優しくないよ」
「……」
「初めてなんだ。誰かをこんなに大事に想うことも、その笑顔をずっと見ていたいと想うことも……。それに、これから経験するだろう様々な事を誰かと分け合いたいと願うのも。ちゃんと婚約を結ぶまでそんなに待たせるつもりはないけれど、色々片付けてくるから待っていてくれる?」
こくんと頷いた拍子に、一粒の涙が頬を伝った。
「これはなんの涙?」
そっと親指で拭ったルーカスが尋ねる。
「エヴァも俺に好意を持っていると自惚れていいのかな?」
嬉しそうに笑ったルーカスが優しい手つきでエヴァの髪の毛を一房取ると、そっと口付けた。
「エヴァ、ロダン公爵家にしばらく滞在していてくれるか?」
いろんな感情が渦巻いて暫く呆然としていたエヴァが我に返ると慌てて答えた。
「ええ、もちろんです。お祖父様やお祖母様ともっと話をしたいですし、こんな素敵な庭園作りもお手伝いして学びたいです」
「ノウマッド族の暗殺者のことを覚えているか?いや、怖がらせるつもりはないんだ。ただ、警戒を怠らないようにしてくれ」
ぎゅっと体が強張ったエヴァを落ち着かせるように、ルーカスは繋いだ手をぎゅっと握った。
「ロダン公爵家にも騎士団はある。ただ、俺としてもグレタをここに侍女としておいていきたいのだがいいだろうか?」
「ええ、グレタがいてくれると嬉しいです」
いくら祖父母が歓待してくれているとはいえ、まだ慣れない場所だ。グレタがいてくれると心強い。
空を見上げると月が高くなってきた。
そろそろ戻る時間だろう。
でも、このままルーカスと離れるのも名残惜しかった。
「俺は明日王都へ戻る。落ち着き次第エヴァを迎えに来るから」
「はい。お待ちしております」
寂しさを隠してにっこりと笑ったエヴァを眩しそうにルーカスは見つめていた。
「ネックレスのこと、エドワード殿に尋ねると良い。答えを教えてくれるだろう」
部屋の前まで送ってくれたルーカスと「おやすみ」と言い交わした後、ルーカスを見送ったエヴァは部屋の扉を閉めると同時に体中の力が抜けてしまった。
扉を背にしたまま膝から崩れ落ちてしゃがみ込む。
──私とルーカス様が結婚?
ルーカス様が愛してるって言ってくれた。
感情が溢れそうになり、胸の前でぎゅっと両手を合わせる。
嬉しい。夢みたい。どうか夢なら覚めないでいてほしい。
暫くして、自分が何もルーカスに気持ちを伝えていないことに気がついたエヴァは、いつか自分も言わなくてはと思うと緊張してしまい、なかなか寝付けなかった。




