第一章 12 全て察してたんですか?
「簡潔に済ませるわ。…メイ、私の血を吸って」
少しずらした裾から見える、艶めかしいまでに美しい首筋に指をあてながら、カメリアさんはそう告げた。
今すぐにでも、そこに歯を突き立てて、血を吸ってしまいたい、そんな想いに支配されそうになる。
血なんて吸ったことがないのに。今までそんなことを"しようとも思わなかったのに"。
「どうしたの?躊躇うようなことでもないでしょう?」
「……っ」
そう言われても、まだ最後の一歩が踏み出せそうにない。
迷っているうちに、頬に汗が伝っていくのを感じる。
もしこの一歩を踏み出してしまったら、わたしは完全な吸血鬼になって、人間ではなくなってしまうような気がするから。
きっとそれはおそらく、「咲坂芽衣」という存在でもない、別の何かに変わっていってしまうような。
「リア。無理強いは良くないですよ。それはマナー違反です。ましてや芽衣さんはまだ吸血鬼としての心構えが出来ていない。
そんな状態で無理に血なんか吸わせてしまったら…」
「あなたは黙っていて」
諭そうとするリリスさんを、カメリアさんは強引に手で制する。
「これはメイと私の問題よ、あなたは過干渉が過ぎるわ。それの私も無理強いをしようというわけではないの」
「あの、カメリアさんは、どうしてわたしに血を吸わせよう、って思ったんですか?」
リリスさんが引き下がったのを見て、飛び出すように質問をする。
気づけば、顔がもう引っ付いてしまいそうなくらいに近づいていたけれど、そんなことを気にしている場合じゃなかった。
「人間から吸血鬼に変わった者が、最初に吸血行為に抵抗を示すのはごく自然な反応だわ。そのくらいは私も理解しているもの。
だから、血を吸いたくないというのであれば私もそれを受け入れるつもりよ」
「もしかして、全て察してたんですか?」
「…当然。吸血衝動が出たくらいで、あれだけ泣きつかれてしまったらそのくらいはわかるわよ」
「…あはは。その時のことを言われちゃったら、わたし何も言えません」
悪戯っぽく微笑む様子に、あの時のことを思い出してしまって、ついつい恥ずかしくなってしまう。
案外、意地悪な所もあるんだろうか。けれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「本題に入りましょう。あなたは、武装を出すことに成功し、あの怪物を一時だけでも退けた。
それは本当に素晴らしいことだと思うわ。そこらの吸血鬼なら、あれだけの精度で急に武装を出すなんてことはなかなか出来ない。」
カメリアさんの目つきが真剣なものになる。その表情からは、目を逸らすことが出来なかった。
「しかし、血を吸えない状態では武装を出すにしろ、戦闘能力には限界がある。
すぐに血を使い果たしてフラフラになってしまうのでは、結局自分の身は自分では守れないの」
「だから、血を吸うことで…その力を充分に発揮できるようにする、ということですか?」
「正解よ。亜人狩りに加え、例の怪物まで出現した以上、あなたにはもう自衛の手段を持っていないと日常を守ることは厳しい」
もしかしてわたしは、まだまだ考えが甘かったんだろうか。
それなら、もう血を吸う以外の選択肢が全くないような気までしてきてしまった。
けれど、そうしてしまえばわたしはもう人間に戻れなくなりそうで……。
「…あの、もしわたしが血を吸わなかったら、どうなるん、ですか?」
「私とリリスで全力であなたを守ることを保証しましょう。ただ、私も完璧ではないから、どうしても限界はあるわ」
それでいい、とはとてもじゃないけれど言えなかった。結局守られるだけなら、それはほとんど意味がない。
まだ悩んでいると、リリスさんがふいに立ち上がるのが見えた。
「リア。いくら何でもそれは厳しすぎじゃないですか。あなたのように戦いに身を置いた経験があるならともかく、
今のこの国は戦いなどとは無縁の国なのですから。無理強いをしたくないというのはよくわかりました。
ですが、あくまでも戦いを前提とした考えには反対です。この時代のこの国の人間に、あなたの考えは当てはまりません。」
「言ってくれるじゃない。そう甘い考えでいるから、守れるものも守れなくなるのよ」
「時代や国が変わったなら、もう少し適応を考えるべきだと言っているのです。その考えでは芽衣さんの日常は守れませんよ」
「…………っ。これだからリリスは。昔からいるけれど、あなたのそういう所だけは本当に気が合わないわね」
「こちらも同じこと、返させてもらいましょうか。」
喧嘩になりそうだったけれど、何とか収まって良かった、というのが正直な気持ちだ。
わたしはこの2人の事情をよく知らない。だから、詮索も出来ないし喧嘩を止めることも出来ない。
もし2人の間に溝が出来るようなことになれば、わたしに出来ることはそれこそ何もないのだ。
「リリスが勝手に出しゃばってきたけれど、気にしないで。あのおせっかい焼きは300年前から全く変わっていないから。」
「あはは……」
やけに棘のある表現に、もうわたしは苦笑いで返すことしかできなかった。
300年前から、2人はあの調子なんだろうか。だとしたら、少しだけ微笑ましいような…そうでもないような……。
「ここですぐに答えを出す必要はないわ。ただ…返事を保留するなら明日ね。
明日の夜までに、どうするか考えておいて。私たちがここにいると、落ち着いて考えるのも大変でしょう?」
カメリアさんが、これまでにないほどに優しく微笑んでくれた。
それは今まで見たどの彼女よりも美しくて、それはもうきっと何時間でも見つめていられそうな、そんな微笑みだった。
「今日はもう帰りなさい。妹さん、きっと寂しいはずよ」
「はっ…はいっ!わかりました!」
ここまで気遣ってくれたことがあまりにも嬉しかったのか、ついつい声が裏返ってしまう。
わたしは答えを出すために、再びまた高層マンションを出て、我が家へと戻る準備をする。
「あのー芽衣さん、もし貧血がきつければ、家まで送ってあげてもいいんですよ」
「大丈夫です!多分、歩けるので!」
後ろからかけられる声にも気にせず、わたしは部屋を飛び出していった。
気づけばまだ頭は少しふらふらするものの、歩ける程度には回復していた。
これなら、急いで血を吸わなくても、日常生活を送ることは出来るんじゃないだろうか。
けれど……それだけでは安心しれきない何かがあった。
何か、嫌な胸騒ぎのような。漠然とした不安のような。
とりあえず、今は休もう。余計なことを考えないで、この夜をゆっくりと過ごすことだけを考えよう。
-------------------------------------------------------------------------
「まったく、さっきも言ったけれど、あなたのおせっかいは300年前からずっと変わっていないのね」
「あなたの方こそ、少しあの子に厳しすぎるのではないですか?」
「過保護にするだけが優しさではないのよ。あの子が一人で身を守れるようになるのなら、それに越したことはないわ。
あの子にはそれだけの素質がある。あなたもそれを無視できるわけではないでしょう?」
「それはそうですが……戦いすらない国の娘を戦いの世界へと投じさせるのは、やはりわたくしには出来ません。
…やっと"あの子"に出会えたのなら、今度こそもっと優しくしなければ、嫌われてしまいますよ?」
「"あの子"はその程度で私を嫌ったりしないわ」
「本当に強情っぱりなのですね、あなたは」
「あなたほどではないわよ。私はただ……」
「愛する人と、また共にいたい。それだけよ」




