26 懐かしき部屋
「お嬢様、お部屋にご案内しますわ。夕食の前に一度ごゆっくりされてはいかがですか?」
リリーから提案を受けたエヴァは、自分がまだ乗馬服のままだったことを気付いた。
「ルーカス様はいかがされますか?」
「俺はアーサー殿と話があるんだ。エヴァはゆっくりしておいで。慣れない旅で疲れたろう」
ルーカスとアーサーに挨拶をして応接室を出たエヴァは、リリーに案内された部屋を見て驚いた。
「リリー様、私の部屋は今はここではないですよ」
叔父一家が屋敷にやってくるまで、エヴァが使っていた部屋だった。
「お嬢様が以前使っていらした部屋は使用人部屋だったと聞いて驚きました。こちらの部屋は誰も使っていなかったようですね。是非、お嬢様のお部屋をお使いください。食事までまだ時間はありますので、ごゆっくりなさってください」
久しぶりに入った自分の部屋を見渡した。
十歳まで使っていた部屋に飾られていた小物は叔母によって全て捨てられてしまったようだが、家具はそのままだった。配置も変わっていない為、まるで過去に戻ってきたかのような錯覚を覚える。
「お風呂はすぐに使えるようにしてあります」
「ありがとうございます。でも、荷物が後で届くから、実は着替えがないのよ」
エヴァの荷物は荷馬車のほうに積まれている。手ぶらでここまできてしまったことに今更ながら気がついた。
「大丈夫ですよ。エリザベス様のドレスもこちらに移動させましたし、他のドレスも用意されていますよ」
「本当?ありがとうございます!」
リリーがクローゼットを開けると、確かにアニーに隠し持っててもらうようお願いした母のドレスや新しく用意してくれただろうドレスが並んでいた。
「ドレスはルーカス殿下が用意されたんですよ」
「え?ルーカス様が?」
「ええ、帰国前に辺境伯屋敷を訪れると早馬が来たのです。その時一緒に滞在中のエヴァ様のドレスも用意されていらっしゃいました。ルーカス殿下はお嬢様を大事にされていらっしゃいますね」
リリーの言葉に一瞬胸が高鳴る。
でも優しさを取り違えては駄目。ルーカスは大国の皇子なのだから。
今は許されているこの距離感は、もうそろそろ終わりになる。隣国へ行ったら手が届かない人になるのはわかっている。
「多分手のかかる妹くらいに思っているだけだと思うわ」
(庭師として一緒にダキア皇国へ行くことを誘ってもらったし、ね)
リリーが何か言いたげな視線を寄越してきたが、気が付かない振りをした。
「お言葉に甘えて旅の埃を落とさせてもらうわ。その後、薔薇園に行ってもいいかしら?」
「ええ、ロジャーもニックもお嬢様が戻って来られることを楽しみに待ってましたよ」
「リリー様、私のことエヴァって呼んでくださると嬉しいわ」
「それではエヴァ様とお呼びしますね。アニーが今回滞在中のエヴァ様の侍女に立候補しています。お風呂を使われるのであれば、お手伝いするよう声をかけてきますね」
「アニーが?嬉しいわ。リリー様、何から何までありがとう」
少しするとアニーが部屋にやってきた。
「エヴァ様、お手伝いさせて頂きますね」
「アニー、ありがとう」
「エヴァ様が着ていらっしゃるお召し物、珍しいですね。乗馬服ですか?」
「ええ、ダキア皇国の女性騎士の方から貸してもらったの」
「とてもお似合いですよ」
「これを着て馬に跨ってここまできたの。動きやすくて楽だったわ」
「まぁ、王都からずっと馬に跨って来られたのですか?さぞかし、お疲れでしょう。お風呂にお湯は入れてありますよ。入浴のお手伝いをしましょうか?」
「ありがとう。でも一人で大丈夫よ」
浴室にはたっぷりのお湯が張られ、薔薇の花びらが浮かべられていた。精油だろうか薔薇の香りが満ちていて疲れた体がほぐれるようだった。リリーやアニー、使用人達の心遣いが嬉しかった。
旅の汚れを落としてすっきりしたエヴァは、用意してもらった果実水を飲みながらアニーへこれまでの経緯を簡単に伝えていた。
アニーは神妙な面持ちで聞いていたが、聞き終わるとエヴァの目を真っ直ぐに見た。
「お嬢様が何か罪悪感を持ったりする必要はないですよ。旦那様たちの件もクラウス様達の件も」
うまく言えないけれど……と照れたように泣きながら笑っているアニーの姿を見ていると、今までのことが色々と胸によぎり二人で手を取り合うと暫く泣いた。
アニーに泣いて腫れてしまった目を冷やしてもらいながら、着替えのドレスをどれにするか決める。
「エヴァ様ドレスはいかがします?」
「そうね……」
クローゼットの中を覗きながらアニーが色々と物色している。ドレスを選ぶほど持っていなかったせいか、未だにドレス選びに慣れない。
「ね、エヴァ様、この黄色のドレス素敵じゃないですか?ルーカス様の輝く髪の色みたいにも見えますし」
アニーが差し出してきたのは、ふんわりとした明るい黄色のドレスだった。
──ルーカス様の色?
私がルーカス様の色を纏う……そう思うと一気に気恥ずかしさに襲われる。耳まで真っ赤になったエヴァをアニーがにやにやと見ていた。
「ね、エヴァ様。これにしましょう!」
「でも……ルーカス様の色と聞くと着るのが恥ずかしいわ」
「何を言ってるんですか。このドレスはルーカス様が用意したものですよ。着て欲しいから用意したに決まってますよ。さ、早く!」
追い立てるように着替えさせられたエヴァを見て、アニーは飛び上がらんばかりに喜んだ。
「エヴァ様、やっぱりお似合いです。お肌も髪の毛も、ものすごく綺麗になりましたね。艶々で輝いているみたい」
「向こうで付いてくれた侍女の方がお手入れをしてくれたの」」
「大事にされていらっしゃるんですね。嬉しいです」
「……そうね、すごく優しくしていただいてるわ」
「愛されているんですね。エヴァ様もルーカス様が大好きでしょう?」
無邪気なアニーの言葉に思わず狼狽える。
「……愛されてはいないわ」
笑顔が固まったアニーに弱々しくエヴァは微笑む。
「私のことは多分手のかかる妹って思っているだけだと思うわ。それに一緒にダキア皇国へ行こうと誘って下さったけれど、庭師としてだし、ね。アニーが想像するような男女の色恋の気持ちは持っていらっしゃらないわよ」
アニーに伝えながら、自分に言い聞かせているようだった。
「ルーカス様は大国の第二皇子よ。国には婚約者候補の方々がいらっしゃるだろうし。優しくしてくださるからって勘違いしてはいけない方なのよ」
何か言いたげなアニーに、お返しとばかりに笑いながら尋ねた。
「アニーの恋愛はその後どうなったの?」
アニーの顔がみるみるうちに赤くなる。
形勢逆転とばかりにエヴァはアニーに質問を浴びせる。
「相手は誰なの?ダキア皇国に行く前に教えて欲しいわ」
自分のルーカスへの気持ちを考えると胸が痛く締めつけられるような感覚を、ふふふと笑いながら誤魔化した。
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「ルーカス殿下、お話とは?」
リリーとエヴァが応接室を出て行くのを見送った後、アーサーがルーカスに向き直る。
足を組んで鷹揚にソファの背にもたれかかっていたルーカスは、アーサーに感情が読めない視線を向けると上に立つことが慣れた者の目で見つめた。
「今からダキア皇国第二皇子として話したい」
「承知いたしました」
アーサーが緊張した面持ちで答えた。
ルーカスはお茶を一口飲んで、言葉を続けた。
「王宮内で、エヴァがエリモス連邦のノウマッド族の暗殺者に襲われた」
思わず立ち上がりかけたアーサーを目で制する。
「申し訳ありません。どうか続けてください」
「そいつは前辺境伯夫人を唆し、牢屋から逃がせてエヴァを襲わせた。あの女に聞いても犯人の人相、年齢も全て不明だ。どうやら声だけでやりとりしていたらしい。声からも年齢不詳だったと言っている」
「エヴァ様が狙われているのは確実ですか?」
「ああ、エヴァが襲われた時、そいつの殺気は真っ直ぐにエヴァに向かっていた」
「そうですか。エヴァ様を狙う理由はわかりますか?」
「それがわからない。襲われた時期から理由は幾つか考えられる。ティフリス王国の王太子妃にさせたくなかったのか、辺境伯関係か、それとも、ダキア皇国関係か」
「辺境伯関係で考えると……爵位に関係があるのでしょうか」
「それはまだ分からない。エヴァだけを狙っているのかも。こちらでも警戒を続けてほしい。万が一、アーサー殿の周りで何かあったら知らせて欲しいんだ」
「承知しました。しかし、ノウマッド族の暗殺者であるとどうしてわかったのですか?」
「エヴァに向けて投げられたナイフの柄が、ノウマッド族のものだった。よく知られた暗殺者が一人いるのは知っているな?」
「名が……確か、アーテルでしたな」
ノウマッド族の言葉で黒と言う意味の名がつけられたのは、性別はおろか人相も年齢も不明だからと言われている。
「ああ、依頼を受けたら必ず成功させているとも言われている手練れだ」
色々な国でアーテルの仕業だと囁かれている未解決の暗殺事件があることはアーサーも知っている。
「アーテルがやったことは確かですか?」
「いや、それは分からないが、俺の精鋭の部下達が追いきれずに逃した。その際に放った刃でアーテルに傷をつけることはできたようだが、どれほどの手負いになったかは不明だ。こちらの手落ちではあるが、あの状況で怪我をしながらも逃げおおせたと言うのは相当の強者と考えられる」
「わかりました。こちらでも不審者が領内に入っていないか、警戒を怠らないよう指示をします」
「ああ、よろしく頼む」
話が一区切り着いたところでアーサーがルーカスへ尋ねた。
「ところでルーカス殿下、エヴァ様はこれからダキア皇国に向かわれるのですよね」
「ああ、そうだ」
「それは、すなわち……」
具体的なことを言い淀んだ後、アーサーはルーカスに頭を下げた。
「エヴァ様をどうかよろしくお願いいたします。こちらは、いつでもエヴァ様に帰ってきて頂けるようにはしておきますが」
それでも、一言釘を刺すことは忘れなかった。
通じたのだろう、ルーカスは不敵な笑みを見せた。




