第二章 15 優しい嘘は嫌いなのよ
「リアさん……っ!!」
暗い闇の中でもわかるほどに、赤く輝いているきれいな髪。
わたしはそれを見た途端、叫びながら駆け寄っていった。今は本当に、その姿が見えただけで全てが報われるような気分だった。
「芽衣……そこで待っていてくれたのね。それで、藍さんは……」
リアさんが近くを見回す。しばらくすると、倒れている藍さんへと目を向けた。
「なかなかに酷い状態なのは把握したわ」
「リアさん…リアさんなら、藍さんをもとに戻せる!?」
それを聞くと。
「…………わからない」
どうして。どうしてだろう。
「人の姿を失うほど暴走してしまった亜人を、簡単にもとに戻す手段はないわ」
「でも…リアさん、わたしの吸血衝動、止めてくれたのに……!」
「……芽衣。私たち吸血鬼というのは、それほど万能ではないの。あなたにも、そんなことを言うのは心苦しいけれど、これが現実よ」
その表情からは、いかにあの人が『苦しみながら』それを伝えようとしているのが、それが痛いほど伝わった。
リアさんは、出来ることを出来ないだとか、あるいは出来ないことを出来るだとか、
そういった類の嘘は、つかない人だ。
「藍さん、と言ったかしら」
「……はい。そうですけど」
「単刀直入に言う。あなたを暴走させない方法。その方法に確実なものは存在しないわ」
「リアさんっ……!」
「後で藍さんが絶望するくらいなら、今全てを伝える。……私は優しい嘘は嫌いなのよ」
突き放すように、しかしそれでいて、何だか『自分のようになってほしくない』ような、そんな顔でリアさんは言う。
「わかってましたよ。…でも、確実じゃない方法なら存在するんですよね?」
「……確実じゃない方法。それは」
「この町から逃げることよ」
「……!」
その選択肢は頭によぎっていた。
確かに、この町にいる限り亜人狩りの追及から逃れることは出来ない。
しかし、逆に言えば別の街へと逃げ込んでしまえば、亜人狩りに狙われることはなく平穏に過ごせるのかもしれない。
でも、それって、藍さんの今までの生活を捨てるということにもなる。
そんな選択肢を取るのは、あまりにも、酷すぎる。
「ほとんど最終手段。しかしそれでも亜人狩りと戦い続けるよりはマシよ」
「…………っ」
藍さんは、迷っている様子だった。何度も首を横に振ろうとするけれど、それでもそれすらできず。
下唇を、血が出そうなくらいに噛んでいるのが見えた。
「私、は……、私……」
突然、藍さんが胸を抑えて苦しみだす。顔は真っ青になり、脂汗が浮いたその顔は、明らかにそれがどういう状態なのか嫌でもわかった。
「……咲坂、さん。逃げ、て」
それと同時に、藍さんの元々大きな身体が。急速に「膨らみ出す」。
身体中にびっしりと獣のような体毛が生え、口は大きく裂け、目はギラギラとこちらを睨みつける。
気づけば、その姿は。
獲物を狙う獰猛な狼のそれへと、変化していた。
「グルルルルルル………」
牙が生えた裂けた口から、くぐもった低い唸り声が聞こえる。
その姿を、わたしは直視することが出来なかった。
だって、あんな姿になってもなお、わたしの知る藍さんの姿の面影を残しているんだから。
「芽衣、下がって」
「でも、そこで藍さんを傷付けてしまったら……!」
「こうなってしまった亜人にもう自我はない。暴れられる体力がなくなるまでやるしかないわ!芽衣、覚悟を決めなさい!」
「……っ!」
藍さんの面影のあるその狼を、体力がなくなるまで痛めつけてしまう。
リアさんのその提案は、すぐには呑めなかった。だって、そうなっても確かにそれは「藍さん」なんだから。
けれど、もし放っておいてしまったら藍さんは?でも……
もしかして、本当に「やるしかない?」
それ以外に、わたしに選択肢は残されてない?
「芽衣っっっ!!!!!!!」
リアさんの叫び声が聞こえる。直後、視界が赤に染まっていく。
いったい、何が起きたんだろう。確認するまでもなく、そのまま次の「一撃」が放たれた。
鋭い爪が、わたしの身体を薄い紙のように裂く。
公園の地面の上に、真っ赤な花を散らせる。
そして、固いコンクリートに頭をぶつけ、わたしの意識は……
いや、飛ばなかった。一瞬、視界が暗転したけれど、その次にはもう起き上がれるようになっている。
「芽衣、あなた今……」
「あの、もしかしてこれって……」
「ええ、再生したのよ。それもこの一瞬でね」
信じられなかった。前にも、こんなようなことはあったっけ。それより。
藍さんが、容赦なくわたしの方を襲ってきている。それはもう、リアさんの言う「自我が無い」ということが本当なのだと。
認めたくないけれど、認めるしかなかった。
懐からカッターを取り出して、自分の腕へと突き刺し、痛みに耐えながらゆっくりと引く。
血の塊が、ゆっくりと刃物の形を形成する。
何度やっても慣れないけれど、覚悟を決めるしかない。
痛みに目を瞑って、目を開けると、そこにはギラギラと目を輝かせた「狼」がいた。
止めるしかない。わたしが、藍さんを。
「グガァァァ!!!!」
狼が、わたしの元へと突撃してくる。それに、剣を持って応戦する。
突っ込んできたところにカウンターをする要領で、何故か手足のように動くそれを振り回す。
「藍さん、今止めるからね!」
しかし、それは『間に合わなかった』。
剣を振り抜こうとした途端、自分の身体が急に宙に浮いたのだ。
「あれ……?」
そのまま、近くにあった電柱へと吹き飛ばされる。頭の後ろの方から、べちゃっという嫌な音がした。
最早体勢を立て直す暇なんてない。
どういうわけか、狼はわたしの方だけが見えているように、リアさんの方など見向きもせずに向かってきた。
「動きが早すぎる……芽衣、何とか体勢を立て直して」
「うんっ!!」
今度は、こちらの方から狼へと向かってみる。やみくもに突撃するでもなくゆっくりと対象を見据えて。
腕に向かって剣を振り上げると、確かに命中した手ごたえがあった。けれど、狼はその攻撃にも全く怯む様子が見えない。
ものすごく、身体が頑丈なんだろうか。
「芽衣、気を逸らさないで!」
リアさんが叫びながら、狼に対しもう一閃。
「グガアアアア!!」
狼が苦しそうに吠える。
その様子がどうにも見ていられなくて、一瞬目をそらしてしまう。
やっぱり、やめよう……そんな言葉が出そうになる。けれど、苦しいのは藍さんだってきっとそうなんだ。自分が望まないまま、こんな風に暴れているなんて。
だったら、もう、止めるしかない。
「うわああああああああっ!!」
一心不乱に、剣を狼の脇腹へと突き刺す。どうなるかわからない。けれどこれが、彼女を救う一手になるんだったら、もう何でもしてやろうっていう気分だった。
「ごほっ」
狼が、赤黒い血を吐き出す。
そのまま、ゆっくりとその剣を引き抜いていくと、その場におびたたしいほどの血が飛び散った。
「藍さん、もう少し、もう少しだからね……!」
叫んだ反動なんだろうか。酸欠になったのか、頭が少しふらふらする。
その瞬間、肩に鋭い痛みが走る。
ゆっくりと首を動かすと、わたしの肩口に、狼が噛り付いているのが見えた。




