断章 美しき吸血鬼の話2
自分には親もいなければ、頼りになる大人もいなかった。
目の前に広がるのはただ、日夜血の泥の匂いしかしない路地裏。
わたくしはそんな場所で生まれました。
「お前みたいな汚いガキに恵んでやるもんなんかねぇよ!」
「うぐっ……!」
貧相で小さな身体が、衝撃と共に宙を舞いやがて静止します。
思い出されるのは、そんな風景ばかり。
稼ぎもない私は、ただ日々の飢えをしのぐためだけに毎日盗みを働いていました。
「なんで、なんでこんな……!私ばかり……!」
ふと路地の外を見れば、きらびやかな服装に身を包み、何人ものお付きの人に囲まれた『お姫様』の姿が目に入りました。
「私も、あんな風になれたら……」
乾ききって味のしない固いパンを齧りながら、そんなことを考えていました。
叶わない願いでしたが、せめて今の悲惨な生活が変われば……と、そう願っていました。
聞いた話によれば、わたくしは生まれた時既に道に捨てられていたのだそうです。
親の顔も名前も、いや自分の名前すらも知らず、ただ生きるためだけに毎日貧相な肉体を引きずる自分の姿は、まるで人間というよりは獣のようだったでしょう。
雨の後の水溜まりから自分の姿を覗いてみれば、顔は土埃で汚れ、髪は伸びっぱなしのぼさぼさ、着ている服はまるでボロ切れ。
先程見たお姫様とは、まるで生きている世界どころか違う生き物であるかのような不細工な姿。
私はこの姿が何よりも嫌いでした。
「汚い」以外の形容のできないこの姿が。
貧相な生活を絵に描いたようなこの姿が。
一度でいいから、きらびやかなドレスをまとえるような、誰かに愛される自分でいたかった。
もっと、美しく生まれたかった。
「いたぞ!あのガキだ!」
「私の店からパンを盗んでいったのよ!早く捕まえなさい!」
「早くとっ捕まえて突きだしちまおうぜ!」
私に向けて今日も罵声が浴びせられる。盗まれたからといって何だと言うんだ。盗みを働かなければ生きることすらできないというのに。
もしかして私に、餓えて死ねとでも言うつもりだろうか。
驚くほどあっさりと、私は街の人間に捕まった。
ロクな物も食べず、手足なんて枯れ木のように痩せ細っていた自分に、大人たちを振り切れるような力なんて残っているはずがなかった。
これでもかと浴びせられる罵声に対して、私はもう涙を流す気力すら残っていなかった。
いっそ、こんな一生が終われば、生まれ変わってもう少しマシな生活を送れるようになるだろうか。
小さな身体に、何本もナイフが突き付けられる。
抵抗は出来なかった。抵抗するだけの力も意思も、私にはないから。
殺してしまえ、こんな奴。
こんな汚い奴が死んだところで。
そんな言葉を聞きながらも振り下ろされる刃が、私の肉を、骨を、引き裂き断っていく。
痛みなど感じる余裕なんてなかった。
ただ、この地獄が終わって欲しかった。
気づけば、私は血溜まりの中に「沈んでいた」。
間違いなく死んでしまう程の傷を……いや、"自分が死んでしまったという感覚が確かにあった"。
わたくしはオカルトなど信じない性質ですが、魂が抜けたような、ぷっつりと何かが途切れたような、そんな感覚があの時にはあったのです。
手足を動かそうとする。ゆっくりとだが、確かに動く。
そして、動かしている過程で気づいたことがある。
刺されたはずの箇所の傷が、完全に塞がっている。
全員の色んな場所を刺されたはずなのに、身体からは一滴の血すらも流れない。
血が流れ尽くしてしまったのかとまで思ったけど、まさかそんなことはないだろう。それなら動けている方がおかしい。
そして、持ち上げた自分の右腕を見る。
自分の知っているのとは、明らかに違うものだった。
叩けばすぐに折れそうなほど痩せ細っていたそれは、血色の良いすらりと長い腕に。指も細長く、まるで自分の腕じゃないみたいだった。
「………………?」
不思議に思いながら、ゆっくりと立ち上がる。
不意に手に触れた髪が、さらさらと手触りのよい触感をしていたことを、私は見逃さなかった。
「どうしちゃったの……?」
声が違う。喉から出る自分の声が、よく知るそれより小声ながら明らかによく通っていた。
視界が高い。いつもより、景色が全体的に小さく見える。
足元が見えにくい。何かに視界を塞がれているのかとよく見ると、それは膨らんだ自分の胸だった。
そして、それ以上に明らかに感じる"異常"。
足元に広がる血の水溜まりを、"美味しそう"と思ってしまったのだ。
一瞬にして、まるで生まれ変わったかのように、声も髪も手も脚も身体も何もかもが別物になっていた。
頭が痛くなってきた。己に降りかかった出来事を頭が処理できなくて、ついつい止まりそうになる頭をなんとか動かそうとする。
そしてあたりを見回すと、そこには。
同じように血を流しながら、今にも息絶えようとしている人間のような何かがいた。




