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一人と一人

作者: 芥

ご存知ない方ははじめまして、お世話になっている方はお久しぶりです。

ただいま、ゆるゆると連載している「声はしとどに」の作者、芥です。


連載の方を早く更新しなさいよという声が今にも聞こえてきそうですが、そちらよりも先に、どうしても書きたいんじゃ!というストーリーがふと浮かびまして、居てもたってもいられなくなり、「一人と一人」を書かせて頂きました。

ちょっと不思議な感じです。

どうか少しでも伝わってほしいな…


それでは、お楽しみ下さいませ。

その日は、世界が静かに轟いていた。

青いようで黒いような灰色しか、僕の目の前にはない。冷たい雨が顔を、胴体を、四肢を、強くとめどなく打つ。

背中が痛いな。

痛む背中から、コンクリートの冷たい熱が伝わってくるのを感じる。もしも僕が変温動物だったなら、間違いなく今頃は息絶えているだろう。でももう最早そうかは分からない。僕が変温動物であろうと恒温動物であろうと、硬いものであろうと柔らかいものであろうと、無機物であろうと有機物であろうと、ここにずっといたのなら、そう遠くはないうちに僕という存在は尽きるだろう。

満たされた尽き方になれるのだろうか。僕は、誰かのためになれるような僕だったのだろうか。

寒い。冷たい。

ぐっしょりと濡れているであろう僕の体は、もはやその感覚さえも感じ難くなっていた。


ふいに、僕を打つものが消えた。視界には、目が眩むほどの黄色が広がっていた。

目が合った気がした。気がした、というのは僕も彼女もよく分からなかったからだ。彼女の目ははっきりと僕を見据えている気もしたし、そうではない気もした。虚ろな瞳でありながら眼光はあるような。でも、僕も正常な感覚は掴められない状態であるから、ただの思い違いなのかもしれない。

手が伸びてきた。彼女の手だ。

そっと僕の体をなぞる。頭、耳、頬、肩、腕、腰、足。順番に、優しく僕の上を触れていく。彼女の手もまた冷たかったが、あたたかさを感じた。心地良かった。

なんだか懐かしいな。この感覚、知ってるかもしれない。

いつだろう。僕はいつ、その温もりを知ったんだろう。

いつだろう。僕はいつ、その温もりがなくなったことに気付いたんだろう。


そして、僕は彼女の家に行くことになった。

彼女は何も言わずに僕にシャワーを促し、今は乾かしてくれている。僕は、自分から香る石けんのにおいと僕に触れる彼女の手に安堵し、少し涙が出そうになった。

「君も一人か…」

彼女が呟いた。そして続けた。

「私もだ」

そして、僕らは同じベッドで眠った。


翌朝、僕は彼女よりも先に起きた。彼女はまだ眠っていて、透明な彼女の寝顔はとても美しかった。長く多い彼女の睫毛は、彼女のあの目を騎士よろしく守っているように思えた。

しばらく寝顔を眺めていた。その美しい顔に触れてみたいと思ったが、当然、できなかった。

彼女が目をあけた。まだ眠そうな目で僕を捉える。

「おはよう」

彼女はそう言って、僕の頬にそっと触れた。額にキスもした。

僕もそれに答えようと思ったが、それよりも前に彼女はベッドから起き出て、クローゼットの扉をあけた。横目で彼女を視界に入れる。気だるげに慣れた手つきでスーツを取り出して、そして着た。何の仕事なのかは敢えて聞かないようにしようと、僕は何となく思った。

それから彼女は、マーガリンも何も付けていないトースト一枚と紅茶を一杯、ライン作業の如く流すように胃袋へとおさめた。それから、歯ブラシを口にくわえて食器を洗った。食器を干して洗面所へと向かう途中、

「ソファにでも座ったら」

と僕に言った。彼女の言葉に従って、僕はソファに腰かけた。チェーン店の家具屋っぽいグレーのソファは、まだ新しいにおいがした。


「じゃあ」と彼女は言って、乾いたヒールの音を鳴らしながら出ていった。

いってらっしゃい。

彼女には届かないだろうけれど、僕はそう言って一応見送った。

僕は今、ソファに座っている。ソファの前には、一般家庭に置かれているようなものよりひと回り小さいサイズのテレビが置かれていた。テレビは、僕の姿を黙って写している。

僕は、彼女が帰ってくるまでずっと真っ黒のテレビ画面を見つめていた。


彼女は夜ご飯を食べない。帰ってくるとすぐに風呂に入り、髪は乾かさずにベッドへと身を沈める。そのまましばらくじっとして、ふいに顔を上げて僕に言う。

「君は寝ないの」

時計は23時をまわったところだった。

「おいでよ」

下着姿の彼女はそう言うとベッドからおりて、僕の座っているソファまで来る。僕の頭を彼女が撫でて、僕らは一緒にベッドに潜り込んだ。

「上司が」

彼女は口を開いた。

「ゴミだ」

僕は黙って、彼女の声に耳を傾ける。

「同僚も、ゴミだ」

彼女は仰向けになって、まっすぐと天井を見ている。僕はその横顔を眺める。

「私も、そのうちゴミになる」

なんでそんな風に思うの。

「ゴミだらけの環境では、ゴミとしてしか生きられない」

そんなものなの。

「そう、私はゴミになる。ゴミになった私は、どこへ向かう?」

彼女は目を閉じた。長い睫毛が下瞼に覆い被さるのがよく分かる。そして彼女は、そう経たないうちに、静かに寝息をたて始めた。


また僕は彼女よりも先に目覚めた。今日の彼女は、僕に背中を向けている。その背中に手を伸ばして抱きしめたかったけれど、僕にはそんなことは出来ない。寝ているのに、どことなく強ばっている背中を、ただ見つめるだけだった。

アラームが鳴った。スマホがバイブで動いている。彼女は起きない。

鳴ってるよ。

ヴーッ ヴーッ

起きなくていいの。

ヴーッ ヴーッ

今日はまだ木曜日だよね。

ヴーッ ヴーッ

仕事は休みなの。

「……わたし、も」

彼女が起きた。

「ゴミに、なる……」

その後、何度もスヌーズが鳴っても、彼女はスマホのさせたいようにしていた。


気付けば、針は19時をさしていた。窓の外は薄暗い。今日は月が出ているのだろう。

「君が」

彼女が僕の目を見た。

「よしよししてくれたらいいのに」

僕は、彼女の目に写る僕を見る。

「頑張ってるねって、言ってくれたらいいのに」

僕は黙っていた。

「ぎゅーって、苦しいくらいに抱きしめてくれたらいいのに」

彼女の目から、涙が零れた。

「私の涙を拭って、舐めて、しょっぱいねって、一緒に、泣いてくれたらいいのに」

鼻声の彼女は、まるで幼児のようだった。甘えられるものを探している。彼女の目からはぼろぼろと涙が零れ落ち、小さな女の子みたいに泣きじゃくった。


次の日、彼女はいつものように仕事に行った。何もつけないトースト一枚に紅茶一杯。歯ブラシをくわえて食器を洗い、僕に出かける挨拶をして、ヒールの音を鳴らして出ていった。

僕はというと、ずっとベッドの中にいた。彼女のにおいのするベッドは、あたかも彼女に包まれているようだ。包まれているようなのに、一人の世界だ。僕も彼女も一人で、一人同士が同じベッドに眠っても、寂しさは少しも満たされない。

僕は無力だ。

布団に顔をうずめて、彼女のにおいをいっぱいに吸い込んで、僕は声を殺して泣いた。


彼女が帰ってきた。今まで見たことのない目をしていた。風呂場へ行かずスーツのままベッドに身を沈めた彼女は、肩を震わせ嗚咽を漏らした。

なんで、なんで、なんで。

どうして、どうして、どうして。

ゴミだ、ゴミは、ゴミで。

彼女はずっと繰り返し泣いた。

また僕は、彼女の泣き声を背中で聞くことしかできなかった。


スーツでうつ伏せのまま、彼女は静かに眠りについた。腫らした瞼も、涙がつたった頬のあとも、赤くなった鼻も、泣き疲れた子供のそれだ。長い睫毛が、月の光を浴びてきらきらとしている。

僕は。

僕は、何なんだ。

何のために、僕は彼女の隣にいるんだ。

彼女の頭に手を伸ばして、よしよししてあげたいのに。

君はもう十分頑張っているよって、何度も何度も言ってあげたいのに。

二度と離さないくらいに、きつく強く抱きしめてあげたいのに。

零れ落ちた涙を受け止めて、舐めて僕の体の一部にして、その目を見つめて、しょっぱいねって一緒に泣いてあげたいのに。

何もできない。

僕は、彼女に声をかけたいのにできない。

僕は、彼女に触れることさえできない。

なんで、なんで、なんで。

君はゴミなんかじゃないよって、言ってあげられないんだ。

僕は、君が、素敵だ。

あの日、君が僕にしてくれたみたいに、頭から足まで優しく触れたいのに。

僕は……っ

大声で泣き叫んだ。布団がぐしゃぐしゃに濡れて、過呼吸になって、息がしづらくても泣き続けて、泣き疲れなんて知らなくて。

声が枯れるほどに泣いて、涙が枯れるほどに泣いた。


それでも僕の泣き声は、彼女に届くことはない。



雨が降っている。この町並みも、随分と変わったものだ。車のライトも信号機の灯りも、ぼやけて虚ろに広がっている。

車のエンジン音、歩行者信号の鳥の鳴き声の中に、びしょ濡れになって立っている女性がいた。スーツ姿の、ヒールで。

その女性の傍まで近付いた。ぼーっと空を仰いでいる。降る雨の規則性を分析しているかのような顔をして、瞳に光はなかった。

「君も一人?」

僕の声に、彼女はおもむろに顔をこちらに向けた。僕の目をじっと見ている。目が合っている。

「僕もだよ」

彼女は、はっとした表情を見せた。そして、苦しそうな表情に変わった。目からは涙が零れ落ちそうだった。

彼女が言う。

「君の、その目…、私がもうずっと前に拾った、ぬいぐるみに、似てる、んだ……」

僕はその涙が零れる前に、右手の親指で拭った。そしてその指は、僕の舌へと向かう。

「しょっぱいね」

彼女は震える声で言った。

「……雨の、味かも、しれない…」

僕は言った。

「僕の涙の味かもしれない」

彼女が泣いた。声を上げて。

僕も泣いた。

泣きながら彼女の頭を撫でた。

撫でた手を彼女の背中にまわして、痛いくらいに抱きしめた。

抱きしめて、耳元で「頑張ったね」と囁いた。

囁いた彼女の耳に、キスした。

雨に濡れている彼女の前髪をあげて、白く透明な額にキスした。

彼女の震えている唇に僕の唇を重ね、温もりを与え続けた。彼女の雨に冷えた体を、暖めるかのように。


やっと、僕から触れられるんだ。

お読み頂きありがとうございました。


いかがだったでしょうか。

私の稚拙な文章のせいで、最後に行き着く前に「あ、これって…」と勘づかれた方もいらっしゃるやもしれません。そうならば本当にごめんなさい、精進致します。


今回は短編小説ということで書かせて頂きました。この作風が大好き過ぎて(自分で言う)、これは長く連載で作り上げたいなとも思ったのですが、不思議さを出すには敢えて物足りないくらいで留めておく方が、より良い演出になるのではないかと思い、今回のような形となりました。

私の性癖(おっと?)を少しでも感じ取って頂ければ、そして、二人の思いを少しでも理解して頂けたらなと思っております。


また短編小説書いてみたいな…

その時はどうぞよろしくお願い致します。

そして引き続き、「声はしとどに」もよろしくお願いします。

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