第四章 18 その刃はどこへ向くのか
「ーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
握った刃物が、肉を引き裂く感触をそのまま私へと伝えていく。
驚いたような顔で、彼女が私の事を見つめる。
周囲には、赤黒い液体が飛び散っていた。
黒いモヤモヤだった"それ"は、もだえ苦しむようにしてその場に蹲っていた。
顔も手も足もどこにあるかわからないのに、自然とそのシルエットがわかるようだ。
「や、やった……私………」
「……相手が動きを止めたので、トドメは私が刺しましょう」
「……ふんっ!!!」
何度も、何度も肉を裂く感触が身体を伝う。そのたびに、何か気分が上がっていくような、自分の中のモヤモヤとした何かが晴れていくような、そんな感覚があった。
周りの声も、黒い怪物以外のものも何も見えない。
私が、私がこいつにトドメを刺すんだ。睦海さんを助けなきゃ。
5回、10回。数えるような余裕なんてなかったけど、何度も刃を振り続けた後。
黒いモヤモヤの怪物は、塵のようになって風の中に消えていった。
"まだ、まだ足りない。"
"もっと、私にこいつを殺させてほしい。"
やった、やりました、私。
ふと、後ろを振り返る。
そこには、おびえたような目で私を見る睦海さんの姿があった。
あれ?何で助けたのに、そんな怖いものを見る目で私の方を見ているんだろう。
頬から流れた血を拭うより前に、私の方をずっと見ているんだろう。
やがて、頭がすーっと冷えていく。どうしようもなく熱くなっていたものが、やっと平常な温度にまで冷めていく。
そうか、そうだ。私。
笑ってたんだ。
これまでにもないくらい。今まで、ないくらいに心から。
自分の口角が上がって、戻らなくなっていたことに気づく。
「す、すみません睦海さん。なんか……つい我を忘れて攻撃しちゃいました。こういうのって、よくあるんですか?」
「麻倉さん。あなたは……」
「どうしちゃったんですか、そんな目で私のこと見て。私、やったんですよ?こうやって、睦海さんの顔に傷付けたやつを」
「いえ、何でもありません。それよりも、早く家に帰りましょう。親御さんも心配しているのでは?」
「ところで、この黒いモヤみたいなのって、いったい何者だったんですか?」
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「ところで、この黒いモヤみたいなのって、いったい何者だったんですか?」
私は自分の認識がまだまだ甘かったことを思い知らされました。
詩音とのやり取りで、徐々に正気に戻っていったものだと思っていました。
亜人狩りがいくら人手不足とはいえ、単なる一般人で運動神経もそこまで良くはなさそうな麻倉さんを戦力にすることは、私は考えていませんでした。
亜人との戦いは常にすべてが命がけ。故に、無理に戦場へと出て命を散らした亜人狩りを、私は2人、3人どころでないほどに見てきました。
だから、私は彼女に亜人狩りになるのを機を見て止めさせようと考えていました。
まだまだ精神が不安定である彼女を、安定してから家に帰し、単なる夢か何かだったと思わせて。"普通の日常に戻そう"。
それが私の考え、だった。
やがては、彼女も普通の日常へと回帰し、私たちの世界のことなんて忘れると。
「いえ……あれは亜人の成れ果てです。ああなってしまったら、もとに戻る手段はない。私たちが主に狩る対象……」
「へぇ、そうなんですか。ところで、それは主にどこにいるんですか?」
「もしや……貴女。"まだまだ狩るつもりですか?"」
思っていたことがつい口をついて出てしまう。いや、これを聞かずにいることがどうしていられようか。
「決まってるじゃないですか。それが亜人狩りの仕事なんでしょ?」
「むやみやたらと狩り続けるのが、私たちの仕事ではありません」
亜人の成れ果ては、それほど数が多いものではない。
暴走まで至り、人の形を失ってしまうというケースは、この平和な現代日本においてそう起こるものではなかった。
近頃は何故か成れ果てとなる者が増えてきてはいるものの、原因は私たちが調査している真っ最中。
急にその現象が止むことだって、考えられる。
その時点で、むやみやたらに狩る対象ではないということは、詩音や私、有栖川さんたちも認識していることだ。
だが、目の前の少女にそんな認識はない。
不満げに口を尖らせる彼女の前に、どこまで事実を話すべきか。
「亜人の成れ果てというものは、そもそもそこまで数が多くないんですよ。探して狩れるようなものじゃないです」
「じゃあ、見つけたら狩れるように教えてください」
「そもそもあなたはまだ新人です。そんな風に死地に飛び込み続けるような真似をしたら、いずれ……」
「睦海さん……何で、私の事責めるんですか?私、睦海さんに協力して、恩返しをしようって、思ってただけなのに」
「責めているわけではないです。私はあなたにあくまで事実を伝えようと……」
ああ、この感覚は。
今、パートナーとなっているあの少女と出会った時の感覚と、近いものだった。
「ボクはさぁ、亜人ってすっごい可哀想な生き物だと思うんだよね」
「だからさ、ボクがいっぱいそういうやつ殺したら、睦海だって褒めてくれる?」
私は彼女が昔から語っているその理屈に、今でも効果的な答えが見つけられないでいる。
あの偏った考えでは、いずれ身を滅ぼすと。
もしかすれば、それは私の余計なお世話か何かなのかもしれない。
それでも、私は。詩音に。麻倉さんに。殺しを楽しむようにはなってほしくない。
あくまで、非常事態にだけ動く存在であってほしい。
ですが、麻倉さんの言葉はその理想とはかけ離れたばかりのものだった。
ああ、どうして刃を握る人間は、皆こうなってしまうのでしょうか。
「麻倉さん、早く家に戻ってください。仮に亜人の成れ果てに遭遇したとしても、無視して帰ってください」
「……わかりました。睦海さんがそこまで言うなら。帰ります。でも、明日からもちゃんと、私に仕事させてください」
これ以上の説得は、おそらく無意味でしょうね。
何故なら先ほどの戦闘は、彼女に"相手を圧倒し殺すこと"への、快感を覚えさせてしまったのですから。
その刃はどこへ向くのか。それが自分に向かうことがないように、見張る事くらいしか、私には出来ないでしょう。




