第一章 6 何を躊躇う必要があるの?
早めに書けたので投稿。
「何のつもりなの?返答次第ではあなたをここで始末するわ」
カメリアさんがわたしをかばうようにして、男の子の方に向けて、啖呵を切る。
後ろで見ているのにものすごい迫力で、こっちまで怯んでしまいそうだ。
「くそっ…外したか、丁度いい。まともな人間狙うわけにはいかねえからな」
「もしかして、君はカメリアさんを狙って……っ!」
男の子に問いかけようとしたその時、傷口が焼けるように疼いた。
頬からたくさんの血が流れ出して、その痛みに思わず膝をつく。
足元には、銀色の血の付いたナイフが落ちていたのが見えた。
「メイ、大丈夫!?」
「わ、わかりません。けど……さっきから血が、止まらなくて……」
ポケットからハンカチを取り出して押さえてみるけれど、それでも止まらない。
あの時感じたような、明確な死の恐怖。
心臓が動くたびに血が流れ出して、命まで流れていってしまっているような感覚。
「それよりも、早くしないとカメリアさんも、狙われて……」
「よそ見してんじゃ…ねえ!」
男の子は今度はカメリアさんを狙ってきたのだろうか、今度はナイフを持ち駆け出してくる。
駅を歩く人たちがざわつくけれど、彼はそれを気にも留めていない様子だ。
「カメリアさん、危ない!」
その銀の刃が、カメリアさんを刺し貫くさまを想像してしまい、思わぬ目を瞑る。
けれど、そんなことはなく、目を開けた瞬間に飛び込んできたのは。
「ぐ……げほっ……」
お腹を押さえてうずくまる、亜人狩りと名乗った少年の姿だった。
「所詮亜人狩りといってもその程度。血を分け与えていて弱った私でも、攻撃が止まって見えるほど遅い」
カメリアさんは彼をずっと見下ろしながら、抑揚のない声で詰り始める。
その姿はさっきまで楽しそうに色んな本を見ていたあの人とは、まるで別人であるかのように恐ろしかった。
「あの、カメリアさ……」
「何を躊躇う必要があるの?」
「えっ……」
その瞳に、あれほど魅力的だった瞳に、何故か今は恐怖しか感じない。
そこから逃げ出したいほどなのに、足が竦んで、血が出ている頬が痛んで、全く動けない。
「その男はあなたと私と殺そうとした。こうするには充分だわ。
もっとも…通行人もいる状況で、そこまで派手なことをするわけにはいかないけれどね」
違う。そうだ、これはきっと。
カメリアさんが殺されることよりも、彼女がこの男の子を殺してしまうことの方が、よほど恐ろしいんだ。
「ナメた、口、利いてんなよ……くそ、が……ッ…!」
亜人狩りの少年は、それでもひゅーひゅーと弱い息を上げながら、なお苦しみながらも立ち上がろうとする。
カメリアさんが、冷ややかに彼の姿を見下ろす。
「もう、やめてくださいカメリアさん」
「どうしてそんなことをする必要があるの?」
「えっ…だって……」
その先の言葉は出てこなかった。カメリアさんが、人の命を奪ってしまうのが、どうしても恐ろしくてたまらないのに、
だけど、彼女の行動を否定して、止めさせるような言葉が全く出てこない。
けれど、このままじゃ必ずカメリアさんは、目の前の少年を殺してしまう。
「そこまでです!」
その声に振り返ると、目の前にリリスさんが立っていた。
「あら、リリス。どうしたの?」
「たまたまわたくしもここに来ていたのですよ。何か騒ぎがあったから駆けつけてみれば、まさかリアがこんなことをしているなんて」
リリスさんの声に、カメリアさんは渋々と引き下がる。
一方、"彼"の方を見ると、彼もまた誰かに引き留められている様子だった。
「こらナル、ターゲット以外を狙おうとしちゃダメでしょ」
「でも、ターゲットは吸血鬼なんだろ?事件起こしたやつの仲間かもしれねえじゃねえか」
ナル、と呼ばれた彼をたしなめているのは、おそらくわたしよりも頭一つ分ほどは背の高い男の子だ。
その表情は笑顔だったけれど、どこか威圧感もあるような笑顔だった。
「あら、そちらの様子が気になりますか、芽衣さん?」
「いえ、そういうわけではなくて、その…」
気にならない、と言えば嘘だった。いきなりわたしたちを攻撃してきた存在、そして"亜人狩り"と名乗ったこと。
わからないことはたくさんあるけれど、ひとまずは"助かったのかな"という気持ちがあった。
一つは「亜人狩りと名乗っていた男の子に殺されなかった」こと。
もう一つは「その男の子をカメリアさんが殺さなかった」こと。
決して、彼の命が心配だったというわけではないのだ。
「それにしても…随分と血が流れてしまいましたね」
「え、そうですか…うわっ!?」
ふと目を見やると、ハンカチで抑えきれなかった血が、指の隙間からあふれ出し始めているのが見えた。
カメリアさんのことに気を取られ過ぎて、あれからずっと血は止まっていなかったのだ。
「芽衣さん、これを」
というと、リリスさんがカバンから、何かタブレットのようなものが入った袋を取り出した。
袋の中のタブレットは真っ赤で、おそらく普通のサプリメントと同じような大きさだろうと思うけど、少しびっくりしてしまう。
「血が流れだすのを抑える薬です。」
「へ、へえ……」
思わず感心してしまった。カメリアさんから渡されたサプリメントもそうだけど、吸血鬼ってもしかしてまだ色んなものを作ってるのだろうか。
「我々吸血鬼は医学、薬学にもある程度精通していますから。我々が人間世界で暮らすための研究の賜物ですよ」
まだ知らない吸血鬼の世界の一端を、垣間見た気がした。
「……リリス。何故止めようとしたの?」
カメリアさんが口を開く。
「止めようとしたも何も、あそこで少年と無駄な争いをする意味がないからですよ」
「あの男はメイを傷付けたうえで、私も攻撃してきた。それだけで相手をするには充分だわ」
「ここであなたが殺人犯になった所で、芽衣さんを守れるのか、という話をしているんですよ」
「…………」
そういわれると、カメリアさんは俯いたままそのまま黙っていた。
少しだけ悔しそうな眼差しが、長い前髪の隙間から見えていた。
「なあ……お前」
わたしの方に声がかかる。
「わたし?」
「お前だよ、お前しかいないだろ」
どうやら亜人狩り…ナルくんが声をかけていたのはわたしの方のようだった。
「誤射しちまったことは、謝る。いや…謝っても仕方ないかもしれねえけど、これだけは言っときたい。すまなかった」
「いいんだよ、それにナルくんだって事情あって、こういうことをしてたんだろうし……」
「……お前な」
ナルくんは、何やら呆れたような仕草をしていた。
「オレが言うのもなんだけど、自分のこと殺しかけた相手を気安く名前で呼んだ上にそれ許すとか、流石に呑気過ぎてビビるわ」
「えっ…そうかな……?」
「そうって言ったらそうなんだよ!……痛つつ」
「あっ、ダメだよ大声出しちゃ!」
「お前に……言われるまでもね……あっダメだ意識飛びそうだ…」
「ナルくん!!!???」
それを最後に、ナルくんは気を失ったのか動かなくなっていった。
「…そうでした。救急車、呼びましたので彼のことをよろしくお願いしますね」
リリスさんが、ナルくんの近くにいた男の子に向き直る。
「そこの吸血鬼さん、そういうのなんて言うか知ってる?マッチポンプ、って言うんだよ」
「あらあら、それは手厳しいことで」
リリスさんはそれでも笑っていた。余裕の笑み、というのだろうか。
「あの、もしかしてあなたも亜人狩り…ですか?」
思い切って、その男の子に話しかけてみた。
「随分と思い切りがいいねぇ。そうだよ。僕は鳴のパートナーの相澤優斗。鳴は僕の大切な相棒だからね。
だから……鳴を傷付けたそこの吸血鬼さんについては……」
彼はカメリアさんの方へとその顔を向ける。さっきまでと同じ笑顔だったはずなのに、それはまるで張り付いたかのようにどこか不気味だ。
「ふふ、なんでもないよ。それじゃ、またどこかで会ったときはよろしくね。次は敵じゃないといいね」
そう言って、彼は鳴くんを抱えて去っていった。
「よくわからない人でしたね」
「…メイ。メイは、あの人達のことを信用するの?」
俯いていたカメリアさんの様子が元に戻る。
「信用…信用っていうか、思ったよりあんまり悪い人じゃなさそうだなーって…」
実際、優斗さんはともかく、鳴くんからはそこまで嫌な空気を感じなかった。
亜人狩り、なんていう物騒なことをやっているにしては、何というか…。
「随分、普通の男の子っぽかったな、って思います」
「普通の男の子は出会い頭にいきなり刃物を投げつけたりはしないと思いますけどね。
「はぁ。リアもそうですが、芽衣さんもかなり呑気な所があるようで……先が思いやられますね…」
リリスさんは頭を押さえていた。
葉月ちゃんにもたまにぼけっとしてるとか言われるけど、わたしってそんなに変なのかな?
「一応、絆創膏を貼っておきましょう。吸血鬼は傷の直りが人間より早いですが、
ここまで治らず血も止まらないとなると、少々厄介なことになる可能性があります」
「厄介なこと、ですか?」
「銀の武器ね」
リリスさんではなく、カメリアさんが答える。
「銀っていうと、確か魔除けに使われると聞いたことがあるような…」
「銀は吸血鬼に限らず、亜人にとって強い毒になります。銀でできたものに触れれば肌が焼けますし、
先ほどのように銀で出来たナイフや弾丸などは時に致命傷になります」
「致命傷……」
さきほど、ナルくんにつけられてしまった傷を思い出す。
あの傷はせいぜい、掠める程度のものだった。しかし、ちょっと頬を傷付けられた程度でも、あれほど痛くなるほどのものだったのだ。
改めて、自分が人間とは違うものになってしまったのだということを、思い知らされる。
「吸血鬼になれば、色々と感覚も変わってしまうわ。けれど、直に慣れていくはずよ」
慣れていく。
必要なことなのかもしれないけれど、それは要はわたしがどんどん人間じゃなくなっていく、ということだ。
もしも、この先わたしがどんどん人間から遠ざかっていったとして。
楓ちゃんとは、柚葉ちゃんとは。そして葉月ちゃん、お母さんとは。
まだまだ、一緒にいられるのだろうか。
そんなことを考えながら、帰路につく。
「そうだ、そういえばこの間味覚も変わってた気がするんですけど……」
「へぇ、具体的にどのように?」
カメリアさんが珍しく、興味ありげに聞いてきた。
「レタスとトマトの入ったサンドイッチが、あんまり美味しくないように感じてしまって…」
「ああ。それは私の味覚ね。きっと血が混じったから、味覚も私のそれに寄ってしまったんだわ」
吸血鬼にも、味の好みはあるのだろうか。
「というより、吸血鬼でも普通のご飯って食べるんですか?」
「そりゃあ、一番の栄養は血ですけど、普通の人間の食事もしますよ。
空腹を満たすためには、この国の食事はとても効率が良いですからね」
意外な事実だった。吸血鬼になった後でも、味覚が変わったとはいえ変わらずご飯は食べられていたけれど、
それはあくまでわたしが"半吸血鬼"でしかなかったからだと、そう思っていた。
「ところで……」
リリスさんがカメリアさんの方を見る。
「リア、まさかまだトマトを食べられないとか言うわけでは……」
「……」
カメリアさんはずっと目を逸らしていた。
さっきの恐怖すら感じさせるほどの冷たい目つきが、なんだかより信じられなくなった気がした。




