29 子守唄
夜半頃、夜勤担当の使用人が部屋の扉を叩く音でエヴァは目を覚ました。
「お嬢様、お休みのところ申し訳ありません。子供の一人が発熱しました」
「わかったわ、私もすぐにいくわ。リリー様へは?」
「他の者から伝えてもらっています」
簡易なワンピースに着替えたエヴァは、一緒に子供達の部屋へ向った。
「お嬢様、起こしてしまい申し訳ありません」
「いいのよ。何かあったらいつでも言ってと言ったのは私だもの。少しは眠ったから大丈夫よ。熱が出た子はどんな様子なの?」
「男の子が就寝後から発熱したようです」
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夕食後に寛いでいる子供達の様子を見に行った時、兎の耳と尻尾をもつ一人の男の子の顔色が悪いのが気になった。
「ニック、あの男の子の顔色が悪いわね。大丈夫かしら」
「そうだな、疲れが出たかな。夜勤担当にも様子を気にするよう伝えておくよ」
「ええ、そうしてあげて。何かあったら私にも連絡をくれるように伝えてほしいわ」
「了解」
そんな会話をして部屋に戻ったのだった。
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ちょうど男の子達に割り当てられた部屋の前に着いた時、廊下の向こうからリリーもやってきた。リリーと一緒に部屋に入ると、他の三人の男の子達は起きていて、心配そうにベットに横たわった一人の男の子を見つめていた。
「お嬢」
ニックのそばのベットで寝ている子が熱を出したんだろう。ベットに近づいてそっと尋ねる。
「調子はどう?」
「どんどん熱が高くなっていくよ」
「触るわね」と熱でぼんやりとしている男の子に声をかけて額に手をあててみる。
「熱いわね。リリー様、お医者様はいらっしゃるのかしら?」
「ええ、今呼びに行かせているわ」
「ニック、この子を他の部屋に移動させましょう。リリー様、この子が使う部屋を用意して頂けますか?」
「この階に空いている一人部屋があるわ。そこにしましょう」
リリーは素早く部屋を整えるよう待機していた使用人に指示を出した。
「今から違うお部屋に移るわね。他の子達が眠れるようにするためなの」
兎の耳が垂れ下がり、熱で潤んだ瞳が寂しげに揺れるのを見たエヴァは、その子の頭を撫でながらそっと囁いた。
すがるような視線に胸が痛む。男の子を安心させたくて手を握った。薄い手のひらだった。10歳くらいだろうか、体も細い。栄養状態がよくなかったのかもしれない。
「私はエヴァと言うの。あなたのお名前を教えてくれる?」
「……ヴィクター」
ニックに抱き上げられた子供は不安そうに周りを見渡す。
「ヴィクター、私も一緒に行くわ。いいかしら?」
ヴィクターが小さく頷くのを見たエヴァは、心配いらないと言うように微笑みながら頷き返した。
「リリー様、私が付き添いますので、どうぞお休みください」
リリーは女主人として、明日もダキア皇国の客人の対応があるから休んでもらいたい。
「お医者様がお見えになったら、マルセルにこちらの部屋に案内させるよう伝えておくわ。ダキア皇国の方へも状況を伝えておくわね」
「はい、よろしくお願いします」
ニックがヴィクターを用意された個室へ運び、そっとベットに降ろした。
「ニックは寝ていないでしょ?私は少し寝たの。私が付き添っているから、ニックは寝てきていいわよ」
目がしょぼしょぼし出したニックを見て言うと、朝には交代するといって部屋に戻っていった。
エヴァは男の子の額の手拭いをもう一度冷たい水に浸してぎゅっと絞る。
冷たさが心地よいのだろう。額に置くとヴィクターは気持ちよさそうに吐息を漏らした。
暫くすると、マルセルが屋敷に到着したお医者様を部屋へ連れてきた。
「先生、遅くにありがとうございます」
「お嬢様、ご無沙汰していますね。どれ、そこの男の子ですか?拝見しましょう」
ベットの脇に掛けた先生と部屋の隅に待機したマルセルを見て、ヴィクターは怯えた表情を見せる。
「ヴィクター、来てくださったのはお医者様なの。私も側にいるし、怖くないわよ」
声をかけてヴィクターの手の甲をそっと撫でる。
「熱が出ているだけで、他に問題はなさそうです。きっと疲れが出たのか、精神的なものでしょう。お薬を多めに出しておきます。一旦熱が下がっても、体力がないとまた熱がぶり返す可能性があります。他の子もそうですが、免疫力がないかもしれないので、気をつけて見てあげてくださいね」
「はい、ありがとうございました」
お医者様とマルセルの退室を見送ったエヴァは、出してもらった薬をヴィクターに飲ませた。
薬のおかげか、ヴィクターはうとうとし始めたようだ。
「眠っていいのよ」
優しく声をかけると、じっとエヴァを見つめて口籠もりながら囁くように呟いた。
「……ここにいてくれますか?」
「ええ、側にいるわ。それならどうかしら、目を瞑っていても私がいるって伝わるように歌を歌ってあげましょうか?私の母が歌っていた子守唄なの」
ヴィクターの表情が少し和らいだのを見て、エヴァはヴィクターに掛けた毛布の上から腕をトントンと優しく叩きながら、母が歌ってくれた子守唄を小さな声で歌い出した。
三周目半ばでヴィクターから規則的な寝息が聞こえてきた。さっきまで立っていた兎の耳もすっかり垂れ下がっている。
もう一度、額に置いた手拭いを変えようと席を立って振り返ると、柔らかい顔をしたルーカスが部屋の入り口に佇んでいた。
「びっくりしました!……聞いてました?」
「エヴァは歌が上手いな。ダキア皇国でよく歌われる子守唄だったから懐かしかったぞ」
「いつもルーカス様には恥ずかしいところを聞かれてしまうのですね。この曲はお母様がよく歌ってくれたのものなのです」
「その子の調子は?」
「お医者様は、精神的な疲れからの熱だろうとおっしゃっていました」
「そうか……明日立とうと思っていたのだが、難しいかもしれないな」
「そうですね……環境が目まぐるしく変わってるので、他の子供達の体調も気になります」
「明日、兄上はどうしても立たなくてはならない。政務が溜まっているしな。子供の熱が下がってから俺達が出発できるか確認してくる。エヴァありがとう……色々やってくれて感謝している。辺境伯夫妻も使用人達も皆、我々の素性を知っても好意的に接してくれているのはエヴァのおかげだな」
「いえ、私ではなく母だと思います」
リリーから聞いた母の話を、ルーカスは目を細めて聞いてくれた。
「俺は今から兄上のところへ行くが、エヴァは部屋へ戻るか?」
「いえ、この子が目を覚ました時にそばにいてあげたいので、ここにいます」
「そうか……それなら……」
ルーカスが近付くと、羽織っていたマントをエヴァの肩にかける。
「夜はまだ肌寒い。エヴァが風邪を引いてしまう」
「あ……ありがとうございます」
柔らかい瞳で微笑んだルーカスは、指の背でエヴァの頬をそっと撫でると部屋を出ていった。
マントからほんのりとルーカスと薔薇の匂いが香ってきて、エヴァの心臓がぎゅっと締め付けられた。
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「明日の出発の予定はどうなりそう?」
「子供が一人、熱を出した。医者の見立てでは、精神的なものらしい。他の子供達にも、もう少し休息する時間が必要そうだ。子供達の体調次第だが、明日は様子を見て明後日に俺達は出発する」
「じゃあ、僕ももう1日ゆっくりできるね」
「は?兄上は明日出発することに変わりない。政務が滞っていると連絡が入っているぞ。急いで帰国してくれ」
「えー!ルーカスも一緒に帰ろうよ」
「俺は子供達と一緒にエヴァをロドン公爵家に送る。兄上は先に戻ってくれ」
「ルーカスが道中いないと色々な雑用も僕がやらなきゃいけないんだよね」
「少しくらい兄上がやったっていいだろう」
「貸しだからね。ところで、ここに来る時は二人きりだったよね。良い時間は持てた?」
「……」
「馬上で二人きりで移動なんて、小賢しい策だよね」
「……」
「もしや、王都までずっと一緒にロシュに乗せる気?」
「……」
「結構重いね。エヴァちゃん気付いていないんだよね?その執着。引かれないようにね。で、新しい辺境伯と話してどう思った?」
「ノウマッド族のことは伝えた。領主の役割も辺境伯騎士団の在り方についてもクラウス殿の影響を受けた考え方をしている。良い領主でありたいという気概を感じた。今回の滞在を見ても、器の広い領主になりそうな期待が持てる」
「お前にしては珍しく、結構評価が良いな」
「エヴァのことを大事にしているからな。それと獣人の子供達への待遇も良い」
「そうか。それなら暫くこちらもこの国に攻め入るのは差し控えておこう」
レイモンドの端正な顔がにやりと歪む。
「ノウマッド族の暗殺者についてはその後何かわかったのかい?」
「部下に探らせているが、あの夜から足取りが掴めていない」
「警戒は怠らないようにしよう。明日はこのままどこにも立ち寄らず王都に入るよ」
「ああ、そうしてくれ。護衛の部下はつけるが、万が一、兄上が狙いの一つだった場合、宮殿内に戻ってくれた方が安心だ」
「ロドン公爵には連絡はしてあるのか?」
「ああ、王都に戻る途中の宿として依頼済みだ。ノウマッド族のことは話していないが、会った時にネックレスの件も含めて話すつもりだ」
「ああ、エヴァちゃんのネックレスね」
「王都に戻った時、不審な動きがあったら逐一教えてほしい。俺の部下に探らせているが、兄上の方でも気をつけて」
「ああ、ノウマッド族が動いている件だな。今のところ有力なところはあるか?」
「……アロペクス家」
「ああ……その名が出てきても驚きはしないよ。万が一アロペクス家が関与していた場合、エヴァちゃんを王都につれてくるのは危なくないか?お前がまずは呼び寄せられる状況を作るべきだろう」
「……わかっている」
「相手は狡猾な狐だ。くれぐれも警戒を怠るなよ」
「……ああ」
「僕も周囲にも警戒はするが、狐関係は特に注視しておくな」
「頼む」
「ふふふ。『頼む』か。可愛い弟から頼られるのは、お兄ちゃんは嬉しいよ。兄弟愛がさらに深まった気がするな。エヴァちゃんのおかげだ。だから僕もエヴァちゃんのことは応援しようじゃないか」
「……」
「皇帝への報告はどうする?」
「……どうせばれてるよ」
「まぁ、僕も父上もルーカスのことが可愛すぎて執着しているのはわかってる」
「重いな」
「いや、ルーカスのエヴァちゃんへの想いも結構重いよ。いつ、庭師として連れて帰るんじゃないって伝えるの?エヴァちゃん以外はルーカスの気持ちをわかっているのに、本人だけが誤解したままだよ。まぁ側から見てる分には面白いのだけどね」
「……」
「伝え方を失敗したってわかってるなら早めに訂正しておきなよ、取り返しがつかなくなる前に」
「……わかってる。兄上の明日の出発は早いんだ。早く用意して体調を整えておいてくれ」
珍しく感情を出したままの足取りで部屋を出ていったルーカスを、レイモンドはクスクスと笑いながら見送った。




