第三章 終 もう迷わないで
ようやく、目が覚めた。
抜け出せない闇の中で、苦しみながらずっともがいていたような感覚。そうだ、わたしはこれまで……。
頭がふらふらする。視界も揺れて視点も定まらない。
そんなわたしを、リアさんと葉月ちゃんが不安げな目で見つめていた。
「芽衣。ようやく目を覚ましたのね」
「うん……ずっと…ずっと苦しい闇の中にいるような感じだった」
葉月ちゃんの話によれば、わたしはこの3日間ほとんどまともに会話もできず、近づけば急に掴みかかってきたりしてたらしい。思っていた以上に重症だ。
あのときのショックは、自分自身が思っていたよりもずっと重たくて、耐えきれないものだったらしい。
「今日……学校終業式だけど、どうする?出る?」
「うーん……正直に言うと、出たく……ないかな。あんなことしておいて、クラスの子達に顔向けできないし……それに……」
暴走していたわたしを見つめる楓ちゃんの視線。あれが、頭に焼き付いて離れない。
あの視線は、間違いなく憎悪と侮蔑に彩られていた。
「無理に外に出ることはないわ。今のあなたはおそらく、少しの刺激で爆発してしまう爆弾のようなもの。ショックが起きるかもしれない場所に行くべきではないわ」
「この人から聞いたよ。今の芽衣ちゃんは、すっごく不安定なんだって。色々、事情も聞いちゃった。すっごく大変だったんだって」
「ごめんね……葉月ちゃんも心配かけちゃって」
「それはいいんだよ。謝らないで。今だって信じられないし、こうなる前に聞いててもきっと信じなかったと思うから。だから、芽衣ちゃんの苦しくない道を選んで。」
頬を何か熱いものが伝った。わたしは一体、どれだけの人に支えられて生きてきたんだろう。お父さんやお母さんもそうだ。ずっと優しさに生かされているんだ。
「ちょっとどうしたの!?泣いてる!?」
「あはは……なんか、葉月ちゃんがそう言ってくれたの、すごく嬉しくって」
「うう……芽衣ちゃんの情緒がよくわかんないよ……!」
そう言っていた葉月ちゃんも、少し泣きそうな顔をしていた。
「落ち着いたようで良かったわ」
リアさんが口を開く。
「うん……」
「リリスから、話があるそうよ」
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「くっそーー!」
腹が立つほど自己主張の激しい日光。陽炎が出そうなほどに熱く火照った道。ボクはそんな真っ昼間の道を歩いていた。
事務所から10分ほどのコンビニに向かうのすら、ものすごい重労働に感じる。
「まさかゲームに負けたからってパシりとか……あの変態め……つーか睦海もなんか言えっての……」
遡ること10分ほど前。
「あっつーーー………エアコンくらいつけろって……」
「ここお金ないからエアコン付けられないんだってさ。亜人狩り事業も大変だよね」
相澤優斗が涼しそうな顔でそんなことを言う。いや、なんでこいつはこの暑さで平気なわけ?隣の脳筋バカも珍しくしまりのない顔でへたりこんでるけど?
「大変ですが我慢してください。せめて熱中症にならぬよう水分補給はしておくように」
「そういう睦海も超暑そうじゃん。平気なわけ?」
「平気な方がおかしいでしょう。今日の最高気温33度ですよ?しかも8月にはもっと上がるんです」
よく見ると睦海も顔を真っ赤にして大汗をかいていた。いつもの無表情も心なしか保ててないように見える。
「そうだ。僕から考えてることがあるんだけど」
「今から対戦ゲームして最下位になった人が全員分のアイスを買ってくるっていうのはどう?」
そして見事に乗っかり、ボロ負けしたのがボクだ。自分のことながら噛ませ犬みたいで不愉快なシチュエーション。次勝負したときはボコボコにしてやる……!
流れる汗をハンカチで拭いながら道を歩いてると、ふと見慣れない人陰が目に入る。
ボクと同い年くらいだろうか。私服で歩いてるあたり神楽坂高校の生徒じゃなさそうだけど。
でも気になったのは、その人物が頭から血を流し、電柱に寄りかかって何かを呟いてるってことだった。
「おーい、こんなところで何してるのさ」
ボクはその人物が気になって、ついつい声をかけてしまった。
「……何?」
かすれた声で呟きながら、その人物は振り返る。
ボサボサの髪に薄汚れた服。目に濃い隈を作ったその顔は、見覚えこそなかったがとりあえず「何かがあった」ということだけは理解できた。
「……なんか訳ありっぽいな。何でこんなとこにいるの」
「知らない。あなたには関係ない」
「関係ないことないでしょーが。電柱に頭叩き付けてる女見かけて通報しないだけでもありがたいと思えっての」
「……そう。とりあえずあなた誰?このへんの人?」
「神楽坂高校1年の黒川詩音。そっちは?」
「私?私は……」
「……2年の麻倉楓。もっとも、今じゃもう行くとこないけど」
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少し時間が経ってから、ドアを開けてリリスさんが部屋に入ってくる。
「少し顔色は悪いですが……このくらいなら大丈夫そうですかね。直によくなるはずです」
「ありがとう。それで、話って?」
「ええ、そのことなのですが」
「これから、わたくしたち3人はどういたしますか?」
「……あの、それって」
葉月ちゃんが、ショックを受けた顔で詰め寄る。
「勿論この事についてはあなたにも伝えようと思っていましたよ。ですが、あなたは残念ながらわたくしたちはもう一緒にいられません。……あなたにも危険が及ぶからです」
そう伝えるリリスさんの横顔は、悲壮に満ちていた。葉月ちゃんと仲が良かったリリスさんにとっても、それはきっと辛い選択なのだろうと思った。
「現在、わたくしたちはおそらく亜人狩りに狙われる対象にもなりかねないでしょう。それに、例の人物もいつ葉月さんをターゲットにするかわかりません。なので、今まで通りの生活は出来ないでしょう」
可能性は考えていた。けれど、改めてそれを突き付けられると、胸がどんどん痛くなっていった。
「なら、どうすればいいの……?」
「勿論、あなたがこっそりとこの町で生活するという手もあります。わたくしの能力もありますから、姿形くらいいくらでも変えればなんとでもなります。まあ、『吸血鬼である』という気配だけは消せませんから、いずれは亜人狩りのターゲットになるでしょう」
もちろん、わたしはこの街は好きだ。生まれてからずっと暮らしてきて、大切な人がたくさんいるこの街が。だからこそ、わたしはずっとこの街で、学校で、暮らす道を選んできた。
けれど、なんとなくこの今までの現状維持という道が、もしかしたらわたしにとって最悪な選択肢だったのかもしれないという、そんな考えはあった。
「……葉月ちゃん、リアさん、リリスさん」
「うん」
「ええ」
「はい」
「……わたし、街を出ることにするよ。この街は好き。思い出だっていっぱいあるし、お世話になった人もいっぱいいる。だからこそ、もうそんな人達を危険に晒したくないの。それに」
「……わたしが迷ってたせいで、こんなことになっちゃったから。だから、もう迷わないで、進むって、決めたから……」
この先の言葉は、涙声で上手く出なくて、その後は何を言いたいのか、わからなくなってしまった。




