猫屋敷
東京に越してきたときに私が最初に気になったのは、家のすぐ近くにあった古い家だった。
それは木造の平屋で、窓も雨戸も外されているから中の様子が否応なしに目に入る。変色した畳が何枚か敷かれてはいるが、所々破損が酷く、もはや畳の役割を果たしてはいない。部屋の隅には汚い蒲団か無造作に押しやられていた。とても人の住める場所でないことは、まだ小学校に入ったばかりの私にも分かった。
ただ、雑草が生い茂った狭い庭には無数の猫が群がっていた。ここが猫屋敷と呼ばれる所以である。
「あの家はな、怪人二十面相の秘密基地なんだぞ」
と、小学校高学年の兄が言う。
兄が言うのだからきっとそれは真実なのだろうと私は考えた。それなら屋敷を探検しょうと友達を誘ったのだ。仲のいい二人の友人に話をすると二人はすぐさま了承した。
その日、学校が終わるとその足で私たちは猫屋敷へ向かう。まだ日は高かったが、屋敷の敷地内はどことなく薄暗かった。おそらく屋敷を取り囲む木々や周辺の高い建物でちょうど日陰になっていたのだろう。
時期が梅雨時だったせいで庭はじめじめと湿っていた。私たちがそこに足を踏み入れるといっせいに猫たちが逃げて行く。
庭にはところどころゴミが散らかっている。色の変わった新聞紙やエロ雑誌なども投げ捨てられていた。
「なんか、くせえ!」
友人の一人が騒ぎだす。そう言われてみれば確かに臭う。これだけの猫がいるのだから、きっとその排泄物の臭いなのだろう。私たちは足元に気を付けながら庭を歩いた。
屋敷の玄関には扉はなかったが、中は暗くてよく見えない。やはり気味が悪かったから入るのを躊躇していた。
そのときだった。
「こら!」
屋敷の奥の方から人の声が聞こえてきた。そして中から初老の男が出てきて睨む。男は上半身裸で下にはステテコを履いていた。
「そこで何をしてるんだ」
男の口からその言葉が出ると同時に私たちは「わーっ」と叫びながら逃げ出した。
そのことがあってから、私は猫屋敷の前を通るときにもただ横目で見るだけで、決して注意深く中を覗き見ることはなかった。
猫屋敷に住む初老の男に家族はなく、また近所でも親しくする人もいなかった。職業は公務員ということだが、いったいどんな仕事をしているのか知る由もない。
あの猫屋敷の探検から十年はど過ぎた冬の季節に、屋敷の主人が亡くなったという話を私は母から聞かされた。屋敷の庭に降り積もった雪に埋もれた状態で男は発見されたそうだ。
猫屋敷のことなどすっかり忘れたいた私は母からそんな話を聞かされて、あの探検のことが記憶の奥から甦った。
今、猫屋敷があった場所には品のいい小さなアパートが建っている。