第二章 8 あんまり変わりないというか
結局その日は、なかなか眠ることは出来なかった。
リリスさんが見ている所で、あれだけ恥ずかしいことを言ってしまったのだ。言ってしまえば、完全に「二人の世界に入ってしまっていた」。
思い出せば思い出すほど、恥ずかしさがこみあげてきて、耳の先まで体温が上がっていくのを感じてしまう。
「うぅぅぅ…………」
どうにもリアさんと出会ってから、自分が変に積極的になってしまっている気がする。
これもまさかリアさんの『血』の影響なのか、それとも実はわたしは元からこうだったのか。
考えてみても、当然答えは出なかったし、ぐるぐると考えを巡らせているうちに、どうやらわたしは眠りに落ちてしまったらしい。
ジリジリと、急かすような目覚まし時計の音が鳴る。
わたしはそれを手で止めると、寝ぼけ眼で充電していたスマートフォンの方に向かう。
そこには一通のメールが届いていた。
いきなりメールなんてどうしたんだろう?
差出人を見てみると、そこには『柚葉ちゃん』の名前があった。
『実は少し奇妙なことがあってだな!
なんとも家の近くで獣が吠えたような声が聞こえたとか、道路に何かに切り裂かれたような跡が発見されたとか、
そういった話が聞こえてきてな。芽衣は何か心当たりはないか?どうも芽衣の家の近くでの話らしいのだが』
メールにはこう書いてあった。
獣の吠え声なんて聞いていないし、もし聞いていたとしてもわたしにとってはそれどころじゃなかっただろう。
きっと楓ちゃんなら、「風の音か何かと間違えたんじゃないの?」なんて言って、冗談だと笑い飛ばしていたところだったと思う。
そしてわたしにとっても、にわかに信じられる話じゃなかった。
リビングに降りると、そこでは葉月ちゃんがいつもと変わらず朝食を作っていた。
今日の朝食はハムエッグとジャムトースト。いつも通りの朝食だ。
「あ、芽衣ちゃんおはよー。なんか眠そうだね?」
「そうかな?もしかしたら昨夜あんまり眠れなかったからかも…」
思えば、起きて結構時間が経つ割にはまだ瞼が重たいような気がする。
「眠れなかったんだ?そりゃまた何で?」
「うーん……」
流石に吸血鬼がどうとかってほど重大じゃないけれど、
でも「リアさんの目の前で思い切り恥ずかしいこと言ってしまって…」なんて言えるはずもなく。
「あー、わかんないならわかんないでいいよ。別にそんなすごい心配してるわけじゃないから。芽衣ちゃんにしては珍しいなーって思っただけで」
「まあ、確かに珍しいかも……」
もともとわたしはどちらかといえば睡眠に困ったことはない体質だ。
どこでもいつでもすぐに眠れる…というわけではないけれど、ベッドに入れば大方10分はあればすぐ寝てしまう。
それでも『眠れなかった』っていう思い出はないわけではなくて、それこそテスト前なんかは眠れないこともあったけど……
「そうだ芽衣ちゃん、お願いがあるんだけど」
ふと、葉月ちゃんが上目遣いでわたしの方を見る。こういう時は大体……。
「おつかい。タマゴと牛乳買ってきて♡」
こういったお願いをされる時だ。
そういえば、葉月ちゃんからお使いを頼まれるのは久々な気がする。
「はーい」
咲坂家では、お母さんもお父さんもお仕事が忙しいのもあって、もともと家事は主に姉妹で分担という話になっていた。
そう、『なっていた』。どういうわけかわたしはまったく家事が出来ず、結局ほとんどの家事を葉月ちゃんに任せることになってしまっていた。
なので、たまにこういうお買い物くらいはわたしがすることになっている。
もっとも、最近は色々バタバタしていておつかいも出来なくなっていたんだけど……。
頼まれたものをメモに書いて、着替えをしてから家を出る。
葉月ちゃんから頼み事をされるのは、むしろ嬉しい。
普段姉らしいことが何も出来ていないから、出来る限り彼女の力にはなりたいのだ。
「えっと…タマゴ…牛乳……」
いつも買っていたのは10個入りのパックで、牛乳は……
ならせめて間違ったものは買わないようにと、心の中で復唱していく。
行き慣れたスーパーに向かう道も、なんだか久々に見るような気がする。
前に行った日がいつだったのか、もう思い出せない。そこまで前じゃなかったはずなのに。
お店の中へと足を踏み入れると、そこには。
「おや、芽衣さんではないですか。ここで会うとは珍しいですね」
リリスさんがいた。とてもきれいな金髪の吸血鬼が、街のスーパーで買い物カゴを持ちながら歩いている。なんだか不思議な組み合わせだ。
「こんにちは。えっと……アリシアさん、もお買い物?」
「リリスでいいですよ。人が多いここではどうせこんな名前聞かれません。それで、芽衣さんはどういった用で?」
「葉月ちゃんからのおつかいで。リリスさんは?」
リリスさんの買い物カゴからは、トマト、キュウリ、レタスなどの野菜が顔を覗かせていた。
吸血鬼でも、こういうの食べるんだ……。なんだか、イメージと違う気はするけれど、意外と庶民的なのかな?
「リアにご飯を作ろうかなと思いまして。あの子酷い偏食ですから、わたくしがこうしてたまに料理を作らないといつも同じ物ばかり食べるんですよ」
「へ、へえ……」
そういえば、苦手な食べ物がある、っていう話は聞いたような気がする。
それでも、『酷い偏食』というのは、流石にちょっと意外だった。
「芽衣さんは、苦手な食べ物などはありますか?」
「苦手な食べ物……」
そんなになかったはずだけど、確か。
「脂っこいのは、そんなに好きじゃないかな……?あんまり好き嫌いはない方だったかも。
子供の頃はもうちょっとあったはずだけど、葉月ちゃんが作ってくれてるの見てるから、どうしても食べられない!とはならなくって」
「そうですか。立派な心がけだと思います。いつもご飯を食べられるというのは幸せなことですから」
自分では当たり前の事だと思っていただけに、こういう風に言われるのは少し意外だった。
「ところで……吸血鬼にも健康とかってあるんですか?」
「ありますし病気にもなりますよ。今ほど医学が発達していなかった時代は……不治の病にかかりでもすれば人間よりも苦しむことになりましたね」
吸血鬼は基本的に不死の存在らしい。
心臓さえ無事であればいくらでも復活できるし、それは病気になっても同じことなんだろう。
でも、それは『苦しくても死ねない』ということも同時に意味しているわけで……背筋が寒くなる。
「まあわたくしたちは人間の病院には行けませんけどね」
「あはは……健康には気を付けるよ……」
「もし病気になったらわたくしを頼ってくださいね。あと、リアもわたくしほどではないですがそれなりに知識はありますので。
リアから渡された吸血衝動を抑える薬、あったでしょう?あれはわたくしとわたくしのパートナーで作ったものなんです」
幸い、最近は吸血衝動にも襲われていないから、特にあれに頼ることはなかったけど…そうだったんだ。
「この町には亜人狩りがいますから。こうして人間社会に溶け込むための工夫をするのも一種の自己防衛策なんです」
「リリスさんも苦労してきたんだね…」
「何百年生きていようとも、寿命が百年弱の人間であっても、それは変わりありませんよ」
リリスさんのその表情からは、どこか諦めのようなものが見えた気がした。
「芽衣さん、あなたは自分のことを化け物だと思いますか?」
「……難しいなぁ。化け物ではあると思うけれど、でもわたしはわたしだから、正直感覚は人間だった時とあんまり変わりないというか…」
「意地悪な質問をしてしまいましたね。とはいえ、そう思えるならもう大丈夫でしょう。
人間から亜人化した者には、自分が人間でなくなったことに絶望して暴走するというケースが後を絶ちませんから」
最初に吸血衝動に襲われて、楓ちゃんを襲いそうになってしまった時は、生き返りたくなかった、なんて思ってしまうほどに絶望してしまった。
もしそんな状態が続いてしまっていたら、今度こそ本当に人間に戻れなくなる所だったんだ。
「リアはあなたが自分と同じ吸血鬼であれば、幸せに出来ると思っているそうですけれどね。
…まあ、開き直って怪物として生きるというのも、亜人化した人間の一つの生き方でしょうね。」
どういう生き方が正しいんだろう。
その答えは、未だに出ることはなかった。
「少々話し過ぎてしまいましたね。……はぁ。歳を取るとついつい話が長くなってしまって困りますね」
「あはは……」
「芽衣さんにはウケませんでしたか」
思わず苦笑い。そんな風に言葉を交わしながら歩いていると、見覚えのある人影が見えた。
「………あ」
「…藍さん!?」
フードのついたパーカーで顔はほぼ隠れていたけれど、間違いない。あれは小田桐藍さんだ。
「お知り合いですか?」
「クラスメイトだよ」
と言っても、クラスでは一度しか話したことないんだけど……。




