第一章 13 遅くて良いことなんて何もない
わたしは、花畑の中にいた。
赤と白の綺麗なお花が、どこまで続くかもわからないほどに広がる光景。
そしてその中に、わたしは横たわっていた。
ここはどこなんだろう。さっきまでの記憶はない。
ただ、誰かを探していたようなそんな気がするだけ。
「○○○○――――――」
わたしを呼ぶ声がする。
声のする方に顔を向けると、そこにはあの美しい髪と瞳の吸血鬼がいた。
その人は優しい微笑みをわたしに向けながら、そっとわたしの頬に手を取る。
その手つきはとても優しくて、そのままずっと身を預けてしまいたくなるような、そんな気持ち良さだった。
うっとり、ぼーっとしていると、その人はわたしの手を取る。
その人が立ち上がるのを見て、わたしも立ち上がろうとした、その瞬間。
手の甲に、キスをされた。
少し恥ずかしかったけれど、それは"いつものことのように"感じ、驚きまではなかった。
そのまま、手を取られたまま、わたしと"紅の瞳の吸血鬼"は、花畑の中を歩いていく。
どこまでも赤と白の綺麗な花が続いていく、その楽園の中を。
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ジリリリリリリリリリ……
急かすような目覚まし時計の音に、ぼんやりと朝日が差し込む。いつも通りの風景。
わたしは夢を見ていたみたいだった。
「夢の中で…わたし…カメリアさんにキスを……」
思い出すと急に恥ずかしくなる。こういう時に限って、夢の中で起きた事は鮮明に頭の中に残っていて、
振り払おうにも振り払えないほどにまでくっきりと思い出せた。
夢というのは自分の願望が出たもの、という話を柚葉ちゃんから聞いたことがある。
だとすれば、わたしはカメリアさんにキスをされたいなんてことまで思ってしまっていたのだろうか。
カメリアさんはとても美しい。それこそ、テレビの中に出ている芸能人やモデル、アイドルなんかとは、また違った別種の美しさだ。
テレビの中の人たちが私たちに近い美しさだとするならば、彼女のそれはまるで"物語の世界の住人"のようなものだと言えるだろう。
浮世離れした、現実とは思えないような美しさを持つ"吸血鬼"。
そんなことを考えていると、昨日彼女と話した時に向けられた、あの微笑みが脳裏に浮かんで、ずっと消えないほどに……。
「芽衣ちゃん、いい加減起きなさい!!」
葉月ちゃんの声で、ふいに"目が覚めた"。
慌てて目覚まし時計を確認すると、時刻は7時55分。危うく寝坊するかと思うほどの時間だ。
「うわああああああっ!?」
びっくりして飛び起きる。目覚まし時計はちゃんとセットしておいたはずで、もう音が鳴っていないということを考えると……
「もしかしてわたし…二度寝を……?」
「いやそれはどうでもいいの!早く朝ごはん食べて学校行って!私ももう家出るから、一人でちゃんと身支度してね!」
目の前で仁王立ちをしながらわたしを叱りつける葉月ちゃんの姿を見ると、彼女はもうとっくに身支度を終えて制服を着ていた。
そそくさと踵を返して出ていく葉月ちゃんの背中を見ながら、事態の重要さをようやく理解する。
「急がないと!!」
「楓ちゃんおはよー」
「おはよう芽衣、なんか今日はえらい髪ぼさぼさね!?それにすごい眠そうだし…何かあったの?」
学校には何とか間に合った。朝食も食べずに慌てて制服を着て飛び出してきたから、始業時間まではまだ余裕がある。
「うっかり二度寝しちゃって…。葉月ちゃんにはすっごい怒られちゃったよ」
「もー。妹さんに迷惑かけるんじゃないの。ほら、トイレで顔洗ってきて!
そしたらちょっとはマシになるはずだから!まだ時間に余裕あるし、ゆっくり身だしなみ整えといてっ!」
そういえば、鏡も見ずに飛び出してきたんだった。
楓ちゃんは随分と焦っている様子だし、変なことになってないといいけれど……。
眠気で瞼の重たい目をこすりながら、楓ちゃんの言う通り、ひとまずトイレに向かうことにする。
トイレの鏡には、ただでさえ癖っ毛の髪がぼさぼさになり、目には隈ができ、三秒後にはもう寝ててもおかしくないような顔の"わたし"が映っていた。
一見すると、なんだかもう自分であることが信じられないくらいの様相を呈していて、楓ちゃんがああなっているのも納得の様子だ。
「ほんと、早起きはちゃんと気を付けよう…なんかごめん葉月ちゃん……」
ひとまず寝ぐせだけは何とか直して、顔は洗って……。
「(ありがとね、楓ちゃん…わたしとんでもないことしてたよ)」
こんな顔じゃ、授業はともかく、終わった後のアルバイトには絶対出られない。
気づかせてくれた楓ちゃんに感謝をしながら、わたしは教室へと再び戻った。
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「吸血鬼の伝説、全然見つかんねーな……どっかにあるはずなのに…」
俺はスマートフォンを操作しながら、目的の情報をどうにか探ろうとする。
目的の情報、それは"この神楽坂町近辺での吸血鬼についての話"だ。
吸血鬼、と呼ばれる何かによる殺人事件は、全てこの神楽坂町で起きている。
ならば、この町にはそれに近い何かが必ず残っているはずだろう、と考えたのだ。
「優斗はなんか見つかったか?」
「別に?でも、そういう怪談話とかオカルト話って、結局のところどこかで起きている現象に尾ひれがついて伝わってるだけっていう話だったりするじゃないか。
だからあんまりあてにならないと思うんだよね」
そんな風に呑気に話す相棒。つい昨日被害者が出たばかりだというのに、本当に能天気なことだ。
「とか言っても、昨日もまた犠牲者が出たんだ。もうちょっと急いで探す必要があんだろ」
「それはその通り。いやぁ、鳴は本当に真面目だよね」
「真面目なんかじゃねーよ。一刻も早くその吸血鬼ってのを見つけて退治すりゃ、その後に被害者が出なくて済むんだ。
だったら動くのは出来る限り早い方が良い。遅くて良いことなんて何もない」
「でもさ、そうやった結果がターゲットの誤射、そして敵でもない相手に返り討ちにされて入院。
もう少し冷静になった方がいいよ。恭平さんも言ってたじゃないか。余計な相手を狩る必要はない、大義のない亜人狩りは単なる迫害でしかない、ってね」
優斗の言葉は本当にその通りだ。俺は確かに、あの女を攻撃して、あの赤髪の女に蹴られて"必要のない怪我"をした。
だけど、それ以上に俺は亜人による被害というのが許せない。
黙って待っていることに、俺は"正しさ"っていうのを全く感じない。
「ところで優斗」
「何かな?」
「今のお前のスマホの画面ちょっと見せてみろ」
「ふふふ、いいけれど、あんまり人のプライバシーっていうのを覗くっていうのは感心しないよ?」
優斗がこういう態度の時、決まってこいつがやることは一つだ。
「えーっと…何何。なんかタイトル長えな…ってお前これいつものクソ漫画じゃねーか!」
人が真剣に情報を探していた間に、あろうことかこの野郎はWEB漫画のサイトを覗いていた。
相澤優斗。趣味はクソ漫画漁りとクソ映画鑑賞です、と言いそうなレベルで、こいつは何故か面白くない漫画や映画を漁るのが大好きなのだった。
「クソ漫画じゃないよ。その漫画、思ったより面白かったよ?もっとも、最強と言いつつ第1話でスライムに敗北していたのは正直どうかと思ったけど」
「内容はどうでもいいわ。それお前基準だから一般的に見たら結局絶対クソ漫画だろ。つーか次やったらお前恭平さんに仕事中クソ漫画読んでましたってチクるからな」
「あはは、手厳しいねぇ」
よりにもよって優斗は手を叩いて笑っていた。こいつに危機感っていうやつは無いんだろうか。
「…もっとも、今のは単なる暇潰しでね。文献を見るなら、もうちょっと効率の良い所があると思ってさ」
「暇潰し……?とりあえずそれとっとと教えてくれ」
クソ漫画を読む暇があるほど手早く解決しそうな所なのか、はたまたクソ漫画を読むのを優先したいくらいどうでもいいと思っているのかはわからないが、
優斗の勘はよく当たる。ひとまず、聞かないという選択肢はなかった。
「近くの商店街に古書店があっただろう?あそこなら、もしかしたら参考になるものが見つかるんじゃないかと思ってね。
僕、一度あそこを訪れたことがあったんだけど、かなり古い本まであったみたいだから、もしかしたら何か見つかるかもしれない。」
細めていた眼を少しだけ開き、優斗はいつになく真剣な目で俺の方を見る。どうやら本気らしい。
「なるほど、んじゃ行こうか。出来るなら早く行った方がいいだろ」
「あ、ちょっと待って。さっきの漫画、まだ読んでないページがあと20ページくらい…」
「後にしろ!!」
変な駄々をこねる相棒を無理やり引っ張りながら、俺たちは古書店を目指して歩き始めた。
「着いたよ。ここだ」
「なるほどな……聞いてた通り、相当古そうだ。わかんねえけど多分100年くらいはやってる店なんじゃねーのか?」
『秋の葉堂』と看板が書かれたその店は、確かに妙に古めかしい雰囲気を醸し出していた。
こういった所なら、確かに見た事もないような文献が眠っているだろうということは何となく想像がついた。
店の扉を開くと、独特の紙束のような匂いが鼻をつく。本がもともとそこまで好きじゃない俺にとっては正直あまり良くない匂いだが、
優斗はどうやらテンションが上がっているらしく、鼻歌まで歌っているようだった。
「お前…よくこんなとこでテンション上げれるよな」
「でもさ、こういう所って雰囲気が出ないかな?古い場所独特の空気というかさ。僕は結構好きなんだよ」
「変な趣味してんな」
「直に鳴にもその気持ちはわかるはずだよ」
などとまたまた適当なことを言う優斗。クソ漫画よりはよほどマシだからなのか、趣味が悪いとはあまり言えなかった。
「にしても…ここはまた普通の本屋とは違うもんが並んでんな……」
ほぼ黄ばんで、いかにも「古いです」という雰囲気を出している本だったり、紐で閉じているだけの背表紙すらないものだったり。
俺はこの店を100年続いている、と予想していたが、もしかしたらもっとかもしれない。
結論から言うと、思う通りの"情報"というものはほとんど得られなかった。
そりゃそうだ。吸血鬼の伝説が文献なんかに残っているのであれば、そもそもそいつは空想の存在としては語られないはずなのだ。
「もしかしてあいつに嵌められたか……?」
適当なことを言って、もしかしたらここに来たかっただけなのかもしれない。なんてことを考えていたら少しイライラしてきた。
そんな俺の方に、一人の人影が近づいてくる。俺よりは少し小柄。ということは間違いなく優斗ではない。
「あの、何かお探しでしょうか?」
店員だった。いかにも古めかしい古書店のイメージとは違う、若い女の声。
とりあえず何か返事でもしようかと、声のする方に向かって振り向く。そこには……。
「お前、なんでそこにいるんだ……!?」
そこには、あの駅で出会った、あの女吸血鬼の隣で、血を流していた少女の姿があった。




