1-5 メーデー
1週間ほど前から出されていた宇宙天気予報では、強い太陽風がまもなく地球が通過すると警告していた。
宇宙天気予報では、高高度を飛行する航空機に対する影響も強く心配されていた。
通常の太陽風であっても、電離層に異常が発生する事が有り、また宇宙線が物体を通過する時、含まれる電荷によりCPUやメモリ、ICなどが誤動作する事が予想されている。
今回の太陽風は、これまで観測されていない金色のプロミナンスから噴き出した太陽風であり、その規模から太陽嵐として取り扱われていた。
それがどのように作用し、どれほど被害が発生するかの予想ができない為に、各国に対して緊急宇宙天気予報として発せられていた。
しかし、各国政府の反応はさまざまであり、経済活動を強制的に止める事は難しかったために、国によっては完全に無視されるケースも少なくなかった。
日本国では政府からのお願いとして発表され、その事実は伝えられることになったが、日本では夜の事なので、マスコミなどは金色フレアと合わせて天体ショーの1つのような報道がなされていた。
政府からの警告は、通信衛星や測位衛星が支障を受ける可能性、無線通信・電子機器が誤動作する可能性程度にとどまっていた。
国によっては、警報期間中での航空機の運航を禁止する内容も含まれていたが、そのような警告にもかかわらず、多くの航空機は飛行していた。
すでに座席は予約され、運航スケジュールを取り消すことは、航空会社に莫大な損害をもたらし、顧客の信頼を無くすことにつながる。
結果、運行されていた航空機のほぼすべてが墜落した。
多くの航空機は推力とコントロールを失い、そのまま海面や地上に落下していった。
飛行場から上昇中の航空機がもたらした被害は甚大であった。
空港は大きな都市付近にあり、燃料を満載した状態で飛び立った機体が引き起こした火災現場は壮絶であった。
すべての管制塔は、すべての航空機に向けて無線で緊急通信を行い、どこでも良いので大至急着陸せよとの指示を出すが、停電している無線機の通信が航空機に届く事は無かった。
太陽風との遭遇時間、それは日本時間では夜10時すぎの事であった。
日本の空港の多くは、夜間離発着を許容していないため、偶然的な幸運によって、被害は比較的少なかった。
ただ離発着こそ少ないが、例えその時間帯であっても日本上空を通過していく航空機は何機もあり、その機体は深い山中に墜落していった。
地上レーダーや無線通信による管制も同時に失われており、墜落した事実すら確認できない状態であった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
アラブ首長国連邦のドンマイ国際空港は夕方17時のラッシュ時間を迎えていた。
潤沢なオイルマネーにより、砂漠の街ドンマイは目覚ましい発展を遂げていた。
この巨大なハブ空港は、非常に多くの航空機の離発着が行われている。
それは日中だけに限らず、貨物便など夜間でも多くの航空機が飛び交っている。
そしてこの空港の管制塔は、これまでにないパニックに陥っていた。
管制塔室内のすべての機器の電源が一斉に落ち、管制業務が完全停止した。
何重にも電源バックアップが施されているので、すべての電源が落ちる想定はなく、そのような訓練はされていなかった。
目の前の滑走路では、着陸寸前であった旅客機が着陸に失敗し、そのまま滑走路に激突して炎上していた。
また、もう一本の滑走路の出発便は、安全離陸速度であるV1速度を超えた時点で制御を失い、上昇できずに滑走路上をオーバーランし、低空のまま空港から飛び出ていった。
空港外の建物の影となってしまい、その後の機体は見えないが、そちらの方角から炎と煙が上がったので離陸を失敗したのであろう。
管制塔から双眼鏡で見えるだけでも、空港周辺にはいくつもの火柱や黒煙が上がっているので、そこでも墜落したのであろう。
無線機は沈黙しており、墜落を知らせた消防隊からの応答もない。
管制官たちは何が起こったのかわからずに、自分が管制していた機体が次々と墜落していくのを、言葉も無しに見ている事しかできなかった。
防音された管制塔の窓は、音を消したテレビ画面の映像のような光景であり、現実に目の前で起こっているとは信じられない光景であった。
それは、明らかに空港始まって以来の大惨事である。
自分たちの施設が停電した事が原因で、目の前で次々と航空機が墜落していった事に、皆が恐怖でおののいた。
少しして、冷静になり始めた職員たちであったが、未だに外部から何も連絡は入ってこない。
と言って、管制室を勝手に離れるわけにはいかず、照明も消え日没を迎えようとしている管制塔内で、ひたすら電源の復旧を待つだけであった。
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「メーデー、メーデー! 管制塔、応答願います! こちら、パイレーツ航空A6-EZZ、ジェットエンジン4基の推力喪失及び電源の喪失による全コントロールの喪失! エマージェンシーを宣言します。 メーデー、メーデー!」
「コーパイ、もうやめよう。 その無線は既に死んでいる」
隣で何度も無線で呼びかける副操縦士に対し、機長は無情にもそう告げる。
「それよりも、私はペダルから足を離すことができないので、君がチーフパーサーをここに連れてきてくれ!
大至急頼む! これから緊急着陸、いや、着水するぞ!」
管制塔どころか、機内通話用のインターホンすら動いていない。
コックピットでは、すべてのコンソールディスプレイパネルの表示が消えており、飛行中であれば必ず聞こえているはずのエンジン音も全く聞こえず、コックピットは異常に静かな状態であった。
操縦に必要な電源が完全に落ちたこの状態で、機長に出来ることは残念ながらすでに何もないはずであった……
幸いエンジンが止まったのがドンマイ空港に着陸寸前であった為、墜落まであと何分などという時間は残されてはいないが、飛行速度は着陸速度にまで落とされており、緊急着陸できる可能性はゼロではない。
超大型機である為、空港滑走路への衝撃を減らすために、今回進入角度を浅めに設定していたのが幸いした。
フラップはでているので、陸地ぎりぎりにまで飛ぶことが出来れば、後はラダーペダルの操作だけでエーゲ海の海岸線に沿って着水させようと機長は考えていた。
現在の航空機では、フライバイワイヤと言う仕組みにより、操縦桿やラダーペダルなどの操縦装置は、飛行機を制御する油圧装置に直結していない。
電気センサにより検出された操縦装置の操作は、電動により油圧を動かし飛行機を制御し、その反応はアクティブフィードバックよって操縦装置に返されている。
この機では、さらに油圧システムをも廃止するために、電動モーターにより直接駆動されるパワーバイワイヤの特別実験機として作られた試作機である。
まだ試験中であったため、電動での操作が異常となった時、フットペダル操作は補助の油圧系統に切り替えられるように設計されていた。
今回は予期せぬ異常により、そのバックアップシステムが有効に利用されることになった。 いや、なってしまった。
「これじゃ、巨大なグライダーだな。 まるで」
機内では、何人ものアテンダントが乗客に大声で緊急時の説明をし、全員が座席下から引き出したライフジャケットを急いで首からかぶり、再びシートベルトを締めなおすと、乗客たちは安全姿勢をした状態で祈っていた。
信仰する神がいない人ですら、何かに祈っていた。
あとは祈るしかないのだ。
推力を失った総2階建ての巨大ジェット機は、海面からの上昇気流が起こす僅かな揚力だけを頼りに、ゆらゆらと落ちるように海岸線に沿って降下していった。
機長の神技操縦により、海岸ギリギリの海水面に大きな波しぶきと共に着水すると、何とか機体分解は起こさずに、乗客・乗員800名近くの命は、失われることは無かった。
しかし、着水した航空機が海上に浮上していられるのは、ほんの僅かな時間である。
大破を免れた機体からは、そのわずかな時間での脱出が始まった。
日没まではまだ少し時間が有ったので、陸地には世界一高い建物も見えており、波間からでも目視できる大きな目標物のおかげで、陸地方向をはっきりと確認する事が出来た。
海上脱出のため、緊急脱出シューターは脱出後に切り離され、そのまま海上で救命ボートになると聞いていた。
しかし、ほとんどの乗客は、心理的に陸地に近い片側の出口に押し寄せたため、そちら側のシューターでは、高い2階席から滑り降りてくる人達がぶつかり合った。
多くの乗客は、後から滑り降りてくる人により、押し出される形で脱出シュートから落下していった。
しかし、機長のおかげで、着水時に海岸線から数百メートルの距離まで寄せていたため、着衣のままではあるが、ほとんどの人が自力で泳いで岸までたどり着くことが出来た。
陸地からすぐ近くの沖の海に大型の航空機が墜落したと言うのに、その海岸にはしばらくしてもパトカーや救急車など、救援は1台も到着しなかった。
ほとんどの乗客は強いショックを受けており、呆然とした表情で海岸に座り込み、濡れた着衣のまま震えているのであった。
シューターでは多少の怪我人が出たが、奇跡的にそこでも死亡者が出ることなく、全員ドンマイに到着した。
「皆様、ドンマイにようこそ。 ご到着を歓迎いたします」