第四章 5 第二の故郷
列車から、駅へと降り立つ。
どこか懐かしい潮の香りに、いつも見るよりも高い空。
「着いた……!」
ずっと座っていて凝り固まったようになっていた身体をほぐすように、大きく伸びをする。
その瞬間、とてつもない解放感で気分が良くなった。
「長い列車の旅だったわね……」
「リアは列車は苦手ですか?」
「……苦手ではないけれど、今日の列車はスピードが早くて少々酔ったわ」
リアさんの顔色は、かなり青くなっていた。肩を貸すように、そっと彼女の方へと近づいていく。
「酔ったときは……遠くの景色を見ればいいんだって」
「ありがとう……助かるわ」
「それにしても……きれいな海ですね。芽衣さんが元気になる気持ちも少しわかります」
「昔来たときと全然変わってないなぁ。なんだか、その頃の気持ちに戻れそう」
「さながら、あなたの第二の故郷と言うべきでしょうか」
第二の故郷。というほどに馴染みがあるわけではないけれど、いざ来てみれば懐かしさで何だか胸が温かくなっていた。
ここのところ、本当に大変なことばかり起きていたからなのかもしれないと、わたしは思った。
「いつまでここにいられるかはわからないけど……でも、ここでなら何とかやっていける気がする」
「そうですね、資金もそのうち底を尽きますし……それにいずれはあなたにとっても選択をする時が来るでしょう」
「選択?」
「人間として生きていくか。吸血鬼として生きていくか、ね。あなたはもう身体がほぼ完全に吸血鬼になっているとはいえ、まだあなたの心は人間のそれ。だからなんとかごまかして人間として生きていく道もある」
あんなことがあったあとでも、まだわたしには人として生きていく道がある、だってその心は人間なのだから。とリアさんは言った。
「ただ、完全に吸血鬼になるのであれば、あなたは家族との繋がりを完全に断ち切り人間社会から外れることになる。それはあなたにとっては耐えきれない孤独になる恐れもある。だから、いつかはそれを選ぶことになるのよ」
リアさんやリリスさんはもう400年以上生きているという。
それは人間が生きる時間に比べれば遥かに長い時間だ。もし、わたしもそうなるのだとすれば、それは葉月ちゃんや、他の大切な人たちもわたしより先に歳を取って先立つということを意味する。
「まだ……わからないなぁ。でも、こうやって町を出たっていうのは、その選択を決める時に近づいている……ってことなのかな、って」
「……そうかもしれませんね」
周りを見てみれば、アスファルトで舗装された道がずっと続いている。
けれど、この道はずっと続いているわけじゃなくて、いずれはどこか別の場所に身を置くことを選ばされる。
本当に、大変なことになってしまったな、と思った。
「目的地はどのあたりかしら?」
「もうすぐ着くはずだよ」
「なんだか、今日の芽衣は頼もしいわね」
「え、そうかな?」
リアさんから言われた意外な一言に、つい少し間抜けな声が出てしまう。リアさんにそんなこと思われたの、初めてかもしれない……。
「意外ですね。まさかリアからそんな台詞が出るなんて」
「そうかしら?別にそこまで珍しいことは言ってないと思うけれど」
「あなた人を頼るのが病的に苦手ではないですか。そんなあなたが誰かを「頼もしい」と思うことなんて、滅多にないと思いますよ?」
「一言多いわよ。人に物事を頼りにするのが苦手なのは認めるけれど」
「あら、今日のあなたは随分と素直ですね」
「そういうあなたは随分と口が回るのね」
「ふふ、いつものことでしょう」
2人のそんな会話を聞いていれば、気づけば目的地。
目の前には、小さな庭に囲まれた民家。昔……小学校に上がる前にお世話になった、水谷さんという人の家だ。
家の前の庭には、お父さんくらいの歳の男の人と女の人が、わたしたちのことを待つように立っていた。
よく日焼けした背の高い男の人…伸治さんと、少しふくよかな体型で優しい笑顔を浮かべる女の人…綾香さん。
「こんにちはー」
「こんにちは、長旅で疲れたでしょう。ゆっくりしていきなさい」
「おうこんにちは、それにしても順くんに似てきたねぇ。目元なんてそっくりだ」
「あはは……よく言われます」
あんまり自覚はなかったけど、わたしはお父さん似らしい。本を読むのが好きになったのも、元はお父さんの影響だ。
「こんにちは。アリシアと申します。芽衣さんにはいつもお世話になっております」
「……ツバキ、というわ。よろしく」
「この子たち、芽衣ちゃんのお友達かい。えらいべっぴんさんだねぇ」
「そうなんだ。アルバイトしてるところで知り合ったのがきっかけだったんだけど……」
「あの小さかった順くんの娘さんがねぇ。いやあ時が過ぎるってのは早いもんだ。こりゃ俺も白髪になっちまうのはもうすぐか?はっはっは!」
豪快に笑う伸治さん。前に会った時も、そういえばこんな人だったなぁと思う。
「気が早いですよ。ささ、立ち話もなんですし、案内するわね」
そう促されると、靴を脱いで揃え、家に上がる。木造の古い家で、わたしの家とはまた違う、少し懐かしいようなにおいがした。
「……なるほど。ある程度見渡してはいたのですが。お2人は民宿を経営されているのですね」
「そうですよ、うちの主人と2人で始めたほとんどお客も来ないような所だけどね。芽衣ちゃんがあまりにも焦って電話してくるものだから、どういうことかと思ってねぇ」
事情については、吸血鬼のところは上手く伏せて連絡を出来た……と思う。とにかく、今いる場所にいることが危険だということと、そのために仮でも住まいが欲しいということ。その2つさえ伝えれば充分だと思ったから。
「わたくしたち、完全に理由ありですけれど、大丈夫だったのですか?」
「いやあ、理由ありでもなんでもお客に泊まるところを提供できないんじゃ、それは失格っていうものよ。その後のことについてはあんまり深く聞かなかったわ。それに、順くん……あの子のお父さんにも色々助けてもらったしねぇ」
「今度、そのお話を聞かせてもらいませんか?ちょっと興味がありますので」
「あんまりおもしろい話でもないわよ?その時は是非」
リリスさんはもう綾香さんと打ち解けている様子だ。やっぱりすごいなぁ……。
一方、リアさんの方はどこか居心地悪そうにしている。
「はぁ……どうにも慣れないわね」
「慣れない……?」
「ええ。この状況がよ。他所に逃げ込むとなっては、避けられるのが常だもの」
「うん……わたしも、水谷さんのことを知らなかったら、もうちょっと大変だったと思う」
「そういうわけではないのだけれど……まあいいわ。何にせよ、何もないことを祈るしかないわね」
そう語るリアさんの目からは、確かに不安というものが感じられた。
けれどその正体を理解することは、今はできそうになかった。




