第五章 12 初めて見たはずなのに
「……襲われた、出た、んだよ……!」
「寒河江さん!しっかり!」
慌てて駆け寄るけれど、寒河江さんの出血はかなりのもので、顔には脂汗を浮かべていて危ない状態だ。
「リリス、処置を」
「言われなくてもわかっています」
いつの間にか近くに来ていたリアさん達が、素早く彼女を処置する。
どうしてこんなことに。そして、寒河江さんの言っていた「出た」とは、何なのだろう。
「まさか……人魚、なのでしょうか?」
「へ?でも人魚って……」
人魚に人を襲うようなイメージはないし、
それに、寒河江さんの傷は何か鋭い刃物のようなもので切られたように見えるもので、とてもじゃないけど人魚がそんな傷を付けられるとは思えない。
「わからないです。でも……もしかしたら、そういうの持ってるかも……ナイフとか……」
人魚がナイフを振り回してきて襲ってきたとしたら、あまりにも異様すぎる。
正直言って、想像のつかない光景だった。
「芽衣は周りを見ていて。それと、六月さんをお願い」
「……うんっ!」
返事すると同時に、ポーチに手を伸ばしてカッターを取り出す。
「咲坂さん何やってるんですか!?」
「あ、えっとこれは……」
なんて説明したらいいんだろう。吸血鬼の能力として使うと言っても、説明が難しい。
「と、とにかく。これ使わないとわたし、戦えないから……!」
「戦うつもりなんですか?」
「わたしは吸血鬼だからね、でも生身とか素手で戦えるわけじゃないから……」
わたしの身体能力は、リアさんによると吸血鬼化によって上がっていたとしても並の女性と変わらないくらい、だそう。
だから、武装がないと相変わらずわたしは何もできない。
けれど、この頼りない能力が、何故か今のわたしにはとても心強かった。
「でも、もし話の通じる相手なら刃物持って対話するのはダメじゃないですか?」
「……そう、だね」
今、わたし。そのままいってたら寒河江さんを襲ってた何者かと戦おうとしてた……?
気分が高揚して、刃を振って傷つけようとしていた…?
怪訝そうな目で見つめる真魚ちゃんの表情が、わたしに強く突き刺さる。ダメだ、これ以上は抑えないと。
「どうしたんですか?」
「うん、ちょっとね……やっぱりいきなり刃物出すのは良くないかなって」
「いや当たり前ですけど何言ってるんですか」
目線が冷たい。前髪越しでもそれがわかるし、何より声が明らかにもう……呆れてる様子で……
ここ数日、真魚ちゃんと接してみてわかったことがある。
彼女はものすごく正直な子なんだ。
言いたいこと、思ったことを何もかも包み隠さず全て言葉に出すんだ。
どこか、その様子はテンションこそ違っていても柚葉ちゃんに通じるものがあった。
柚葉ちゃんも、思ったことは全て口に出す人だった。
それがどうしても面白おかしくて、楓ちゃんとよくふざけて笑い合っていた。
本当に、これまでの日常が遠いところになってしまった。
「例の何かの気配、結構遠いですね 海の方に行ったのかも」
「真魚ちゃん、わかるの?」
「耳がいいんです。生まれつき結構遠くまで音が聞こえるんですよ。……拾いたくない音まで結構拾っちゃうんですけど」
「へぇ……でも、すごい今は役に立ってるよ」
「お世辞じゃないことを祈りますよ。もしそうじゃなかったら嬉しいです」
「……素直じゃないなぁ」
「おーい、真魚ちゃんー、そっちはどう?」
「何も見つからないです!」
「よしそれなら良かった、とりあえずこっち来て!そっちの子も!」
「はい!」
寒河江さんの方へと駆け出す。様子を見ると、もう処置はある程度終わっていたみたいだ。
白い包帯に滲む赤黒い血が痛ましいけれど、そこからは目を逸らす。
今うっかり吸血衝動が出てしまったらごまかしがきかないからだ。
それに、寒河江さんはわたしたちが吸血鬼であることを知らない。
「そうだ、メモ帳とか筆記用具とかある?自慢じゃないけど絵の上手さには自信あってね。真魚ちゃんほどじゃないけど」
「六月さんがどれくらいなのか、そもそも私たちは知らないのだけど」
「無駄に持ち上げてハードル上げないでください……あと絵のことは基本秘密にしてるんですから勝手にばらさないで」
「あーごめんごめん、でも真魚ちゃんマジすごいからね。将来は漫画家さんかと思ったもん」
「いい加減にしてください」
そう言い放ちながら、真魚ちゃんはスケッチブックと鉛筆を取り出す。結構使い込まれているのを見るに、絵を描くのが趣味というのはどうやら本当みたいだ。
「えーっと……確か……ここはこうなってて~ー」
スケッチブックを手渡されると、寒河江さんはするするとスケッチブックに何かを描き始める。
「しかし、目撃者らしき人がいたのは助かったわね」
「…そうだね。これが真魚ちゃんに繋がる手掛かりなのかは、わかんないけど」
刃物で切られたような傷と、人魚というワード。それだけはどうしても繋がりそうになかった。それだけが、わたしにとっては大きな不安要素だった。
「でも海岸沿いですよ?可能性はあると思いますね。まあ、わたくしは人魚を見たことがないので確証は持てませんが」
リリスさんほど長く生きていても、わからないことがある。それは改めて言われても衝撃的で、実感がまるで湧かない。
「よーしー!出来た。こんな感じのやつ」
「これが、人魚……?」
表に返ったスケッチブックに描かれたのは、人魚というよりは"魚人"とも言えそうな化け物だった。
しかも、鋭いキバやツメの生えたその姿は、まるで。
「怪獣、みたいですね」
「怪獣って言っても人間サイズだけどねー。いやいやマジで怖かった」
「あなた、そんなものに襲われてよくそんな様子でいられるわね」
「こんなところで商売してりゃある程度そういう根性鍛えてないとどうにもならんの。なんかそいつ、何かを探してたみたいな動きした後、そのまま海に帰ってった」
「ということは、今はこのあたりにはいないんですか?」
「いないねー。残念だったねぇ」
「いや、むしろ会わなくて正解だったと思うんですけど……」
悩むそぶりをする真魚ちゃん。その後彼女から出てきた言葉は予想もしないものだった。
「なんだかその人魚さん、見覚えがあるような、懐かしいような気がするんですよね……
初めて見たはずなのに」




