2-2 歩みを止めた町
その朝、各地の市役所、交番、消防署などには大勢の市民が殺到し、その対応に苦慮していた。
昨夜から始まった停電は、夜が明けた今でもまだ解消しておらず、そのため市民はテレビやネットのニュースを知ることが出来ない。
携帯電話はおろか、固定電話すらもつながらず、一部の人は公的な機関に話を聞こうと直接押し掛けていた。
やって来た人々は、不安を叫んだり、助けを求めたり、停電に対して関係ない職員が悪いかのように暴言を吐いたりと、押し寄せた先ではさまざまの人がいたが、詰め寄られた職員達もそれに対する情報は何も持っていない。
車も動かないため、本署に確認に行く事すらできない。
今起きている事を、どこの誰に確認すべきか、誰も答えられないでいた。
ただ、悪いニュースも含めて、すべての情報が遮断されたことで、町全体がパニックになることはまだ無かった。
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「腹減ったな。 飯食いに行こうぜ」
「俺、金持ってないぜ。
あー、失敗したな。 給料前だったから現金を降ろしてないや。
停電になること判っていたら、銀行から全部降ろしておけばよかったよ。
おかげでしばらく文無しだよ、とほほ」
「どうせ、ATMが動いていても給料日前だから、口座にはそれほど残ってないんじゃないのか?
わかったから、飯代くらいは貸してやっから」
「おい、そういう時は『奢ってやろう』じゃないのか?」
「じゃあ、1つ貸しな」
「おう、じゃ1つ借りな」
そう言って、男たちは開いている飯屋を探して麻布十番の街を歩いていた。
何軒か中を覗くと、プロパンガスを使っている飯屋では、停電中ではあっても営業をしている店が見つかった。
ただこの店でも水道は出ていないようなので、大きなポリタンクで組んできた水を一度沸かして使っていた。
この店の近くにある寺の前に大きな柳の木があり、その木の下では今でも清水が湧き出ている井戸が有るそうだ。
店の扉には、『現在、店内ではお茶や水が出せませんので、ペットボトルをお買いください』って書いてあった。
店の前にあった自販機を鍵で開けて、店内で商品を売っているようだ。
また、『本日は先払い。 お釣りはありません』とも書いてあるので、850円の定食と150円のペットボトルを買い、2人分の2000円を支払った。
本日のランチはお任せの1種類しかできないそうだが、店内に残っていた食材を使って作っているようだ。
停電から半日が経ち、そろそろ冷蔵庫が厳しくなってくると思うので、普通にご飯が食べられたのは幸いである。
満足そうに店を出た2人であったが、それが普通に食べられた最後の食事になるなどとは思ってもいなかった。
彼らも話していた通り、街ではすべての銀行のシャッターが閉まっており、ATMも入り口に鍵がかかり動作していなかった。
銀行の前でシャッターを叩いて騒いでいる人がいるが、それを止める警備員の姿は、そこにはなかった。
商売をしているその人は、すぐに現金を必要としていた。
誰にも相手にされずに、やがて無駄だと気が付くと、通帳を手に うなだれた状態で銀行の前から去って行いった。
しばらくすると、銀行の前は再び静寂を取り戻していた。
銀行員は店内で居留守をしていたわけではなく、この銀行支店の店舗内には誰もいなかった。
全ての電源が切れた場合、銀行店舗の扉はセキュリティーにより、外からの入り口はロック状態となる。
その状態で鍵を開ける為には、銀行の本店に保管されている何本ものマスターキーを同時に使わないと、その店舗の支店長ですら銀行店内に立ち入ることが出来なかった。
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近くの小学校の教室では、登校してきた生徒が大勢いた。
子供たちは学校の周囲に住んでいるので、停電などには関係なく学校に登校してくる。
しかし、教師は遠方から通勤している人がほとんどであり、何とか学校にまで辿り着くことが出来た何人かの教師だけで生徒に対応していた。
当然、先生がいない学校で授業は行えないので、黒板には『じしゅう』とだけ書かれており、子供たちは初めて経験する停電について、どのクラスからも大騒ぎが聞こえていた。
責任者である校長や教頭が いつ学校に到着するか判らないので、家庭に連絡もできない状態で、出勤していた先生だけで学校を休校にして生徒を家に帰してよいものなのか、なかなか判断できずに困惑していた。
電話もつながらず、教育委員会や役所とも連絡が取れず、やがて給食の提供が困難であることがわかったので、その後やって来た何人かの先生とも協議をし、その日はなるべく早く生徒を家に返すことにした。
しかし、昼頃になると、広域避難所に指定されている小学校には、避難してきた近所の人たちが、すでに何人も集まり始めていた。
このまま停電が続くようであれば、夜に向けて避難してくる人がさらに増えると予想されたこととで、体育館を避難所として開放し、翌日は休校となった。
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地球が金色の光に包まれた翌日、日本の夜が明けると、身近なところで人々は異変に気が付いた。
それは身の回りにある鏡が黒く変色しており、自分の姿が写らなくなってしまっていたのだ。
現代の鏡が作られたのは、ドイツで1835年の事であり、硝酸銀溶液によりガラスの表面に銀を沈着させて製造する方法が鏡の基礎となっている、
今のような近代的な鏡が誕生して、まだ200年も経過していないので、人類と鏡はまだ短い付き合いであった。
その鏡も、電気と同様に一夜にして失われてしまった。
ガラスの表面で光の反射はあるのだが、本来の鏡のように正面にくっきりと姿を写すことは出来ない。
それは、磨き上げられた黒い石の表面に写り込む程度の反射であり、それまであった鏡とは全く異なっていた。
鏡の反射以外で、光の屈折は残っているようで、レンズやプリズムには問題が無く、メガネや顕微鏡、双眼鏡は今まで通り使用できた。
鏡以外に、磨かれ輝いていた金属も同様に銀色の光沢を失い、クロム鍍金され輝いていた水道蛇口も黒く変色し、そこに顔が写り込むことは無かった。
金属反射のメタリックカラーという物が、身近から消え失せた。
こうなってみると、どうして磨かれた金属では、これまで綺麗に像が反射をしていたのかすら不思議に思えてくる。
全ての色が反射して見えると言う事は、そのすべての波長の光を反射しているわけであるが、色がそのまま反射して見えると言う事は、全ての波長の光が金属表面で均一に反射されていると言う事だ。
また、銅や金など色がある金属は、限られた波長の光を反射していることになる。
金属以外で、全ての波長の光を、表面で反射できる物質は、ほとんどないのではないだろうか?
全ての金属が黒くなってしまったため、見た目で金属の判別が難しくなってしまった。
そんな中、ジュエリーショップでは、銀製品は黒く変色していたが、金色に輝く純金と銀色に輝くプラチナだけは、なぜかその輝きが残っていた。
それらは高価な貴金属であるため、一般の人がそれに気が付くことは、まだ少し先の事となる。