五 宰相ユリーズ・アスフォデル
国王に、王位継承者になるよう依頼されてしまった。
それはつまり、自分が次期女王になるということだ。今までひっそりと暮らすこと自体が目的のようになっていたマルヴィナは、頭を抱えたくなった。
事が事だけに、頼りになる友人、ラティーシャにも、気軽に相談するわけにもいかない。
唯一相談できるとすれば、おそらく事情を知っているはずの叔父だろうが……。
応接室を出たマルヴィナは、クレメントと別れの挨拶を交わし、女官に連れられて今晩泊まる部屋へと向かった。長い廊下を歩き、部屋の前まで辿りついた時、うしろから声をかけられた。
「お待ち下さい」
マルヴィナは振り返る。
そこには、クレメントと同年輩の男性が一人、立っていた。
「はい、わたくしに何か?」
マルヴィナが応じると、男性は女官に目配せした。女官は一礼とともに立ち去っていく。
男性が近づいてきた。うしろに撫でつけた短いプラチナブロンドの髪と、鋭いアイス・ブルーの瞳とが相まって、硬い印象を受ける。
「レギュラス女伯でいらっしゃいますね。わたしの名は、ユリーズ・アスフォデル。この国の宰相を務めております。少々お話がございまして、お呼び止め致しました」
丁寧な口調に反して、ユリーズと名乗った男性は表情に乏しい。顔の造作が美しいだけに、生気のない彫刻でも見ているかのような気分になってくる。
宰相、ユリーズ・アスフォデル。
いわば、この国の第二の権力者だ。彼の姿は戴冠式と国葬で見覚えがある。シーラムでも屈指の名家、ギェナー公爵家の当主で、式典の時、叔父ドゥーガルドがユリーズを見て、「実はあいつ、俺の友人なんだ。そうは見えないだろうけど」と言っていたような気がする。
(それにしても、この人の顔、式典以外でもどこかで見たような……)
思い出そうとしたマルヴィナの思考を遮るように、ユリーズは語を継いだ。
「国王陛下は、あなたにヴィエネンシス国王のことは、お話しになりましたか?」
「ヴィエネンシス? いいえ、聞いてはおりませんが」
ヴィエネンシスとは、シラームと国境を接する北方の王国だ。マルヴィナの答えを聞いたユリーズは、表情を変えずにため息をつく。
「やはり……」
「あの、一体どういう……?」
ユリーズのまとう氷のような雰囲気に気圧されながら、おずおずとマルヴィナは問う。ユリーズは「これから説明致します」と、静かに返答した。
「まず、現在のシーラムの、主な王位継承順位ですが、これはご存知ですか?」
ドゥーガルドは、そういったことを全く教えてくれなかった。マルヴィナ自身、興味もなかった上に、家系図を眺めても憂鬱になるだけだったので、自分の王位継承権が何番目なのかすら知らない。
国王から次期女王の話がきたということは、多分、現在は第一位なのだろうけど。
(でもなあ、わたし、王族ですらないし……)
分からない。正直に言ったら、何だか怒られそう。そう思いつつ、マルヴィナは答える。
「いいえ、存じ上げておりません。わたくし、そういうことには疎くて……」
ユリーズの瞳が光ったような気がした。
「ならば、今、覚えていただきます。まず、王位継承順位第一位は、あなたです、レギュラス女伯」
「え、ですが……」
「これは、あなたが現在王族として数えられていないこととは、一切関係ございません。あなたが例えご結婚なさろうが――お相手にもよりますが――一生ついて回る権利だとお考えになってもよろしい。シーラムでは女性も王位に即けますが、男系男子優先が鉄則。先々代の国王には二男二女がおありでしたが、あなたはその第二王子のただ一人のご子息の、娘御でいらっしゃる」
「なるほど、それでわたくしが第一王位継承者というわけですね」
「さようです。先々代の国王の王女たちは、それぞれ隣国に嫁がれました。長子であられる第一王女が嫁がれたのが、北のヴィエネンシス王国です。この第一王女の孫に当たるのが、現在のヴィエネンシス国王。彼は異国の国王でありながら、シーラムの第二王位継承者でもあるのです」
マルヴィナは、はっとした。ということは、自分が王位を辞退した場合、ヴィエネンシス国王がシーラムの次期国王になるのだ。そして、シーラムとヴィエネンシス、現在の両国の仲が芳しくないことは、周知の事実だ。
マルヴィナの表情を読み取ったらしく、ユリーズが重厚な声で告げる。
「お気づきになられましたか。しかも、ヴィエネンシス国王は危険です。まだ若く、野心もある。密偵がもたらした情報によると、かの国王はシーラムの王位を継承したあと、我が国をヴィエネンシスに併呑するつもりです」
マルヴィナは言葉を失った。先程までは「辞退」という文字も頭に浮かんでいた。けれど、事は自分だけの問題ではないのだ。マルヴィナの選択ひとつで、シーラムの命運が決まってしまうかもしれない。
衝撃を受けるマルヴィナを前にして、ユリーズは言った。
「わたしは、あなたに王位を継いでいただきたいと考えております」
「え……?」
「陛下は、あの通りお優しいお方です。あなたに無理強いはなさらないでしょう。ですが、この国のためを思えばこそ、わたしは次期女王にあなたを推します」
「わたし――いえ、わたくしがどんな人間かもご存知でないのに?」
マルヴィナの問いかけに、ユリーズはやや視線を外した。
「あなたのことは、シーダー――叔父君から伝え聞いておりますので、大体、想像はつきます。少なくとも、ヴィエネンシス国王を王位に即けるよりは、我が国にとって有益でしょう」
ドゥーガルドとユリーズが友人だという話は、どうやら本当らしい。しかも、自分のことが話題に上っているとは。
気さくな叔父と、冷徹なユリーズ。
(うーん、どんな風に会話しているんだろう……)
心の中で頭をひねるマルヴィナに、ユリーズは一礼すると、「では、わたしはこれで」と言い残し、去っていく。マルヴィナは、彼の背中が回廊の奥に消えるまで、その場を動けなかった。




