第三章 15 1%の可能性
「……芽衣」
まだ血にまみれてしまっていた顔で、リアさんはわたしの方を見る。
「もし向かうなら、私も連れていって」
「でもリアさん、まだ傷が……!」
「……あなたに渡した薬の中に、血の生成を早めるものがある。それを渡して頂戴」
頼まれて、そのままカバンの中を漁る。さっきの攻撃で吹き飛ばされて中身はぐちゃぐちゃになっていたけど、何とか錠剤の袋は無事だったみたいだ。
それよりも、破けたペットボトルの水がかかってダメになってしまった、読みかけの本が気になって仕方なかった。
「……どうしたの?」
「その、中の荷物色々ダメになっちゃったみたいで……」
「あれだけ激しい戦闘をした後だもの。それはそうなるわよ」
「へへ、なんか、こういうときまでこんなこと気にしちゃってごめんなさい……」
「別に気にしなくていいわよ。あなたにとっては大事なものだったのでしょう?」
わたし以上に大変なことになっているのに、こんな時でもリアさんは優しかった。
口を開ける彼女に、ゆっくりと錠剤を渡す。口の中で錠剤が転がされるのを、わたしはそっと見守った。
リアさんが無事に飲めたのを確認すると、携帯電話の音が不意に静寂を破る。
おそるおそる携帯電話を取ると、そこにはリリスさんからの着信があった。
「……もしもし」
「もしもし。そちらの首尾はどうですか?」
聴こえてきたのがリリスさんの声であることに、安心する。何かがあったというわけではないみたいで良かった……。
「うん、まあ……色々あったけど、そうだ。柚葉ちゃんの居場所がわかったよ」
「そうですか、それは良かったです。わたくしも今からそちらに向かいましょう」
何かの罠かもしれない可能性は少し頭をよぎったけれど、最早それすらわたしは考えている余裕がなかった。
「それで、少し……いえ。あとの話は一度落ち合ってから聞きましょうか。大事な話がありますので」
「……大事な話?うん。わかったよ。じゃあ、一旦リリスさんの家で合流するのはどうかな?まだ、わたしの方からも話したいことあるし」
「……そうですね、丁度いいでしょう。では」
リリスさんの言う「大事な話」というワードに、思わず身構えてしまう。一体、リリスさんは何を知ったんだろう。
「……芽衣。リリスと何を話していたの?」
「リアさん!もう大丈夫なの?」
「ええ。もう問題なく動けるわ。随分と血を使ってしまったから、100%の力というわけにはいかないけれど」
錠剤のおかげか、リアさんはもう万全そうな様子で、改めてあの技術のすごさを実感する。吸血鬼の医学って進んでるんだなぁ……。
「リリスさんから、後で合流するって。あと、ちょっと大事な話があるって言ってた」
「……そう。大体察したけれど。あとはとりあえずまずはこの恰好をどうにかしたいわね……」
さっきは気づかなかったけれど、当然あれだけズタズタにされてしまったということはつまり着ている服も無事じゃないわけで……。
「うん、とりあえず、急ごっか。」
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目的地のインターフォンを押す。すっかり見慣れたリリスさんの家だけど、妙に手が震えてしまった。
「あら、早かったですね」
「急いで来たもので……」
そう言うと、リリスさんはわたしたちを眺めるようにして見る。
「なるほど……しかし、それにしてもひどいやられっぷりですね、リア」
「うるさい」
リアさんの方は、どうやら返す元気がないみたいだった。リリスさんは元気そうだったけど。
「麻倉さんが既に目的地に走って行っているので、簡潔に伝えておきましょうか。リアはとりあえずこれに着替えておいてください」
「出来れば身だしなみも整えたかったのだけど……麻倉さんがあちらに向かっているというならば急いだ方がいいわね」
「楓ちゃん……大丈夫なの!?」
不安が募る。楓ちゃんは単なる人間で、わたしたちのような不死身の身体も再生能力もない。もし何かされてしまったら、終わりだ。
「大丈夫かはわかりません。わたくしの方から伝えた時には疲れていたのか眠ってしまっていたので、何分か遅れるとは思いますが……」
相手は本当に何をしてくるかわからない。物語の悪役じゃないんだ。だから、お約束通りちゃんと待ってくれてるかもわからない。
「それで、話というのはその麻倉さんについてです」
「楓ちゃん?」
リリスさんから、彼女の名前が出るのは意外だった。それよりも気になるのは、リリスさんがとても苦しそうな顔をしていたことだ。
「ええ……。まず前提条件を共有しておきましょうか。彼女はあなたが吸血鬼であることを知らない、という認識で間違いありませんね?」
「……うん」
「結論から言います。あなたは自分の正体を彼女に話すべきです。彼女はあなたが何か隠していることに勘づいています。
……いつかは来るべき決断。いつまでも隠していられるなんてことは、そんなことはないと思っていた。それでも、わたしはどこかですがっていた部分はあったのかもしれない。
そう、普段通りの日常がいつまでも送れると。
「わたくしたちとて、こうなってしまったのはとても心苦しいです。ですが……こうして麻倉さんや、天野さんにも危険が迫っている以上、もう隠す意味はありません」
「……わかった。それは本当に、リリスさんの言う通りだと思う。でも、わたしはそれ以上に怖いんだ」
「怖い……ですか?」
「わたしと楓ちゃんとの関係が、壊れるのが。……ごめんなさい。今、そんなこと言ってる場合じゃないのに」
楓ちゃんは、中学時代からの友達だ。だからこそ、自分が化け物になってしまったとしても信じてくれる。そう思ってる。でも、1%の可能性が、受け入れてくれない可能性が。わたしに二の足を踏ませる。
「……人間って難儀なものね」
「あらもう着替えたのですか?」
「悪いかしら」
「別に。……それで、芽衣さん。あなたの苦しみは大いに理解できます。ですが、あなたには堂々としていて欲しいのです。……せっかく、リアから貰った命なのですから」
そうわたしの方を見るリリスさんの目には、いつしか涙が溜まっていた。苦しんでいるのは、わたしだけじゃないんだ。それに……おそらく楓ちゃんも。
わたしは、何も言えずに小さく頷くしかなかった。
「相変わらずおせっかい焼きなのね」
「愛する人がこう苦しんでいるというのに、あなたは何もしないのですか?」
「そこまで干渉しないだけよ。……それに。いずれその選択は芽衣自身がしてくれると信じていたから」
リアさんは、いつでもわたしを信じてくれている。リリスさんは、いつもわたしを心配してくれている。
その信頼に応えられているのかどうか、わたしはまたも不安になってしまった。




