断章 3 美しき吸血鬼の話
結局、どういう方がわたくしを吸血鬼にしたのかはわからずじまいでした。
ただわかるのは、自分の魂がどんどんと薄汚れて、怪物に近くなっていたことだけ。
何度血を吸っても、飢えは満たされることはない。
何度愛を求めても、帰ってくるのは醜い欲望とそれを吸い尽くすわたくしの姿だけ。
「虚しい、虚しいですね……」
今もまだ満たされない渇きを必死に我慢しながら、雨の後でじめじめとした道を歩く。
水溜まりに映った自分の姿は、未だに見慣れない別人のようで。
ぱっちりとした目によく筋の通った鼻、真っ直ぐに伸びた髪、すらっとした手足に大きく膨らんだ胸。
こんなのは私じゃない、と困惑したこともありました。
ですが、後々この姿は自由に変えられるということがわかりました。しかし、元の惨めな自分の姿に戻る気は起きませんでした。
めまいがする。飢えと渇きで、身体が上手く動かない。
「結局……飢えるのは変わりませんか……」
なんと皮肉なものか。姿が変わっても、そもそも人かどうか怪しいものになったとしても、結局何も変わらない。パンを盗んでは追いかけられていた頃と、何も。
視界が霞む。ああ、また結局何もすることなく終わるのだろうか。
きづくと、わたくしはベッドのような場所で寝かされていました。
一体誰がこんなことを。それよりも、わたくしのような者を何故こんなところに。
「目が覚めたーー?」
間の延びた、甘ったるい声で話しかけてきたのは家主だろうか。その姿を見てみれば、わたくしよりも随分と小柄な子供のようでした。
「……はい。あなたは?」
「わたしー?わたしはあなたと同じ、吸血鬼。貧血になってて顔色悪かったから、ここまで運んできたの」
「吸血鬼……?何故わかったのですか?」
「あなたからはわたしと同じ血の匂いがするの」
ペースの掴みにくい方でした。何より、何の目的でわたくしを保護したのか。理由がまったく読めない。
「ところであなた名前はー?わたし?わたしはプロテアっていうの。花言葉は「自由自在」「華やかな期待」。どう?素敵な言葉でしょー?」
「……わたくしはあなたに興味がありません」
「わたしはあるよ?」
「……っ、そういう問題では!」
「わたしはあるんだよ?」
わたくしを見つめる瞳はあまりにも純粋で、きらきらと輝いていて。気づけばその瞳から目を逸らせなくなっていました。
「……、わたくしに名前はありません」
「名前がないなんてことがあるのー?」
「気づけば路地裏に捨てられていましたから。……いつの間にかこんな体質になっていましたが」
「なるほどー。珍しいね」
「珍しいんですか?」
「うん、吸血鬼には色々いてねー。人間から変わるものがいたり、血の塊から生まれるものがいたりーー。あともとは動物だったのとかいるよー」
適当に頷きながら、目の前の吸血鬼と名乗る少女……プロテアの話を聞く。
ほとんど話の中身は入ってきませんでしたが……構わず話を続けた彼女の姿は、何だかやけに魅力的に見えました。
思えば、わたくしに対してここまで長く話をしてくれた相手は、人間時代にすらいませんでしたから。
「そうだ。あなた一緒に来ないー?」
「どういうことです?」
「これから一緒に暮らさないか、ってことー。ちゃんとわたしの話聞いてくれたの、あなたが初めてだったの」
「ほとんど聞き流していましたけどね」
それでも嬉しそうな顔をしている以上、言われて悪い気はしませんでしたが。
「聞き流しでもいいのー」
「変わった方ですね」
「えへ、よく言われるー」
その後、わたくしはプロテアと共に生き始めることを決めました。
パートナーが欲しいとはそこまで思っていませんでしたが、彼女と過ごす日々はとても楽しく、充実した日々を過ごしました。
ですが、それが永遠に続かないものだったことは、当時のわたくしには知るよしもありませんでした。
1970年11月27日。忘れもしない、わたくしの前からプロテアが消えた日。
そして、あの日からわたくしは「彼女」に復讐を誓うことになったのです。
突如、目の前からプロテアの姿が消えた。
いつものように、デートをし、いつものように、お互いの楽しみを共有していた頃。
目を離していた隙に、彼女は姿を消しました。
「……どこに、どこに行ったのですか、プロテア!」
街中を探し回った。
目撃情報を知る限りの人物に聞いて回った。
幸い人脈は広かったから、探すことそのものは苦労しなかった。
彼女は何者かによって監禁されていました。いや、それだけならどんなに良かったことか。
「おっと、僕の実験動物に何か用かな?」
「その人を……返しなさい……!」
悪気なくいい放つ白衣の女。よりにもよって、わたくしの大事な人を実験動物呼ばわりとは。
その場で殺してやろうとも思いましたが、何故かこのときのわたくしは腰が引けていました。
「……うーん、面倒だな。まあ充分なデータは取ったから、返すよ、それにしても君には少し悪いことをしちゃったかな?」
まるで弄んだおもちゃをそのまま返すように、わたくしに突き返されたそれは。
最初、それをプロテアだとは思えませんでした。
手足は奇妙な方向に折れ曲がり、わたくしと同じ色をしていたはずの金髪は苦痛からか全て真っ白になり、目はどこを見ているのかわからず、口からは涎と血を垂れ流し……
もう、生きているのかすらわからない状態でした。
一体、何をされたのだろう。想像がつかない。
それでも、この異様な様子から、絶え間ない苦しみを与えられたことだけはわかる。
そして、それを与えた者が近くにいることも。
「貴様アアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
無我夢中でその者に対し、立ち向かっていった。とにかく、目の前のこの女は殺さなきゃいけない。同じくらいの、いやそれ以上の苦痛を与えないといけない。そうしなければ、自分の気が晴れない。
「やれやれ……血の気が多い吸血鬼だ、ここは退散すると……ん?」
血の武装が、女の肩口に深く突き刺さる。
確かに肉を削ぐ手応えはあった。
だが、女はそれでも意に介さなかった。
「無駄だよ。君の復讐心が果たされることはない。それよりもこいつをどうにかした方がいいんじゃないかい?」
ふと目を見やると、そこには変わり果てた姿でそれでも弱々しい呼吸をするプロテアの姿があった。
「ダメ……だよ、それじゃ……リリスが……殺され、ちゃう……」
「プロテア……!」
「リリス……リリスは……生きて……」
もうすぐ、彼女の命の灯が消える、それを彼女自身も理解しているようだった。
「私、わたしは……大丈夫だから……」
彼女が理解しているだろうはずなのに、わたくし自身はそれをまるで受け入れられなかった。
涙で目の前が霞む。
「君に構ってる余裕はない、それじゃ」
去っていく"憎きあの女"を見送りながら、わたくしは冷たくなっていくパートナーを、ただ見守ることしか出来ませんでした。




