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10 遠駆け

レイモンド達は結局、辺境伯の屋敷を起点にしてあちこちに出かけているようだ。

屋敷内で出会った時にそれとなく聞いてみたら、ここには薔薇園があるから皆が薔薇の生気を得ることができて居心地良いのだという。どうやら他にも吸血鬼の方がいる様だ。


屋敷に来た初日の夕食以降、レイモンドが屋敷内に居てもエヴァが夕食に呼ばれることはなくなった。

レイモンドがそれをどう思っているのか、叔父達がどう説明しているのか……そんなことはエヴァにはもうどうでもよかった。


王都へ行くまであと数日しかない。

叔父は舞踏会の時にバーク伯爵との婚約を結ぶと言っていた。噂通りであれば、エヴァをもう領地に戻すことはないだろう。叔父もエヴァを連れ帰る予定はないからこそ、王都で婚約を結ぶのだろう。


もう戻って来れないかもしれないと覚悟を決め、身の回りの荷物を片づけていた。

手直しをしていない残りの母のドレスやダキア皇国の本を、叔父達には秘密で保管してもらうようアニーに頼んだ。

いつの日かそれらを引き取りに来れたらいいなと願う。

アニーもエヴァの覚悟が伝わったのか、泣きそうな顔で引き受けてくれた。



レイモンドから母の出自を聞いてから、ダキア皇国について興味が一層増したエヴァは、王都へ持っていけないダキア皇国の歴史や貴族のことが載っている本を片っ端から読んでいった。けれども、結局は母の家名を聞いていない為、母の実家のことは分からないままだ。

皇后であるレイモンドのお母様とエヴァのおばあ様が仲が良かったと言うのならば、それなりに高位の貴族なのだろう。

レイモンドに素直に聞けば教えてくれるのかもしれないが、知ってしまうのがどうしてか怖い。気になっている癖に未だ聞き出せないでいた。


ルーカスとはあの薔薇園の夜から一度も話はしていない。庭に出た時に、ルーカスを遠目に見かけることがある。反対にルーカスからの視線を感じる時もある。

視線が絡んでも表情が変わらないルーカスを見ると、薔薇園で起こった出来事は夢だったのではないかとも思えてくる。



薔薇園の手入れに行く前に厩舎に寄って、ロシュや他の馬達に挨拶をしていくことが習慣となってしまったエヴァは今朝もいつも通り厩舎に入った。


今朝はレイモンド達はまだ出かけていないのだろう。

ロシュやダキア皇国の馬達がそれぞれの馬房の中で寛いでいた。

「ロシュ」

そっと声をかけると、優しい瞳でロシュが見返してくれる。

「よく眠れた?もう朝ご飯は食べたの?」

声をかけると、撫でてというように鼻を擦り付けてきたロシュが可愛くて仕方がない。

首周りを撫でながら、ロシュに話を聞いてもらう。

「ねぇロシュ、あなたが生まれた国はどんな国なのかしら。ここより暮らしやすいのかしら。ロシュから見て、私はどう見える?他の人と変わらない?髪の色と瞳の色だけで私を知ったつもりになる人がここには多いのよ。今朝も従姉妹が私のこと魔女って呼んでいたの。いっそのこと本当に魔女になれたらいいのに。魔法を使ってこの国じゃないところへ行くの。そうねぇ、まずはロシュが生まれた国を見てみたいわ。色々な国に寄った後、居心地が良いところで暮らすの。

ロシュは何がしたい?思い切り走りたい?いつか私もロシュの背に乗ってみたいけれど、叶わない夢よね」


「それなら、乗ってみるか?」

「え?」

低い声に驚いて振り返ると、少し離れたところにルーカスが立っていた。


聞かれていたの?

気恥ずかしくてたまらない。頬にじわじわと熱が集まっているのを感じる。


「ルーカス……殿下」

「今は子爵の従者のただのルーカスだ」

「ルーカス様」

満足げに頷いたルーカスに思わず尋ねる。

「どこから聞いていたんですか?」

「よく眠れた?からかな」

って最初からじゃない。

「恥ずかしいです……いらっしゃったなら声をかけてくださればよかったのに」

赤くなってしまった頬を隠すかのように両手で顔を覆って下を向く。

誰も聞いていないと思って子供っぽいことをつらつら話してしまった覚えがある。

恥ずかしくてルーカスの顔が見れない。

「ロシュも心地良さそうだったから、邪魔をしては悪いかと思って」

「いえ、そこは邪魔してくださいよ!」


くっくっとくぐもったような笑い声が聞こえた。

まさか笑っている?


思わず両手を顔から離して、ルーカスを見上げてしまった。

いつもは表情が読めない顔のルーカスが口元を上げ、三日月の様に赤い瞳を笑い和めてエヴァを見ていた。

初めてエヴァに向けられた笑顔に目を奪われる。


「何を笑っていらっしゃるんですか?」

つい拗ねた様な声で聞いてしまう。

「いや、なに……俺も魔法を使えたらなって思ってさ」

恥ずかしくて居た堪れなくなったエヴァは逃げ出したい思いでいっぱいだ。

「失礼しました!」とペコリと頭を下げたエヴァは厩舎の外へ早足で向かう。

俯いたままルーカスの前を通り過ぎようとした時、優しく腕を掴まれた。

驚いてルーカスを見ると、和かな表情のまま「ロシュの背に乗ってみるか?」ともう一度尋ねてきた。

「いいのですか?」

「ああ、もちろんだ。ロシュも乗せたそうだ」

振り向いてロシュを見ると、うるっとした可愛い瞳でエヴァを見つめている。可愛すぎて、思わず口元が緩んでしまう。


もう一度ルーカスに視線を戻した。

エヴァを見つめる視線は柔らかい。

「是非乗せてください!」


ルーカスが二人乗り用の鞍を持ってくると、てきぱきとロシュの背に乗せていく。手際の良さにほれぼれとしていると「さ、行くぞ」とロシュにさっさと跨ったルーカスが上から声をかけてきた。

ロシュは軍馬なだけあってエヴァが今まで乗ってきた馬より一回りは大きい。

その背に乗っているルーカスを見上げたエヴァは、あっという間に伸びてきた腕に体を持ち上げられ、ルーカスの前に横座りさせられていた。


一体何が起こった?

驚いたエヴァがルーカスの方へ体を向けると、ルーカスの胸に顔が当たってしまう。上を向くと、ちょうどルーカスの顔がエヴァの頭の上に位置していた。

後ろからルーカスがエヴァを抱き(かか)えるように手綱を握っている。

整った顔を至近距離で見ることになってしまったエヴァはその美しさに言葉を失った。

エヴァの動揺など微塵も気にしない様子で、ルーカスは一言「前を向いておけ」と声をかけてきた。

「は、はい!」

エヴァが慌てて体を前へ向けたのを見たルーカスがロシュに合図を出すと、ロシュはなめらかに動き出した。


気持ちがいい!!

ロシュはさすが軍馬なだけあって、足が速い。あっという間に辺境伯屋敷の敷地の外に出て、迷いもなく森の中を進んでいく。

「速度は平気か?」

「はい、大丈夫です」

エヴァは風を切って走る感覚に身を委ね、ロシュの力強い足運びを堪能していた。


開けた場所に出ると、ルーカスはロシュの速度を緩める。

「まぁ!ルーカス様!お花がいっぱい咲いていてとても綺麗です」

色とりどりの花々が咲き誇っている光景を見たエヴァは、思わず歓声を上げる。


ロシュを花畑の近くの池で水を飲ませ自由にさせると、思うままに草を喰み始めた。

エヴァがうっとりと綺麗な景色を堪能していると、ルーカスが木陰にマントをひいて座る場所を作ってくれた。

「ロシュに乗せてくださった上に、こんなに素敵な景色を見せてくれてありがとうございます。この場所は初めて来ました」

エヴァは花から花へ飛び回る蝶の群れを眺めながら、横に座っているルーカスにお礼を伝える。

「喜んでもらえたならよかった。以前ロシュとここまで遠駆けで来た時に見つけたんだ。貴女に見せたいと思った」

「私に?」

エヴァは驚いてルーカスを見つめ返す。

「貴女ならこの景色を喜ぶかと」

「はい!とても嬉しいです。それにルーカス様が出かけられた時に、私を思い出してくださったことも嬉しいです」


ルーカスがそっと目線を外した。横を向いたルーカスの目元が少し赤くなっている……ように見える。

照れている?

そう思った瞬間、エヴァは一気に気恥ずかしさを感じてしまう。

私ったら、なんてことを言ってしまったの?

「あ……申し訳ありません!私、勘違いのような言葉を……」

「いや、勘違いではない。確かに貴女を思い出したからな」

にやりと笑いながら言うルーカスの言葉をどう受け止めればいいかわからず、ぎこちなく前を向いた。


「貴女は馬に乗れるのか?」

ぽつりと呟くように尋ねてきたルーカスの言葉で、話題が変わったことをこれ幸いとエヴァが返答をする。「はい!幼い頃に父から教わりました」

「だから、ロシュの駆ける速さを怖がらなかったんだな」

「騎士に憧れていた時期があったのです。馬で駆けながら弓矢を射る練習を父とよくしていました。と言っても幼い頃の話なので、遊びの延長みたいなレベルでしたけれど。最近は馬に乗っていなかったので、久しぶりに乗馬ができてすごく楽しかったです」

「そういえば、貴女に初めて会った時も矢を射っていたな」

揶揄うような微笑みがルーカスの口角に上がる。


「ダキア皇国では貴族女性が弓矢を持ったり、馬に乗ったりすることは許されますか?」

「ん?どういうことだ?」

「ティフリス王国では、貴族女性が馬に乗ることは褒められたことではありません。むしろはしたないと咎められる行為です。ましてや弓矢や剣術、武術なんて女性がやることではないと思っている様な閉鎖的な国なんです」

「そういうことか。ダキア皇国の種族は知っているよな。それぞれの種族には長所と捉えることができる特性がある。例えば、吸血鬼なら力が強い。男女関係無くだ。獣人ならば系統によって違うが、力の強い者もいれば、すばしっこさや脚の速さを長所として持つ者がいる。ドワーフであれば物作りが得意な者が多いから、女性の鍛冶屋もいれば男性で宝飾の細工師になる者もいる。だから、ダキア皇国では何かすることに、男女の区別はないぞ。ちなみに女性騎士には吸血鬼と獣人が多いな」

話を聞けば聞くほど、両国での考え方の差に打ちのめされる。

「女性が活躍できているのですね。羨ましいです」

「確かに辺境伯の騎士団には女性騎士が少ないな」

なぜ知っているのかとエヴァが驚いたのか伝わったのだろう。

「ああ、時間がある時は辺境伯騎士団の鍛錬に参加させてもらっているんだ」

「そうでしたか。王都では高位女性の警護のために近衛兵に女性がいるとは聞いていますが……叔父は古い考え持つ人なので」

「演習量も、兄上が来た時の前領主の時とは違っているみたいだったしな」

「それは……」

「ああ、すまない。貴女に伝える言葉ではなかったな」

「いえ、構わないです。率直に言っていかがでしたか?」

「そうだな……俺のとこの騎士団のとは明らかに差があったな。まぁ俺がやらせすぎかもしれないが」

「父はよく平時の鍛錬の量が有事の動きに繋がると言っていました」

「ああ、俺もその通りだと思うぞ」


ルーカスが父と同じ考えを持っていると知って嬉しかった。

それと同時に、他国の王族に国境を守る騎士団の程度を知られてしまったことに背筋が凍りつく。やはり、叔父にレイモンド達がダキア皇国の皇族だと伝えなかった自分の手落ちなのか。


「ルーカス様はダキア皇国で騎士をされていらっしゃるのですか?」

「ああ、ダキア皇国の騎士団長をしている」


(騎士団長?ダキア皇国で一番強い人がどうしてティフリス王国へ来たの?戦争が起こるのかしら)


さらっと答えたルーカスは、エヴァの顔色が悪くなった理由に気が付いたのだろう。

「大丈夫だ。今はこの国に攻め込む予定はない」

「今は……?」

「心配しなくても良い」

ルーカスの真っ赤な瞳が柔らかく細められる。

「ところで、今はもう騎士には憧れていないのか?」

「今は……」

突然話が戻り、再びエヴァは考え込んだ。


今はなんだろう。

両親がいなくなってからは何かになりたい……と考えたことがない気がする。

ただ、自分の居場所を探していた。


「今はもう夢は何もみていないです。望むことがあるとすれば、婚姻先で自分の居場所を見つけることですね」

「婚姻先?」

「はい、今度の王宮舞踏会の日に、相手の方と私の婚約の書面を取り交わすそうです」

「……相手は貴女の想い人なのか?」

「まだ一度も会ったことがありません。後妻にと仰ってくださったそうです」

「後妻?辺境伯令嬢であれば、相手には困らないだろう」

「この髪の色と瞳の色を毛嫌いする方は多いので」

自嘲気味に微笑んだエヴァを、複雑な表情でルーカスが見つめる。

「婚姻先でも、ここと同じ様に薔薇や花を育てることができたら……それで私は良いのです」

「あの薔薇園の薔薇は貴女が育てているのか?」

「ええ、師匠と呼んでいる庭師に教えてもらうことはまだ多いですが」

「そうか……あの薔薇園は見事だと思う。ダキア皇国の貴族の薔薇園でもあそこまで多種の薔薇を上手に咲かせていないぞ」

「そう言ってくださってありがとうございます。母が花を育てるのが上手だったので、私もそうなりたいと頑張っているんです」

「ロシュに言っていたけれど、貴女はダキア皇国に行ってみたいのか?」

「はい、いつか、機会があるのならば行ってみたいです」

自分の幼稚な発言を思い出して、頬を染めながらエヴァはぽつりと言った。

「母の祖国でもありますし……この国は閉鎖的で嫌になります」


ルーカスは飄々とした様子で呟いた。

「ダキア皇国にだって差別はあるぞ」



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