15 舞踏会
辺境伯家の入場の案内が会場内に響きわたる。
エヴァとレイモンドは従姉妹達に続いてホールへ入場した。
ホールの天井には豪華絢爛な絵画が描かれ、シャンデリアが眩い光を放っている。ホールにいる人たちの視線が一斉にエヴァとレイモンドに集まるのを肌で感じた。
レイモンドは見目麗しく、隠しきれない皇族然とした優雅さが出ているので余計に目を引くのかもしれない。一方のエヴァは、貴族の間では叔母が至る所のお茶会で広めた、魔女のような娘という噂が一人歩きしていた。
「魔女のようだと聞いたけれども、美しい娘じゃない」
「あの髪色、瞳の色、この国では珍しいわね」
「母親がダキア皇国出身だったのですって。横の方も美しい方ね。どなた?」
「ダキア皇国の子爵様ですって。見目が良いお二人が並ぶとお似合いね」
エヴァに聞こえてくる声は決して悪いものではない。
エスコートしてもらっている手から緊張が伝わったのだろう。レイモンドがエヴァへ柔らかく微笑むと、周りの女性から黄色い歓声が上がった。
デビュタントとなるエヴァはレイモンドのエスコートのまま、国王へ挨拶をしにいく。
挨拶をする緊張よりも、隣のレイモンドを国王がどう認識するのかの方に意識を取られてしまう。王の態度如何によっては、大国を敵に回すことになるのだ。
王の横には王妃、王太子が座り、宰相など側近達が後ろに控えている。
子爵の名前を聞いて皇族に結びつけられる人はいるかしら。ダキア皇国の貴族図鑑を把握している人が一人でもいたら……誰かレイモンドの本当の身分に気づきますように。
祈るような気持ちだった。
エヴァは作法に乗っ取って、カーテシーを行い名を名乗った。
「スタール前辺境伯が長女のエヴァでございます」
「顔をあげよ」
国王の言葉で、カーテシーから戻り国王を見つめる。
「そなたがクラウスの娘か。遠いところから良く来たな。今夜は存分に楽しむが良い」
「ありがとう存じます」
国王がエヴァの横で一礼をしたレイモンドに目を留める。
「其方は?ダキア皇国から来た方かな?」
「はい、レイモンド・バング子爵と申します。この度はティフリス国王に拝謁でき、光栄の至りです。今回は商談のためティフリス王国へ参りました。入国した際に辺境伯領でお世話になったご縁があり、本日はエヴァ嬢のエスコートを務めさせて頂いております」
「そうか。バング子爵はこの国には長く滞在する予定かな」
「いえ、色々とこちらの名産を見せて頂きましたので、そろそろ帰国しようかと考えております」
「商談はもう終わったのかな?」
「一つ大きなものを残してはおりますが、相手次第というところでしょうか」
「そうか……この国は変わっていかなくてはならないと痛感している。貴卿の訪問が良いきっかけとなって両国の縁が深まっていくのを期待したい。もし帰国までに機会があれば、是非ダキア皇国のことなどを教えて欲しい」
「お望みとあらばいつでも」
エヴァとレイモンドは最後にカーテシーと一礼をそれぞれ行い、国王の前を辞した。
壁側に移動した二人は、ウェイターの持ってきた飲み物でほっと一息をつく。
音楽が流れ出し、王と王妃のファーストダンスが始まる。
「レイモンド様、いかがでした?」
そっと尋ねた。
「思いの外、あの国王は賢いな。私が誰かちゃんと理解していたぞ。この国の閉鎖的な状況を脱したいと考えているようだな」
二人の会話のどこにそんな話があったのかエヴァはわからないが、レイモンドが及第点を出したようなのでひとまず安心する。
「エヴァ嬢、よろしければ私とダンスを踊ってくださいませんか?」
レイモンドがダンスに誘ってきた。
「さ、私の手をとって」
「私、ダンスを踊るのは上手ではないですよ」
「でも、踊れるだろう?」
確かに母からは習ったけれど、久しく練習をしていない。
今回舞踏会ではエスコートがいないと思っていたから、ダンスの練習はやってこなかった。
「大丈夫。ちゃんとリードするよ。これでも皇太子だからね、任せて」
片目を瞑りながらレイモンドが微笑む。
エヴァは差し出された手を取ると「よろしくお願いします」と微笑んだ。
レイモンドとのダンスは踊りやすかった。
任せてと言うだけあり、上手なリードのおかげでレイモンドの足を踏むことはなさそうだった。
「レイモンド様、ご令嬢達が次のダンスの相手にと狙っていますよ」
「知ってる?エヴァちゃんのことを狙っている男性もたくさんいるよ」
「え?いませんよ。珍しいから見ているだけではないですか?」
自分は珍獣のように見られていると思っている。
「筆頭は王太子だよ。彼も君に釘付けだ。ルーカスのやつ、この状況を知ったら怒るだろうな。お兄ちゃんとして、エヴァちゃんを守らないとね」
レイモンドの言っていることはいまいち良くわからないが、エヴァの気にする問題は別なところにあった。
「レイモンド様、実は私は王太子の婚約者候補だったのですが、今は従姉妹達が名乗りをあげてます。王太子に近づくなと従姉妹達からうるさく言われているので、できれば王太子とは距離を取りたいのです」
「なるほど。それならば踊りながら場所を移動していくよ。まぁ任せて」
スムーズなレイモンドのリードに身を委ねていると、上手に人の間を抜けながら移動をしていく。
曲が終わった頃には最初の位置から見て反対側まで移動をしていた。
「喉が渇いただろう。何か食べるものはいるかい?」
甲斐甲斐しく世話をしてくれるレイモンドに申し訳なさが募る。
「レイモンド様、私は一人でも大丈夫ですよ。今日は別にお約束があったのではないのですか?」
「今日はレナードの代わりにエヴァちゃんの虫退治にきただけだよ。遠慮しないで」
虫なんて寄ってこないと思うのだけれど……でも一人きりになるよりはレイモンドと一緒だと心強い。
「ありがとうございます。実は心細かったのでお気遣いが嬉しいです」
「よし、じゃあ何か食べるものを一緒に取りに行こう」
食べ物が並べられている場所へレイモンドのエスコートで移動する。
周りの女性がレイモンドに熱い視線を送っていることに気がついているはずなのに、本人は気にも留めずエヴァの世話を焼くものだから居心地が悪い。
「レイモンド様、さっきから女性達の視線が怖いのですが」
「ふふ、こんなのはましな方だよ。ダキア皇国だと、もっと露骨に囲まれるからね。それを回避するのを100年近くやっているから嫌になっちゃうよね。ま、僕よりルーカスの方がもっと酷いけれど」
レイモンドは苦笑しながら教えてくれた。
「どうしても僕は王位を継承するから婚約者は吸血鬼の中から選ばなくてはならない。女性側もそれをわかっているから、他種族の子が言い寄ってくるのは完全に遊びと割り切って来るんだ。でも、ルーカスは違う。ルーカスは皇族の容姿をもち、国で一番強い騎士団長だ。継承権がないからどの種族とでも婚姻ができる。政治的に繋がりたい思惑を持つ野心家や群がる女性の数は僕の比じゃないよ。ま、あの子は嫌がってずっと女性達から逃げ続けていたけどね」
ルーカスが女性を惹きつける人だと分かっているはずなのに、なぜかレイモンドの話にもやもやしてしまう。
(私は婚約者がいる身だもの。ルーカス様の女性関係については何も言う権利はないわ)
「エヴァ!」
何か取ろうと並んでいるお皿に注意を向けた時、叔父と叔母が呼び止めてきた。
「コーキノス子爵、エヴァのそばにいては舞踏会を楽しめませんよね。どうかうちの娘達とも踊ってくださいませんか?」
甘えた声で叔母がレイモンドにすり寄っていく。
「エヴァは伯爵と話がある。今から私と一緒に来なさい」
叔父からの指示に従わないわけにはいかない。楽しい時間はこれで終わりだ。
「コーキノス子爵、今日はエスコートをしてくださりありがとうございました。コーキノス子爵のおかげでとても楽しい時間を過ごせました。私は今から叔父と一緒に失礼しますので、どうぞ舞踏会をお楽しみくださいませ」
挨拶を述べた後、自分の矜持として完璧なカーテシーをする。
何か言いかけたレイモンドだったが、さすがに止められないとわかったのだろう。
「こちらこそエヴァ嬢とのダンスは楽しかったですよ。是非また踊りましょう。また近いうちに会えることを楽しみにしています」
そう言って微笑みを返してくれた。
「叔父様どこに向かっていらっしゃるのですか?」
会場を出た二人は王宮内の長い回廊を歩いていた。舞踏会のホールからどんどん遠ざかっている。
「バーク伯爵とゆっくり話せる場所を借りたんだ。付いてきなさい」
足を動かすたびに揺れて存在感を失わないイヤリングが、今は心の支えだった。
(ルーカス様にもう一度、最後にお会いしたかった)
レイモンドが姿を現した時、ルーカスも王宮内にいるのかと一瞬胸が高鳴った。
今日は来ていないと聞いた時、落胆した様子を顔に出さない様にするのが精一杯だった。
夜風が薔薇の香りを回廊まで運んできた。外を見ると、奥に薔薇園があるようだ。
(あそこから香りが風に乗ってやってきたのね。いい香り。王宮の薔薇園にはどんな薔薇が咲いているのかしら。一度見てみたかったわ)
回廊を抜け、ようやく叔父が一つの部屋の前で立ち止まった。
部屋に入ると、バーグ伯爵がすでにソファに腰をかけ、お酒を飲んで待っていた。
「お待たせしました」
「いや、大丈夫です。むしろこんなに美しいご令嬢と婚約できる幸運に酔いしれておりました」
バーク伯爵の前のソファに座ったエヴァを舐め回すように見つめる。視線が不快だったが、表情には出さずただじっと前を見ていた。
「それでは、この書類に双方署名することでいいですな」
叔父が取り出した書類を横目で盗み見る。
この国で使われる定型の婚約申請書類のようだ。
署名を終えた叔父がエヴァに提案してきた。
「エヴァ、また領地に戻ってから王都に戻るのは色々と大変だろうから、すぐにでも伯爵家に入ったらどうかとバーク伯爵から提案をもらったんだ」
「まだ婚姻前ですし、屋敷に荷物を残してきているので一度領地に帰らせて頂きたいです」
「荷物ならアニーに荷造りさせて、伯爵家に送ればよかろう」
「そうですよ、エヴァ嬢。ドレスなど日々必要なものはこちらで用意させていただきます。伯爵家のしきたりなど先にお教えしたいので、是非伯爵家へお越しください」
わかっていたが、やはりもう領地に帰れないのだ。
「わかりました。今夜は辺境伯家のタウンハウスに帰らせてもらえますか?」
「もちろんです。明日朝一番に迎えをやりましょう」
にやついた笑みを浮かべてバーク伯爵が言った。
「では、この書類は私が届けてきましょう。エヴァ、折角の機会だからバーク伯爵と親交を図ると良い。この部屋はもう少し借りておこう」
書類を持って立ち上がった叔父の言葉に、エヴァは思わず叔父にすがる様な視線を向ける。
このままだと、この部屋で伯爵と二人きりにされてしまう。
「いえ、私も叔父様と一緒にホールに戻ります。実は何も食べてなくてお腹が減ってしまったのです」
恐怖を感じながら。なんとか言い訳を考える。
「これは失礼しました。こちらに軽食を持ってきてもらうよう頼みましょう。エヴァ嬢、辺境伯様がおっしゃる通り、私ともう少しここでお話しませんか?」
にんまりと笑った顔には、暗い欲が見え隠れしているようで背筋が凍りつく。
「そういえばスタール辺境伯、支度金は足りましたか?」
扉を開け、まさに部屋から出ようとしている叔父を呼び止めた伯爵が、エヴァと視線を合わせたまま尋ねた。
「あ、ああ」
「そうですか、それはよかった。ああ、申し訳ないがその扉は閉めてもらえますか?せっかくのエヴァ嬢との時間を邪魔されたくないので」
「わかった」
叔父は一言吐き捨てるようにいうと、エヴァを振り返ることなく扉を閉めた。
「支度金?」
エヴァが訝しげに呟いた言葉が聞こえたのだろう。
「ええ、結構な額を請求されましたよ。ふふふ、何に消えたのかは知りませんが」
勿論エヴァのために消えたお金はないだろう。
何に使ったんだろう……領地経営が上手くいってないのかしら。
思わず考え込んだエヴァに隙ができたせいだろう。
横に座ってきたバーグ伯爵がエヴァの手を取り手袋を外すと、手の甲をするりと撫でてきた。
手を触られ、不快感に思わず眉を顰める。いやらしく笑う目に嫌悪感しか湧かない。
反射的に手を引っ込めようとしても、意外にバーグ伯爵の力が強く、しっかりと掴まれてしまった。
「バーグ伯爵様、どうか手をお離しください」
にやりと笑った伯爵がエヴァのもう片方の手首も掴み、動けないようにする。
立ち上がって逃げようとしたエヴァを長椅子に押し倒すと、エヴァの上に伸し掛かって押さえ込んできた。
固く閉じたままの扉が視界に入る。
──やられた
叔父はこうなることがわかっていたのだろう。だからエヴァの顔を見ることができずに出ていったのだ。
エヴァはここからどう抜け出すかを必死に考える。
この部屋へ来る時に誰ともすれ違わなかった。きっと大声を出したところで、人に気づかれることはないだろう。王宮での舞踏会のため、いつも持ち歩いている護身用のナイフは置いてきてしまった。
まずはこの部屋を出なくてはならない。
酒臭い息を顔の近くで感じて、思わず身震いする。
「エヴァ嬢、さぁこっちを向いて」
エヴァは拘束されていない足をばたつかせる。
バーク伯爵の瞳が獲物を見つけた獣のように獰猛に光ると、エヴァの頬を思い切り叩いた。
一瞬目の前に星が見えた。頬が燃えるように熱く、切れたのだろう口の中に鉄の味が広がる。
力では叶わない。悔しい。
唇を噛み締めて、バーク伯爵を睨みつけた。
生理的な涙すらバーク伯爵に見せるのが悔しい。
「まだ私達は婚姻を結んでいません。このような行為はおやめください」
「ふふふ……気の強い女性は好きだよ。その勝ち気な瞳の色が、段々と弱っていくのを見るのが好きなんだ。君はどこまで持ち堪えられるかな?」
嗜虐的な笑みを浮かべたバーク伯爵が、涙の跡がついたエヴァの頬を舐める。
頬に走るざらついた感覚に恐怖が体を突き抜け、声にならない悲鳴が口から漏れる。
「辺境伯はこうなることを了承したよ。さぁどうやって楽しもうか」




