第三章 9 無理くらい、する
「芽衣、体調に異常はない?」
二人きりになったところで、リアさんがわたしの顔を覗き込むように近づく。
毎回『これ』をやられるたびに、ついついこっちは顔が赤くなってしまう……。
「だ、大丈夫、です……」
「そんなにかしこまらなくても良いのに」
最近わかったことだけど、リアさんは距離感のオンオフがとても独特だ。離れるときはどこまでも離れていくけど、近づくときは驚くほど寄る。
それがきっとリアさんの距離感なのだろうけど、まだまだ『慣れない』部分だった。
「でも顔が真っ赤よ?熱でもあるのではないかしら?」
「そ、そうじゃ、なくて……」
それはあなたのせいです……!とは、とても言えなかった。
「必要ならば私の血を吸って、と言おうと思ったけれど。その必要はなさそうね」
「まだ昼間ですしリリスさん戻ってきたらどうするの……!あと葉月ちゃん、葉月ちゃんにだけは見せられないから!」
「……そうね。リリスがまだ戻ってきていなかったわ。ああなると長いから大丈夫だと思ったのだけど」
そうでなくてもこの真昼間に血を吸うのは……色々とまずい気がする。なんだか。
「芽衣、ここにある本、いくつか読んでもいいかしら?」
「大丈夫だよ、ちなみにどういう本?」
「これなのだけど」
リアさんが取り出したのは、明治時代の有名な文豪の全集だった。
確か、読書をするならそういうのも読んだ方が、といってお父さんが買ってきてくれたような覚えがある。
「少し前の時代の物語というのも読んでみたくて。これはいつの時代のものかしら?」
「確か、えーっと……明治時代だから120年前くらい?もっと前かな?」
「私がこの国に来る前ね。なるほど、そんな時代の文学まで残っていると」
「あの、リアさんは。どうしてこの国に来たの?」
リアさんが外国生まれだということは、確か前に聞いたような覚えがある。
でも、それについてわたしは詳しく知らなかった。
「ある人を追うためよ」
「ある人……」
昔の大切な人。家族?吸血鬼に家族ってあるのかな。いや。でも、なんとなくそんな風なニュアンスには聞こえなかった。
「この国で、この街で芽衣と巡り会ったのは全くの偶然。本当は私には別の目的があるの」
リアさんの目的。そんな話は初めて聞いた。そんなことは聞いたことがなかった。
「でも、今はそんなことよりもあなたの方が大事よ。それだけは自信を持って言える。だからこそあなたにひとつだけ聞きたい」
「ひとつだけ……?」
「今の生活を捨てて、完全に吸血鬼として生きる気はないかしら?」
思ってもない提案だった。
今のわたしは、人でも吸血鬼でもない中途半端な存在。
それはきっと、今のわたしの生活にも現れていて。
「その返事、保留しても、いいかな」
なんとか絞り出した声は震えていた。
でも、わたしにはまだ選べなかった。
どちらかを取れるなんて、思えない。
どちらだって、わたしにとっては大切なものなんだ。きっと、リアさんもわたしのことを想ってその提案をしたんだと思う。
それでも、どちらかを切り捨てなくてはいけないなんて選択は、今のわたしには果てしなく残酷な選択だった。
「……そう」
それだけ言うと、リアさんは目を逸らして、手に持っていた本をぺらぺらとめくり始めた。
どこか寂しそうな背中だけが、目に入る。
わたしも、どうしようかな。そういえば、昨日買った本があったんだっけ。読まなきゃな。最近、積んじゃうから気を付けないと。
「あら、何やらただならぬ雰囲気ですが、一体何を話していたのですか?」
「わっ、リリスさん!?」
「何、帰っていたの。帰っていたならノックくらいして頂戴」
ボーっと少しだけ本を読んでいたら、リリスさんがいつの間にか戻っていた。
「少し嫌な予感がして、麻倉さんの送り迎えをしていただけです。そうしたら……案の定でしたね」
「ちょっと話をしていただけよ。それにしても、そちらも大変だったみたいね」
リアさんに合わせて、わたしも本を閉じる。
「ええ。亜人だった『もの』3体と交戦しました。そのうちの1体は麻倉さんに襲い掛かっていましたから、本当に間一髪でしたね」
「えっ、楓ちゃんが……!?」
びっくりした。リリスさんがいなかったら、楓ちゃんもきっと無事じゃなかったはずだ。
「麻倉さんが襲い掛かられていたというのもそうですが、この数は正直異常ですね」
「リリスさん……その。ありがとう。楓ちゃんを助けてくれて」
「どういたしまして。でも大したことではありませんよ。あなたのお友達である以上当然です」
リリスさんはそれでも余裕の表情で、やっぱり大人だなぁ、と思う。何十倍も生きている相手に、それもないかもしれないけど。
「やはりこの街で何か異常が起きていることは確実ね」
「ええ。明日また……天野さんでしたっけ?その方の捜索も進めなくてはいけません。この状況で放っておくわけにもいきませんから」
「ねえ、リリスさん……」
わたしは思わず、彼女の袖を掴んできた。
「それ、わたしも力になれることはないかな?」
「もともとあなたは同行させるつもりではありましたけど……とはいえ先程学校を早退してきたばかりですから無理は……」
「無理くらい、する。だってずっと二人に守られているばかりじゃ、自分の生きる道も決められないようなわたしじゃ、足を引っ張るだけだから。だからお願い、します。だから……」
気がつくと目に涙が滲んでいた。ここ最近感じていた、うっすらとした何か寂しい感情。
それは、わたしがリアさんやリリスさんの、足を引っ張っているんじゃないか、ってこと。
「芽衣っ!芽衣……!。あなたは、足を引っ張ってなどいないわ。だから、だからあなたは、そんな顔はしないで!」
リアさんの今までにない必死の形相と大声に、思わずはっとする。縮まっていた視界が、急に開けたような気がする。
「……良かった。とりあえず、また明日話し合いましょう。今日は色々あって疲れたでしょう?だから休んで。お願い」
その言葉に、わたしは小さく頷いた。




