第二章 10 わたくしもまだまだですね
「……あれ?」
木材の匂いが鼻をつく1階建ての民家。リリスさんの家の中には、わたしとリリスさんだけでなくリアさんの姿もあった。
「わたくしが呼びました」
「わざわざあなたの家に来てご飯を食べてください、なんて言うものだから何があったのかと思ってみれば……」
不思議そうな顔をして、リアさんはわたしの方を見つめていた。
「あはは……来ちゃダメだった?」
「そんなことはないわよ。むしろ……リリスと勝手にそんな風に話を進めたことは少し不満だったわ」
「あら、もしかして焼きもちですか?案外可愛らしいところがあるんですね」
「…………」
からかうリリスさんに、無言で睨みつけるリアさん。
「怖い怖い」
「これ以上からかわないであげて?」
「大丈夫ですかリア?芽衣さんに気を遣われてますよ?」
「……っ。とりあえず、あなたの目的だけは確認しておくわよ」
「亜人の娘を見つけた」
「はい」
「それが芽衣の知り合いだった」
「はい」
「なので少しでも話を聞こうとここに呼んだ」
「はい」
確認をするリアさんに対し、事務的に頷いていくリリスさん。ここまではわたしも聞いた通りだ。
「悪いけどそれについては私は反対するわ」
「え?なんで……?」
「はぁ。あなたならそう言うと思っていました。ですが一応理由をお聞かせしてはくれませんか?」
「リリス。あなたは甘すぎるのよ。亜人の本能による衝動がどれだけ強いのか、あなたも理解できないわけではないでしょう?
こうして人間に紛れて生活できる程度に衝動をごまかせているのは、最早奇跡的とも言えることなのよ」
亜人の衝動。その恐ろしさはわたしも認識していることだ。
最初に吸血鬼になった日、わたしは楓ちゃん相手に吸血衝動を呼び起こされてしまい、崩れ落ちて泣き出してしまった。
もしリアさんの助けが無ければ、それこそどうなっていたかわからない。
それと似たようなことが、もしかすれば藍さんにも起こっているのかもしれない。
「だからこそ共存できる方法を探すのですよ?あのまま暴れ出しでもしたらそれこそ亜人狩りから命を狙われるのは不可避です。
そうなれば悪しき亜人として彼女は討伐され、ただの化け物として生を終えることになります」
「ならばあなたは手が届く範囲の亜人を全て保護でもするつもりかしら?それこそ無理がある。
最悪、あなたや私だけじゃない。芽衣まで亜人狩りに命を狙われるようになるかもしれない。それをわかっていないのなら……」
「……そんなこと」
突如、大きな音が部屋中に鳴り響く。
「わたくしだって、わかっていますよ!!!」
音の方を見る。すると、さっきまでわたしたちが囲んでいたはずのテーブルが、真っ二つに割れているのが見えた。
「手に届く範囲の人を助けようとして何が悪いんですか!わたくしにだって全ての亜人や人間が救えるなどとは思っていませんよ!
なら……せめて目に見える人だけでも助けようとして……何が……」
「リリスさん……」
彼女がここまで取り乱している様を見るのは、初めてだ。
いつも冷静ににこにこと笑っているはずのリリスさんが、こんなことをしてしまうほどの激しい怒りと悲しみ。
真っ二つに割れてしまったテーブルを見つめていたけれど、わたしにはどうすることも出来なかった。
「…リアさんは、なんであんなことを?リアさんは、わたしのこと助けてくれたのに……」
「私なりにあなたとリリスの身を案じてのことよ。手の中で救える人数には限りがある。
…それに、芽衣。あなたには離別を経験してほしくないのよ。」
そう言うリアさんの目は、どこか遠くを見つめているように見えた。
「あなたを助けたのは、単なる惚れた弱みよ。見ず知らずの他人にまで手を差し伸べられるほど、私は心が広くない」
「……まったく。あなたは現実主義なのかそうでないのか、どっちなんですか」
こちらの方を見ずに、リリスさんがぽつりと呟く。
「あなたの方こそ、亜人にしては秩序的過ぎるのよ。もう少し自分の本能に、したいことに忠実に生きてみるのも悪くないのではないかしら?」
「…まさかリアに説教されるなんて。わたくしもまだまだですね」
わたしたちの方を見たその目は、目元が赤く腫れていたように見えた。
「えっと、それでこの後はどうするの?」
「約束通り、藍さんがここに来てから話し合いですよ。リアの方はどうするのですか?」
「……話し合いをする前に、芽衣に一つだけ伝えておいていいかしら」
「構いませんが」
リリスさんの声にはまだ少しぎこちない震えが残っていたけれど、どうやら落ち着いたようで良かった。わたしはほっ、と胸を撫でおろす。
「既に亜人が暴走した形跡があるとして、亜人狩りが調査に出始めている。この家だって狙われるかもしれない。
彼女が暴走した亜人かどうかはわからないけれど、もしそうだとすれば私たちは最悪亜人狩りと戦う覚悟を決めなくてはいけない」
「…そうですね。それを考えもせず、取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「落ち着いたなら良かった。さっきはほんとにどうなることかと……」
テーブルが割れた音を聞いた時、そして割れたテーブルを見た時、これまで見た何よりも胸が張り裂けそうな思いをした。
この2人が、それこそこの割れたテーブルのように引き裂かれてしまうんじゃないかと。
「本題はここからよ。もしそうなった場合、芽衣」
「……うん」
「あなたはその亜人の娘を見捨てる覚悟をしなさい。もしそれが出来ないのであれば、ここで帰って。彼女のことは私たちでどうにかする」
見捨てる覚悟。
もし、藍さんと共に亜人狩りと戦うのであれば、それは藍さんという人物の命を背負うということに繋がる。
リアさんはそれを私に問うているんだ。
「…わかった。わたしも、もう命を狙われるのは嫌だから」
亜人狩りに命を狙われる恐怖。それだけは痛いほどわかっている。それに、亜人狩りの扱う銀の武器はわたしたちにとっては猛毒だ。
それこそ、わたしだけではなくリアさんやリリスさんほどの人でもどうなるかわからない。
その怖さが痛いほどわかっているからこそ、真っ向からぶつかってしまったら、それこそわたしの命は。
「あなたは強いですね、芽衣さん」
「そんなことないよ。まだ、その時になってみなければわからないことだってあるし……」
実際、本当に覚悟が持てるかどうかは自分でも全くわからなかった。
この場ではこう返事をしてしまったけれど、もしその時が来たらやっぱり出来ない、となるかもしれない。
だから、「強いですね」と言われても、はっきりとはいと返事することは出来なかった。
「なんだか今日のわたくしは冷静さを欠いていたのかもしれません。たとえあなたより長く生きていたとしても、心まではまだ未熟なままなのかもしれませんね」
「そうじゃないと思うよ?ほら、リリスさんわたしより色んなこと知ってるし、それに色々助けられてるし……」
「無理に気を遣わなくてもいいんですよ」
「えと、そうじゃない。そうじゃないんだけど……」
かつてないほどに落ち込んでいるリリスさんに、かける言葉が見つからない。
「こうなるとリリスは面倒臭いから放っておきましょう」
「あなたにそう言われるとなんだかイラっと来ますね……?」
「ほら、元気になったじゃない。」
「……これは一本取られましたね」
得意げな顔のリアさんに、思わず呆れ顔のリリスさん。
「…ふふっ」
「芽衣さん?何がおかしいんですか?」
「ご、ごめん。なんかいつもと違ってちょっと面白くて……」
気の抜けるやり取りに、思わず笑みがこぼれてしまう。やっぱり、この人達はこうでないと、と強く思った。
そんなことを思ったのもつかの間、インターフォンの音が落ち着いた家の静寂を破る。
「わたくしが出ます」
リリスさんが立ち上がり、玄関に向かって駆け出していった。
「リリスさん、こうなることってあるの?」
「…そうね。たまに。まあ、私もちょっと言いすぎたとは思っているわ」
「それはリリスさんに直接言った方がいいんじゃ……」
「言わないわよ。なんとなく癪だから」
この2人の関係性には、まだまだ見えない何かがありそうだ。
「……さて。紹介しましょう。こちらが咲坂芽衣さん。そしてわたくしの『同胞』の吸血鬼カメリアです」
藍さんを連れて、リアさんが再びリビングに現れる。
「改めてよろしくね、藍さん」
「…よろしく」
「……はぁ。ところでこの割れたテーブルはいったい」
「気にしないでください」
貼り付けたような笑顔でごまかすリリスさん。
その様子は、今まで見たリリスさんのどの姿よりも、なんだか奇妙だった。




