第一話 準備はできた
ニ百年もの間世界を支配していた"魔王"は"勇者"、ローヤ・マダとその仲間達によって倒された。
しかし、"魔王"を倒したその英雄は世界を救った直後に行方をくらましてしまう。
彼が姿を消す直前、仲間の一人にこう言ったらしい。
『魔王はまだ死んでいない』
その一言は瞬く間に世界に広まり、来たる平和に胸躍らせていた人々を絶望のどん底に追いやった。
ーーそれから百年の間、"魔王"も"勇者"もまだ現れていない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
イナカ村。王都から馬車で二日、そんな場所にこの村はある。
この村の特徴を一つ挙げるとするならば、それは、何もない、ということだろう。
いや、一つあった。この村にはそれはそれは小さな冒険者ギルドが存在する。
村の隅っこにぽつんと立っているおんぼろギルド『鬼の宿』からは今日も変わらず元気な少年の声が聞こえてくる。
「おいシャル落ち着けって、な?」
「うるさい!! おれがもう子供じゃないってこと、教えてやる!!」
机の上に立って一杯のコップを右手で掲げる黒髪の少年の名は、シャル・ドッグ。
シャルが持つ木製コップの中には、酔いにくい大人でも一滴で潰れてしまうような酒が入っている。
少年の危険な行為を阻止する為、ギルドのメンバーたちは総出でシャルを取り囲む。
だが、シャルを止めようとするギルメン達とは逆に、あろうことかシャルを煽ろうとする者もいた。
「いいねえ!! そんなもんで大人になれるんならやってみせろシャル!! もちろん、一口だけなんて言わねえよなあ?」
「ちょっとマスター!! 何言ってんですか!?」
ギルドマスター、炎鬼のガッド。彼は、自分の手にも同じ酒を持ち、口を大きく開けて笑いながら、シャルを挑発する。
「ああもう!! あったまきた!! 一滴残らず飲んでやる!!」
シャルはコップをひっくり返す勢いで自分の口へと運んだ。
ーーその後、シャルは三日寝込むこととなった。
「マスター、村長さんから野うさぎ駆除の依頼が」
「おっけ、そこ置いといて」
「マスター、マグレットさんとこで娘さんが生まれたらしいっすよ」
「おお、そりゃめでてぇ。お祝いの品買っとかねえと」
「マスター、トムさん家の柵が壊れたみたいで」
「おいおいまたかよ、トム爺んとこのお孫さんは元気だねえ」
シャル酔い潰れ事件から五日が経った。
今日も、イナカ村唯一の冒険者ギルドには村中から依頼が殺到。
王国の辺境に位置する田舎村でも、困りごとというのは意外と起きるもののようだ。
「むむむぅ」
慌ただしくギルドメンバー達が動く中、シャルは面白くなさそうに唸り声を上げた。
「どうしたシャル? トイレならそこの角曲がったとこだぞ」
山積みの書類に目を通していたガッドは、隣で不満げに座る少年に気付き、声をかける。
「ちっがーう!! もっと面白そうな依頼はねえのかよ!! 魔獣退治みたいなさあ!! そんで、俺も連れてってくれよ!!」
「......魔獣退治ねえ。そんな物騒なものが頻繁に出るような村なら俺は冒険者ギルドなんか作ってねえんだよなあ。
それに、まだ自分の武器すら持ってねえお前じゃ、魔物なんて倒せねえよ」
「じゃあ、俺に武器をくれよ!! そこの壁にかかってるやつなら誰も使ってないみたいだし、もらってもいいだろ?」
シャルが指差すのは、ギルドマスターであるガッドの席の後ろに目立つように飾られている一本の黒い槍だ。
「本当は剣が良かったんだけどよー。それよりも、早く俺は冒険に出たいから、とりあえず仮の武器ってことで我慢してやるよ!!」
「......あれはそんな安い武器じゃねえよ。少なくとも、仮の武器とか言ってる奴に渡せるような代物じゃあ無い。諦めな」
とある依頼でガッドが手に入れたその槍は、いわゆる"曰く付き"であった。シャルどころか精鋭揃いのギルド『鬼の宿』メンバーにもそう簡単に扱えない代物だ。
「むむむぅ!!」
しかし、そんな事情は知らないシャルは、期待していた答えが返ってないことへの不満を表すように、さっきよりも大きな唸り声を上げた。
「トイレなら」
「ちっがう!!!!」
そんな、いつもと変わらず仲良さげなやり取りを見せる二人に、ニヤニヤと笑みを浮かべたギルメン達が近づいてくる。
「元気出せよシャル」
「大きくなったら一緒に冒険行こうな」
「今は修行の時だ!!」
「マスターみたいになっちゃダメよ」
「そうそう」
彼らは皆一様に、シャルを慰める言葉をかけた。
「大きくなったらじゃダメだ!! 俺は今冒険に出たいんだ!!」
だが、シャルには逆効果だったようだ。
「今冒険に出たとこで無駄に命落とすだけだ、やめとけ。あと、俺みたいになっちゃダメって言った奴とそれに頷いた奴。減給な」
「「えー!!」」
それからしばらく会話を交わした後、彼らは依頼をするべく、ギルドを出ていった。
「......ガッドのケチ。いいもんね、俺は自分で武器を手に入れて、ん?」
不貞腐れるシャルの頭の上にポンと誰かが手を置いた。
「シャル、冒険者ってのはいつだって死と隣り合わせなんだ。ガッドはお前には死んでほしく無いから、ああいう風に言ってるんだよ」
そうシャルを諭すのは、ギルド『鬼の宿』の副ギルドマスター。
「でも」
「あいつのこともわかってやってくれシャル。素直じゃ無いが、誰よりも仲間思いなんだよ」
「......」
副ギルドマスターの言葉にシャルが押し黙ったその時、あ、とガッドは何かを思い出したように声を上げる。
「シャル、槍はあげられねえが、この前拾った木の枝ならあげられるぞ、いるか?」
ガッドがポケットから取り出したのは、シャルでも片手で折れそうな手のひらサイズの木の枝だ。
「......」
「......俺のフォローの時間を返せ、ガッド」
シャルは再び失望し、副ギルドマスターは、はあ、とため息をついた。
「あ、シャル君来てたんだ!! いらっしゃい!!」
ギルドに入ってすぐにシャルに気づき、近づいてきたのは、ギルドメンバーの一人、"魔法使い"のミリアだ。
「ミリアー、ガッドがケチなんだー!!」
シャルは、ミリアを見るや否や、駆け寄って泣きついた。
「ガッドさん、またシャル君に意地悪したんですか? 私の未来のパーティー仲間を傷つける人は私が許しませんよ?」
「"未来のパーティー仲間"? おいおいやめとけ、未来なんて何の保証もないものに賭けるのは。そいつがこれから先も冒険者になりたいままとは限らないんだから」
「そんなことない!! 俺は絶対冒険者になってやる!! それでガッドなんて屁でもないくらい強くなってやる!!」
「......へえ、俺より強くなるのか。そりゃ楽しみにしてるよ」
「おー、いまに見とけ!!」
ーー扉が開かれる音がする。
「お邪魔するよ」
騒々しい足音を立て、ギルド『鬼の宿』へと入ってきたのは、高価そうな服を着た一人の男と頑丈そうな鎧を身につけた十数人の男達だった。
「なるほど、ここが冒険者ギルドというやつか。何だかじめじめしてカエルの住処にぴったりじゃないか」
手を顎に添え、ジロジロとギルド内を見回すのは、この辺りの土地を治めるネモチ家の箱入り息子、リッツ・ネモチ。
「ようこそ『鬼の宿』へ。どう言ったご依頼で」
ガッドはシャルとの会話を切り上げ、客を相手するモードへと態度を切り替える。
「うん、この何もない辺鄙な村の視察へとわざわざ僕が出向いてあげたんだけど、乗ってきた馬車の馬が足を挫いてしまったみたいでね。
是非とも、このちんけな村でお助けごっこをしているという冒険者さんに馬を手配して欲しくてやってきたわけなんだけど」
「な、お前馬鹿にしてんのか!!」
明らかにガッド達を見下したような発言にシャルはリッツに今にも食ってかからん勢いで近づく。だが。
「なるほど。ご依頼、承りました」
シャルの行動を先読みしていたガッドに首根っこを掴まれてしまう。
「っ!? ガッド、何言ってんだよ!! こんなやつの依頼なんか受ける必要ねえよ!!」
シャルは持てる限りの力を振り絞ってガッドの手から逃れようとするが、びくりともすることはなかった。
「黙れシャル」
「っ!?」
それどころか、ガッドの睨みに抵抗すらできなくなる。
「あはははは!! いいねえ!! こんな田舎村でギルドを開くくらいだからどんな世間知らずの冒険者かと思っていたけど、よく自分の立場というものを分かってるじゃないか。
そのガキはムカつくけど、負け犬根性がしっかりと染み付いてるマスターに免じて許してあげようじゃないか。
じゃあ、しっかり馬の手配頼んだよ」
ガッドの肩をポンと叩き、リッツは護衛達を引き連れてギルドを去って行った。
「何であんな奴らの依頼なんか引き受けるんだよ!! 悔しくねえのか!!」
リッツ達がいなくなり、拘束から解放されたシャルはすぐさまガッドに不満をぶつける。
「悔しいとかムカつくとか関係ねえよ。俺たち冒険者の頭にあるのは、儲かる依頼かそうじゃないかだけだ」
「見損なったぞ!! ガッドはもっとかっこいい冒険者かと思ってた!!」
シャルはそう言い残し、逃げるようにギルドを出ていった。
「マスター、今のは私もどうかと思います。これは報酬どうこうではなく、冒険者としてのプライドの問題です」
ミリアもガッドの行動に苦言を呈し、シャルを追いかけるようにその場を去っていく。
「......」
「......」
最後に残ったのは、ガッドと終始何も言わなかった副ギルドマスターだけだった。
「お前も俺のこと、見損なったか?」
「お前が報酬のことしか頭にない大馬鹿者だったら、な。ギルメンの奴らのためにお前が金策をしてることくらいみんな知ってる」
「......そうか」
その日の夜、イナカ村に数日ぶりに雨が降った。
ーー四日後、朝。
「くっそ、地面がぬかるんでたせいで時間食っちまった。あの貴族さん怒ってなきゃいいが」
リッツから依頼を引き受けた後、ガッドは副ギルドマスターを連れ、隣村へと馬を借りに行く。
だが、連日の雨のせいでその道中は厳しいものとなり、予定よりも二日ほど遅れてしまった。
「ーーるなよ!!」
「......待て、ガッド。なんだか、村が騒がしくないか?」
村の入り口にいた二人の耳に、ギルド『鬼の宿』がある村の奥の方から聞き覚えのある貴族の叫び声が届いた。
「やっぱ貴族様がお怒りか? 早く行かねえと」
嫌な予感を感じた二人は、ひとまず馬を置いてギルドの方へと駆け走る。
「どうかお収めください!! この子はまだほんの小さな子供なんです!!」
「子供だからって、この僕の顔に傷をつけていいわけがないだろう!!」
『鬼の宿』のちょうど目の前で、何やら人だかりができているようだった。
そして、その中心にいたのは。
「お前なんかに、冒険者の何が分かる!! 冒険者はお前みたいなハナ光り息子なんかよりずっとずっと強いんだ!!」
「〜〜!! こんのガキぃ!!」
目元に傷がついた顔を真っ赤にさせたネモチ家の長男とミリアの後ろで今もなおリッツを挑発し続けるシャルだった。
「おい、何があった?」
未だ状況を掴めないガッドは近くにいた『鬼の宿』のメンバーに事情を聞く。
「それがどうやらシャルの奴、槍で貴族様の顔に傷をつけたらしくて」
「何? いくらシャルでもそんなことするわけが、って、今お前"槍"って言ったか!?」
ガッドが思わぬ事実を知る一方で、リッツの怒りの火は着々と燃え上がっていた。
「おい!!」
リッツは近くにいた護衛の一人へと声をかける。
「はい。何でしょう、リッツ様」
「剣を寄越せ」
「......しかし、相手はまだ子供で」
「寄越せと言っているのが聞こえないのか?」
「っ、わかりました」
決して譲れない意志を見せるリッツに護衛の騎士は折れ、腰に挿した剣を鞘ごとリッツに手渡した。
「っ!? おやめください、貴族様!! この子も反省しています!!」
リッツがしようとしていることにいち早く勘づいたミリアは、頭を地面に擦り付け、慈悲を乞う。
「や、やめろよミリア!! あんなやつに頭を下げる必要なんてない!! 第一あいつがガッドの大事な槍を盗もうとしたから」
「それの何が悪い!! あのクソマスターが早く馬を手配しないのが悪いのだろう!! その槍一本で許してやろうという僕の優しさを踏み躙った上に、あろうことか、僕を弱虫だと言いやがって!!」
「弱虫だろお前は!! 親の力に頼ることしかできない、コアラの威を借る狐だ!!」
「〜〜!! もういい!! お前は僕の手で殺してやる!!」
遂に堪忍袋の尾が切れたのか、リッツは手に持った剣を鞘から抜き、シャルの元へと近づく。
「おやめください、貴族様!!」
シャルを庇い、リッツの前に出るミリア。
「どけ!!」
だが、リッツによって蹴り飛ばされてしまう。
「ミリア!!」
蹴られたミリアにシャルが気を取られた瞬間。
「死ねぇ!!」
リッツが持った剣がシャルの頭へと振り下ろされる。
『枝・斬・燕返し』
だが、その剣はシャルに届くことはなく、宙を舞った。
「少しお痛がすぎるんじゃねえか、貴族さんよ」
「なっ、お前は負け犬の!?」
リッツの剣を一本の小枝で弾いたのは、ギルド『鬼の宿』のマスター、炎鬼のガッドであった。
「俺は勝ちや負けやに興味もないし、あいにく、自分が冒険者だっていう誇りも持ち合わせちゃいねえ。だがな」
彼が炎鬼と呼ばれる理由を知っているだろうか。
炎のように赤い、髪と目。
「仲間を傷つけ、あろうことか殺そうとしている奴を見過ごせるほど、腐っちゃいねえつもりなんだよ」
そして、怒ったときに見せるその鬼のような形相から、彼は、"炎鬼"と呼ばれているらしい。
「ひいっ!!」
突如目の前に現れたこの世のものとは思えない存在にリッツだけじゃなく、周りの従者達も揃って尻餅をつく。
「お、お前、この僕に楯突いてこの村が無事でいられると思ってるのか!?」
みっともない姿を見せながらも、リッツは未だ己の光の強さを信じて疑わなかった。
「......俺の知り合いにさ、掃除のうまいやつがいるんだよ」
「な、何の話だ?」
ガッドは不気味な笑みをリッツに向ける。
「そいつに言えばさ、壊しちまったもんも、見た目はすげえそっくりな別もんに変えてくれるらしいんだわ」
「っ!? お、脅してるのか!?」
「さあ? お好きに取ってもらって構わねえよ? たださっさと俺が用意した馬でお家に帰るなら、今のうちだぜって言ってるだけさ」
「......」
ようやく諦めがついたのか、リッツはゆっくりと立ち上がった。そして。
「うおおおお!!」
叫び声を上げながら、ガッドの方へと一目散に突っ込んだ。
「っ!? なんだ!?」
だが、あっけなく避けられ、地面に激突、すると思いきや、すぐに立ち止まり。
「っ、まさか!? シャル、逃げろ!!」
シャルのいる方へとすぐさま方向転換した。思わぬ行動にガッドも他の人間も対応できず、シャルはリッツに捕まってしまう。
「動くな!! 動いたらこのガキ殺すからな!!」
シャルが持っていた槍を奪い、リッツはその刃先をシャルの首元へ突きつける。
「馬鹿な真似はよせ!! その槍は脅しに使っていいもんじゃねえ!! さっさと家に帰って母ちゃんのあったかい飯でも食ってろ!!」
「うるさい!! お前に僕の何が分かる!! 貴族になるために生まれ、貴族であるために育てられた!! 何をするにも親の許可がいる、庭で駆け回ることすらだぞ!!」
「だったら一回くらい親の言うこと無視してみたらいいじゃねえか。本当の意味で自分を縛ることができんのは、自分だけだ」
「無理に決まってるだろ!! 小さな頃から染み付いた規則という汚れはそう簡単に取れやしない。僕を縛る鎖は僕自身では決してちぎれやしないんだ!!」
興奮のあまり本人は気づいていないが、リッツが持つ槍の刃先は徐々にシャルの首に至らんとしている。それに気づいたガッドの顔には、焦りの色が見え始めた。
そして、刃がシャルの首を掻き切ろうとするその時だった。
『ーーコせ。ニンゲンの、"血"をヨコせ』
リッツの持つ黒槍がさらに黒く光り、シャルの口からシャルではない何かの声が聞こえたのは。
「っ!! その槍を放せ!!」
槍が持ち主の意志に反し、リッツの方へと刃先を向けたその瞬間、ガッドは彼をその体で弾き飛ばした。
勢い止まらぬその槍は、そのまま目的の人物と入れ替わった存在を貫いた。
「っ!? マスター!!」
ミリアの叫び声が響き渡るも、起きたことは決して無かったことにはならない。
「......ったく。とんだ、じゃじゃ馬を、俺は持って帰って来ちまった、らしい」
ガッドの下腹部に突き刺さったその槍の名は、血魔槍、またの名を、遺物武器と呼ばれるものだった。
遺物武器。それは古代の秘宝であり、それを使えば、最強の力が手に入るともされる伝説の武器。だが、当然強大な力には相応の代償が必要だ。
その代償は武器によって様々だが、共通するのは定期的に"何か"を与えること。
そして、この血魔槍に必要な"何か"は"血"であった。
「......シャルが槍で貴族の顔に傷をつけた時点で、契約が完了してたってわけか」
『まだタりぬ。ワレに、ニンゲンの"血"をヨコせ』
「俺は"炎鬼"なんて呼ばれちゃいるが、本物の吸血鬼に会うのは初めてだぜ」
遺物武器に十分な供物が捧げられなかった場合、持ち主の意思を乗っ取り、満足するまで暴れまわる。
それは、満足する量の栄養が満たされるまでなのか、使用者の体が保つまでなのかは分からないが。
「シャル、聞こえるか!! 目ェ覚ませ!! 冒険者になるんだろ!!」
『もっと、ニンゲンを、ヨコせ』
シャルにガッドの声が聞こえた気配はない。
「くっそ、ダメか」
次の獲物を狙わんと、槍がガッドの腹から抜け出そうとする。
「逃がさねえよっ!!」
黒槍の柄を掴み、自らの腹へグッと押し込む。
『ハナせ。おマエだけじゃ、タりない』
「ほーう、一人の男じゃ満足できねえとは、とんだ尻軽だなお前は。よし、お前がその気なら俺がとんでもねえ地獄を見せてやるよっ!!」
そう言って、ガッドは自ら黒槍を腹から抜いた。そして。
「なあ、知ってるか? 人間の体の中で血が一番詰まってんのは、胸なんだってなぁ!!」
己の心臓へと突き刺した。
『バカなのか、おマエは』
「馬鹿で結構!! 俺の命一つで大事な仲間一人守れるんなら、大儲けだ。ほら、一生分の血ィ、吸いやがれ」
『......』
徐々に槍から発されていた怪しい光が収まっていく。
『イズれまた、タりなくなる』
最後にそう言い残し、危険な気配は跡形もなく消え去った。
シャルが目を覚ましたのは、日が暮れる少し前のことだった。
「......ん」
「あ、シャル君!! 良かった、目が覚めたみたいで」
「ミリア?」
村の病院の一室にて、シャルが目覚めた時にそばに居たのは、ミリアとギルド『鬼の宿』のメンバー数人ほどだった。
「ガッドは?」
そう聞いた後、ミリア達の顔が曇るのをシャルは見逃さなかった。それでも、聞かなきゃいけなかった。
「ミリア!! ガッドは無事なのか!!」
「......シャル、落ち着いて聞いて。ガッドさんは」
ミリアの答えを聞いてすぐ、シャルはすぐに部屋を飛び出した。
「ガッド!!」
扉を勢いよく開き、足を踏み入れたその部屋には、さっきシャルの部屋にいたミリアたち以外のギルメンたちが揃っていた。それ以外にも、村長と数人の村人、そしてなぜか憎たらしい貴族の男もいた。
だが、今のシャルにはそんなことに構っている余裕はなかった。
「ガッド!!」
部屋にいた面々が取り囲んでいたベッドに一目散に駆け寄る。
「うるせえなあ、病院と女風呂を覗く時には静かにしろっていつも言ってるだろ」
そのベッドにはいつもと変わらない口調で喋る、いつもより痩せ細り、弱りきった、シャルの憧れの男がいた。
「ガッド!! 死ぬなよ!! 死なないよな!!」
「うおっ、きったねえ涙と鼻水飛ばしてんじゃねえよ。病人なんだから、もうちょっと丁重に扱いやがれ」
「ガッド!!」
「わかったわかった、まだ死なねえから、な? だから泣き止め」
シャルは止まらない涙を拭いながら、さっき聞いたミリアの言葉を思い出す。
『お医者さん曰く、いつ死んでもおかしくない状態だって。全身の血がほとんどない状態で、今も喋れてるのが不思議くらいだって。だからね、シャル。
最後に言い残したこと、言ってきて』
「ごめん、ごめんなさい、ガッド」
「別にお前のせいじゃねえよ。元々あんな危険なものをあんなとこに置いてた俺が悪い。それに、お前はあの槍を守ってくれようとしたんだろ?」
「違うんだ!! 違うんだ、ガッド。元々、俺が槍を持ち出したせいなんだ。貴族のやつにガッドがどれだけ凄いのか自慢したくて、それで、そのせいでガッドがこんな目に」
「......」
「俺みたいな目の前の人も守れない奴に冒険者なんか無理だったんだ。ガッドの言う通りだった」
「......」
ポン、とシャルの頭に温かい手が置かれる。
「それじゃあ、一番悪いのは、誰でも取れる場所に槍を置いてた俺なことには変わりねえな」
「っ、でも」
「でももデーモンもねえよ。俺が死ぬ理由を、勝手にお前が奪うなよ」
「っ!?」
「俺が死ぬのは、お前のせいでも、貴族のせいでも、ましてや槍のせいでもない。俺が死ぬのは、俺のせいだ。これだけは譲れねえ。
いいか、シャル。未来や他人なんていう不確定なもんに自分を託すな。いつだってお前の行く道を決めるのは、今のお前だ。寄り道したって、引き返したっていい。けど、決して立ち止まるな。間違ったっていい、人に迷惑かけてもいい。でも、歩くことは決して止めるな」
炎のように熱い手が頭を包んだ。鬼のように強い目が心を射抜いた。
「お前がやりたいことを、お前が否定するな」
"炎鬼"は確かにそこにいた。
この日、ギルド『鬼の宿』は、その看板を下ろすこととなる。
ーーそして、十年後。
「おー、立派な看板だね。さすが、ネモチ家の専属看板職人に作ってもらっただけのことはあるね。元副ギルドマスターさん的にはどうですか?」
「きっと大きくなるな、このギルドも、あいつも」
元『鬼の宿』である建物の前に立っているのは、一組の夫婦。『鬼の宿』元副ギルドマスターと元魔法使いのミリアだった。
二人とも数年前から冒険者業からは離れ、日々穏やかに農業に勤しんでいる。ミリアのお腹にはどうやら子供もいるようだ。
「ところで、当のギルドマスターさんは、どこに?」
「さあな。きっと、立派な冒険にでも出てるんだろう」
ーー場所が変わって、イナカ村近くの森。
「畑を荒らす猪が最近出没していると聞いてやってきたわけだが、まさかこんなにいるとは」
一本の黒槍を持った青年を取り囲むのは、獰猛な猪たち。彼らは、息を揃え、一斉に青年へと飛びかかる。
『血・突・フライ返し』
青年が虚空に槍を一突きしたかと思えば、猪たちは空中で立ち止まり、そのまま体を百八十度回転させ、落ちていく。
「よし、今日は開業記念として焼肉パーティーといこうかな」
そんな離れ業を成し遂げた青年の名は、シャル・ドッグ。いずれ、魔王をも倒す最強のギルドを設立する男。
そして、そのギルドの名は。
「ギルド『枝の宿』、初任務完了!!」