第三章 18 一人で抱え込まないでよね
「芽衣さんはまだ……ですか」
「ええ。もう三日も魘されたままよ。出した食事にも未だに手を付けていないわ」
遡ること三日前。わたくしたちの前に『最悪の事態』が起きました。
悪意のある何者かにより、芽衣さんの暴走が引き起こされ、更にその様子を友人に目撃された。
彼女の日常は、完全に崩壊しました。そして何より、精神が保てなくなった。わたくしたちが何か助けの手を伸ばそうとすれば叫びながら拒絶され、今もこうしてまだベッドの上で苦しみ呻き声を上げ続けています。
「眠っている間は大人しいですが……起きている間の彼女の姿は見ていられたものではありませんね」
「それは私も理解しているわ。もう芽衣は私達の顔もまともに見られていない。それもそう。彼女からすれば、自分を人間ではない何かにした元凶の一人。恨まれていても仕方ないわ」
「……リア」
「何かしら」
「ちょっとこっちを向きなさい」
何かが弾けるような音が、響きました。
これは少々、やり過ぎましたかね。ですが。
「あなたからそんな言葉は聞きたくなかったです」
「…………」
はっとしたように、わたくしの方を見るリア。いいんです。あなたはそれでいいのです。
「もしあなたが血を分け与えていなかったら、彼女はもう死んでしまっていました。あなたは彼女の命を救ったんですよ。それを……否定するようなことを言うのは絶対にやめなさい。それは芽衣さんが今生きていることも否定することになる。……あなたはそれでいいんですか」
「良いわけないでしょう。……なら、何故、何故こんなことになっているのよ」
「それは……っ」
いけませんね。言葉が出てきません。それに、この一件で犠牲になった者だっています。天野柚葉さん。芽衣さんの友人。わたくしは彼女のことをよく知りませんでしたが、少なくともこんな風に殺されて良いような人物ではなかったはずです。
「……芽衣さんが落ち着いたら、また3人で話をしましょう。わたくしたちだけでは結論は出ません」
「……そうね」
ふと、何者かが階段を駆け上がる音が聞こえます。後ろを振り返ると、そこには。
「あ……芽衣ちゃんの様子、今はどうなってますか?」
「3人で話、ではないですね」
「4人、ね」
不思議そうに、葉月さんは首を傾げていました。
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教室の机に添えられた、ひとつの花瓶を見る。
そいつは一人のクラスメイトが生きて『いた』。それでいて、そいつが死んでしまったという事実を、いっそ残酷なほどに俺たちに示していた。
「有栖川、お前って天野と仲良かったっけ?」
ふと、俺のもとに近づいてくる人影があった。
「えーっとお前は……高橋か。」
「えーっととは何だ、お前ずーっとボーッとしやがって。」
確か、このクラスの学級委員長だったはずだ。クラスメイトとの交流もほとんどない俺は、未だにそいつらの名前すらうろ覚えだ。もちろんこの高橋とは話したことすらほとんどない。
そんなやつが俺に話しかけてきたということは、まあ……よっぽどなんだろう。
「補習が一緒だっただけだよ。ま、ちょっと会話はしたけどな。あと先月入院したときに見舞いに来た」
「それは仲良いって言うんじゃねえのか」
「かもしんねえ」
実際、天野に対して悪くはない感情を抱いていたのは事実だ。一方的に喋る癖があることと楽天的なことだけは気にかかるが、それはそれとしてよく笑う奴ではあった。
「なあ高橋」
「うぉっ!?なんだいきなり」
存外失礼なリアクションするやつだ。
「ただの赤の他人に近い俺が、こんな風にこいつのこと悲しむ資格ってあるのかって、考えちまうんだよ」
俺は亜人狩りだ。勿論、何でもかんでも狩ってるわけじゃない。だが、そいつらだってもしかしたら生活があったのかもしれない。友達や家族がいたかもしれない。
そんなことを考えると、たまに手が止まってしまうようになった。
そんな、人としても亜人狩りとしても半端な俺に、人の死を悲しむ資格など、あるんだろうか。
「めんどくせーな。お前が悲しむって気持ちがあるなら、それは資格とか関係ないんだよ。自分の気持ちに嘘つくな」
「おう……わかった。そうだな、そうだよな」
「難しいこと考えてるとハゲるぞ?」
なんか余計なこと言われた気がするがまあいい。
「あと、終業式もうすぐ始まるから。遅れるぞ」
「はいはい」
気だるげに返事をしながら、俺は教室を出た。
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闇の中に意識が沈む。
どこまで沈んでいくのかわからない、まるで暗い冷たい海の底へと行ってしまったかのように、わたしは沈み続ける。
抜け出そうともがこうとしても、より強く沈む力が強すぎて、わたしは全くそれに抗うことができない。
「…、…、……」
声が全く出ない。かすれた息のようなものは出ても、それが何かのメッセージとして出ることは全くなかった。
誰かがわたしをどこかに引きずり込む声がする。
わたしはそれに必死に抗っていた。
そんな風景を心の中に見て、もう何日が経ったかわからない。
外の世界は、もう見えない。
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「まず葉月さんに伝えておくことがあります」
「はい。」
しっかりと、アリシアさんの目を見る。
「彼女は現在、精神が崩れて会話すらも出来ない状態なのはご存知ですよね?」
「はい。昨日も朝起こそうとしたら、叫びながら掴みかかってきて……」
あの時の芽衣ちゃんの顔は、今まで見たどんな顔より苦しそうだった。
ずっと姉妹として暮らしていた私でも見たことがない程の、苦しみに満ちた表情。
妹として、そんな状態になっていたことを何も知らなかった。一体私のお姉ちゃんは……どこでそんな苦しむようなことになっていたんだろう。
「どこから話すべきでしょうかね……」
悩む仕草を見せるアリシアさん。それでも、私はもう突っ走るしかなくなっていた。
「全部話してください」
「そんな、ことが……」
いきなりの情報量に、頭がパンクしそうになる。目の前のお姉さんは吸血鬼で、自分のお姉ちゃんはもう吸血鬼になっていて。
「もう、もうわけわかんないや」
涙がこみ上げてきた。だって私は、こんなに芽衣ちゃんが苦しんでいるときに何も出来なかったんだから。
「驚いたでしょう?」
「すっごく驚きましたよっ!でも、最近顔色悪かったり帰りが遅かったりっていうのは不自然だったし……なんかモヤモヤは取れた気分です」
「それは良かったです。芽衣さん自身も迷っていたようでしたから」
「迷ってたーー!?まったく芽衣ちゃんてば!妹なんだから、もうちょっと信用してくれてもいいのに!」
ショックな気持ちより、安心した気持ちの方が大きかった。だって、それは芽衣ちゃんなりの私への気遣いだったんだから。
「一人で抱え込まないでよね、まったく……」
そう小声で呟く。リリス……さんには、聞かれてなさそうかな。
「リリス」
階段から人が降りてくるのとほぼ同時に、声がした。
「芽衣が目を覚ましたわ」




