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22 急襲

耳元を何かが掠めた。


思わず周りを警戒する。

横目で地面を確認すると、ナイフが刺さっていた。

母の形見のネックレスの石からはチリチリとした感覚がまだ伝わってくる。まだ危険があるということだろうか。


身を伏せようとした時、薔薇園の入り口に叔母の姿があった。手元には銀色の光るものが見える。


入り口に警護の騎士がいるとグレタから聞いていた。叔母が入ってきたということは、倒された可能性があると言うことだろう。叔母にそんな力はないはずだから、協力者がいる可能性がある。


「叔母様」

覚悟を決めたエヴァが立ち上がって叔母と対峙する。

叔母は目尻を吊り上げ、ぎらぎらした目でエヴァを睨みつけている。

「あんたのせいで、私の計画が全て狂ったのよ。あの時、あんたも馬車で一緒に死ねばよかったのに。あんただけ政治的に使えるから残しておきたいって言った旦那様の言葉に従わなければ良かった」

「叔母様も、お父様とお母様を馬車で殺そうとしたのですか?」

「旦那様は脅すだけって言っていたけど、甘いのよ。脅したところでクラウス様は絶対諦めないもの。あんたも本当はあの馬車に乗せる予定だったのよ。仲良く家族三人一緒に死ねた方が良かったのにね」

「……叔母様は何を望んだの?」

「蛮国から来たエリザベスが持っていたもの全てよ。辺境伯夫人の地位は手に入ったのに。あんたのせいで娘達を王妃にできる機会まですっかり駄目にされたわ」

「お母様が持っているのもの?」

「本当は私がクラウス様と結婚するはずだったのよ。小さい頃からずっと好きだったのに。なのに、クラウス様は私を見てくれなかった。どこの馬の骨かわからないエリザベスと結婚するなんて」

「二人は愛し合っていたわ。お父様は幸せそうだった」

「私と結婚すれば、私のことを愛してくれていたはず。それをあの女は奪ったんだ。お前はどんどんエリザベスそっくりになっていくから憎くてたまらなかった。そして私から地位も夢も奪った。だからお前の命を私が奪ってやる。死んで償いなさい!」


叔母が父を慕っていたことを知らなかった。

「叔母様は叔父様を愛してはいなかったの?」

「は?愛する?私が愛していたのはクラウス様だけよ。顔が似てるから結婚してあげただけ」

叔母はナイフを構えてゆっくりと近づいてくる。

「叔母様、私を殺そうとしてもそのナイフの持ち方だと殺せないわよ」

素人とわかる持ち方で近づいてくる叔母を見つめる。

「殺せなくてもいいわよ。あんたのその顔に傷をつけられたらいいの。一生苦しむのも一興だわ」

初恋で狂った叔母を哀れに思いながら、どうやってナイフを奪うか考え始める。


協力者はどこにいるのだろう。

「最後に教えてください。どうやってここに入ったのですか?」

確か叔母は従姉妹達と貴族用の牢に入れられていたはず。

「うふふ、あんたの敵は私以外にもいたのよ。あんたが死ぬのも時間の問題ね」

叔母は高らかに笑うと、ナイフを持った手を振り回し切り付けてきた。

エヴァは叔母がナイフを持った腕をつかみ胸元に引き寄せる。

叔母の手首を掴んで思い切り叩くと、手からナイフが落ちる。落ちたナイフを叔母が拾う前に、足で蹴り遠くへ飛ばした。


叔母を引き寄せたまま、エヴァは周りを警戒した。協力者がいるのであれば、こんな素人以下の叔母で私を殺せるなんて思っていないはず。

間違いなく叔母は囮だ。


また耳元を掠める音が聞こえたと思ったら、ひゃあと叔母から叫び声がする。

叔母のお腹のあたりにナイフが刺さっているのが見える。

わざとだ。わざと致命傷じゃないんだ。

痛い痛いと叫んでいるため、周りの音が拾えない。


「叔母様、ナイフを抜くと出血してもっとひどくなります。このまま一度地面に横たえますよ」

周りを警戒しながら、叔母を地面に寝かせる。すると、次々にナイフが飛んでくる音がした。エヴァと叔母の周りを、ナイフが円形に囲むように地面に刺さっている。


わざと私を追い詰めているんだ。



徐々にエヴァの心の中が黒い霧に覆われていくようだった。

横たわっている叔母の口から漏れ続ける、呪詛のようなエヴァへの恨みの言葉がさらに心を疲弊させる。

自分にはもう居場所がないってわかっている。

領地に戻ったところで、犯罪人の辺境伯の親族だ。領民に受け入れてもらえるか不安がある。

ダキア皇国にいる祖父母に会ったところで私の居場所ができるわけではない。


それなら薔薇に囲まれて終わるのもいいのかな。

エヴァから気力が抜け落ちたのがわかったのだろう。強い殺気がエヴァへ一直線に向けられるのを感じた。見えない敵の襲撃を、最後くらい逃げずに迎えようとエヴァは凪いだ心で殺気がする方向へ顔をあげ、前を見据える。


突然、目の前で閃光が光ったような気がした。

驚いて見上げると、剣を構えたルーカスがエヴァの前に立ち塞がっている。

「ルーカス様」

掠れた声で呟く。

「エヴァ、怪我は?」

「大丈夫です。それより叔母様が」

「そんな女を気にするのか?」

「はい……罪を償って欲しいので」

「そうか」


「ルーカス様。すみません、取り逃しました」

ルーカスの前で跪き報告をしたのはグレタだった。

「そこらに襲ってきた者のナイフがある、全て回収して調べよ。それと、そこの女を連れて行って治療を受けさせろ」

「生かすのですか?」

「エヴァの希望だ。罪を償わせろ。死ぬより辛い目にあえばいい」

冷たい声で叔母を睨みつけながら言い放つと、ルーカスはエヴァを向いた。

「今から俺の部下が数名来る。男性だが大丈夫か?」

「え……あ、はい」


「グレタ、呼べ」

「はい」


返事が合図かのように数名のティフリス王国のではない騎士服を着た騎士達がやってきて、叔母を連れて行った。


「リコスはいるか?」

「はい、ここに」

暗がりに跪いている男性が見えた。

「急いで兄上と国王にこの件を伝えよ。俺も直ぐに行く」

「承知しました」

音もなく男性は消えた。


「さて……エヴァ、どうして無茶なことをする」

怒っているのだろうか、ルーカスが厳しい視線でエヴァを見下ろす。

「無茶って……」

「どうして生きることを諦めた」

「……」

はぁーと大きく息を吐いた後、跪いてエヴァの両手をとったルーカスは顔を(しか)めた。

「怪我をしている」

エヴァも自分の手を見下ろすと、叔母がナイフを振り回した時に切り付けられたのだろう。無数の切り傷が手や腕にできていた。所々血が滲んで、出血している傷もあった。

無我夢中だったから今まで痛みを感じず、気付かなかったようだ。


ルーカスがエヴァの手を自身の唇まで持ち上げ、切り傷に一つずつ吸い付いている。

呆気にとられたエヴァはなされるがままだったが、そのうちゾクゾクする感覚に襲われた。

「ル、ルーカス様?」

ルーカスがエヴァを見るが、行為は止まらない。視線が絡んだまま、ルーカスが次々と傷に唇を落とし吸い付いていく様子は扇情的でもあった。


あらかたの傷に吸い付いたのだろう。ようやくルーカスが唇を離した。

白い肌に赤い血色の良い唇が官能的にすら見える。


「やはり、エヴァの血は甘いな」

そう言って唇を舌で舐める。


甘い?

美味しいってこと?


見ると傷口が塞がっている。

驚いて目を見開くと、ルーカスが揶揄するように笑った。

「吸血鬼が吸うと、傷の治りが早いんだ」

もう一度まじまじと自分の両手や腕を確認すると、ほとんどわからないくらいまで傷が塞がっていたり傷跡すら見えないものもあった。


ルーカスは下を向いていたエヴァの顎を持ち上げると、視線を絡ませる。

「俺の国に来い。エヴァの居場所を作ってやる」

輝く金色の髪を靡かせ、燃えるように赤い瞳を輝かせたその人は、高慢な口調で、それでいて柔らかな視線でエヴァを見つめている。


「ダキア皇国に……ですか?」

「ああ、エヴァの育てる薔薇が好きだ。俺の薔薇園でその腕を振るってみろ。俺と一緒に来い」


恐ろしい程に整った顔をエヴァは呆然と見つめ返した。

いつの間にか昇っていた月の光が金色の髪に反射し、その姿は神々しくさえ見える。


瞳を見開いているエヴァを見て、口元を少しあげるとルーカスはエヴァに手を差し出した。

「俺と一緒に行くだろう?」


出された手を見つめる。誰かに助けてって言えないエヴァの前に必要な時現れては、守ってくれた手。

この手にどれだけ救われただろう。

──これからもこの手に頼っていいのかな。

そっと手を乗せると、ぎゅっと握られた手から伝わる、慣れ親しんだ温もりに安心する。


「大丈夫だ。選んだことを後悔させない」

傲慢なようにも聞こえる自信に満ち溢れた言葉は、エヴァの張り詰めていた心を緩ませる。


いつもこの人は私が欲しい言葉を言ってくれる。

この人の言葉にはいつも抗えない。


「はい……よろしくお願いいたします」


自分の居場所を探してきた。

そんな場所は無いと思って、探すのも諦めかけた。

それをこの人は私に作ってくれると言うの?


エヴァの言葉に満足気に頷くと、嬉しそうに微笑んだ。

そんな表情を見たら、自分が特別なんじゃないかって勘違いをしてしまいそうになる。


「俺を信じろ。エヴァを裏切らない」

頷いた拍子に眦に溜まっていた涙がこぼれ落ちる。


困ったような顔をしながらも親指で涙を優しく拭ってくれた。近くで見るその表情はとても柔らかく優しかった。

これからも、その柔らかな表情を私に見せてくれる?

彼の優しい眼差しを独占したいと浅ましい想いが湧き出てくるのを感じた。


(ああ、私はこの人に囚われてしまった)


自分の気持ちに気づいてしまうと、もう後には戻れない気がして怖かった。

叔母の姿が目に浮かぶ。

私も恋に焦がれて狂ってしまうのだろうか……




◆▲◆▲◆▲◆▲◆▲


バーク伯爵に襲われた夜から、エヴァは夜中に泣きながら悲鳴をあげるようになった。

眠ったまま悲鳴をあげているので、夢でうなされているのだろう。

「エヴァ、大丈夫だ」

ルーカスは悲鳴をあげているエヴァに声をかけて手を繋ぎ、もう一つの手でエヴァの頭を撫で続ける。

しばらくすると、落ち着いたのだろう。

寝息が規則的な落ち着いたものに変わった。


「グレタ、あとは頼む」

「承知しました」


そっと部屋をでた。

襲われた翌日も夜中に悲鳴をあげているとグレタから聞いてから、ルーカスはエヴァを宥めてから就寝するようになった。


なぜここまでエヴァにしてしまうのか、自分でももうわからない。

初めて吸血衝動を持った相手だからなのか。

これがレイモンドが揶揄うような恋愛感情なのか、ルーカスにはわからなかった。


吸血鬼の父と人間の母をもち、母はルーカスを産んだ後すぐに亡くなった。

父も兄もルーカスを可愛がってくれている。それでも、どれだけ勉強しても強くなっても、どんな努力をしても、吸血鬼一族の中では劣等なダンピールの血。圧倒的な寿命の差もあり、父と兄とは決して同等にはなり得ない。

そのことは、ルーカスを卑屈にするには十分だった。

心の中の葛藤をぶつけるかのように剣にのめり込んだら、生まれつきの身体能力の高さも相まって騎士団長になってしまった、それだけだ。


それなのに、エヴァに出会って初めて自分の身分も権力も使って守りたいと思った。

これは「慈愛」なのか。

そうすると吸血欲求が説明がつかない。

ルーカスは自分の気持ちに向き合うのを放置した。


伯爵と辺境伯の処刑後にエヴァが王宮を出て領地に戻ると伝えてきた時、ルーカスは驚きのあまり対応ができなかった。

ルーカスの手が届くところに、目が届くところにエヴァがいるのが当たり前になっていた。

領地に戻ってからの落ち着き先を教えてもらえなかったことも、エヴァから突き放されたようで腹ただしく感じていた。


気持ちがなかなか落ち着かないその日の夕方、エヴァの叔母が牢を抜け出したという一報が入る。

胸騒ぎがしたルーカスがエヴァの部屋に向かうも不在だった。気持ちが焦る。

(どこに行った?庭園か?)

「ルーカス様?」

ショールを取りにきたグレタがルーカスに気がついて声をかけてきた。

「エヴァはどこだ?エヴァの叔母が牢を抜け出した。襲われる可能性がある」

みるみるうちにグレタの顔色が変わった。

「薔薇園です。ティフリス王国の騎士が、薔薇園の入り口で警護していますが心許ないのですぐに戻ります」

グレタの言葉を聞いて、ルーカスも走り出す。


ルーカスが薔薇園でエヴァを見つけた時、エヴァは生気を失ったような顔で殺気が飛んでくる方向をただ見つめていた。

(死ぬ気か?)

ルーカスの背中に冷たいものが走る。

気がついたらエヴァの前に跳び出し、エヴァへ放たれたナイフを切り落としていた。



「……エヴァ、どうして無茶なことをする」

エヴァが死を受け入れていたことを思い出し、腹が立ってきた。

「どうして生きることを諦めた」

黙ったままのエヴァを見ていて、思い出した。

バーク伯爵に襲われた夜、泣いて悲鳴をあげたエヴァは再び寝入る前に何と言ったか。

『私の居場所が無くなってしまいました』と。


俺は思い違いをしていたのかもしれない。

凛と気を強く持って振る舞っているが、ずっと帰る場所を探し迷っているんだ。

迷子の少女をじっと見つめる。


俺はエヴァを失いたくない、エヴァの全てが欲しいと渇望している。


自身のエヴァへの気持ちに気づいたルーカスは大きく息を吐いて心を落ち着かせた、跪いてエヴァの両手をとったルーカスは顔を顰めた。

「怪我をしている」

無数の切り傷が手や腕にできていた。所々血が滲んで、出血しているものもあった。


エヴァの手を持ち上げると切り傷一つずつに吸い付いていく。

ルーカスの名を焦ったように呼ぶ声に反応してエヴァの瞳を見つめるが、吸うことはやめないままエヴァと視線を絡ませる。


あらかたの傷に口をつけたルーカスが唇を離した。

治療行為だと伝えれば、納得したようだった。

エヴァの傷を出しにして吸血行動を行ったことに後ろめたい気持ちはあるが、自分の気持ちに気がついたルーカスは開き直ることにした。


エヴァは俺をどう思っているのか。好意を持ってくれているとは思う。

ただ、それは兄を慕う気持ちや友達への好意のようなものだろう。

どちらにせよ、俺のものにする。ゆっくりと堕としていく。


エヴァは俺を優しいというが、誰にでも優しいわけではない。むしろ吸血鬼の性で、冷酷だろう。

ただ、自分の欲に素直なだけだ。


打算的な言葉でエヴァをダキア皇国に一緒に行こうと誘い、頷かせた。

迷子のエヴァに居場所を作ってやると(ささや)けば、俺についてくるだろうという打算があっての申し入れだった。

そして薔薇園と言葉を出せば。エヴァは断れないに違いない。


バーク伯爵のせいでできてしまった心の傷を、ルーカスが思い切り甘やかして癒やしたい。

他の誰にも代わりにやらせるつもりはないし、エヴァの弱い部分を知っているのはルーカスだけでいい。

そんなことを思う自分にルーカスは驚く。

確かに兄上がいうように、俺は変わったな。


兄上に揶揄われるのは癪に触るが、早く国へ出立するよう急かさねば。

エヴァの気が変わる前に一刻も早くダキア皇国へ連れ去りたい。


──もう離さない。

ルーカスは不敵な笑みを浮かべた。



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