たまたま、同じクラスの超絶イケメン野郎が女装してるのを目撃して、なんやかんやあって助けるお話。
突発的に書きました。暇があれば読んでください。
三津田紀仁は俺が生きてきた中で一番優れている人間だと思う。それは容姿・性格・運動能力・知能すべて取っても優れているのだ。俺が同じクラスだという事もあり否が応でも彼の凄さを感じる。
別に嫉妬なんかしていない。そもそも嫉妬っていうのは同じレベルの人間同士にしか発生しない感情だ。でも三津田は違う。それこそ住んでいる世界が違う。容姿なんか俺とは比べ物にならないくらい整っている。男に対してこんな言葉が合っているか分からないが、絵画の住人みたいだ。まぁ、兎にも角にも三津田紀仁はすげぇ奴なのだ。
そんなすげぇ奴と俺は今話している。場所は人気のない公園だ。黄昏時という事もあり人の気配は微塵も無い。これがカップルとかなら甘い雰囲気が醸し出されるかもしれないが、生憎男二人だ。変な事は発生しないと思う。多分、分からないが。
なんで俺がこんな曖昧なモノ言いをするのかはあまり不自然な事では無いと思う。別に俺が三津田にそういう感情を抱いているとかではない。恐らく、三津田も俺なんか眼中に無いと思う。でも、やっぱり変な感じだ。まぁ、とりあえず沈黙を打破する為に当り障りのない事でも言っとこう。
「お前、その恰好すっげぇ似合ってるな。ちょー可愛いぞ」
「っ……!」
俺の後頭部に鈍い疼痛が走った。殴られた。別に殴る事もないだろう。実際、そう思ったのだから。だって、いくら男とは言えセミロングの髪に真っ白なワンピースを身に着けた深窓の令嬢よろしくな恰好されたら誰だって言うはずだろう。
「とりま、お前がそんな恰好をしてるって事は誰にも言わないよ」
「当たり前だろ。そんな事したら死ぬぞ」
え、誰が? 俺が? マジかよ言ったら殺されちゃうのかよ。
「まぁ、でもお前学校でボッチだから話す奴なんてそうそう居ないだろうし。たまたま見られたのがお前なのは不幸中の幸いかもしれない」
三津田はこっちの顔を見ず、呟く。おいおい、お前俺の事ボッチだと思ってんのか。酷くね。いや、まぁ確かに友達全然いないけど、めっちゃ悲しいけど。
「ていうか、なんで気付いたんだよ。この恰好見て、俺だって気付かないだろ普通。ウィッグ付けてるし、なんなら性別だって違う」
「え、いや気付くだろ。顔が同じなんだから」
「はぁ? 何お前俺の事ずっと見つめてんのかよ。キモイな」
「いやいや、何で俺がキモイ認定されちゃってるの? 何なら今のはそんなに自分の事を見てくれてたんだってときめく瞬間だったろ」
「、俺お前と今日初めて喋ったけど想像の二倍キモかったわ」
なんでこんなに貶されなくちゃならないんだよ。そんなキモくないだろ。確かに今の発言はキモかったかもしれないけど、あれ俺の渾身のジョークだったんだけどこちとら抱腹絶倒の図を頭に描き出してたんだけど。全く、笑ってもらえなかったわ。
「ま、挨拶はこのぐらいにして」
「切り返し下手過ぎだろ」
綺麗な突っ込みありがとうございます。心の中で感謝しつつ、俺は三津田の方を向く。
「聞いていいか?」
何を、の部分が抜けてしまっているがこれで十分通じるだろう。
「こんな格好をしてる理由…をか」
三津田はワンピースの裾を抓まんだ。未だにこちらを向かず真っ直ぐ前を見つめている。暫しの沈黙があった。早く話せ、なんて口が裂けても言えない。そもそも話してもらうこと自体も余り期待していない。男が女装をしている。この事実にはそれ相応の重さがあると思う。だから、三津田が話し出した時俺は驚いたのだ。
「最近、テレビでさLGBTQとかフリーセックスみたいな言葉が流行ってるけどさ、あれを流行らせているのって当の本人たちじゃないと思うんだよ。外野の人間が自分たちは性に対して広い視野を持っているますよーっていうアピールに見えちゃうんだよ。意識高い系がやってる行為みたいな」
「なんでそんな事分かるんだよって聞くのは愚問か?」
「だな……」
ああ、やっぱりそういう事なんだ。
「俺はよく知らないけどさ。なんだ、その性同一性障害って奴なのか?」
「大正解だよ。男の身体なのに心は女」
実際にそういう人と出会うのは初めてだ。勿論、俺だって世間が寛容になってきているのを知っているし、もし身近な人がその事で悩んでいるのならそんな事気にしなくて良いと言う自信はあった。
でも、実際こういうふうに対面するとどんなコメントするべきか全く分からなくなってしまう。きっと心のどこかで自分には関係の無い他人事として受け止めていたんだ。そんな自分に少し腹が立った。三津田は伏し目がちになり自分の口を眺めた。それからまたぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「自分が周りとは決定的に違うって気付いたのは小学校に入ったぐらいだと思う。男子は外で鬼ごっことかサッカーとかして、女子は教室で自分のお気に入りのカワイイ物を見せ合いっこしてる。……俺は女子の方に混ざりたかった。カワイイ物は好きだし……。でも、いつも男子たちと一緒に外で遊んでた。別に身体を動かす事嫌いとか男と一緒に居る事が辛いとは思わなかった。でも、常に心のどっかで違うって言う感情が渦巻いてた」
俺と三津田は違うし、共感は出来ない。でも、こいつが辛いと思っているていうのは確りと分かる。きっと三津田はこういう自分と他者とのギャップに常日頃から苦しまされて今までの人生を生きて来たのだろう。それはどれだけの苦しみなのだろうか。きっと俺なんか想像してもしきれない。でも、きっとそれは孤独だと思う。
「誰にも言った事無いのか?」
「家族は知ってる」
「その、ちゃんと理解してくれてるのか?」
「うん、父親も母親も優しい人だし純粋に…俺の事を理解してくれてる。世間体なんか気にせずに生きていけって言ってもくれてるし」
良かった。三津田にとってこの世界は途轍もなく生き抜くいはずだ。なら、せめて家族というコミュニティ間では自然体でいて欲しいと願ってしまうのは必然だ。でも、それでもやっぱり。学校という外の世界では無理なのだろう。どんなに内輪で本質を曝け出せたとしても人間は社会性の生き物だ。外界と触れ合わずに生きていくのは不可能だ。
「これはちょっとした訓練なんだよ」
三津田は自分の恰好を顧みた。
「訓練?」
「そ、家の外でこんな格好をする訓練。自分が一番カワイイって思う服を着て男としての自分じゃなくて女としての自分で外に出てみたんだ」
確かに今の三津田は傍目から見ればただの女性だ。しかもめちゃくちゃ美人な。もともとが中世的な端正な顔立ちだった為、女装をすればもうこいつが男なんて誰も気付くまい。
「ま、お前に気付かれたけどな」
三津田は俺の思考を読んだかのように答えて自虐的に笑った。
「なんか、すまん」
「いや、いいよ。そもそもバレるって事はやっぱりこの恰好が不自然だからだろ? どんなに女の服を身に着けても根本的な男は拭い去れなかったんだなぁ」
「いや! そんな事ない。別にその恰好が変だなんて全く思ってないし、なんならすげぇ似合ってると思う」
本心だ。別にお世辞だとか同情で言っていない。でも、無駄に焦ったような口調になった為どうしてもそんなふうに聞こえてしまうのはやるせない。
「はは、ありがと。でも、そういうのは男の、俺じゃなくて普通の女の子に言えよ」
三津田は笑いながらそう言った。でも、その笑顔がなんだか諦めやら悟ったようなどうにも形容出来ない笑顔に見えてしまった。さてと言って三津田はベンチから立ち上がりお尻の部分を軽く叩いた。
「暗くなったな。もう、そろそろ帰るか」
確かにいつの間にか公園の誘蛾灯が灯っているほど、周りは薄暗くなっていた。結構な時間話し込んでいたらしい。
「なんか、ありがとうな。色々話聞いてくれて、家族以外でこんなに自分の事話したのお前が初めてだわ。まぁ、なんつーかスッキリした」
そんな真っ直ぐに感謝されたら一体どんな顔をすれば分からなくなってしまう。そもそも、こんなセンシティブな話を不躾に聞いたんだから罵倒される方が適しているのに三津田は感謝してくれた。
いつも遠くの席から眺めているだけでこいつがなんでこんなにも周りから好かれているのか全く分からなかったが、今なら理解出来る。こいつは良い奴なんだ。ただそれだけだ。でも、たったそれだけの事が周りの人間にとっては心地いいし一緒に居たいと思わせる。
「それじゃ、また学校でな。あと分かってると思うが誰にも言うなよ」
小さい子に注意をするように人差し指を立てながらそう言う。そして、最後にふっとした笑顔をこちらに向けながら三津田は公園から出ようとした。
別に月曜になればクラスで会うし、そもそもこいつと俺は今日が真面に話したんだからほぼほぼ赤の他人だ。こいつにどんな秘密があって、こいつがどんな事を抱えていようと俺にとってはまさに他人事なんだ。俺にとって三津田紀仁はただのクラスメート。でも、
「な、なぁ!」
こちらに背を向けていた三津田が振り返る。真剣にこちらを見ている。その姿はただの儚げな少女にしか見えない。
「お、俺に女性の話し方を教えてくれよ」
俺にとって今目の前にいるこいつは男の三津田紀仁じゃなくて、孤独な少女なんだ。今、別れたらきっと一生会えなくなる。そんな気がしてならなかった。
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「でさ、よくよく話を聞くと、一郎ってば『俺は女の子と話した事が無いからその練習台になってくれ、心は女なんだからそういうの分かるだろ?』って言って来たんだよ。凄くカッコ悪くない? 私にそれを頼むのって感じだったなぁ」
「まぁ、うちの子を練習台にするなんて一郎君はよく考えたわね」「確かに何事にも練習は大事だからいい心がけだと思うよ一郎君」
「あ、はは」
俺は目の前の美しい大人の女性と威厳を感じさせる男性にそんな事を言われて乾いた笑いしか発せずにいる。環境も相まってか羞恥心でどうにかなりそうだ。
俺は今、三津田の家にいる。こいつと出会ってからもうそろそろ半年が経とうとしている。俺とこいつはあの日以来休日にあの公園で会うようになった。
俺の女性との会話練習に付き合ってもらったのだ。別に会話練習と言ったって大したことはやっていない。ただ、女性としての三津田紀仁と会話をする。それだけだ。最初はお互いぎこちなかった。特に三津田の方は女性の姿を俺に晒すのに抵抗があったのか変な不安感というか焦燥感みたいなのがあったように見えた。でも、人間とは慣れる生き物らしく。三津田も口調も服装も女性に完全になりきっていた。なりきっていたというよりもこれが本当のこいつの姿なんだろう。
最初は自分の事を「俺」と呼んでいたが、俺が無理しなくて良いと言ってから自然と「私」に変っていた。まぁ、そんなふうに毎週話し合っているとどんな奴等でも親しくなるのは必然であり、俺なんかは三津田の家にお呼ばれするほどの交流度合いだ。そして、俺は今三津田の両親の前でいかにも座りが悪い馴れ初めを三津田の口から告げられている次第である。
「勘弁してくれよ。俺のメンタルを削るような事言わんでくれ」
隣の席で俺の恥部を暴露した張本人に苦言を呈するが、本人はどこ吹く風全く気にしていない様子だ。なんなら嫣然とした微笑みを浮かべてやがる。男の姿ならまだしもこいつは今完全の女性の姿だ。しかも、すげぇカワイイ。普通に読者モデル並みだ。あれ、こいつって男だよな? 不安になってきた。
「いやいや、一郎のメンタルなんて元からマイナスに振り切っているようなもんなんだし、今更傷つけられても減るようなもんじゃないでしょ」
こいつ……。遠慮という言葉を知らないのか、親しき中にも礼儀ありだぞ。あーやばい、本当に殴りそうだ。でも、やっぱりカワイイ。くそー、視覚に翻弄されてしまう自分に悔しさを覚える。
「ていうか、一郎。私と半年も会話してるのに一向に女の子と話せてないじゃん。なんなら、友達すら真面に出来てないし、ずっとボッチだし。ぷぷー」
なんつー子馬鹿にした笑い方なんだ。いや、まぁ、確かにそうだけど。事実だけど。
「それよりも、一郎君。もうそろそろ帰宅したほうがいいんじゃないか?」
俺が三津田に対してどういい返そうかと思案していると、三津田の親父さんが掛け時計を見ながらそう言った。確かに、結構いい頃合いだ。家に招かれてかれこれ2,3時間と言ったところだ。
「あ、そうですね、すみません。晩御飯を振舞っていただいた上にこんな時間まで居座っちゃって」
「そんな全然いいのよ。私たちも楽しかったわぁ。ねぇ、貴方?」
「うん、紀仁が友達を連れてきてくれると言ったからどんな子が来るのか期待していたが、想像よりも面白い子だ」
うーん、これは褒められていると受け取っていいのだろうか。子馬鹿にされているわけでは無いよな。どう返答すればよいのか分からず、俺は愛想笑いを零す。
「えー、一郎。もう帰るのぉ。もうちょっといいじゃん。なんならお泊り会しようよぉ」
「お前は小学生か…」
ご飯を御馳走になったうえ、ずかずか寝泊まりするなんて出来るわけない。そこまで俺の神経は図太く無いのだ。しかし、そう言っても三津田はまだ不満げな表情を浮かべている。なんつーか、こいつは学校と今とでは全く違う。学校ではザ・聖人君主って感じなのに、今現在はただの我がままな子供だ。
「紀仁、我がまま言っちゃだめじゃない。一郎君の親御さんも心配してるでしょうし、そんな事で引き留めちゃだめよ」
「んー、ちぇー」
お袋さんに窘められて三津田は渋々と言ったふうに納得する。本当に子供だな。
「なら、家まで送ってあげるよ。この私がじきじきに」
三津田がニカっと擬音が聞こえてきそうなぐらい快活に笑う。
「お前は何様だよ。はぁ、つーか良いよ」
「なぁんでだよ。この私のエスコートを受け入れられないってのかぁ」
まるで輩だな。こいつと一緒に帰ったら家に着くまでずぅっといじられっぱなしでツコッミ疲れちまう。それに、
「女子がこんな夜中に出歩くのはあぶねぇだろ」
「……え」
三津田が声というよりも吐息に該当するだろう音を発した。目ん玉思いっきり開いてるし、口もポカーンと開けてる。ん? どしたんだコイツ? 顔も先ほどより少し赤いように見えるし。
「おい、どうしたんだよ」
「あ、え、さ、先に外で待ってる……」
俺の問い掛けに応えず三津田は心ここにあらずと言ったふうにトボトボと部屋から出て行った。んー、何なんだ? 本当に分からん。俺、変な事言ったかよ。数秒間の沈黙が場を包んだ。
「あ、ちょっと私様子見てくるわね」
そんな沈黙に耐え兼ねたのか三津田のお袋さんが悲しげな微笑みを浮かべ、三津田の後を追うように中座した。先ほどまでの心地良い賑やかさは何処か、部屋は妙な伽藍堂さながらとても静かだ。
「…あー、すみません。何か変な事言っちゃいましたかね。あはは」
俺は変な空気感に包まれたこの部屋を和ますために下手くそな笑いを浮かべる。先ほどから三津田親父さんが何も言わず、どうにも気まずい。
「いや、そんな事はないよ」
親父さんがゆっくりと首を振る。顔にも穏やかな微笑が浮かんでいる。どうやら怒っているとかではないようだ。むしろ安堵とか安心みたいなその類の感情が滲み出ている。
「ありがとうね。一郎君」
「へ、あ、いや別に、どういたしまして」
一体何に対しての感謝か分からないが、取り敢えず貰える感謝は貰っとこう。
「私はね、今凄い羞恥心に襲われているんだ」
親父さんはそう言って目の前にあるワイングラスを呷った。俺にはこの人が何の事を言っているのかまだ輪郭を掴めていない。
「私は紀仁を愛している。自分の子供として唯一の真名心を持っているし、嬉しい事に紀仁もそれをちゃんと理解してくれている。とても優しい子なんだ」
三津田と最初に会った時、両親の事を優しい人と言っていた。あれは本当なんだな。誰だってこの人の言葉、声音、表情を見れば十二分に理解できる。だから、これから語られる言葉はきっと優しさに満ちた言葉なんだろう。
「だから、あの子が抱えている事は全て受け入れたい。あの子が苦しんでいたらどうにかして救ってあげたい。あの子の全てを肯定してあげたい」
一音、一音に根源的な温もりが宿っている。直感的にそう思わせる語り口だった。
「でも」
その瞬間、表情に陰りが見えた。その表情はなんと表現すべきか懺悔や悔恨と言った自罰的なモノが適当かもしれない。
「時折思ってしまうんだ。あの子が普通の子ならって」
普通。きっとこの場合の普通は男の身体で男の心を持っている。そんな普通だろう。
「こんな考えは旧時代的だと思う。今どき心と身体が違う事に偏見を持つなんて時代錯誤甚だしいと。でも、本当に一瞬なんだ。まるで、通り魔が通るみたいに一瞬間の内にどうしてあの子は普通じゃないんだろうって」
酷い父親だろ、そう言って彼は泣きそうに笑った。いや、泣いていただろう。その涙はきっと己に対する言い知れない軽蔑が宿っている。この人は優しい人だ。見ているこっちが不甲斐なくなってしまう程、優しい。だから、優しくない自分をほんの一瞬でも許せないのだろう。
でも、みんなそうだ。遠く離れてれば他人事で多様性を認めない事に偉そうに憤るくせに、自分の家族・友達・クラスメイトがもしそうなったら急によそよそしくなる。変だって思う。一人が思えば二人が思い、二人が思えば十人が思う。そうふうにしてどんどん伝染していって「空気」という悪魔を作り出す。
だから、そんな目に見えない己の内に潜んでいる悪魔に抗おうとしているこの人は何処まで行っても優しい人なんだ。
「一郎君…」
思考の海から浮上する。親父さんがこちらをジッと見つめている。その瞳には一個の決意と言ったモノが判然と現れていた。そして、背筋を綺麗に伸ばし見本の様に頭を下げた。
「あの子の隣にいてくれてありがとう。あの子の友達でいてくれて本当にありがとう。きっとあの子は君の隣では本当の普通の姿でいれる。今日の君との会話を聞いてそう確信したんだ。だから、出来る事ならこれからも紀仁の隣に居て欲しい」
大の大人がこんな小僧に頭を下げるなんておかしい絵面だ。居心地の悪さを感じ、俺は慌てて頭を上げて欲しいと言った。親父さんはゆっくりと頭を上げ、再びこちらを見つめた。この状況において沈黙は唯一の不正解だと直感で理解した。
でも、こんな娘をよろしくのテンションで一体どんな返答をすればいいのか全くとして分からない。俺ははて一体なんと応えようかと思考を巡らしたが、考え付いた言葉はどうにも嘘くさくていけなかった。だから、考えるのをやめた。変にこねくり回さずに率直な言葉を吐きだす事にする。
「普通ってのが俺にはよくわかんないです。普通とそれ以外の境界線が目に見えたら良いんでしょうが、生憎そんなモノはありません。世の人々はそんな曖昧かつ不明瞭な普通ってのをなんとなーく感じ取って生きているんでしょうけど、俺にはそういうセンサーがどうも調子が悪いっぽくてそこんとこに敏感じゃありません。この時点でもう俺は普通じゃないのかもしれませんけど、はは」
ちょっと場を和まそうと自虐ネタを取り入れたが、どうやら不発に終わっちまった。一拍置いて俺は言葉を再び紡いだ。
「でも、俺には普通はよくわかんないですけど、少なくとも俺にとっての三津田紀仁の普通は分かります。俺にとってアイツはスポーツが出来て優しくてみんなの憧れなんかじゃなくて、我がままで子供っぽくてでも長い髪とワンピースがすげぇ似合う奴です。それが俺にとっての唯一の普通です」
親父さんが目を見開く。その見開いた瞳からスゥッと涙が零れ落ちた。その涙を人差し指で拭った。
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「それじゃあ、二人とも気を付けてね」
そう言って三津田の母さんは玄関の扉前に立ちながら、朗らかに笑った。その隣で三津田の親父さんも微笑んでいる。あの後、親父さんは「恥ずかしいところを見せてしまった」と言って恥ずかしそうに言って、長く引き留めた事を謝罪した。そして、早く帰宅するように促した。俺も素直に聞き入れお暇しようと玄関を開けたらそこには目元を晴らした三津田と三津田のお母さんがいた。
どうやら二人はこんな寒空の下話してたらしい。その様子を見られて三津田は妙に恥ずかしそうにし、三津田のお母さんは嫋やかに口角を上げた。
どうやら、三津田は本当に俺を家まで送るらしく服の上に温かそうなダッフルコートを羽織っていた。ほんと何着ても様になるなぁ。俺がその旨を言うと何故か肩を思いっ切り叩かれた。解せぬ。そんなこんなで俺は三津田の両親に送り出され、寒空の下三津田と歩いていた。
俺ら間には会話が発生していない。てっきり、三津田にいじられたりするのかと思ったけど。三津田は俺の数歩先を歩いている。暗闇も相まって表情が全く伺えない。なにか考えている。でも、なにを考えているかは分からない。そんな妙なオーラを醸し出している為、話しかけるのも何故か憚られた。手持無沙汰を感じながら俺と三津田はトボトボと歩く。すると、いつの間にか俺の家が見えてきた。
「もう、ここでいいぜ。ありがとうな」
「そっか、」
三津田は歩みをゆっくりと止めた。少し俯き気味の為、やっぱり表情が見えない。さっきの食卓とは打って変わってだ。きっとこいつも何かしら考えているんだろう。なら、それについてあれこれ推測するのは邪推ってやつだ。俺はそう思い、こいつの横を通り抜け後ろも振り向かず別れの挨拶をする。
「それじゃあな、帰る時、気を付けるんだぞ」
「一郎!」
歩みを止める。俺は回れ右をして三津田の方を眺める。やっぱり、顔が明瞭に見えない。
「あのさ、明日学校だよね」
「…ああ、そうだな」
「私、明日学校に行くよ」
こいつは俺が知る限り学校を休んだ事は無い。だから、この会話は妙に不自然だ。月明かりで周辺が照らされた。自然と三津田の顔も判然とする。その表情は決意だ。決意以外言い表しようもないぐらい三津田は顔に決意を掲げていた。そこで俺は察した。
「俺じゃなくて良いのか?」
「うん、俺じゃない、私として行く。本当の私で」
きっと三津田は本気だ。決して逃げないだろう。それは俺が聞いてるとかではなく。こいつ自身が自分の心に誓ったからだ。逃げないという楔を思いっ切り打ち付けた。傍目から見ても分かる。だから、こいつは逃げない。
なら、その決意を友達である俺が尊重しない道理はない。でも、だからと言ってここで「頑張れ」とか「応援してる」なんてのはぎこちない。そもそも、こいつはただ普通を晒すのだ。普通だから自然だ。自然だから自然体で接するべきだ。だから、俺が言うのは
「そっか、それじゃあ、また明日な」
普通の言葉だろう。
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やらない後悔よりやる後悔、なんて自己啓発的な言葉があるが、そもそもやったら後悔する可能性が高いからやらないのだろう。こんな言葉なんでもやったら出来ちまう奴が能天気にうそぶいたに過ぎない。だから、こそ何かをやった奴は凄いんだ。なぁ、だからさ三津田、お前は凄いんだぜ。
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人間は当たり前だけど未来予知は出来ない。でも、皆心のどこかで今日もいつもと変わらない一日を過ごすんだだろうって考えている。
俺だってその部類だ。でも、今日は違う。いつもと同じ時間に起きたし、いつもと同じ時間に教室に着いたし、いつもと同じ座席に着席した。後は適当に時間が過ぎるのを待つだけのはずなのに、どうにも落ち着かない。理由なんて考えなくても分かる。
三津田は本当に来るだろか。
こんな事杞憂だ。あいつは正直だ。それは他人にも自分にも。だから、昨日の言葉を霧散させるような事はしない。でも、やっぱりあいつが来るかどうか半信半疑な心を拭い去れない。
恐らく、来てほしくないんだと思う。それは俺があいつが嫌いだからとか、あいつが「女」として学校に来ることに対する共感性羞恥とかではなく、シンプルにあいつに傷ついて欲しくないって言うありきたりな心配だ。
あいつと過ごした時間は短い時間だけど。俺は三津田と素で接してきたし、多分、三津田も俺に素で接してくれてたと思う。だから、分かる。三津田が本当は繊細な心を持っていることを。繊細で敏感で優しい。そんな見ているこっちが苦しくなるぐらいな人間なのが三津田紀仁。
三津田にとってこの日はあいつの人生を左右する日だ。
でも、本当に今日なのか?
明日じゃ、一か月後じゃ、来年じゃダメなのか?
いや、そもそも曝け出す必要もあるのか、三津田の家族と俺が本当のあいつを知っているだけで十分なのでは?
「……」
そこで俺はゆっくりと頭を振った。今の考えはダメだ。今のは三津田自身の覚悟を蔑ろにするやつだ。友達の覚悟を見て見ぬふりするなんて友達失格だ。
それに、周りがあいつの本当の姿を受け入れない保証はない。傍目から見てこの学校は自由を重んじている校風だ。
自ずと生徒達も多様性に対して寛容だ。そうだ、そもそもあいつを受け入れるにはこの環境が最適じゃないか、あいつを認める土壌はとっくのとうに整っていたんだ。
大丈夫、大丈夫。
「紀仁、遅いね」
「寝坊でもしてんじゃねぇの?」
「それはアンタでしょ。ノリは無遅刻無欠席のチョー優等生なんだから」
俺は声の方に目を向けた。美男美女のグループが楽しそうに談笑している。所謂、このクラスの一軍ってやつだ。皆、快活で容姿が整っている。そして、そんなグループのリーダー的立ち位置にいるのが三津田だ。話題も自然と三津田の事を話しているぐらい、あいつの存在は大きなモノなんだ。だから、皆が持っている三津田のイメージが崩れさるさまを俺はどうにも上手く想像できない。
「風邪でも引いたのかな? 連絡しようかな」
「大丈夫だよ、愛。ていうか、風邪引いたら普通にノリの方から連絡してくるでしょ?」
スマホを出して連絡しようか熟考している相良愛に対して安心させる笑顔を浮かべる野上菊菜。どちらも凄い美人だ。相良の方は大和撫子という語が適する落ち着いた美しさを有している。一方、野上の方は髪も茶髪に染め制服も気崩しており、勝気な性格が滲み出ている凛々しさがある美人だ。
「そうそう、なんなら放課後お見舞いにでも行こうぜ。俺、紀仁の家言った事なかったんだよ」
二人の会話に短く髪を切り揃えたこれまたイケメンの森太一があけすけに言う。口調や表情がまるでアニメの主人公なみに明るいのに不思議と違和感を抱かない。きっと素であの明るさを持っているんだろう。
この三人と三津田がクラスの最上位グループだ。
俺みたいなカーストから弾き出されて周辺を一人寂しく彷徨っているボッチとは住む世界が違う。人間不思議なモノで自分より圧倒的に優れているやつを見ると、嫉妬よりもただただ凄いという感情しか湧き起らないらしいな。本当に凄い奴等だなぁ。そんな奴らの中心に居る三津田は改めて凄いんだと再認識させられる。
時計を見るホームルームまで後10分ほどだ。三津田はあと10分でこの場に姿を
ガララ
扉が開く音が聞こえた。普段なら誰が来ようとそちらに目を寄せるなんてしないが、今回は確りとそちらに視線を向けた。直感があったからだ。きっとそこにいる人に対する確実性を持っていた。
長い髪だった。黒くて艶があり、綺麗な真っ直ぐの髪だった。スカートは学校指定のモノだった。スカートだから足を晒すけど、その足はすね毛なんて全く生えていない。真っ白でしなやかで女性よりも女性的な愛だった。ワイシャツの上に焦げ茶色のカーディガンを羽織っている。本当に綺麗だ。今日の三津田はどこにでもいるカワイイ女子高生だった。
教室が静寂に包まれる。皆息を飲んでいる。そりゃ、いきなりこんな美人が現われたら男女問わずに見入ってしまうに決まっている。目を奪われるってのはまさにこういう事を言うんだろう。でも、皆だれもこの謎の美人があの三津田だとは築いていない。転校生か何かだと勘違いしてるかもしれない。でも、違う。皆の前に姿を現したこの美人はれっきとした三津田紀仁その人だ。
三津田は教室の反応を気付いてか、気付かずか、さも当たり前かのように教室に入り、そして自分の座席に着いた。表情には少し不安な様子が垣間見える。やっぱり、不安に決まっているか。
「え、あ、あの。そ、そこ貴方の席じゃないよ。そこは紀仁」
三津田の近くに行き、相良はワンテンポ遅れながらも焦って三津田に話しかける。やっぱり、まだ気付いていない。
「えっと、転校生の人? そこ三津田っていう男子の席なんだよね。だから、そこは違くて、えーっと。机とか余ってたっけ?」
野上も相良に呼応する形で反応する。三津田はまだ何も発さない。ただジッとしている。待っているのか、声が出ないのか分からない。
「えー、めっちゃ美人だね! すげぇ芸能人みたいじゃん!」
森が意気揚々と話しかけ、このクラス全員が思っていた事を口に出す。野上が森の肩を無言で叩く。確かに初対面の人にいきなり容姿に関することを言うのは失礼かもしれない。でも、そんな失礼度返しでもそれは客観的事実だった。
「あ、もしかして紀仁の彼女さんとか? なるほど、だーから、紀仁の机に座ってるんだなぁ」
「え、紀仁の彼女なの⁉」
森の冗談に相良が顔を赤く染めて反応する。その二人の様子に野上は頭痛を感じたように眉を顰め、ため息を零し、「ごめんね」と三津田に対して謝罪する。
「そんないきなり初対面の女子にそんな事言うんじゃないわよ。二人とも」
「いやぁ、ごめん。場を和ませようと思って」
「へ、じょ、冗談だったんだ。で、でもすっごい美人だし紀仁の彼女さんでも全然おかしくない。あ、もしかして紀仁の妹さん…とか?」
「愛、ちょっと落ち着きなさいよ。何を根拠にそんな事言ってんの? そもそも、妹ならなんでノリの教室に来てるのよ。少し冷静になりなさい」
子供を窘める母親の様に野上が話しかける。それで少し落ち着いたのか相良は納得したようにうなづいた。どうやら、この女子生徒は三津田の彼女でも妹でも無いと冷静に受け止める事が出来たのだろう。でも、そうなるとやっぱり、この女は一体誰なんだ? という疑問がクラス全体に浮上し始める。
その時、三津田がふぅっと短い息を吐き出し、ずっと貫き通していた無言を静かに破った。
「紀仁だよ……」
その声は余りにもか細く、震えていた。まるで親に怒られるのを恐れている小さい子供みたいだ。でも、三津田発した声は周りの人たちが男だと気付かざるを得ないトーンだった。男にしては高い部類だろうが、その声は男らしさが滲み出ていた。
「え…」
「だ、だから、お、俺は……、いや、私が三津田紀仁」
みんなの頭にとんでも無い衝撃が走っているのが、傍目からでも分かる。理解するうえでのプロセスに莫大な時間がかかっている。でも、女子高生が発したその声はみんなが憧れ、みんなが尊敬する三津田紀仁その人であり、脳でどれだけ否定しても直感で肯定せざるを得ない。
「あ、はは。何だよ。紀仁かよー。早く言えよなぁ。いやぁ、めっちゃ美人だからマジで誰かと思ったぜ。マジでクオリティ高すぎだろ、そのコスプレ」
コスプレという語を聞いた瞬間三津田が少し震えたような気がした。
「何だよお前、今度演劇部にでも出るのかよ、ていうか俺達へのドッキリとか? それだったら大成功だよ」
そう言って森は笑った。小馬鹿にしているわけじゃない、純粋にそう思っているんだ。それはきっとこの場で森だけじゃなくほとんどの人間が三津田のこの姿に対して何かしらのユーモアがあると確信している。だから、森の反応が一番普通だろう。でも、きっと森の反応と三津田が求めているモノにはズレがある。
「え、今日エイプリルフールだっけ?」
「てか、三津田その服どこから持って来たんだよ」
「その髪もしかしてかつら? もしかして、紀仁剥げてんのかよぉ」
「もー、男子たちやめなよぉ」
クラスメイトたちが笑い混じりにあのあのと話し始める。三津田の周りに人だかりが生まれる。クラスに笑いが戻ってくる。みんな、三津田の恰好に適当な理由を付けて笑いに変える。もしこの場で三津田が冗談でした、とか言えばそれだけでクラスはいつも通り戻る。今この場でみんなが考える普通の三津田紀仁になってしまえば全て元通りだ。
でも、三津田は何も言わない。俯き気味で拳を握りしめている。きっと、あと一言でいい。たった、一言これが本当の自分だと言えばみんな否が応でも受け止める。そこに肯定があるのか否定があるのかは分からないが、みんな理解する。これが本当の三津田だって。あいつが次に何を発するかで全てが変わる。過去に戻るべきか未来へ進むべきか。
でも、三津田はまだ何も言えない。ただ、周りの声を耐えている。あいつは今戦っているんだ。「空気」と戦っている。目に見えない悪魔と静かに向き合っている。その悪魔は一人で戦うにはあまりにも大きすぎて、恐ろしい。でも、あいつは戦っているんだ。
『うん、俺じゃない、私として行く。本当の私で』
昨日のあいつの声がフラッシュバックする。それに連なるようにあの決意を宿した顔が浮かぶ。
ああ、なんだ。
その時、俺は確信した。あいつは逃げない。あの、顔がそうだ。あれは引き返さないって顔だ。それに、やっぱり俺はあいつが、男としてじゃなくて、女としての三津田紀仁好きなんだ。我がままで子供っぽくて、人をいじって、良く笑って、常に楽しそうなあいつが好きなんだ。だって、俺はあいつの友達なんだから。
ゆっくりと椅子から立ち上がった。三津田の方に行く。みんなが三津田を囲んでいる。三津田は俯いている。友達が俯いている。友達があと一歩踏み出そうとしている。なら、友達の俺がすることは決まっているだろう。友達が困っているなら、友達が苦しんでいるなら。
「ごめん、ちょっといい」
どいてもらうように言う。周りが「こいつ誰?」みたいな表情を浮かべる。でもそんな奇異な目は今気にならない。俺には今耐えている友達しか見えない。だから、俺は友達の前に立つ。
「い、一郎……」
か細い声だった。縋るような瞳だった。泣き出しそうな顔だった。そこに居たのは苦しがっている友達がいた。だから、俺は彼女にこう言う。別に特別な事じゃなくていい。救ってあげられる言葉じゃなくていい、普通だ。普通で良いんだ。いつも通りで良い。俺は今どんな顔をしているか分からないけど、多分、いつも通りだ。
「なぁ、三津田」
「……」
「お前、その恰好すっげぇ似合ってるな。ちょー可愛いぞ」
これだけでいい。ただ、今の三津田紀仁を認めて、受け入れてあげる言葉でいい。あとは自分でやれる。友達が出来る事なんて背中をポンっと押してあげるだけなんだから。
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「ねぇ、ねぇ、ノリ明日、愛と三人で服買いに行こうよ。すっごいカワイイ服を取り寄せている所しってるんだ」
「紀仁に似合う服私たちが見繕ってあげようって、菊菜と話してたんだ」
「本当? うん、行く、行く」
「よし、それじゃ決まりね。明日の1時に駅前集合ね」
「え、何々。みんな遊びに行くの? 俺も連れてけよー」
「ダメよ。神聖な女子の買い物にむさくるしい男が入る隙間はないの」
菊菜にそう言われて、太一はふてくされたような態度を示したが、「女子会ならしょうがねぇか」と言って納得した。その様子を見て愛と私は笑顔を零した。いつも通りの日常。みんなで昼ご飯を食べて、みんなで何気ない会話をして、みんなで笑い合う。何気ないけど掛け替えのない日常。何よりも私が女としてこの場に居る事がその掛け替えのなさを感じさせる。
あの日、私がみんなに対してカミングアウトした日から三か月が経った。誰もが驚いていたし、ショックを受けている子もいた。でも、それでもこれが本当の私だって訴えた。全員が受け入れたとは思っていない。実際、心無い言葉を掛けられた事もある。でも、それ以上に受け入れてくれた人が沢山いた。私に対して友達とハッキリ言ってくれる人が居た。女として私を受け入れてくれた。
それが嬉しくて、自分は恵まれていると心から思えた。私の大切な人達が変わらずに私に接してくれることが幸せでならなかった。
「ん? どうしたの紀仁?」
愛が心配そうに尋ねた。ぼーっとしていた私が気になったのだろう。
「うーん、なんかこういうの幸せだなぁって思ってさ」
私は自分が考えていた事をハッキリと口に出した。その全く偽らない私の言葉を聞いて、みんなびっくりした様子を浮かべた。太一は照れくさそうに笑って、菊菜は優しそうな眼差しで微笑んで、愛はぎゅうっと私を抱きしめてくれた。
ああ。本当に幸せだ。
だから、私はこんな幸せをもたらしてくれた人の所に向かった。
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「ああ、まーたボッチ飯してるじゃん」
「んあ」
薄暗い場所だった。屋上へ出るための扉前で彼は菓子パンを美味くも不味くもなさそうに口に放り込んでいた。教室で食べればいいと言っても彼はここが落ち着くと言ってひとりぼっちでここにいる。
「お前、野上たちと食べてたんじゃないのかよ」
「私は優しいからね。三月になってもまだ友達が出来ない一郎を思って、来て上げたのですよ」
「はー、さいですか」
「こんなちょーぜつカワイイ私と昼休みを過ごせるなんて、一郎はもっと感謝すべきだよ」
「自分への過大評価突き抜けすぎだろ」
一郎のツッコミを聞きながら、私は彼の隣に座った。薄暗くて、ちょっと埃っぽくて、静かで、床は冷たい。一人でこんなところに居たら気がめいってしまうが、私は寧ろ心穏やかで不思議な温もりに包まれている。きっとそれは一郎が隣に居るからだ。
「なんだよ、ニヤニヤしながらこっち見て」
「んー、何でも」
「……変な奴」
「なーにぃ、変な奴だって! ぼっちで根暗で非モテの一郎の方が何百倍も変だぞ」
「あー! お前言っちゃいけない事言っちゃったな。どうなっても知らねぇぞ。マジ俺が本気出したらマジやべぇぞ、マジで、うん。マジで」
「ふふ、何それ。全然具体的じゃないじゃん」
バカな会話だ。私が一郎をいじって、一郎がそれに対して何か言う。本当に友達との会話そのものだ。クラスじゃあまりこんな会話は出来ない。別にこころを許してないとか、本当の自分を曝け出せないとかじゃない。勿論、クラスのみんなとの会話も十分楽しい。でも、自然と一郎と話をしている時は自然とこんなふうになってしまう。多分、本当に信頼しているのだろう。一郎を信じている。だから、一郎と一緒に居ると私はまっさら状態で接する事が出来る。
「お前」
先ほどとは打って変わって今度は一郎が私の方をじぃっと見つめてきた。その真っ直ぐな眼差しに魅入られて私は鼓動が早くなるのを感じた。口も自然と乾いてくる。
「な、何?」
舌が空回る。しかし、一郎はそんな私のドキドキを知ってか知らずかまだ見つめてくる。そして、
「髪伸びたな」
「へ、あ、あー、うん」
私は半ば放心状態で自分の髪を撫でた。確かにカミングアウトをして以来私は髪を伸ばしている。もともと、地毛を女の子みたいに伸ばしてみたかったのだ。三か月も経てば自然と髪は伸びる。でも、一郎にハッキリとそう言ってもらえると、嬉しい。ちゃんと見てくれているんだ。私の変化に気付いてくれる一郎。
「俺も髪でも伸ばすかなぁ。イメチェンみたいに」
一郎は自分の髪を一撫でして、中空を眺めた。
「……一郎はそのままでいいよ」
「あ、そうか?」
「……うん。一郎はそのままで変わらないで」
一郎はいつだって自然体だった。私が女の心を持っているからなんて関係なく、私と接してくれた。私に常に普通に接してくれる。だから、私は彼の前ではそのままの普通の状態で居る事が出来るんだと思う。
隣で一郎を眺める。俺じゃない、私の初めての友達。人と話すのが苦手で女性と接するのが下手な普通の男の子。
でも、普通だけど。ううん、普通だから、普通で居てくれたから私は彼に救われた。
「ふぁわ」
眠たそうに欠伸をする一郎。そんな姿を見ると自然と笑みがこぼれる。そんな何でもない彼を見てるだけで心が暖かくなって、なんだかドキドキする。こんなふうになったのはいつからだろう。
いや、いつからなんてどうでもいい。私は今抱いている感情は絶対に嘘じゃない。それだけ分かっていれば十分だから。
そう十分だから、
一郎。私はあなたの事を好きになっていいですか?