第二話 ギルド"枝の宿"マスター、シャル
「あれ、道に迷ったか?」
ギルド『枝の宿』開業二日目。唯一のギルドメンバーであり、ギルドマスターであるシャル・ドッグは、村人からの依頼で、とある手紙を届けるべく、王国騎士団支部がある町へと歩いて向かっていた。
「うーん、地図だとこっちのはずだが......。うん、分からん!! とりあえずこっちに行こう。誰かに会ったら、その時に聞けばいいだろ」
シャルが向かった先は残念ながら目的地とは真逆の方向であった。
◇◆◇◆◇◆◇
ーーとある村。
この村にもまた、一つの小さなギルドがあった。だが、『枝の宿』とは違い、看板以外の外装も、内装もそれは立派な建物にそのギルドは存在する。
「......これで全部か?」
ギルドの応接間にて。一人の男と数人の村人が向かい合って座っていた。彼らの間に置かれた机の上にはいくつもの米俵が置かれていた。
「い、いえ、その、残りのものは村人に少しずつ分け与えまして。で、ですが、それら全部合わしても米俵一つ分にも満たない量で」
事象を説明する村人達の顔からは、物凄い量の汗が流れている。
「回収しろ」
一方の男は、顔色一つ変えることはない。
「し、しかし、それでは村の食糧が」
「それがどうした? それで俺の腹が満たされなかったらどう責任を取るつもりだ? お前の体についたそのなけなしの肉を献上するか?」
男は、米俵の横に置かれた野菜や果物の中からりんごを一つ取り、握りつぶした。
「っ!? わ、わかりました。すぐに回収します」
「......分かればいい。おい」
男は後ろに立っていたギルドメンバーの一人に声をかける。
「はっ!!」
「腹が減った、飯を用意しろ」
「はっ!!」
痩せ細った男の名は、"怪力"のリチャード。
「今日のブブランランチは、うさぎ肉のソテー十人前、猪肉のステーキ十五人前であります!!」
大食漢だ。
「......いただきます」
◇◆◇◆◇◆◇◆
村の端にある倉庫の裏。そこには、身を隠すように、三人の子供と一人の少女が集まっていた。
「オナン姉、本当にいいの?」
「リチャード様に怒られない?」
「ママとパパ殺されないよね?」
不安気な目を向けてくる子供たちにオナンと呼ばれた少女は明るく笑い飛ばす。
「大丈夫!! 私に任せな!!」
そう言ってオナンは子供たちにポケットから取り出したクッキーを一枚ずつ手渡す。
「これは、オナン姉ちゃんとの秘密な」
「「「うん!!!!」」」
嬉しそうにクッキーを頬張る子供たちに気を取られ、オナンが近づいてくる足音に気づいたのは、その男が目の前に現れると同時だった。
「なあ、君たち、騎士団支部ってどこか、っ、おっと」
「っ!?」
突如背後に現れた同い年くらいの少年を、オナンは反射的に腰に刺していた木刀で斬りつけた。だが、少年はまるでハエを叩くように軽い調子で、その木刀を片手で受け止めた。
「突然どうした? もしかして、これがこの村の挨拶だったりするのか?」
「あんた、何もんだ?」
明らかに自分より格上である目の前の男に、オナンはより一層警戒を強める。
「俺は、ギルド『枝の宿』マスターのシャルだ、よろしく。君らは?」
「私はオナン。こいつらは、左から、ショウ、チク、バイだ」
警戒しつつも、これを返さないと相手の機嫌を損ねると考えたオナンは、自分と子供たちの名を名乗った。
「よろしく、オナン、ショウ、チク、バイ」
そんなオナンの心情を知らないシャルは屈託のない笑顔を浮かべ、オナンたちの名を呼んだ。
「「「よ、よろしくお願いします」」」
その笑顔に釣られたのか、子供たちも戸惑いながらも挨拶を返した。
「ところで、改めて聞くんだが、騎士団支部ってどこか分かるか?」
「騎士団支部? なんでそんなこと聞くんだ?」
「ん? ああ、ギルドの依頼で手紙を届けにいくんだよ。確か、宛名は暗殺者のニャコ・アールだったかな」
「......それ言っていいやつなのか?」
「......ダメだな。聞かなかったことにしてくれ」
「馬鹿だろあんた」
シャルは依頼の情報と引き換えに、オナンの警戒度を下げることに成功した。
「そういえば、この村ってやけに静かだよな。人住んでるのか?」
オナンはビスケットを食べ終えた子供たちを家に帰した後、少し村を見て回りたいと言ってきたシャルに村の案内をしていた。
「一応な。みんなリチャードのやつにびびって、家に篭ってんだよ」
「リチャード? あ、もしかして貴族か?」
村人がびびる存在。その一例として真っ先に浮かんだものをシャルは口に出す。
「貴族ならどれほど良かったか。あいつらは、権力はあっても力はねえ。今に私の木刀でしばいてるさ」
オナンはそのことを裏付けるように、腰に刺した木刀を軽く叩いた。
「違うのか? じゃあ何だ?」
その問いに、オナンはシャルを指差す。
「あんたと同じさ。冒険者だよ」
「冒険者? なんで冒険者にびびるんだ? あ、もしかして、顔が鬼みたいに怖かったりするのか?」
「怖いか怖くないかで言えば、怖い方だろうな。スケルトンみたいだし」
「なるほど、それでみんな怖がって家から出ねえのか」
納得がいったように、シャルは何度も頷いた。
「違えよ!! ......あいつは、従わねえ奴は力でねじ伏せて無理やり従わせるんだ。お陰でみんなびびってあいつの言うことには何でも従っちまう。村の金も食糧も今や全部、あいつのもんだ」
「......そいつ、本当に冒険者か?」
「冒険者、ねえ。あんたも冒険者なんだったら、"沈黙の時代"ってのは聞いたことあるよな?」
「知らない」
シャルは迷う間も無く、そう答える。
「......は? あんたこそ、本当に冒険者か?
"沈黙の時代"ってのは、勇者が魔王を滅ぼしたって言われてる百十年前からその後の時代のことだ。それまでは冒険には、"魔王を倒す"っていう明確な目的があった。でも、勇者が魔王を倒したせいで冒険者が目指すべきものが無くなったんだ。
そのお陰で、目的を失った冒険者は、富を求めて強盗を行ったり、力を示すためにいらぬ暴動を起こしたりするようになった」
「でも、確か勇者が『魔王はまだ死んでいない』って言ったんじゃないのか?」
「それを言ってから何年が経ったと思う? 百年さ。それが例え本当だったとしても、それを信じて今もなお魔王を探し続けることができるやつなんかそういないね」
「......なるほどな」
「良く分かったろ、今の冒険者の現状ってやつが。早いうちに冒険者なんてやめといた方がいいぜ」
「それはないな」
「なに?」
「俺がなりたいもんは俺が決める。例えそれが周りにどう思われていようと変わらないんだ」
シャルは強い意志のこもった目でそう言い切った。
「......あっそ、勝手にすればいい」
その目を直視することは、今のオナンには出来なかった。
「あ、そうだ。お腹空いてんなら、マグレットさんからもらったおにぎり食うか?」
今朝、村を出る時にもらったおにぎりが鞄に入っていることを思いましたシャルは、それを取り出そうと鞄を下ろす。
「ばっ」
その時、なぜかオナンの顔は青褪めていた。
『......おにぎり? 美味しそうな言葉が聞こえたが、まさか持ってるわけじゃねえよな?』
そんなセリフと同時に二人がいた側の建物が跡形もなく崩れ落ちた。
「な、何だ?」
突然のことに、シャルは困惑の声を上げる。
「シャル!! 急いでそのおにぎりをあの方に渡して!!」
「いや、これはオナンにあげようかと思ってたんだが」
「......オナン? お前、こんなとこで何してる?」
崩れた建物の方から聞こえたその声は、オナンの体を激しく震わせた。
「は、はい!! す、すみません!! たった今食べ物を見つけたので、回収しようと動いていた次第でして」
「おい、大丈夫か、オナン? 汗すごいぞ」
シャルの心配の声は気が動転しているオナンの耳に届くことはない。
オナンという少女は、リチャードという男の恐怖によって支配されたこの村の被害者の一人。
そして、リチャードが牛耳るギルドのメンバーの一人でもあった。
「......まあいい。さっさとその男からおにぎりを奪え。できないとは言わせないぞ」
そして、建物の残骸を踏み砕いて歩いてくるのは、この村の実質的支配者、"怪力"のリチャード。その痩せ細った体とは裏腹に、一握りで建物一つを崩れ落とすことができる怪力の持ち主である。
「はい!! 今すぐ!!」
恐怖に支配された少女は、操られるように目の前の少年へと飛びかかろうとする。
「オナン!!」
そんな少女の名を、シャルはもう一度呼ぶ。
「俺はこの村についてもリチャードってやつのことも全然知らねえ!! でも」
その声に、オナンの足が止まる。
「お前が優しいやつだってことは知ってる」
その言葉に、オナンは歯を食いしばり、答える。
「......優しいだけじゃ、何も守れない!!」
「お前の信念だけは守れるだろ!!」
その思いに、オナンは刀を握りしめる。
「うおおおおおお!!」
オナンは、自らの愛刀とともに、目の前の倒すべき敵へと飛びかかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
『イヤ!! 剣なんて重たいもの持ちたくない!!』
オナンは、かつては木刀一本振れぬ、か弱い少女だった。
『いいかい、オナン。女だって、誰かを守れるんだ』
だが、幼き頃に出会った彼女の夢が、彼女を一人の女剣士へと成長させた。
いつからだったか、オナンがこの夢を忘れてしまったのは。
リチャードという恐ろしい冒険者がこの村にやってきた、その時だったか。
憧れだった人がリチャードに殺されてしまった、その時だったか。
そんなかつて見た彼女の夢は。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「リチャード!!!!」
どんな強者にでも刀一本で立ち向かう、女騎士だった。
「血迷ったか、オナン」
オナンは、その刀を憎き宿敵へと振り下ろす。
リチャードは動じることなく、彼女の希望を折るべく、片手をオナンに向けた。
『いいか、オナン。女のお前では男の俺では勝てないんだよ』
決して届かぬとは分かっていても。
『この村は、今日から俺のものだ!! 全ての食糧を、俺に寄越せ!!』
目の前の男に容易く砕かれると分かっていても。
『どんな攻撃も俺の"怪力"の前では、蚊に刺されたようなものだ!!』
彼女は、最後まで敵を斬ることをやめなかった。
「"血・突・フライ返し"」
それゆえに。
「っ!? なんだ!?」
届いたのだ。
突然、リチャードの体が浮かび上がり、片手で刀を受け止めようとしていた体勢が崩れた。
そして気付けば、オナンの木刀はリチャードの顔面へと叩きつけられていたのだ。
「ぐぬっ!?」
顔面にクリーンヒットをもらったリチャードは凄まじい量の鼻血を吹き、気絶した。
ーーこの日、この村は、悪しき支配者の手から解放された。一人の勇気ある少女の手によって。
「「「うおおおおお!!」」」
リチャードが倒される光景を家の窓から見ていた村人達は、自分も、と奮い立ち、終には、村の自治権を取り戻すことに成功する。
そこに、影の立役者として、一人の冒険者がいたことを忘れてはいけない。
「あんた、強いんだね。見直したよ」
村の外れ。オナンとシャルは、二人が出会った倉庫の前にいた。
村の中心部では、リチャードのギルドの残党を村人達が躍起になって懲らしめている頃だろう。
「強くなったからな、冒険者になるために」
「......かっこいいな。私もなれるかな、あんたみたいに」
「さあな。それを決めるのは俺じゃない」
自分自身だ、シャルがそう言おうとしたその時。
「うん、私だ」
それよりも先にオナンが答えた。目を丸くしたシャルを見てオナンがニッと笑う。
「よし!! 決めた!! 私、あんたと行くよ」
「? お前も冒険者になんのか?」
「あー、違う違う。私がなるのは、女騎士!! あんた、騎士団支部に行くんでしょ。どうせ道がわかんないだろうし、私が一緒に行ってあげる。それで、騎士になりたいって直談判してやるんだ!!」
「ほーう、そりゃいい、まさにウィーンウィーンってやつだな」
「何言ってんのあんた?」
こうして、一人の冒険者と騎士志望は、騎士団支部へと向かう小さな旅に出た。