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キャシーの「前編」

あるところに一人の貴族がいた。貴族はそこら一帯の領主で、大きな屋敷に住んでいたが、位を鼻にかけず、共に住む使用人たちにも家族のように接していた。

 ああ、領主様、今日も素敵です……なんて心の中から呟いてみたところでこの声は届くことはないのでしょう。メイドのキャシーは毎日のようにこのようなことを思っていた。この屋敷には大きさに見合って二人の執事と五人のメイドが働いていて、無論キャシーもこの内の一人だ。

 ここで働くようになってから三ヶ月。そのきっかけとなったのは、キャシーの生まれである街で、他でもない領主が直接声をかけてきたことだ。親しみ深いとは聞いていたが実際に見たのはその時が初めてだった。そこでキャシーは、一言でいうと、一目惚れしてしまったのだ。そして、即座に街を出た。その淡い恋心が成就することは無いとわかっていながらも。領主には既に相手がいたのだ。それでも、キャシーは迷わずに心に従った。元より身分の違う自分が釣り合うはずはないのだ。たとえ最愛の人にはなれなくとも毎日その顔を見ることができるだけで幸せだ、と。

 ある日のこと。キャシーが領主とその妻の昼食を作り終え、老齢の執事であるクロルに届けた後。奥様は体が弱く、部屋で寝たきりの生活を送っているとキャシー他のメイドからは聞いていた。そんな彼女のために、領主は執事から受け取った料理を自ら妻の部屋に運び、その時は、いつもそばにいるクロルさえ部屋の外に出し、唯一二人きりになって食事を楽しむらしい。そんな昼食を作り終えたメイドのキャシーは庭で昼の休憩をとっていた。 庭先に置かれている、品のある細やかな造形のベンチに腰掛けながら、今日はここの手入れもしなくちゃ、などと思っていたとき、ふと庭の奥に目が行った。そこには色々な農具や工具が入っている、大人が十人は入れるだろうかという倉庫がある。なぜ目を引いたのか、それはいつも閉じているはず倉庫の扉に隙間があったからだ。気になった。そして、意を決して倉庫の方に歩き出した。もう数メートル、というところで、音。水が跳ねるような音、加えて、かすかに響く甘い嬌声。生娘であるキャシーにも何となく想像がついてしまった。倉庫の中には人がいて、それも男女二人でいるのだ。キャシーはより慎重になり、恐る恐る隙間を覗き込んだ。その思わず目を疑いたくなる秘め事の当事者は、同僚であるメイドのジスと執事のクーイだった。キャシーは二人の顔を確認するやいなや直ぐにその場を離れた。

―――どうしよう。

もしこのことを誰かに告げ口すれば二人はすぐに辞めさせられてしまうだろう。いくら領主様でも、あの二人があんなことになってるなんて知ったら……。キャシーは思いながら何度も顔を赤らめて、また苦悩した。この秘密を抱えることでキャシーは話すべきか話さぬべきかと日に日に心労を溜め込んでいくようになる。隠し事をするのは領主様に失礼だとも思ったが、何より自分に暖かに接してくれた先輩の二人がやめさせられることは、心苦しいものがあった。そんな葛藤がぐるぐると数日間、日がな一日頭の中をうずまき続けた。キャシーは心の優しい子だった。

 それから数日後キャシーは領主の部屋に呼び出された。三ヶ月生活をして直接呼び出されたのは初めてだったので、まず驚き、次に何かミスをしただろうかと考えを巡らせた。が、それも領主の部屋の前まで。そこに着くと得も言われぬ感情で思わず汗が滲みそうになる。震える手でノックをし、恐る恐るドアノブに手をかけた。更に驚いたことが2つある。一つは部屋には領主の他に誰もいなかったこと。もう一つはその領主が笑顔でいたことだ。

 キャシーが恭しく部屋に入ると、領主は置かれている長椅子に座るよう促し、自分も対面に座ってこう話を切り出した。

―――なにか辛いことでもあったのか

ここ最近のキャシーの様子を見て何かあったのではないかと考えたようだ。領主は極めて笑顔でキャシーと向き合っている。

 さて、そう聞かれた当のキャシーはというと、至極、舞い上がっていた。あの領主様と二人きりになれて、しかもたかが一メイドである私のことにここまで気遣ってくださるなんて、なんと美しい方なのでしょう。と、初めの緊張は既にどこかへ飛んでいき、ただただ領主の褒め言葉ばかりが頭に浮かんでいた。そして、そんな別の意味で緊張する空間で、数日前に目撃した洗いざらいを話してしまった。直後に言うべきではなかったかと後悔しそうになったキャシーだがもう遅い。領主の耳にはしっかりと一部始終が語られたあとだ。しかし、領主の反応はその考えを裏切った。彼は慈愛に満ちた笑みでこう言ったのだ。

―――話してくれてありがとう。二人はやめさせたりしない。

件の二人は三年前から預かっている使用人で、よく知っている。そんな二人が恋仲になるなんて喜ばしいことだと。領主は、ちゃんと話をすると約束し、彼女らを許すと言った。キャシーはこれを聞いてまた、なんと優しくて素敵な人だろうと思い、そしてあの二人が辞めさせられずに済む、とわかってようやく重い肩の荷が降りたようだった。だが、肩が軽くなったと思った直後、心が揺れる。三年来の仲、よく知っている、許す。そんな話をしたときの領主の笑顔は()()()()()()()()()()()()()輝きが見えた。胸の奥底の方で何かがチクリと痛んだ気がした……。


 数日後。屋敷の庭にある井戸の底で、男女の遺体が発見された。

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