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【完結】Camellia~紅の吸血鬼が紡ぐ物語~  作者: 八十浦カイリ
第二章 月へと吼える
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第二章 2 『イラつく』

「………………」

目の前の大量の英単語を前に、俺はただ立ち尽くしていることしか出来なかった。

いや、正確には座っている体勢なんだが。

期末テスト。それは学生にとって最も憂鬱な時期であり、また学生にとって最も忙しい時期でもある。

「くそっ…ここの綴り間違えてる…でここはCじゃなくてSかよくそっ……」

「事務所に来てまで勉強なんて精が出るね、流石僕の鳴。

やっぱり怪異狩りでも、学生としての本分は果たさなきゃいけない、ってところかな?」

「うるせえ集中してんだ話しかけんな」

優斗の軽口に、ついつい集中が途切れてしまった。いけねえ、今どこまで覚えようとしたっけ……。


「まあでもあんまり詰め込み過ぎても良くないよ。それに慌てて詰め込んだものはすぐ抜けてしまうからね」

「次のテスト赤点だったらそろそろヤバいって聞いてるんだよ。」

「まだ1学期なのに?鳴ってそんなに成績悪かったっけ?」

「お恥ずかしながら。中間も相当だったし、そろそろ本腰入れねえとな、って思って」

俺は勉強が苦手だ。

"亜人狩り"という時に命に関わるようなことをしていると、学校で習っている勉強なんてとてもちっぽけなものに思える。

寝ても覚めても、数学の公式や英単語のことなんかより、効率よく亜人を退治する方法のことを真っ先に考えるのだ。

勉強は学生の本分と言われても、俺にとってはそんなこと全くしっくりこないことだった。

「ちなみに……中間は半分以上赤点だった」

「わぁ…」

目を細くしたまま、白々しく驚いたふりをする優斗。もうバレバレなくらいの茶番だ。


「つーか、優斗は勉強しなくていいのかよ?お前だってテストだろ?」

「うん?普段予習はきっちりしてるから、試験範囲の確認とちょっと気になるところのチェックくらいだよ?」

ああ、そうか…こいつそういうやつだった。

相澤優斗は凄まじく要領の良い男だ。

思えば、こいつが何かに失敗したり悩んだりしている姿を見た事がない。常に余裕の笑みを浮かべている姿しか、俺の記憶にはないのだ。

「お、おう…なんかあれだな、やっぱお前って頭良いんだな」

「そりゃもちろん。僕は頭脳担当だからね。このくらいはこなさないとね」

「…あっそ」

いつも通りの軽口をスルーしながら、再び単語帳の方に目を向ける。


表向きは相談所となっているこの「事務所」。

しかしその実態は、人間に危害を及ぼす亜人を狩るための組織の事務所だ。

そんな物騒な事をやっている場所だが、俺にとっての唯一の居場所でもある。


俺には家族がいない。いや、正確にはいたのかもしれないが、その時の記憶はない。

何せ、小学校より前の記憶は、もう既に薄っすらとすら残っていないほどに覚えていないのだから。

記憶がある頃には既に、ああいう『悪しき存在』を狩るための訓練をし始めていた。

別に俺の記憶なんていうものはどうでもいい。後ろを振り返っていても、それで何かが見えるわけじゃない。

だが、最近はどうも嫌な胸のざわつきが抑えられない。

そのざわつきをあえて一言で表現するのだとしたら。


『イラつく』。

そうだ。俺はあの吸血鬼のような何かと会ってから、どうもそれが抑えられなくなってきている。

悪しき亜人であるはずなのに、まるで人間のように振る舞い、人間のように理性的に動いているそいつが。

「どうしろっつーんだよ……」

昔から、亜人というものは常に危険なものであり、人間の生活を脅かす者として教えられてきた。

そして、それはほぼ全てがそうだった。亜人という生き物は、人間よりも理性というものが弱いとされている。

餌にするものがあれば何の抵抗もなく襲い掛かり、他人のことなど気にせず己の欲望を満たす。

吸血鬼だってそうだった。俺が前に見たそれは、人間の血を枯れ果てるまで吸い尽くしていた。


本当に、亜人というやつは狩るべき存在なのか?

そんな疑問が俺の中に浮かび始めている。

あの吸血鬼と出会ってからだ。『あれ』は、まるで人間のように振る舞い、人間のように生活している様子だった。


事務所の中に沈黙が広がる。

優斗の方もそれを察したのか、カバンから漫画を取り出して読み始めた。こっちが悩んでるというのに余裕なやつだ。

タイトルはよく見えないが、素人目に見ても絵はまあまあ良さそうな感じに見えた……

が、優斗が読んでいるということはやっぱり「クソ漫画」なのだろう。


こいつはわざと地雷臭がする漫画や、映画のDVDを収集するというよくわからない趣味をしている。

それが楽しいのかどうかは全く分からない。

だから、この趣味については俺はもう出来るだけ触れないことにした。触れたところで共感できることに全く期待していないのだ。

そもそも、俺は家にほとんど本が無いくらいには本を読むのは好きじゃない。

漫画くらいならともかく、活字だけの本になるともうお手上げだ。長く字を眺めているだけで頭が痛くなってくる。


ようやく単語帳を開こうとした頃、沈黙を破るようにガチャガチャとドアが開かれる音がする。

この乱暴な開け方は、間違いなく所長……恭平さんのものではない。

「ただいまーーー、あっれー?所長いないのー?」

沈黙していた事務所に現れたのは、長い黒髪を二つ結びにし、その色とよく似た色のロリータ服を着た女。

俺にとっては同僚にあたる1歳下の「亜人狩り」、黒川詩音だ。

正直、俺はこの女が苦手である。理由はたくさんあるが、何よりその明らかに周りから浮いた恰好が気に入らない。

「恭平さんなら外で用事だから、6時くらいまでは帰ってこないよ」

「えーー、成果報告しようと思ったのに。ところで優斗さ、まーた『その手の』漫画読んでんの?面白いの?」

「んー、今回は100点満点中23点くらいかな。結構高い方」

優斗が対応してくれて助かった。つーか23点で高い方って普段読む漫画どんだけひでえんだよ。


「まず主人公がデスゲームに入った中ですぐに適応せずに結構悩んでるって所で加点。

まあその後はすぐ人殺すようになっちゃうんだけど」

突如、優斗の顔がいつも以上にニヤニヤとし始める。こいつはクソ漫画を語る時はものすごく生き生きするんだが、今日は格別だ。

「だって、武器を向けられて正当防衛となった途端に躊躇なく銃を撃ち始めるんだよ?

その後は撃ち殺して『パーフェクトゲーム』とか言っちゃうの、いきなり人格変わりすぎでしょって思ったけどさ。

……僕たちだって、そういう風になる可能性は無くはないと思わない?」


厭らしい事を言い出すやつだ。話の発端が漫画とはいえ、その話は俺にやけに『刺さる』。

俺たち亜人狩りにとって、それは自分たちの領域を侵されないための『正当防衛』だということは、常に意識して戦ってきた。

だったら、その正当性がなくなってしまったら……?それは単なる殺しに過ぎない。

まるでさっきまでの俺の思考を見透かしてきたかのように、的確にそんな話題を投げかけて来る。こいつのこういう鋭さは、本当に敵じゃなくて良かったと思う。

「まあ冗談だけどね、所詮漫画の話だよ。本気にするような話じゃない。あー、でも。この漫画が23点だって思った加点の理由はもう少しあってね…」

「もういい。聞いてらんない。優斗、そういうのなんていうか知ってる?」

「何かな?」

「『逆張り』って言うんだよ。単なる逆張り。そういうので変な思想に目覚めた友達知ってるし、世の中の事はもうちょっと素直に考えた方が上手くいくもんなの」

「へー、詩音はそう考えるんだ。そういうの嫌いじゃないよ。僕は随分ひねくれちゃったからね。

長い事『こういう事』やってると、自分の住んでる世界とか信じられなくなっちゃうことがあってね。信じられるのはもう……」

一拍置いて、優斗の視線が何故か俺の方に向かう。

「鳴だけだよ。僕は恭平さんのことも、もちろん詩音のことだってそんなに信じちゃいない。……鳴。君は僕を裏切ったりしないよね」

そのやけに熱い視線に、思わず目を逸らしそうになる……が、逸らせない。その言葉には、なんだか言葉以上の何かが含まれているような気がしたからだ。

「……当たり前だろ」

自信があるわけじゃない。けれど、何となくその視線には、答えてやらねばならないと、思った。


「隙あらば惚気る。そういうの他所でやってくんなーい?」

「鳴のことならあげないよ?」

「そういうのいいから。あー、ボクにも運命の相手とか現れないかなぁ。こう、颯爽と現れて、ボクのこと好きになってくれるような」

第二。こいつのこういう自己陶酔的なところが気に食わない。

ま、ああいう恰好で平然と街を歩いてる時点でそういう気は強いんだろうが、それはそれとしてなんか見ているとムカつく。

「あるわけねえだろ。第一お前のこと好きになるやつなんざどこにいるんだよ」

「単細胞馬鹿よりは確率高いと思うけどね?それにボクって自分で言うのもなんだけど美少女だし。絶対いるって」

「惜しげもなく自分のこと美少女とか言ってやがるし……つか誰が単細胞馬鹿だ誰が。」

「はいはい。そのへんにしておいてね。恭平さんいたら2人とも怒られてるところだったよ?」

「くそっ……」

「むぅ……。」

優斗が間に入ったところで、俺も詩音も引き下がる。

こいつは怒らせたら怖いってことは、俺自身が何よりも痛感していることだ。


また単語帳をぱらぱらとめくっていると、覚えていない単語だらけでめまいがした。

どうしてこうも、ただ生活してるだけでも覚えることが多いんだろうか。

事務所を借りての勉強は、結局夜の21時まで続いた。

一番集中できる場所とはいっても、自分の家じゃないから、いつまでもいられるわけじゃない。

「家、か……」

どうせ、俺の家には何もない。あるものといえば、最低限の家具と勉強机だけ。

その風景が、無性に寂しく思えてしまうことがあるのは、きっとただ単に俺がまだ子供だからだろう。

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