第二章 16 友達だから、だよ
バキバキと、骨が、肉が、砕ける音がする。
振りほどこうにも、肩に食らいついてくる力はあまりにも強くて、何より痛みで力が抜けてしまっている。
『食われる』。
これまでに一度も体験したことのない、新たな恐怖。
「芽衣、今すぐ振りほどいて!」
「そうは、言っても……力が、力が入らないの……!」
リアさんがただでさえ青白い顔を更に青くする。
「いい?芽衣!人狼の牙には強い毒があるの、いくら再生能力のある吸血鬼でも、ずっと噛まれてしまってはどうなるかわからない!」
やけに、頭がぼーっとする。身体が熱い。目の前も上手く見ていられない。リアさんの言葉も入ってこない。
「なんで今わたし、こんなに眠たいんだろう……」
身体から牙が引き抜かれる。夥しいほどの血を撒き散らしながら、わたしはその場に倒れこんでしまう。
「芽衣、大丈夫!?」
駆け寄ってきたリアさんに、小さくピースをして答える。何とか大丈夫だよ、と言葉にしようとはするけど、口からは息が漏れてくるだけで言葉にならない。
「再生がだいぶ遅くなっているわ。とりあえずこれで傷口を塞ぎなさい」
リアさんは着ていた服の袖を破り、手渡してきてくれた。何とか指を動かし、それを傷口に当てる。白かった布がわたしの血で真っ赤に染まっていった。
血が止まったのを確認すると、傷のある肩を庇いながらになるけれど何とか立ち上がることができた。
まだ頭はフラフラだけど、何とか目の前の『狼』の姿を見ることは出来た。
さっきの攻撃が効いたのか、お腹を抑えて苦しんでいる様子だった。
「だいぶ弱っているみたいね。しばらく様子を見ましょう」
「そうだね……でも、さっきまでにすごい早さでは動けなさそうかも」
「傷を負っているのは貴女も同じでしょう?だったら警戒は怠らないように……」
狼がゆっくりと近づいてくる。小さく唸りながら近づいているそれは、わたしの方に何かすがり付いているようにも見えた。
やがて、狼の姿が変化していく。毛深かった身体の毛は抜け落ちていき、大きく裂けていた口は小さく、そこに生えていた牙も引っ込んでいくように短くなっていった。
数秒した後、そこにはよく知る小田桐藍さんの姿があった。
「良かった……私…元に戻って……」
安心したように、その場にへたり込む藍さん。しかし、その表情はすぐに変わってしまうことになる。
「あ……やだ……私……もしかして……」
その視線は、わたしの肩口の方に向いていた。
それだけじゃない。あちこちに飛び散った血痕。凹んで赤い染みがついた電柱。さっきまでの戦いの痕跡が、ここで何が起きたのかを藍さんにメッセージとして伝えてしまっていた。
「違う!これは……これは、藍さんの意思でやったことじゃないんでしょ!?だったら……」
「違うなんてことない、だって……あなたを傷つけた記憶は残ってる……それに、何があったかなんてここを見ればわかる……!」
「そうだよ。私……咲坂さんを殺そうとした……ッ!獣の本能に呑まれて、目の前にいるからって食い殺そうとした!違うなんてそんなわけない!これは私がやったんだよ!この目ではっきりと見た!」
その目は絶望に染まっていた。何もかも、自分すらも信じられないような目。その目を見たわたしは、何も言うことは出来なかった。
「あなたは私を止めようとした……でも止まらなかった!いや止められなかった!」
「あなたは……」
リアさんが、震える声で口を開く。
「自我があってやったことだと、そう言うのね?暴走状態にある亜人に自我はない。それは事実のはずよ。なのに、何故そんなことを言うの?」
「だからそう言ってるじゃない!わからないの!?あなた、何でそんな冷静な顔でいられるわけ!?目の前に自分のパートナー傷つけたやつがいるってのにさぁ!!」
「それはその通りね。でも、それはそれよ。あなたが芽衣を傷付けたことは許していない。でも、それはあの大きな獣に対して言うべきことであって、『小田桐藍』さんに言うことじゃない」
リアさんの手は震えていた。そして、その震える手は今も武装を握っている。許せないって気持ちは、きっとそれは本物なんだ。
「意味わかんないよ……何で、こうなってでも私を庇おうとするの……」
「友達だから、だよ」
「咲坂さん、あなた自分で何言ってるかわかってる?友達だから何なの?あなたは友達が人を殺しても庇うって言うの?言ってることおかしいよ」
藍さんはへたり込んで、わたしたちの方を見上げていた。その顔には今にも泣き出しそうで、とてもその表情は見ていられなかった。
「それだけではないでしょう、芽衣」
それだけではない……確かにそうかもしれない。何度か話しただけの藍さんが、やけに気になってしまう理由。
「わたしも……同じなんだよ。藍さん、わたしに聞いたよね?生きてて辛くないのか?って」
「…………」
「吸血衝動が起きたときには、どうしていいかわからなくて泣き出してしまった。亜人狩りにも何回か殺されそうになった。だから、藍さんの辛さ、悲しいこと、何もわからないわけじゃないんだよ」
「芽衣……」
「だから、藍さんも一緒にいよう。支えてくれる人がいたら、きっと辛くないはずだよ」
ああ、わたしは結局、藍さんに自分を重ね合わせていただけなのかもしれない。自分と似た誰かである彼女が、不幸になっているのを見るとまるで自分もそうなっているような気分に陥るのだ。
だから、これはわたしのエゴだ。救いたい、助けたいなんて気持ちじゃない。
でも、藍さんがこれ以上辛そうにしているのが見ていられないという気持ちも、またわたしの中では本物なのだった。
「咲坂さん……私、私は」
藍さんがゆっくりと立ち上がりながら、か細い声で答える。
「藍さん……!」
しかし、彼女から返ってきたのは予想外の答えだった。
「咲坂さん、だったらさ。私のこと、殺してよ」
「なんで……っ!?」
それが冗談や嘘ではないことは、彼女の目を見ればわかることだった。けれど、流石に信じられない。何より、殺してほしい、なんて言葉、出てほしくはなかった。
「このまま生きてても、亜人狩りにいずれ殺されるのは見えてる。だったら、友達であるあなたに殺してほしい」
「本気なのかしら?」
「リアさんっ!!」
確かに、これが本当じゃなかったら、「殺す」なんてこと、出来ない。けれど、それを聞いてしまうのは、藍さんにとっても何よりも辛いことなんじゃないだろうか。
「私、もう、生きることに疲れちゃった。」
きっと、これが全ての答えなんだろう。
藍さんはもう、生きることに希望を見いだせないでいる。何度も追われ続けて、何度か人を傷つけそうになって、それに限界が来てしまった。
リアさんはきっと、わたしが同じことを言ったら許してはくれないんだろうな。でも、藍さんにはそれを止めてくれる人もいなかったのかもしれない。
「親も、もういないからさ。私のこと、悲しんでくれるの咲坂さんだけなんだよ」
「藍、さんっ……!」
藍さんの顔をじっくりと見つめる。その表情は、今まで見たどの藍さんよりも、安心しきった表情だった。
「……芽衣」
リアさんが、手に持っていた武装を手渡してくれた。気づけば、わたしの武装はもうどこかにいってしまっていたみたいだ。
「これで、心臓を突き刺すの、亜人の命は心臓を潰されればどんな再生能力があっても終わる。苦しまないように、覚悟を決めて刺しなさい」
「……うん」
「さようなら、藍さん。」
赤黒い、鋭い刃が、藍さんの胸を貫いた。




