第1話 暑くても死なないよ
初めまして。
よろしくお願いいたします。
肌をジリジリと焼く熱と、やかましいセミの鳴き声が響く通学路。いつも通りの真夏の情景に、いつも通りの夏海の恨めしそうな呪詛が響いた。
「あぁぁぁぁあっつい、死ぬうううう」
手をパタパタとやりながら我慢ならない、と叫ぶ夏海。普段、元気に跳ねるトレードマークのポニーテールが心なしか萎れているように感じる。
「死なないよ、ほら」
夏の暑さに唸る幼馴染みに半分も残ってないペットボトルの飲みかけの烏龍茶を差し出す。そもそも、のんきに「死ぬ」なんて言っていられるうちは死なないと思う。
「ありがとう〜〜、ん〜〜、温い〜〜」
「仕方ないでしょ、夏なんだから」
わたしも暑いのに。
夏海から返された烏龍茶の残りを飲み干して、中身の無くなったペットボトルを鞄にしまいながら、はぁ、と小さくため息をこぼす。
今日は高校の終業式があったから午前中に学校は終わった。連日、気温三十度越えの七月、夏海が毎日言ってる「暑い死ぬ」を適当に流しながら帰路に着いていた。
明日から夏休みに入るのでしばらくは夏海の「暑い死ぬ」を聞かなくなるだろう。例年なら夏休み中も夏海と頻繁に遊びに出かけてたからそれを聞く機会はまだまだたくさんあった。でも、今年はせいぜいあと数回だと思う。
「明日から夏休みなんだから後ちょっとがんばって」
「……うん。そういえば、玲奈はちゃんと買った?」
「買ったよ、明日届くって」
「よかった〜〜。楽しみだなぁ『LEO』の正式版」
ぐでーっとしていた夏海が、一転笑顔を浮かべながらそう言った。
『Legendary Earth Online』、略して『LEO』
明日発売の新作VRMMOで、夏海に誘われたわたしも一緒にプレイする約束をしてたゲームだ。夏海は春先にあった『LEO』のβテストに参加していて、楽しかったからとわたしを誘ってくれた。
βテストの期間が四月で、夜遅くまで『LEO』をプレイしていた夏海は高校に入学早々寝坊しそうになっていたから、わたしが毎朝布団を剥ぎ取りに行ったのはいい思い出だ。
夏海にそんな気は微塵もなかったと思うけど、新しい環境に少しだけ不安だったわたしはいつも通りのダラシない夏海の姿に励まされて安心したっけ。そんなことで安心していいのかちょっと微妙な気持ちだけど。
それと、朝もちゃんと起きれない夏海はわたしがいなくなったら生きていけるのかな?
閑話休題。
『LEO』は明日発売で、明後日の朝の十時からサービス開始だ。世界観は良くある剣と魔法のファンタジー世界で、テーマは冒険、探究、未知への挑戦。なんでも、三国時代が舞台の大人気VRMMOを運営している会社が手がけたとかで、βテストの評判とも合わせてとても期待されている。
わたしは夏海のβテスター特典の優先購入権のおかげで予約できたけど、抽選の倍率もすごかったみたい。抽選に参加した人たちには悪いけど、ちょっと優越感を感じてしまう。夏海サマサマだね。
「玲奈はもう最初のスキル決めたの?」
『LEO』はスキル制のVRMMOで、膨大な量のスキルと、そこから十個だけ選ぶシステムによってプレイヤーごとに違ったプレイスタイルを確立できる。
初期に選択できるスキルは最大で三つで、そのあとは、プレイスタイルやゲーム内のイベントで取得できるスキルが増えるらしい。
「一応ね。夏海は?」
「決めたよ、前衛やろーかなーって。βのときは魔法使いだったんだけど……思ったんだよね、あたし、後衛合わない」
そんなことを言う夏海の深刻そうな顔を見て、思わず笑ってしまいそうになる。たしかに、元気で活発な夏海が後衛をしているイメージは湧かない。敵を見つけたら真っ先に突っ込んでいくのが夏海らしいと思う。むしろなんで、βテストで後衛を選んだのかな?
「そっか、わたしは後衛やるつもりだからちょうどいいね」
「玲奈は前衛ってイメージないからね〜〜。そうじゃないかって思ったよ。後衛が似合うしね」
そんな夏海の呟きを聞いて考えることは同じか、と今度こそ表情が緩むのを抑えきれなかった。
「急にどうしたの?」
突然、笑みを浮かべたわたしに夏海が不思議そうな顔をして聞いて来る。
「ううん、なんでもないよ。それより、わたしには後衛が似合うってどうして?」
誤魔化しつつ、少し気になったので聞いてみた。運動が苦手なわたしに前衛のイメージがないっていうのはわかるけど、それでかな?
「ええと、玲奈は、運動音痴だしすぐやられちゃいそう」
む。予想通りだし事実だけどこうもはっきりと「お前は運動音痴だ」って言われるとちょっとムカつく。夏海はオブラートに包むということを知らないみたいだ。
「どうせ、わたしは運動音痴ですよ〜だ」
「あ〜〜、そうじゃなくて、ほら、深窓の令嬢? 守ってあげたくなる感じだよ!」
頬を膨らませてワザとらしく拗ねるような仕草をしてみせたわたしに、夏海が取り繕うようにそんなことを言う。というか、深窓の令嬢ってなんだ。
「じゃあ、夏海がわたしを守ってくれるの?」
「うん、玲奈のことはあたしが守るよ!」
眩しい笑顔でそんなこと言ってくる夏海に少し顔が熱くなる。「あたしが守る」なんてセリフを恥ずかしげもなく言ってくるからすごい。普通は言えないよね。わたしは無理。聞くだけでも恥ずかしい。
「ふ、ふ〜ん。なら、許す」
「よかった〜〜!」
少し動揺したわたしがそう言えば、夏海はホッとしたように安堵の声を上げる。「許す」なんて言ったけど、もちろん最初から怒ってなんかない。
だけど、素直な夏海はわたしが本気で怒ったと思ったのだろう。素直なのは夏海の一番素敵なところだけど、こんな簡単に騙されちゃうと色々と心配になる。
夏海がわたしを守るんじゃなくて、素直で、悪い人に簡単に騙されそうな夏海をわたしが守るべきではないだろうか?
そんな会話をしながら歩いていればあっという間に家に着いた。
「お昼ご飯食べた後に玲奈の家、行ってもいい? 宿題一緒にやろ」
「わかった、一時くらいに来て」
「了解! それじゃ、後でね!」
「うん、バイバイ」
そう言って、手を振って夏海と別れる。わたしの家と夏海の家は隣だから別れるといってもそれぞれの家の前だ。自分の家に駆け込んで行く夏海を尻目に、わたしも自分の家のドアを開く。
ドアを開けば、エアコンで冷えた空気が夏の暑さに火照った身体を冷ましてくれて心地いい。
「ただいま」
「おかえりー」
リビングの方から姉さんの間延びした声が返ってくる。リビングに行くと、ソファに座ってテレビを見てる姉さんがいた。
「ただいま、姉さん。休憩中?」
「一段落ついたからねー」
「そっか、お疲れ。お昼は素麺でいい?」
「いいよー、帰ってきたばっかなのにごめんねー」
「ううん、気にしなくていいよ。じゃあすぐ作っちゃうね」
そう言って、キッチンで昼食を作る。わたしの家は両親が共働きで平日は夜遅くまで帰ってこないので、昼食と夕食を用意するのはもっぱらわたしの仕事だ。姉さんは料理が壊滅的なのでキッチンに絶対に立たせてはいけない。
素麺をささっと茹でて姉さんと一緒に食べる。
「片付けはやっとくよー、夏海ちゃん来るでしょー?」
「来るけど、よくわかるね」
「わかるよー、お姉ちゃんだからねー」
「それだけじゃ理由にならないと思うけど……」
「うーん、空気? みたいなー?」
「……」
よくわからないけど、姉さんはこういう人だ。おっとり、ふわふわしてる人だけどやたらと鋭い。姉さんはなんでも知ってるんじゃ? って思ってしまう。きっと、わたしには見えてないものが見えているのだろう。多分。
「……まぁ、いいや、片付けお願いね」
「はーい、任せてー」
片付けを姉さんに任せて、二階の自分の部屋に行く。因みに、料理が壊滅的とはいっても食器を洗う事ぐらいは姉さんでもできるから心配はいらない。
エアコンをつけて少しだけ散らかったものを片付けてから、宿題を鞄から取り出して準備する。そうしていると、インターホンの音が聞こえてきた。今日と明日で、できるだけ宿題を進めておきたいから気合を入れてがんばろう。
次話からゲームです。
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