第二章 3 もしかして眠れないとか?
「はぁ、やっと終わった……」
机に突っ伏しながら、いつも以上の疲れと終わった後の達成感を噛みしめる。
テスト前の授業は、少し空気がピリピリしていた。もう2年生になるけれど、この空気にだけは未だに慣れない。
期末テストへの緊張感が、徐々に増していくようにも思える。
「……ぃ、芽衣、大丈夫?」
頭の上から声がかかる。反応して顔を上げると、そこには楓ちゃんがいた。
「あ、楓ちゃん!?どうしたの!?」
「どうしたのはこっちの台詞よ、話しかけても反応無かったじゃない」
「ええっ!?あ、ご、ごめん…?」
どうやら何度かわたしに話しかけていたらしい。
自分でもそこまで上の空になっていたとは思わず、変な声が出てしまった。
「もしかしてテスト前だから緊張してる?それに最近顔色も悪いし……もしかして勉強しすぎで眠れないとか?」
「うーん、そういうわけじゃないんだけど……」
吸血鬼になってから、どうも"顔色が悪い"と言われることが増えた気がする。
この間、お婆さんにも言われたし、葉月ちゃんにも言われた。
悩み事が増えて、眠れなくなったからなのか、それとも本当に少し肌の色が変わってしまったのか。
自分でも気づかないほどの変化だけれど、自分に起きた変化は気づきにくいらしいし、真相は謎のままだ。
「詰め込みすぎは良くないわよ。定着しない、って言うし」
「あはは…勉強は大丈夫だよ。範囲も大体はわかるし、数学がちょっと不安なくらいで…」
「芽衣はほんと数学苦手よね…私もそんなに得意な方じゃないけどさ」
数学はどうも苦手。色んな数式と記号の組み合わせが、少し複雑になるだけですぐ覚えられなくなってしまう。
そういえば、昔から"数字の多い本だけは"ほとんど読まなかった。
お父さんはよくそういう本を読んでいたのを見たけれど、お母さんも苦手だと言っていたから、もしかしてそこはお母さんに似たのかな。
とにもかくにも、どうやら数字が苦手なのは生まれつきのことらしく、昔から苦労をしていた。
「でも楓ちゃん、その数学も前はいい点だったらしいし、すごいなぁ。わたしいっつも不安だもん」
「日頃から予習復習をちゃんとしてるもの。それに学生の本業は勉強。本分を果たしてこそよ!」
えっへん、と声が胸を張ってみせる楓ちゃん。
楓ちゃんは勉強が得意な子だ。いつそんなに点を取れるくらい勉強したのかというくらい、いつもテストで良い点を取る。
もしかしたら、本当に楓ちゃんの言うように、「日頃の予習復習をちゃんとして」いたらあのくらいの点数をわたしでも取れるようになるんだろうか。
けど、仮に本当にそうだとしてももわたしには、楓ちゃんの真似は出来ないんじゃないかと思う。
そう思う理由までは、今の自分にはわからなかった。
「…そうだ、さっき終礼の前に、放課後芽衣と一緒に職員室に来てほしい、ってお願いされてたんだけど…」
「……えっ、何があったんだろう」
「別に怒られるとかじゃないと思うわよ。久世先生のことだし、ちょっと軽いお願いとかそんなのだと思うわ」
わたしたちの担任の久世先生は、眼鏡をかけた小柄で優しそうな先生だ。
そんな先生による国語の授業は、授業の雰囲気もあいまって眠くなってしまうと評判……って、前に楓ちゃんが言っていたような気がする。
「でもわたしたち2人なんて珍しいね。」
「そうよね…ただ何か用事があるだけなら多分私だけだろうし…まああんまり待たせちゃうのも良くないし、行きましょ」
バッグを抱えながら、楓ちゃんはそう言ってすぐに教室を後にする。
あまりに早いその動作に、どうしたらいいんだろうと動きが止まってしまったけど、
楓ちゃんもそれを察してくれたのか扉の前で待っていてくれた。
廊下と階段を歩いて、職員室の方を目指す。
楓ちゃんは普段足が速いけど、こういう時はわたしに合わせてゆっくり歩いてくれる…
そのはずだったんだけど、思いのほか今日はわたしの方が足が速かった。
吸血鬼化の影響で身体能力が少しだけ上がっていることを、上手く考えられずに早く歩いてしまったのだ。
「あれ、なんか今日芽衣足早くない?」
「そうかな…?」
歩いている最中、楓ちゃんが不信そうにわたしの方を見る。
「うん、いっつも私の方が足早いからー、ってことで、ゆっくり歩くようにしてるんだけど、むしろ今日は芽衣の方に私が追い付けないわ」
びっくりした。わたしの足、そこまで速くなってたんだ……。
「えっと…とりあえずゆっくり歩くね…?」
「う、うん…」
思いもしない指摘に、動転して意味のわからないことを言ってしまう。とりあえず、今は大丈夫かな……。
吸血鬼になったことは、今のところは気づかれていない。
もし、そう知られてしまったら、ああいう亜人とか亜人狩りとか、そういった世界に楓ちゃんたちを巻き込んでしまう。
だから、このことは秘密にしておかなきゃいけない。
けど、今日は歩く速さで危うく「何かあった」と気づかれそうになった。体育の授業も気を付けないと……。
秘密を明かせない罪悪感と、いつまでこの生活が続けられるのかわからない不安を、改めて認識してしまった。
職員室の前まで着いた頃には、楓ちゃんがもう職員室のドアを叩いていた。
「久世先生いますかー?」
「ああ、久世先生なら……」
おそらく他の学年であろう先生が対応すると、久世先生が紙の束のようなものを持ってドア近くに立っていた。
「先生、えーっと、お願いってなんですか…?」
「小田桐藍さん、って子はわかるかしら?うちのクラスの、春から学校に来てない子なんだけどね」
その名前には憶えがある。というのも、2年生が始まった時に席が隣で、たまに話をしていた子なのだ。楓ちゃんも交えて話をしていたこともあった。
言われてみれば、確かに最近彼女の姿を見ない気がする。
「その子にプリントを届けに行って欲しいの。結構プリントが溜まっちゃってね。
あの子一人暮らしで親御さんにも連絡取れないから……。大丈夫かしら?」
「私大丈夫だけど……芽衣は大丈夫?」
「大丈夫だよ。いつもだったらアルバイトだけど、今日はテスト前でお休みだから」
「試験前で大変なのにごめんね」
「いえ、友達のためですから。住所とかは…」
スマートフォンを取り出し、メモアプリらしきものを開いた楓ちゃんに続いて、わたしもメモアプリを開いた。
「今から伝えるわね…もしお家から遠かったらごめんね?」
小さな紙に、先生が住所を書いて手渡してくれた。
渡された住所はわたしの家からかなり近いところだ。
神楽坂高校は同じ町から通っている生徒が多いから、それなりに近い場所である可能性は高いと思っていたけれど、まさかここまで近場とは思わなかった。
「結構近いわね…芽衣はどう?」
「実はね…すっごい近所だった!」
「へー、ラッキーじゃない!行きましょ行きましょ!あ、先生、プリントは……」
「このファイルにまとめておいたから、それで渡してね」
「はーい」
わたしたちは善は急げと、すぐに小田桐藍さんのもとへと向かうことになった。




