第三章 3 それがそいつを信用してやるって事だと思う
「えっ……何、これ……」
頬を生温かい嫌な汗が伝った。
ストーカー?そうだとしてもだ。これが『どうしてリリスさんの家にあったのだろう』。
ここ最近、リリスさんの家を訪れていたこともない。だから、あそこをわたしの自宅だと勘違いした線もない。そもそも、わたしの名前は家の表札にもあるから、わたしに用があるなら家のポストに届け出ればいいはずだ。
「まずはストーカーを疑うべき……だけれど」
リアさんがリリスさんに目配せをする。
「ええ。わたくしが危険、だと言いたいのでしょう?それはわたくしも認識しております。こういった回りくどい手を取る相手である以上、最大限の警戒をすべきでしょう」
「怖い……すっごく怖いなぁ」
今回起きたことは、何もかもが理解できなくて不可解だ。亜人狩りに襲われるのは、理不尽は理不尽でも向こうの理由がわかるから、まだ理解はできる。だからこそ、今回は何もかもがわからない。いっそ、単なる悪質なイタズラであってほしい。
リアさんに?リリスさんに?いや下手したら葉月ちゃんや家族にまで危害が及ぶかもしれない。もしそうなってしまったら、それこそわたしのせいで危害が及んだも同然だ。
「安心して。あなたは必ず私たちが守るわ。もし友達や家族にまで何かされるようであれば、最悪私達だけでも正体を明かすことも考える」
「葉月さんの美味しいご飯を食べられなくなるのはわたくしも嫌ですからね。それにわたくしたちはもう運命共同体ですから、好きなだけ使ってください」
「うん、ありがとう。わたしも何か出来ることがないか考えてみる」
手紙を出した人間については、全く心当たりがない。けれど、ああしてリリスさんの家に手紙を送ったということは、少なくともリリスさんのことも知っている人だ。
だとしたら、とりあえず学校の人ではない…だろう。
「こちらで出来るだけ調査はしておきます。もう夏休みですし、この猛暑ですからゆっくり過ごしたいでしょう?」
そういえば、ニュースではまだまだ暑くなる、って言ってたっけ。
まだ夏は始まったばかり、そういえばわたしも日傘を買っておいた方がいいのかな?なんてことを考える。
もし日傘を差したら……なんて自分を想像したら、少しおかしいなと思えてしまった。きっと、リアさんやリリスさんほど様にはならない……のかなぁ。
「芽衣、どうしたの?何かおかしかったかしら?」
「いやいやそういうわけじゃなくて……」
何とか弁解。二人とも鋭いから、二人の前で隠し事はきっとできないだろう。
「なるほど、そういうことでしたか」
「別にそのくらい気にしなくてもいいじゃない。傘なんて所詮道具なのだから」
「芽衣さんはそういう話をしているんじゃないのですよ?」
「……リリスは時々よくわからないことを言うわね」
リアさんが少しだけ顔を赤くして、目をそらしたのが見えた。その表情は今まで見たどんな彼女よりも、何だか可愛らしく見えた。
「なんというか…リアさんってその」
「なんでしょう?」
「意外と可愛らしいところ、あるよね」
「ああ、わかりますか?この間も……痛っ」
残念ながら、リリスさんの話は中断されてしまった。ふとリリスさんの方を見ると、リアさんが腕をつねっているのが見えた。
「リリス。貴方は余計なことまで口を滑らせ過ぎなのよ」
「口を滑らせているのはあなたも……いたたたた」
「少し静かにしてなさい」
いつの間にか、三人の中に流れる空気が緩くなった気がした。
どうか、この空気が続いてくれればいいのになぁ。
気づけば、あっという間に夜になっていた。最近、一日が過ぎるのがとても早いような気がする。
激動のはずの六月もあっという間に終わって、もう七月も中旬だ。きっと、七月だって早く終わってしまう。
ふと、先程の手紙が頭をよぎる。このまま、何もないといいんだけど……
------------------------------------------------
ハンカチで汗だくになった顔を拭いながら、カバンを乱暴にかけて席に着く。今日はそう。赤点の補習の日だ。夏休み前で、他の生徒はもう帰っていたが、俺はこうして居残って補習を受けることになっていた。
とはいえ補習と言っても、数枚配られたプリントをこなすだけの自習みたいなものだ。きっと教師たちも早く帰りたかったんだろう。
「何でこのくっそだるい補習なんか……」
だが、面倒臭いことに変わりはない。やたらと物静かになった教室の中で、小さな俺の呟きが空しく響く。
「おやおや何とだらしない。こういうときこそ元気を出すものだぞ?」
気づけば、俺の他にもう一人席に座っている女子生徒の姿が見えた。なるほど、こいつも赤点だったか。
「そういうお前は小さい扇風機なんか持ってきやがって。つかどこで売ってるんだそんなん」
「近所のホームセンターで買った。何、私はどうせ赤点取るのが見えてたからこうやって補習対策に買ってきたのだ!いやはや備えあれば憂いなしとはこのことだなはっはっは!」
「いやドヤ顔してねえで勉強しろよ……つーか知らなかったんだけど天野ってそんな勉強出来なかったのか?全然そんな風に見えなかったけどよ」
「学校の勉強とかくそくらえとか思うくらいには出来ないぞ 最近ゲームするのが楽しすぎてな」
思わず頭を抱える。俺は天野と話したのは数回だけだが、何というべきかこの女とにかく要らないところで自由すぎるのである。
「ところで有栖川君の方こそあまり勉強が出来ないという風には見えないのだが」
「あーそうか?なんつーか……俺結構要領悪いみたいでな。全然勉強頭に入んねーんだわ。ところで何でそんなこと聞いてきたんだ」
「いや暇だからだが」
「プリント終わってねえみたいだけど」
「わからないから休憩中だ!」
俺はバカみたいなことを言う女を無視してプリントに取り掛かることにした。
「終わった……」
プリントはそこまで難しいものではなかった。自分の成績が悪くても、こんな補習でどうにかなるのだとすればむしろ助かるくらいだ。俺は出来終わったプリントを机の上に置いて提出し、そのまま教室を後に……いや、後には出来なかった。何故なら。
「なんで寝てんだよお前っ!?」
天野が思い切り机の上に突っ伏して寝ていたのが見えたからだ。
「ん……ああ、寝てたのか。ありがとう。何分くらい寝てた?」
「わかんねぇ。ただ俺がさっき見たときはもう爆睡してたからそこそこ長い時間寝てたんじゃねーの」
「なるほどそうか。いや何、わざわざ起こしてくれるなんて優しいものだな」
「優しいわけあるか。どうせプリントダルくて退屈で寝てたんだろ」
「いや、それがだな……」
どうやら天野はここ最近あまり眠れていないらしかった。言われてみれば、さっきも目が半開きだったような気がする。
「なんだよお前らしくもない。ま、俺は別にお前のことそんな知らないけどさ」
「どうも同じ部活のメンバーが最近少しよそよそしくてな……前はこんなことが無かったんだが」
部活か。こっちは特に興味もないし、適当に聞き逃しておこう。
「あ、そのメンバーというのはだな」
「隣のクラスの咲坂芽衣という女子なんだが」
微妙に聞きたくなかった名前が聞こえた気がして、思わず意識をそちらに向けてしまった。
「ん、もしや彼女とは知り合いだったのか!?意外だな有栖川くんに女子の知り合いがいるとは!」
知り合い……と言っていいのだろうかあれは。
何故ならそんな『生易しい関係ではない』のだ。
一言で言えば「敵対関係」。今でこそ停戦しているものの、一歩間違えば明日でも殺し合いになってもおかしくはない。何より、俺が先月入院していたのは『そいつの連れが原因』だ。
「いたら悪いかよ、まああれだ……そんな感じ」
とはいえ、天野にそんな事実を告げるわけにもいかず、俺はその場で適当にごまかす。
「ああ本当か!なら良かった。だとしたら、ひとつだけ質問してもいいか」
「言っとくけど、俺は天野の期待するようなことは言えないぞ」
「いや、質問にはいかいいえで答えてもらうだけでいいんだ。今時のやつはこういうこと聞かれると面倒臭がるからな、こうして答えやすいようにした」
そういう配慮できるやつが何故勉強をサボるんだろう。いやよく考えたら要らない配慮だ。なんかバカにされてる気がする。
「もし友達が隠し事をしていたら、それはそいつに対してちゃんと聞くべきなのか、君はどう思う?」
「そうか……」
優斗は仲間すら信用していないと言っていた。その真意がどういったものなのか、俺にはわからない。
もし、仲間……天野にとっての咲坂芽衣が、俺にとっての優斗くらいの存在なのだとしたら。優斗が何か隠し事をしていたのだとしたら。
なら、俺は……俺なら。
「無理に聞き出すことないんじゃねーの。そいつが話してくれるまで待ってやれよ。それがそいつを信用してやるってことだと思う」
そこまで自信のある答えじゃなかった。何故なら、もしそうなった時に俺自身がそうできるとは自分でも思えなかったから。ただ、俺が「正論」だと思うのはこれだ。
「……そうか。そうかもしれないな」
天野は掛けていた眼鏡を外し、そっと目を伏せた。こんな回答でこいつの助けになったのだとしたら、それはそれで良い。
亜人狩りくらいしか出来ない俺に頼るってことは、それだけ期待をされていたんだろう。それとも、俺なんぞに頼るしかないくらい頼れる相手がいなかったか。
……まあ、まさかな。流石にそれは、自分でも自分を買い被り過ぎだろう。
「んじゃ俺は帰るからそのプリントちゃんとやっとけよ、お前も成績ヤバいんだろ?」
「言われなくてもわかっているさ、じゃあ明日また学校でな」
そうやって彼女に別れを告げる。
天野から咲坂芽衣の名前が出たときは驚いたが、別に俺だって天野のことはよく知らないのだ。だから、何だってわざわざ驚くようなことはない。
ただ、何か。何か見落としている気がする。その答えは。考えても出なかった。




