第二章 7 イチゴタルトは甘酸っぱい味がした
『ま、死にたくなったらいくらでも殺してあげるよ』
詩音ちゃん、という怪異狩りの女の子の言葉が、家に帰ってきてもまだ頭に残っていた。
わたしは、まだ死のうとは思っていない。
死ぬなんてまっぴらごめんだ、っていうほどじゃないけれど、それでも、やっぱり死ぬのは怖い。
あの時……明確にわたしは『一度死んだ』のだ。その感覚はまだ、鮮明に思い出せるほど頭にこびりついている。
大好きな本にすら手をつけられないまま、気づけば1時間以上の時間が経っていた。
「何でまた…思い出しちゃうんだろう……」
あの時、すべての運命が変わってしまったあの時に見た景色が、感じた死の感覚気づけば頭から全く離れなくなっていた。
頭から振り払おうとしても、余計に強く頭の中であの痛みが反響してくる。
フラッシュバック。
どういうわけなのか、今まで起きていなかったこの現象が、わたしの身に起き始めているらしい。
部屋にノックの音がする。
「芽衣ちゃーん、起きてるーー?」
葉月ちゃんの声だ。それを聞いて、わたしは一気に現実に引き戻されるような感覚がした。
「うん、起きてる……どうしたの…?」
ゆっくりと、何とか身体を起き上がらせる。
意識ははっきりとしているけれど、なんだかまだ頭にもやのようなものがかかっている気がする。
「お客さん来てるよ。下降りてきて」
「はーい」
お客さんとは珍しいけれど、いったいどういう用なんだろう。
リビングまで降りて来ると、そこにいたのは。
「ふふ、なんだかここに来るのも久しぶりな気がしますね」
わたしに向けて手を振るリリスさんと、静かに紅茶をすすっているリアさんだった。
「えっ、えっとこれはどういう……」
「遊びに来ました」
「いやでも、大丈夫なの……?」
色々と疑問が尽きない。まさか、家までくるとは思っていなかったから。えーっと…どうしよう……。
「えっどうしたの芽衣ちゃん?この人たち、お友達なんだよね?
確かに芽衣ちゃんよりは年上に見えるし、それに釣り合わなさそうなくらい綺麗な人たちだけど…」
「あ、うん。トモダチ、トモダチ……」
どうにもわたしたちの関係性を一言で説明できないのが、もどかしかった。
「ふふ、芽衣さんてば可愛らしいリアクションをするのですね。本当にただ遊びに来ただけですよ」
「…あなたが普段家でどう過ごしているのか、気になってしまってね」
持っていた紅茶のカップをテーブルに置き、リアさんがわたしの方に笑いかける。
何度見ても、そこに釘付けになってしまいそうなほどに魅力的な笑顔だ。
「迷惑だったとしたら退散させていただくけれど…?」
「うん、大丈夫だよ!迷惑なんてそんな……」
確かにびっくりはしたけれど、せっかく家まで来てくれたんだ。そんな対応はできない。
「ありがとうございます。葉月さん、では芽衣さんのお部屋まで案内してくれませんか。
わたくし、まだリビングまでしか来たことがございませんので」
「もー、アリシアさんなら何も言わないでも案内したのに、水臭いなぁ」
「いえいえ、そこまであなたに気を遣わせるわけにはいきませんので」
どうやらリリスさん、いつの間にか葉月ちゃんとかなり仲良くなっていたらしい。
ご飯までいただいたって言ってたけど、何故か少し寂しい気分になってしまった。
葉月ちゃんに案内されて、自分の部屋まで戻る。
改めて思うけれど、ほぼ姉妹2人で過ごすには、この家はちょっと広すぎる。
お母さんはお仕事でほとんど家を空けているし、お父さんは海外に行っているから、普段家にいるのはほぼ葉月ちゃんとわたしだけ。
そんな家の中に2人もお客さんが来ているというのは、確かに新鮮な光景だ。
「聞いてはいたけれど、本当に本がいっぱい並んでいるのね」
「あはは…もうちょっと我慢しようかなって思ってたんだけど、ついつい増えちゃって」
「いえいえ、好きなものがあるというのは素敵なことだと思いますよ。そういったものは精神を保つ楔にもなるのです。
人との繋がり、好きな食べ物や趣味、そういったものが"人間"を形作っているんです」
わたしにとって、最早"本が好き"というのはアイデンティティになっている。
もし、自分から本が取り上げられたら、そんなことが想像できないくらいには、わたしは"本好き"なのだ。
「そうだ…それと。この家ではわたくしのことは"アリシア"とお呼びください。
流石に悪魔と同じ名前を名乗っている"人間"なんて、そうそういませんから」
リリスさんの名前は、悪魔の方のリリスではなく、『誇り』『輝くがかりの美しさ』という意味の花である、とリアさんから以前聞いたことがある。
それを何故か、悪魔を連想させる名前を名乗っているのは……きっと聞いてはいけない事情があるんだろう。流石においそれとは聞けなかった。
「わかったよ、"アリシアさん"」
「私は…」
「あなたはそのままリアで問題ないでしょう。偽名を使うなんて後ろめたい行為、あなたには出来ないでしょうから」
確かに、"リア"という名前なら普通にいそうだ。"カメリア"だと、ちょっと珍しいかな…?とは思うけど。
「……そうね。私には出来ないわね。それと」
そう言うと、リアさんは一冊の本をわたしに手渡してきた。
「この間、買って読んできた本よ。もし、読んでなければ……よければ読んで感想を聞かせて頂戴」
タイトルを確認すると、確か前に楓ちゃんが読んでいた恋愛小説だったような気がする。
「『イチゴタルトは甘酸っぱい味がした』。恋愛小説よ。芽衣はこういうの読むかどうか知らないけれど…どうかしら?」
「確か、前に友達が読んでたの見た事あった、かな?ありがとう、読んでみるね」
でも、恋愛小説だなんて、ちょっと意外だった。ただでさえ、リアさんはあまり本に興味なさそうだったのに。
「ふふ、リアったら最近こういう恋愛小説ばかり読んでるんですよ。主人公に感情移入でもしているのでしょうかね」
「…………っ」
「そんな怖い顔で睨まないでください」
「そ、そのあたりにしてください、そういうの、その、結構恥ずかしいと思うので!」
そうやってからかわれると、顔が赤くなった経験はあったから、どうにもちょっとリアさんがいたたまれなかった。
「少々からかいすぎましたかね」
「ほんとだよ……前々から思っていたんだけど、リリ…アリシアさんって、結構意地悪だよね?」
「よく言われます」
「芽衣。『意地悪』だなんて可愛いものではないわ。この女はシンプルに性格が悪いのよ」
そこまで言わなくてもいいけれど…でも、さっきのリアさんの立場なら、そう思いはする…のかな?
「性格が悪い自覚もしておりますので。というよりリアも芽衣さんも素直すぎるんです」
「芽衣はともかく私まで?あなたの性格がひん曲がりすぎなだけではないかしら?」
昔から、わたしは素直でよく言うことを聞く子だ、と言われていた。
最近になってから、「あなたがあまりにも人の言うことを聞き過ぎるものだから、ちょっと心配になっちゃう」とまで言われ始めたくらいだ。
自分では、そんなことはないと思う。けれど、周りがそう言うということは、やっぱりそうなのかな…?
「リアさんは…どうなんだろう?ひねくれてはいないと思うよ?」
わたしは、リアさんの言動からは日ごろ全く裏を感じない、と思う。
近い友達である楓ちゃんですら、たまに何をどう感じているのかわからない時があるのに、リアさんからはそれを感じないのだ。
ちょっと怖いところもあるけれど、最近ではそれもあまり気にならなくなってきた。
「参ったわね…あなたにまでそう言われてしまうなんて」
そう言うリアさんの横顔からは、なんだか寂しさのようなものを感じた。
「…あなたに会ってから、私はミステリアスな吸血鬼を無意識に演じていた所があったから。
あなたに、この本性を悟られたくなかったのかしらね。…ごめんなさいね。こんな格好のつかない吸血鬼で」
前までの本性のわからないリアさんよりも、今の正直だけど不器用なリアさんの方が、わたしには魅力的に感じる。
けれど、それを伝えてしまったら、それこそ『ミステリアスな吸血鬼』を演じていた彼女に、なんだか失礼なような気がしてしまう。
……だから。
「そんなことないよ。わたしは『どちらのリアさんも』大好きだから。」
「…ふふ、あなたには慰められてばかりね」
「気にしないで。寂しい時、悲しい時にはお互い支え合うのが、いいと思うし、それに…えっと……」
その先の言葉は、上手く出てこなかった。
伝えようと必死に言葉を紡ごうとするごとに、どんどん顔が真っ赤になっていってしまって、
遂には。思考がショートしてしまった。
「お邪魔ものはここで退散した方がよろしいでしょうか?」
にやにやと笑うリリスさんの顔を見た途端、猛烈な恥ずかしさが襲う。
人が、見てるところでこんなこと言って……。
そのままベッドに倒れ込んでしまって、起き上がる頃にはもう2人は家からいなくなっていた。




