第四章 終 何もかもが許せなかった
「どうも人と視線合わせるの、怖いんです……」
そう語る真魚ちゃんの表情は、長い前髪で隠れていても伝わるほど大きな不安が感じられて。
「これは少し不味いかもしれませんね」
「えっ、不味いんですか?もしかして私の顔色悪いですか?それとも何か私の顔に変なものでもついてますかっ!?」
あのリリスさんがたじろぐ勢いで、矢継ぎ早に質問を繰り出す真魚ちゃん。相変わらず、独特な距離感だ。
「いえその……随分あなたの顔からは不安のようなものが見て取れたといいますか……」
「リリス、全て言ってしまっていいのかしら?」
「いいも何も、いずれ知ることになるのですから。そのタイミングが早くなるだけです。わたくしもまだ迷ってはいますが……」
おそらくリアさんが躊躇しているのは、その"事実"を伝えることによって、真魚ちゃんの精神をより乱すことだろう。
精神を乱すということはつまり、暴走を早めるということになる。
「あの、何の話しているんですか?」
「えっとね……わたしから言ってもいい?」
「ええどうぞ。あなたから言った方が、向こうも納得しやすいでしょう」
「うん」
「肉体が亜人化してるって、かなり危険なことなんだ」
「やっぱそうですよね……例の鱗まだまだ広がってますし」
亜人の暴走については、あまりわたし自身も詳しくない。何せ、一ヶ月前まではそれについて全く知らなかったのだから。
「亜人は精神を乱すと人の形を保てなくなる……とかで、暴走して完全に人間じゃいられなくなることがあるんだって。だから……真魚ちゃんの精神を何とか万全に保ちたいの」
彼女の長い前髪は、外の世界と自分の世界をいわば遮断しているシャッターのようなものに、わたしの目には映った。
だからこそ、このまま自分の殻に籠りはじめてしまったら、余計に精神を乱すことになる。
孤独な時間は、わたしたちの想像するよりずっと、心を蝕んでしまうのだ。
「もしかして……そういう宗教勧誘ならお断りしますけど」
「あの、そういうんじゃなくて……」
「……芽衣さん。相手の気持ちを聞く前に自分の要求を通そうとするものではありませんよ。気持ちが先走るのはわかりますが、焦りすぎぬよう」
「う、うん」
どうしても、真魚ちゃんと話すたびにあの人狼の女の子が頭に浮かんでしまって、ついつい気持ちが先走る。
「芽衣、一度深呼吸をするのよ。今のあなたは少し視界が狭くなっているわ」
ひっそりと少し離れてから、すーっと息を吸って、吐く。ちょっとだけ視界がクリアになってきた。
「あの、どうしたんですか……?」
「ちょっとした深呼吸、かな」
「何言ってるんですか?」
あっダメだどうしよう。明らかに不審な目で見られてる……前髪越しでもわかる……
「どうにも会話が噛み合わないみたいね」
「うーん……初対面の子相手って何話したらいいんだろ……」
そういえば高校入ってから、ほとんど楓ちゃんか柚葉ちゃんとくらいしか会話してなかったなぁ……
休み時間はいつも本を読んでいたから、誰かがわざわざ話しかけてくるようなこともなかったし。
「あなた、割と人と話すの苦手そうですものね……」
「そうなの……あっ」
ひとつだけ、ひとつだけ糸口を見つけたような気がする。
「真魚ちゃんって、この前本屋さんに来てたけど……」
「はい、それがどうかしたんですか?」
「本、好きなの?」
それを聞いたのか、彼女はゆっくりと、しかし着実に小さく頷いた。
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改めて家に戻って、一日を振り返る。
まだ、胸の奥がザワザワとしているような感覚がある。まるで、自分ではない何かが自分の心を食い破って、這い出てきそうな不快感。
「きもちわるい……」
私の足は洗面所へと向かっていた。フラフラと、まるでゲームの中のゾンビみたいにのろのろと歩く足音が、家の床にかつかつと響く。
「あっはは、ひどい顔だなぁ……」
苦笑いを浮かべる私の顔は、相変わらずひどい顔で。
顔色は明らかに悪く、目の下には濃い隈。目はなんだかどこを向いているかわからないように虚ろで、髪もひどくボサボサ。
記憶にある自分の顔とは、下手したらわからなくなってるんじゃないかと思うほどにやつれていた。
詩音と睦海さんのおかげで、ちょっとは元の自分に戻れたんだと思ったけれど。
いや、もしかしたら、詩音と会った時はもっと、それこそ見てられないほどの顔をしてたのかもしれない。
その時は鏡なんて見てないから、私は知らないんだけどさ。
目を逸らしたくなるほどに、全てが崩れ落ちたあの一日間。
きっと、私には何もできることはなかったんだろう。
だからこそ、私は何もかもが許せなかったんだ。それは芽衣のことでもあり、そして私のことでもあり。
そして、こんな風にしてしまった"世界"のことでもあり。
充電器を繋いでおいた、携帯電話が鳴る。
詩音からのメッセージだ。
『楓ー。明日は休みだから心休めなね』
私はそのメッセージに対して、一言。
『わかったー。休むね』
そのまま、私はゆっくりと死んだように眠り始めた。




