13 願い
「遅くなったな。部屋に戻ろうか。送るよ」
ルーカスの言葉で我に戻ったエヴァは厨房の窓の外を見る。すでに強い雨は止み、雲の切れ目から星空が見えていた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えていいですか?どうやって部屋まで戻ろうかと思っていたので助かります」
苦笑いをしながら言うと「そうだと思った」とルーカスは笑いながらエヴァの手をとる。
あまりにも自然に手を握られて呆気にとられてしまっているエヴァに
「貴女は目を離すとどこかに行ってしまいそうだからな」と、ルーカスが笑いかけた。
ルーカスの優しい眼差しと繋いだ手から伝わる温かさに、エヴァの心がぎゅっと締め付けられる。そんな痛みを振り払うかのように、ルーカスを見上げて笑いながらわざと拗ねた顔を作って見せた。
「そんなに子供っぽいですか?どっかに行ったりしませんよ」
優しく笑い返してくれたルーカスの表情に、エヴァの心がさらに悲鳴をあげた。
見覚えのある場所まで出てきた。
もうすぐ部屋についてしまう。
思わず繋いだ手にぎゅっと力が入ってしまった。
「ん?どうかしたか?」
エヴァの手に力が入ったことに気がついたルーカスがエヴァを覗き込んでくる。
「ルーカス様が王都で滞在される屋敷には、薔薇園はあるのですか?」
慌てて会話を振ってみた。
「ああ、今回用意した屋敷には小さな薔薇園があるはずだ」
「それなら良かったです。王宮の薔薇園は見事だと聞いたことがあります。今度の舞踏会の時に見ることが出来たらいいなと思っているのですが。ダキア皇国の王宮にも、きっと素敵な薔薇園があるんでしょうね」
「ああ、俺たちは一人一人の薔薇園を持っている」
「まぁそうなのですか! ルーカス様の薔薇園はどんな薔薇が咲いているのか興味があります」
「いつか貴女にも見せてあげたい。辺境伯家の薔薇園も見事だったけれど、俺の薔薇園もなかなかのものだぞ」
──『いつか貴女にも見せてあげたい』
エヴァは泣きそうになるほど、ルーカスのその言葉が嬉しかった。きっと深く考えずに出た言葉だろうし、深い意味も無いのだろう。
それでもルーカスが自分を受け入れてくれているからこそ出てきた言葉のようで、エヴァの心の中が温かくなった。
「そういえば、辺境伯家の庭師がルーカス様や皆様にと持たせてくれたものがあったのです。今、お渡ししてもいいですか?」
ちょうど部屋の前に着いた時に、ロジャーから手渡されたものの存在を思い出した。もうルーカスとは会うことは無いだろう。だから、今があれを渡す最後の機会になる。
「庭師から?」
「はい、そうなんです。今、取ってきますね」
エヴァはドアを開け放ったまま、部屋に入りカバンの中からロジャーが手渡してくれた、乾燥させた薔薇の花びらが詰まっている瓶を取り出した。
ドアの方を振り返ると、廊下に立っているルーカスの視線が緑のドレスに向いている。
シワになってはいけないと思い、宿についた時にカバンから出して洋服掛けに掛けておいたのだ。
「ルーカス様」
ドアまで戻ったエヴァがルーカスに声をかける。
「このドレスは……君の婚約者になる人からの贈り物なのか?」
ルーカスの険しい顔がエヴァを不安にさせた。
「ドレスですか?あれは父が母に初めて贈ったドレスなのです。その……叔父から舞踏会のドレスを用意してもらえていないので……母のドレスを着ることにしたのです。カバンに詰めていると皺になってしまうのが怖くて掛けておいたのですが……舞踏会には相応しくないでしょうか」
ルーカスの険しい顔から、母のドレスは舞踏会に着ていくドレスとして及第点を貰えないのかと考えてしまった。エヴァはパーティというものに一度も参加したことがない。
ましてや王家が開催する舞踏会だ。招待された貴族達は、目一杯、華やかにしてくるだろう。
素敵なデザインのドレスとはいえ、お古では駄目だったのかもしれない。
どうしよう。舞踏会に着ていけるようなドレスは一枚も持っていないのに。
不安で真っ青になったエヴァに気付いたルーカスが、慌てて謝った。
「不安にさせたなら申し訳ない。違うんだ。とても素敵なドレスだと思う」
「ルーカス様、早めに知っておいた方が対策が立てられますから、どうか本当のことを教えてください。あのドレスは舞踏会には相応しく無いですか?」
間違いなく皇太子のルーカスの方が田舎娘のエヴァよりもドレスコードについては詳しいはず。
「本当に不安に思う必要は無いんだ。あのドレスは舞踏会に相応しいし、間違いなく貴女に似合うだろう」
「それならどうして?どうしてあんな険しいお顔をなさっていたのですか?」
「あのドレスを着た貴女はさぞかし美しいだろうと思ったのだ。でも、それが他の男からの贈り物であれば面白くないなと思っただけだ」
また、ルーカスから美しいという言葉を貰ったエヴァは、目を見開くことしかできなかった。
目の前のルーカスが少し拗ねたような顔をしていて、いつもよりも幼く見えてしまうのは気のせいだろうか。何も言葉が出てこないエヴァの反応を窺っているのがわかる。わかるけれど、どう答えればいいかわからない。
「ア、アリガトウゴザイマス」
とりあえずお礼を、とぎこちなく伝える。
「何に対してのお礼なんだ?」
動揺しているエヴァを見て落ち着いたのだろう。いつも調子に戻った様子のルーカスが揶揄うように聞いてくる。
「あの……美しいって言ってくださって……」
頬を真っ赤にさせたエヴァがぼそぼそと答える。身を縮こませていると、低く柔らかい声が頭上から降ってきた。
「貴女は美しい。もっと自分に自信を持ってほしい。今まで貴女が過ごしてきた環境を見れば言われ慣れない気持ちも理解はできるが」
一旦言葉を切った後、一呼吸置いてからルーカスが尊大な口調で「エヴァ、俺を見ろ」と命じた。
生まれ持った皇族の風格なのかルーカスの言葉に、エヴァの体が勝手に動いてしまう。
エヴァがルーカスを見上げると、力強く輝いている赤い瞳から目が離せない。
「俺の言葉を信じることはできるか?」
「はい」
「エヴァは誰よりも美しい。自信を持って、胸を張って舞踏会に参加するんだ。できるな?」
「う……頑張ります」
「ははは……強情だな。エヴァ、貴女を美しいと思う俺の目がおかしいと思うか?」
「……いえ」
「だったら俺を信じろ」
「はい」
ふっとルーカスが笑うと辺りの空気を支配していたような皇族特有の威圧感が解けた。金縛りが解けたように、エヴァの体が自由になった気がした。
多くの種族の上に立って支配することに慣れた者とされる者の貫禄の差を感じる。
「やっぱり、ルーカス様は皇族なんですね。皇族っぽい話し方が様になっていました」
ルーカスは赤い目を大きく見開いたかと思うと、横を向きクックックと体が震え出した。
「ルーカス様?」
堪えきれずに笑い出したルーカスを唖然として見つめていると、ようやく落ち着いたのか目尻に溜まった涙をぬぐっている。
「そんなに変なこと言いました?」
「威圧的に話したことを怒るのかと思いきや、皇族っぽいって……」
また思い出したのか、エヴァを見ながら笑いを堪えるような顔をする。
「やっぱり貴女は面白いな。で、皇族っぽい俺はどうだった?」
「とても素敵でしたよ。格好良かったです」
「貴女にとって好ましいものだったんだな」
機嫌良く言うと、エヴァの瞳を見つめながら一筋掬った銀色の髪の毛に唇をつける。色気が醸し出される表情に思わず息を飲んだ。
「貴女の髪の色も瞳の色も綺麗だ。きっとあのドレスに映えるだろう」
自信を持てと言ってくれた。ルーカスの言うことなら信じられる。
「ありがとうございます」
口元をあげ、瞳を細めてエヴァを真っ直ぐに見つめるルーカスへにっこりと微笑んだ。
「あ、これです」
手に持っていた薔薇の花びらが入った瓶をルーカスへ渡した。
「足りなくなったら、国に戻る時に辺境伯屋敷を訪ねてください。庭師のロジャーが新しいものを作っているはずです」
そんな話はしていないが、ロジャーなら間違いなく作ってくれているという確証があった。
「ありがとう。助かる。この薔薇のお礼は改めてさせてくれ。何か欲しいものはあるか?」
「お礼なんて要らないですよ。母の教えの意味がわかったのはルーカス様やレイモンド様のおかげです。お礼を言うのはこちらの方です」
「俺がお礼をしたいんだ。そういえば舞踏会の時に身につける装飾品は用意できているのか?」
お母様の宝石などは全て叔母にとられてしまっている。
手元にあるものは……
胸元から形見のネックレスを出してルーカスに見せた。
「このネックレスは母からもらったものです。これがあるから大丈夫ですよ」
「そうか、上質なガーネットだな」
柔らかな表情を浮かべているルーカスを見ているうちに、一つだけお願いを言ってみたくなった。
「ルーカス様、それではお礼として一つお願いをきいていただけますか?」
頷いたのを見て、ありったけの勇気を振り絞りお願いを口に出す。
「私のこと、エヴァって呼んでくれませんか?」
「え?」
ルーカスが瞳を見張ったのがわかった。
「身分を弁えない烏滸がましい願いだってよくわかっています。ただ、私には名前で呼んでくれる人が叔父一家しかいないのです。ルーカス様からも先程のように、エヴァって呼んで頂けたら嬉しいなって思って。どこへ行っても、私が私でいられるような気がして……」
──だからエヴァって名前で呼んで。そして私を忘れないで。
心の中で伝えられない言葉を唱える。
恋人でもないのに、厚かましい願いだってわかっている。
もう二度と会うことはない、今だからこそ言える願いでもあった。
躊躇うような光が赤い瞳に漂っているのがわかって、胸が痛くなる。
ルーカスが口を開くまで、実際には数秒足らずの時間が、エヴァには永遠のようにも思えた。
「わかった。エヴァ、おやすみ」
ふっと小さく笑い、ルーカスの大きな手の甲がエヴァの片頬をそっと撫でたあと、開いていた部屋のドアを閉めた。
惚けたように立ち尽くしていたエヴァだったが、ルーカスが去っていく足音が聞こえなくなると、真っ赤な顔のまま思わずしゃがみ込む。
──ルーカス様、ありがとうございます。
もう何も思い残すことはない。
これから何があっても、立ち向かっていけるはず。
胸元のネックレスをぎゅっと握りしめて気持ちを奮い立たせた。
次の日の早朝に出発した一行は難なく王都へ到着し、それぞれの屋敷へと別れた。
エヴァはルーカスの姿をこっそりと馬車から見送った。
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ティフリス王国にきてからずっと調子が狂っている。
原因はわかっている。エヴァだ。
国にいた時は、騎士団長として騎士団のことだけ考えていれば良かった。
近寄ってくる女性は多くいたが、適当にあしらっていた。
ルーカスがダンピールのため、婚姻する相手が吸血鬼以外でも良いとされる皇族の存在は政治的にも興味の対象だった。ルーカスの見た目で寄ってくる女性も多い。
元々吸血鬼は、吸血行為をするため相手を魅了できるほどの美貌をもっていると言われるだけあって容姿が整っている種族だ。皇族の容貌はその中でも際立っていた。
エヴァは、ルーカスを従者と認識していた時から、皇子とわかっても態度が変わらなかった。ルーカスにとっては、身分に囚われずに話せることができた初めての異性だ。エヴァもルーカスに打ち解けてくれるのは、初めて色々と話せる友達に近い存在と思っているからなのか。
自分がエヴァを気にしてしまうのは、妹のように想っているからなのか。
それなら、この吸血衝動はどう説明する?
王都に入る前夜の宿で、エヴァの泊まる部屋を見て驚いた。
辺境伯令嬢として用意された部屋ではなく、使用人用の部屋を充てがわれていた。そのことに対して一切疑問を持たず、惨めとも思わないエヴァを見て、辺境伯家での扱われ方を目の当たりにした様な気がした。
ふと目に飛び込んできた鮮やかな緑のドレスを見た時、美しい彼女が纏うものが自分以外の男からの物だ、と思うと心の中に激しい炎が燃え上がった様な気がした。
こんなに気持ちを振り回されることが初めてで落ち着かない。
ルーカスは彼女から貰った薔薇の花を一片取り出し、香りを堪能する。
少しだけ気持ちが落ち着いた。
まずはこれから、自分が為すべき事を考え始める。
この苛々する根源を断ち切れば良い。
それなら……行動あるのみだ。
「兄上、例の件で出てくる」
「わかった。戻り次第、状況を教えて」
「ああ、あと俺の部下を本国から至急呼び寄せたいのだがいいだろうか」
「足りない?」
「作戦に適した人員が必要だ。舞踏会迄に終わらせたいんだ。兄上もここに長居したい訳ではないだろう」
「まぁ確かに。ティフリス国王には舞踏会の時に身分を明かす予定だから、それまでは隠密にことを運ぶように」
「わかった。それでは、行ってくる」
レイモンドはルーカスが慌ただしく去っていく姿を見てほくそ笑んだ。
王都に来る途中でエヴァちゃんと何かあったらしい。
ルーカスは目の色が変わったように、がむしゃらに目の前の仕事に取り組んでいる。
「本当、ルーカスって可愛い」
思わず呟くと、周りにいた側近達が驚いたようにレイモンドを見た。
ふふふ、可愛い弟のためにお兄ちゃんが虫除けをやってあげようかな。
面白いことは一番いい席で見ないとね。
「舞踏会に出席するから衣装を用意しておいて」
レイモンドは側近に指示を出すと、ほくそ笑みながら手元の書類へ目を落とした。




