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主と執事と『烏』

「──以上がこの屋敷の全容になります」

 そう締め括って、目の前の執事は器用にもその指先だけで御屋敷の見取図を手のひらサイズにきっちりと折り畳んだ。まるで手品のように紙が折り畳まれていく様に、十的にみは食い入るように見てしまった。

「……十的さん?」

 にみの様子を見てとって、執事が名前を呼ぶ。呼ばれてにみはハッと我に返る。

「は、はい!」

 我に返って直ぐ様、にみは勢いよく顔を上げて返事をした。

「……少しペースが早過ぎましたか?」

 にみの様子が疲れたように見えたのか、気遣うように執事が言う。

「い、いえっ」

 にみはぶんぶんと頭と両手を振って否定した。

 にみは執事の気遣いに、心中で恐縮する。

 と、いうのも。

 執事であるこの男──木管(みつかん)津甘(つかん)は、所謂出来る執事らしく、屋敷の説明や案内のペースをにみに合わせてくれた上に、合間合間にメモを取る隙間時間を設けてくれたのだ。お陰で多少はペースが早くとも、彼の説明に遅れることなく付いていくことが出来たのである。

 口には出さない気遣いがあった上に、更に、気遣いを口に出させるなど、にみは申し訳ない気持ちで一杯である。

「お、お気遣いありがとうございます……っ」

 にみは執事にお礼と共に精一杯の申し訳無さを込めて頭を下げた。

 そんなにみを見て執事は小さい声で「その礼儀礼節、あの双子にも見倣って欲しいですねぇ……」と呟いた。

「え?」

 顔を上げてにみは首を傾げて執事を見た。

「いえ、なんでもありません」

 にみが返した声に、執事はにっこりと笑って誤魔化した。

(なんだったのだろう?)

 首を傾げたままのにみに執事は、こちらの見取図はお渡ししますので、とにみへ折り畳んだ見取図の紙を渡した。

「──さて。仕事内容の説明の前に、主と顔合わせをしておきましょうか。私に付いてきてください」

 そう言って執事が先導して廊下を歩き始めたので、にみは言われたままその後ろに付いて歩いた。

 そうして着いた他の部屋とは違う大きな扉の前。

 その木製の扉の質感や雰囲気は、その佇まいだけで高級感が漂っていた。

 執事がその扉をノックする。

 すぐに、はーい、と女性の声で返事があった。

(え?)

 てっきり主は男の人だと思っていたにみは驚いて、思わず横から執事の顔を覗いた。すると、執事のその眉間には何故か皺が寄せられていた。

「……失礼致します」

 幾分かトーンの下がった声で言って執事は、部屋の扉を押し開けた。

 部屋に入っての正面。

 本棚の前に設置された机と椅子。

 その──椅子に。

 黄色いネクタイ以外が全て黒のスーツを着た女性が座っていた。

 それも……きれいな体育座りで。

 俗にそれは小山座りともいうが──椅子の座面に縮こまって収まるその窮屈そうな体勢で平気そうに──そこで本を読んでいた。

「……『(からす)』。主はどうしました?」

 低い声で執事が問う。

 どうやら椅子の上の女性は御屋敷の主ではないようだ。

「ん? そこにいるよ」

 言って、『烏』と呼ばれた女性は本から視線を上げて本を閉じ、その本で以て扉の影を指し示す。執事が扉越しにそこを覗いて、額に手をやり呆れたように溜め息をついた。

 にみも執事に倣って覗いてみた。

「……………………」

 そこには本の山があった。

 そして、その本の山からは白いワイシャツと白いスラックスが覗いている。

 状態把握。

 つまり、大の大人である男性が横たわり、本に埋もれているのだ。それも身体全体のみならず、顔にまで本がかかっている。そして信じられないことに、男性──主は本と本の間から寝息を立てていた。

(ね、寝てる……の?)

 本を顔に被せて寝ている人など初めて見たので、にみは物珍しさで主を見ていたが、執事が手で少し下がるよう示してきたので一歩下がって控えた。それから執事は部屋の扉を閉めてから。

「鉄柵様。起きて下さい」

 と、主──檻護塔鉄柵の顔から本を拾いながら起こしにかかった。

「ん……」

 小さく呻いて、鉄柵が瞼を開ける。

「…………? ……なに……どうした……」

 鉄柵は寝ぼけ眼で執事を見上げる。

「どうした、じゃありません。それはこちらのセリフです」

「え……あれ? 津甘? 何で……って、うわっ」

 床から身を起こそうとした鉄柵から本の山が崩れて、音を立てて床に落ちる。

「なんだこれ……」

 己に身体から落ちる本を見て鉄柵が呟き、それからハッと何かに気付く素振りを見せて、素早く辺りに視線を巡らせて椅子の上の『烏』を見た。

「『烏』……。僕を起こしてはくれなかったのかい……?」

 その視線を受けて『烏』は。

「ん? いや、起こそうとはしたよ? ただ、普通に起こすのはつまんないから、本を乗っけて起こしてみたら楽しいかなーと思って主の上に乗せてったんだけど、主、なかなか起きないから、途中で飽きて止めたんだ」

 しれっと『烏』は答える。

「……変なことしないで普通に確実に起こしてくれよ……」

 鉄柵は言いながら立ち上がって、床に広がった本を拾い始める。

「鉄柵様、ここは私が片付けますので、先に新しく入りましたメイドとの顔合わせを」

 執事は鉄柵の手から本を取ると、鉄柵からにみが見えるように半身を引いた。にみの方からも執事越しに鉄柵が見えるようになったので、反射的ににみはお辞儀をした。

「あぁ、君が今日から入る新しい子か」

 鉄柵は本が散乱するそこを執事に任せて離れ、机に向かった。

「『烏』、そこをどいてくれ」

 犬や猫を追い払うように手のひらで『烏』を椅子から追い払う。『烏』は黙って椅子から退いたが、あろうことか──主の机の上に胡座をかいて持っていた本を再び読み始めた。しかし鉄柵は『烏』の行動に気にも留めず、この設えの主らしく正しく座り、机上にあった書類の一枚を手に取った。そしてそれを数秒見たあと。

「君、『行ってらっしゃいませ』が言えないんだって?」

 書類から視線を上げ、にみを見ながら鉄柵は言った。

 にみは驚きに言葉を詰まらせる。

 そのことは確実に触れられると思ってはいたのだが、挨拶より何よりも先に、ソコをつつかれるとは予想していなかった。

 にみは表情を固くして焦る。

 鉄柵はそんなにみの様子を見てとって、

「あー、いや、そんな身構えないでよ、ちょっと気になったから確認しただけだよ」

 手招きするような仕草で、鉄柵はにみを宥めた。

「でも、その反応からすると本当みたいだね。因みに、言ってしまうとどうなるの?」

 興味津々──と、いうよりはただ気になったから訊いている、といった感じで鉄柵は質問する。

 その悪意の無い気軽さと鉄柵の真っ直ぐな質問に、にみは何となく話しても大丈夫だろうと直感し、自分が『行ってらっしゃいませ』と言って送り出した人はなんらかのトラブルに遭い結果的に死んでしまうことを話した。

「……ふぅん、なるほど、ね」

 鉄柵は机に頬杖をついた。

 それからしばらく思案したあと。

「割りと日常的な言葉だけれど、普段はどうなの?」

 と、鉄柵は訊いてきた。

「──え?」

 予期せぬ質問に、にみは遅れて反応する。

 普段。

 普段とは──

「例えば、家族や友人を送り出すときに、行ってらっしゃいと言うだろう? そのときはどうだったのかなって」

「どう…………」

 と言われて思い返してみれば。

 家族や友人、これまでの人付き合いの中で口にしてきているはずの言葉だ。

 しかし。

 だれそれとて──死んだことは今までに無い。

「だ……誰も死んでない……です……」

 にみは、初めてその事に気付き、困惑しながら答えた。

 しかし──では何故。

 あの五つの御家のようなことが起こったのだろうか。

「と、いうことは……《カナリア》、だね」

 困惑するにみを置いていくように鉄柵が言う。

「《カナ……リア》?」

 鉄柵の言葉に、色鮮やかな羽色を持つ小型の鳥を思い浮かべながらにみは反復する。

「うん。と、言ってもまぁ、鳥の種類のことじゃないんだけどね」

 書類を置きながら鉄柵はにみに向けてにっこりと笑う。

「え?」

 鳥ではない。

 では、一体何の事だろう。

 カナリア、で次に連想できるものといえば……歌、くらいだが──

「発言することによって現象が起こるジンクスのことだよ」

 鉄柵は机に両肘をつき、重ねた手の甲に顎を置いた。

「『黒猫が横切ると不幸が起こる』、『双子は災いをもたらす』、『烏が鳴くと死人が出る』──とか、聞いたことはないかい?」

 そう訊かれて、にみは頷く。

「あ、あります……」

 特に黒猫のそれはよく聞くことだ。

「とあるAという存在が、とあるBという行動をすると、とあるCという現象が起こる。これらを総じて僕らは『ジンクス』と呼んでいるんだけど──《カナリア》はそのジンクスの一つでね」

 鉄柵はにみを真っ直ぐに見て言う。

「え……?」

 と言うことは。

 先程の鉄柵の発言からするに。

「わ……私のこれは……『ジンクス』なんですか?」

 十的にみが、“行ってらっしゃいませ”と言って見送ると、見送られた人は死んでしまう。

 そういう『ジンクス』──である、と。

「そうだね」

 肯定して、にっこりと笑みを深める鉄柵。

「しかし君はその《カナリア》の中でも特別なもののようだね。一言一句と決まった言葉で現象を招くなんて──君のそれはとても珍しい」

 鉄柵が浮かべる笑みは、楽しそうな子供の様だ。

 その表情に、にみは何故か僅かばかりの違和感を覚えた。

 と。


 ──すん。


 耳元直ぐ傍至近距離で吸音が聞こえた。

「!」

 びくりとしてそちらを見ると、視界に『烏』と呼ばれた女性の顔があった。驚いて思わず反射的に身を引いたにみだが──

「あ……っ」

 身を引いた勢いで身体のバランスを崩した。よろけて、倒れそうになる。なんとか受け身を取ろうとした所で、誰かに支えられた。

「大丈夫ですか?」

 支えてくれたのは執事だった。いつのまにか本を戻す作業を終えていたらしい。

「す、すみません……っ」

 にみはすぐさま謝り、慌てて体勢を正す。その間にも『烏』は距離を詰めて来て、至近距離でにみを見ていた。そうして一頻りにみを見つめたあと。不意に顔をぐっと近づけて、にみの顔に一つ頬擦りをした。その意外な行動にあっけに取られていると、『烏』はすっと離れ、踵を返すと扉の方へ向かって行った。

そうして部屋の扉を開けてから退室する間際に、「《カナリア》ちゃん、またね」と言って去ってしまった。

 にみは、思わず頬擦りされた顔を撫でる。

 すべすべだったなぁ、などと思いながら。

「…………『烏』に気に入られるとは」

 執事が、閉められた扉を見つめながら呟くように言う。その呟きに、僅かながらの不安が含まれているように感じたのは気のせいだろうか。

「嫌われるよりはいいじゃないか」

 言って、鉄柵はくすくすと笑った。

 この状況に、にみがどう反応したものか考えていると。

「それじゃあ、君──十的にみ君」

 鉄柵が改まったようににみをフルネームで呼んだ。

「は、はい」

 にみは鉄柵に向かって姿勢を正して返事をした。

 そんなにみを見て、鉄柵は笑みを湛えたまま、

「これからよろしくね」

 と、後れた挨拶をした。

 にみはそんな新たな主の言葉に、

「はい。よろしくお願い致します!」

 と、真面目に応えたのだった。

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