第一章 17 それって色んな世界見てる、ってことじゃない
ジリリリリリリリリリ…
急かすような目覚まし時計の音に、カーテンの隙間から差してくる朝日。
「ん………」
ゆっくりと目を覚ます。脳裏に焼き付く昨夜の光景。
もしかして夢だったんじゃないかと思うけれど、口の中に残る血の味と匂いが、あれが現実であることをわたしに伝えていた。
「そっかわたし、血を吸っちゃったんだ……」
いよいよ自分が、人間から遠ざかっているということを理解する。
けれど、これ以上もとに戻ることはもう出来ないんだろう。眠気で少し重たい身体をなんとか引きずりながら、リビングへと降りていく。
リビングに降りると、そこには葉月ちゃんがいた。
「おはよう芽衣ちゃん、昨夜はほんと何があったの?」
「ゆ、昨夜……?友達の家に行ってただけだよ?」
そう答えると、葉月ちゃんの顔がどうにも訝しそうな様子へと変わった。昨夜どうしたんだろう…?
「随分顔真っ赤にして帰ってきてたじゃん。友達の家で何してたの」
言われてみれば、昨夜"血を吸って"からの記憶がない。
それ以降のことが全く思い出せないのだ。
「ふーん…まあ深くは聞かないよ。芽衣ちゃんももうすぐ大人だもんね」
なんだかものすごく勘違いをされている気がしてしまったけれど、気にしないことにしよう。
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「リア、なんだか今日は嬉しそうですね」
「芽衣に血を吸ってもらったのよ。これであの子とまだずっと一緒にいられる」
「まったく…私はあの提案、反対したはずなのですけれどね。結局突っ走りすぎるのは止められませんか」
「止めたところでどうするというの。それにあなたは臆病すぎるのよ」
「いいえ?ただの人間の女の子を私たちの世界に呼び込むということの意味を、あなたはちゃんと考えているのかと聞いているのですよ」
「考えていないわけがないでしょう。」
「それならそれでいいのですが。ですからわたくしたちは……」
「今後、もっと大きな敵と戦うことになるのですから」
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「んーーー?」
「えっと、どうしたの…?」
覗き込むようにして、わたしの顔をじろじろと見てくる楓ちゃん。
なんだかくすぐったいような気分になる。
「いやー、今日の芽衣やけに顔色がいいなーって思って。昨日ほんと酷かったのに」
「そんなひどかったかなぁ……?」
「酷かったっていうか、めちゃくちゃ眠そうだったわね」
そうなんだ……。そういえば、昨日の記憶もなんだかあいまいだ。
なのに、吸血をした記憶だけは鮮明に残っていて、なんだか不思議な感じがする。
「あ、そうだ芽衣。昼休みでいいんだけど、ちょっと相談乗ってくれない?」
「相談?わたしでよければいいよ?」
「うん!ありがとね!」
楓ちゃんから、わたしに頼み事。一体何だろう……?
色々と抜け落ち始めている記憶をなんとかたどろうとしながら、次の授業の準備をし始めた。
最近、どうも記憶が抜けてしまうことが多いように思う。
よくぼけっとしているねとは言われるけれど、ここまで記憶が抜けるなんてことがあったら、そろそろ何か迷惑をかけちゃいそうだなぁ…。
吸血鬼になったからなのだろうか、とすれば……。
昼休み、今日のご飯は購買のサンドイッチだ。
あの時からトマトがどうも食べられないから、トマトの入っていないツナとタマゴのサンドを選ぶことにした。
リリスさんからは、血を移されたことで嗜好の一部が変化しているのでは?と言われたけれど、どうもあんまり実感が湧かない。
思えば、カメリアさん……いや、リアさんの嗜好については、知らないことだらけだ。
もっと、あの人のことをよく知らないと……。
そんなことを考えながら、サンドイッチの包装を剥がしていくと、向かった席に楓ちゃんが座っているのが見えた。
「今日はありがとね。芽衣に頼みたかったっていうか、こんなこと芽衣くらいにしか頼めないんだけど……」
わたしにしか頼めないこと……一体何だろう。
楓ちゃんがこういう風に頼んでくるのは、とっても珍しい…いや、初めてかもしれない。
「いやー、実はね。今度書く予定の小説が全然書けないの」
「スランプ?」
「そんな感じなのかな。上手い事筆が進まなくって」
「そういえば、前にも迷ってる、って言ってたよね」
「うん、芽衣には直接言ったかどうか覚えてないんだけど……結構前からそうね」
迷っている、というのは、来月投稿する予定の賞に応募する小説のことらしい。
何とも1ヶ月はほとんど何も進んでいないそうで、柚葉ちゃんにも相談したけれどいい答えが得られず、わたしの方にも聞いたというそうだ。
「芽衣はさ、いい主人公、ってどんな主人公だと思う?」
賞のテーマは「青春」だという。範囲が広そうだし、テーマとしてもそれなりに難しそうだ。
「うーん…わたしにはわからないけど、でも。自分の世界をちゃんと持ってる子の方が、わたしは好きかな」
答えはすごく曖昧だったと思う。楓ちゃんの役に立つかはわからないけれど……
「私ね、"主役"っていう存在が今までよくわかんなかったの。
前に書いた恋愛小説ね、主人公の考えてる事が全くわからない、って言われちゃってさ。
自分のこともよくわかんないのに、他の人のことなんてわかるわけない、って思ったんだけど。
もしかしたら芽衣に聞けば、何かその答えがわかるかな、って思って」
「…………?」
思わず、首をかしげる。
「だって芽衣って私よりたくさん色んな本読んでるでしょ?それって色んな世界見てる、ってことじゃない。
私、もともとあんまり本読まない方だったからさ。でも書いてみよう、って思ったの芽衣のおかげだから」
楓ちゃんが、わたしのことをそんなに頼りにしていたとは思わなかった。
自分があまり頼りない方である、というのは自覚している。
遅刻や寝坊も油断したらしちゃいそうになるし、相変わらずぼけっとしているとは言われるし。
けれど、自分が周りを頼っているの以上に、周りはもしかしたら自分を求めているのかもしれない。
でも、それなら、自分って…一体自分ってなんだろう。
「ごめん、昼ご飯とかの時にする話じゃないわよね」
「えっ!?そんなことないよ?楓ちゃん、いつも頑張ってるし、いい小説になるといいね」
「ありがとう。そうだ、芽衣はさ。」
「もし自分が物語の主人公だとしたら、どういう風な主人公になりたいって思う?」
とても、難しい質問だった。
今までわたしは、物語の主人公どころか、物語を一方的に見るだけの立場だったのだ。
この1週間で、ずいぶんとわたしの見る景色は変わってしまった。
たったの1週間だった。それなのに、この6月になる前のことを考えたら、
どんな生活をしていたのかすら思い出せなくなりそうなくらい、劇的な出来事が次々とわたしのもとへとやってきた。
「わかんない、わかんないよ……」
家に帰って、晩御飯を終えた後も、結局その言葉はずっと刺さったままだった。
楓ちゃんも、すぐに答えを出さなくてもいいし、あんま深く考えないでとは言っていたけれど……。
「うーん…どうしたらいいんだろう…」
どうにも頭が上の空だ。好きな本を読むのにすら集中できないほどに、まだまだ上の空。
ぼけっと天井を眺めていると、スマートフォンが鳴る音が部屋に響き渡る。
「なんだろう?」
何となく確認すると、それはリリスさんからのメールのようだった。
『少し相談がありますので、今からわたくしの家に来てくださいませんか』




