23 出立
「今から兄上とティフリス国王の元へ説明へ行く。エヴァも着替えたら来い」
エヴァが自分のドレスを見ると、叔母の血と土で汚れている。
「グレタ」
「はい、ここに」
「エヴァを部屋へ。それから、お前には後で話がある」
「承知しております」
厳しい騎士団長の顔に戻ったルーカスがグレタを呼び指示を出す。
はっと気づいたエヴァは、慌ててルーカスに向き直った。
「ルーカス様、今回のことはグレタのせいでは有りませんので、責めないでくださいませ。私が薔薇園へ行きたいと無理を言ったのです。責めは私に」
眉根を寄せたルーカスは、ため息をつくと
「エヴァ、気持ちはわかるが責務というものがある」
「でも……」
「エヴァ様、お気遣い下さりありがとうございます。事実、私が不在の時にエヴァ様が狙われました。きちんとけじめをつけないと自分が許せません。さ、まずはお部屋へ戻りましょう」
「グレタ」
「俺は兄上のところに先に行く。エヴァ、申し訳ないが用意ができたら兄上のところまでグレタときてくれ」
「はい、承知しました」
「エヴァ嬢、大変だったな」
着替えが終わったエヴァがレイモンドが待つ部屋に行くと、そこには既にティフリス国王や宰相ら側近も集まっていた。
ルーカスはレイモンドの後ろに控えている。
「レイモンド様、お騒がせして申し訳ありません。ルーカス様に助けていただきました」
「ルーカスが間に合ったのならよかったよ」
「今回、牢番が買収されていたようだ。その牢番もすでに殺されていたから、黒幕はわからない。スタール前辺境伯爵夫人も怪我はしているが、命は助かったようだ」
「そうですか」
国王から叔母が助かったと聞き、ルーカスの言葉を思い出したエヴァは複雑な気分になる。
これから死ぬより辛いことが待っているのかもしれない叔母の未来に思いを巡らす。
「今回の黒幕はわかりませんが、手を下した者は分かりましたよ」
レイモンドはそう言うと、机の上に投げられたナイフを並べた。
「この柄のナイフは、西のノウマッドと呼ばれる漂流民族のものです。ノウマッド族で一人よく知られた暗殺者がいるので、おそらくその人物が手を下したと思われます。顔も名前も分かりません。おそらく唯一の目撃者である夫人を問い詰めても顔や声、見た目を変えて接触しているだろうから、有益な情報は得られないでしょう。少なくとも殺していない時点で、本人に繋がることはないと言っているようなものですから」
思わず身震いをする。
そんな暗殺者がなぜ私を狙うの?
「今回はエヴァ嬢を狙ったのか?」
「それはまだ分かりません。エヴァ嬢なのか別の誰かなのか」
「そうか……」
「ノウマッドの暗殺者は依頼を受けて動いているはず。依頼主もわからない状況ですので、ダキア皇国の我々が狙われている可能性もあります。貴国との輸出入に関する条約も締結できましたので、我々は国へ戻ります。そして、エヴァ嬢も一緒に連れて行きますね」
レイモンドがにっこりと笑ってエヴァを見る。
エヴァはちらりとルーカスを窺うが、顔色も表情も変えずに前を向いている。
「なんと、エヴァ嬢、それでいいのか?」
「はい、国王様。色々とお世話になりました。一度、母の祖国を見てみたいと思います」
「そうか、皇妃が寂しがるだろうな」
「急ではありますが、ノウマッドの者が動いているのであれば、こちらも早急に対策を取る必要がある為、明日には帰国の途につきたいと思います。その前にエヴァ嬢を襲った女の処遇を確認しておきたいのですが」
「ああ、そちらの意向を汲んで、南部の労働所での使役とする」
「そうですか。エヴァ嬢の温情で殺さなかったのです。決して逃走したり、妙なことを考えないようしっかり躾けてください」
レイモンドが冷徹さを感じる美しい微笑を浮かべながらティフリス国王へ冷たい声で言い放った。
「承知した」
「それでは、明日の出発の用意がありますので、これで」
レイモンドが席を立つ。あくまでも上位は大国ダキア皇国のレイモンド第一皇太子だ。
エヴァも促されてレイモンドと一緒に部屋を後にする。
ティフリス国の王太子が何か言いたげな視線を寄越していたが、エヴァは目礼をして挨拶の代わりにした。
「エヴァちゃん、明日の朝出発するよ。準備をしておいてね」
「私もご一緒していいのですか?」
「え?だってルーカスとそう約束したんでしょ?」
「領地に寄ってから、ダキア皇国に入国させてもらうつもりでした」
「大丈夫、帰国する前に辺境伯領地に立ち寄らせてもらう了承は国王からもらっているから」
「そうなのですか?」
「ああ、だから一緒に明日出発しよう。でないと、ルーカスが怒ってしまうよ」
最後の言葉はそっと耳元で伝えられた。
「あ、はい。分かりました」
思わず了承の旨を伝える。
レイモンドは笑うと、ルーカスに声をかけた。
「ルーカス、エヴァちゃんを部屋まで送ったあと僕の部屋に来て」
「はい」
「あと、顔が怖い」
ルーカスの肩をポンと叩いて笑いながら去るレイモンドの後ろ姿に礼をして見送ったエヴァは、振り返って見上げたルーカスの真っ直ぐな視線が強くて痛い。
何か怒らせた?
「ルーカス様?」
おずおずと声をかけたエヴァに、ルーカスはふっと表情を和らげて「行くぞ」と手を繋いできた。
エヴァのよりも大きくて厚い掌から伝わる温もりに、心臓が跳ねる。
一度自覚してしまった想いが、体の中を暴れるように駆け巡る。
「ルーカス様、手を繋がなくても大丈夫ですよ」
「エヴァはすぐに迷子になるだろう」
手を離そうとしたが、実際に迷ってしまいそうだったので言い返せない。
静かになったエヴァを横目で見たルーカスは、柔らかな口調で話しかけた。
「明日は早い。今日は色々あって疲れているだろう。ゆっくり安め」
「はい、ありがとうございます」
ルーカスにエヴァの高鳴る心臓の音は聞こえていないだろうか、
翌朝グレタがダキア皇国騎士団の乗馬服を貸してくれた。
「エヴァ様申し訳ありません、私の服なのですが……ダキア皇国に入ったら新しいものを用意しますので、しばらく我慢してもらえますか?」
「全く構わないわよ。グレタのを借りてもいいの?」
「ええ、もちろんです、これは女性でも馬に跨がることができる服です。今日は走る距離が長いので横座りよりも跨った方が楽だと思います」
「私は馬車ではなく、馬の背に乗るのね」
「ええ。今回は馬車ではなくて幌馬車が用意されています。幌馬車には荷物と保護された獣人の子供達が乗る予定なのです」
「そうなのね、ようやく被害にあった子供達も故郷に帰れるのね」
「あと、私も一緒に帰ることになりました。これからもエヴァ様の侍女を続ける許可をもらえました!お側にまだいられます!」
昨夜こってりとルーカスから怒られたとは聞いていた。
「これからもよろしくね。グレタと一緒で心強いわ」
集合場所へ行くと、すでにルーカスとロシュの姿があった。
「ロシュ!」
声をかけると、鼻を押し当ててくる。
「元気だった?ロシュに会いたかったわ」
撫でていると、ルーカスがまじまじとエヴァの姿を見つめていることに気がついた。
「この格好は変でしたか?グレタが用意してくれたのです」
「いや、とても似合ってて驚いただけだ」
照れたように言うルーカスの言葉に、エヴァは耳まで一気に熱を持ってしまう。
気恥ずかしさをごまかすように、尋ねた。
「私も馬に乗ると聞きました。どの馬に乗ればいいですか?」
それを聞いたルーカスが口元をあげて言った。
「ロシュに乗れ」
「え?ロシュ?ルーカス様と一緒にってことですか?」
「俺達じゃダメか?」
クックッとルーカスが笑う。
「いえ、そんなことはないですが……流石に第二皇子の帰国時に私が一緒に乗っているのは外聞が悪くないですか?」
「気にするな」
そういうと、ロシュの背にエヴァを跨らせ、ルーカスもエヴァの後ろに跨った。
手綱をルーカスが持つと、エヴァを後ろから包んでいるかのような体勢になる。
胸が高鳴って痛いほどだ。
(ルーカス様に抱きしめられているようで、心臓が持たない)
「ルーカス様、この体勢……近くないですか?」
「俺が怖いか?」
後ろから聞こえてくる気遣うような声に、思わずぶんぶんと首を振る。
「いえ、ルーカス様は怖くないですが……」
「なら、慣れろ」
少し笑ったような声だった。
「リコス!」
「はい、ここに」
灰色の髪の毛を持った騎士服を着た青年が側にいた。
何気なく青年を見たエヴァは思わず目を見張る。
(あの時の!)
舞踏会の日に、エヴァの部屋のバルコニーまで来てルーカスからのプレゼントのイヤリングを持ってきてくれた人物だった。
「あなたはあの時の!」
「ご挨拶が遅れました。ダキア皇国騎士団団長補佐のリコスです」
「先日はありがとうございました」
エヴァが微笑むのを見たルーカスは面白くなさそうな顔をして、リコスに指示を出した。
「俺たちは先に向かう。目指すは辺境伯の屋敷だ。お前は兄上に伝え、用意を手伝った後に俺たちを追ってこい」
「承知いたしました」
リコスの返答を聞くやいなや、ルーカスはロシュを動かした。
「皆さんと一緒に行くのではないのですか?」
「皆とは国境を越える前に合流する。まずは辺境伯領を目指すぞ」
「途中どこかに寄らないのですか?」
「ロシュなら、夕方には辺境伯領には着く」
馬車で来た時は二日かかった距離を一日で行くと言うのか。
「まぁ!足が速いのですね。ロシュ、よろしくお願いしますね」
エヴァはロシュの首元をそっと撫でた。
その様子を後ろから柔らかな顔をして見つめていたルーカスは、エヴァの腰に片手を回しぎゅっと抱き抱える。
「しっかり掴まってろよ。飛ばすからな」
「はい!」
ロシュが颯爽と走りだした。
(ダキア皇国へ行けるのね!)
エヴァはようやく色々なしがらみから解放されたような爽快な気分だった。
今からどんな世界が待っているのか、どんな世界を見ることができるのか。
目の前に広がる、気持ち良いほど澄み切った青空を見上げる。
きっと私は幸せになれる。根拠のない確信でエヴァの胸はいっぱいになった。




