四 国王の願い
数十秒の沈黙があった。
クレメントの言葉を心の中で何度も反芻したマルヴィナは、間の抜けた声を上げた。
「は……?」
クレメントは怒らなかった。この国の最高権力者だというのに、よほど人間ができているのだろう。代わりに苦笑いを浮かべ、クレメントは続ける。
「驚くのも無理はない。だが、予は大真面目に話しているのだよ」
「し、失礼致しました。ですが、わたくしにそんな資格はございません。何よりも、先祖はともかくとして、わたくしは王族ではございませんし……」
先程からクレメントに翻弄されっぱなしのマルヴィナは、ようやく、そう口にすることができた。
「資格ならある」
クレメントは告げた。
「先程も言ったように、そなたと予は、曾祖父を同じとする血縁だ。予がそなたに王女の称号を与え、王族に復帰させれば良い。そうすれば、過去にあった不幸な事件についてとやかく言う者を、黙らせることもできよう。そなたの叔父が立てた功績も、その一助となるであろうしな」
「で、ですが、陛下はまだお若くておいでですし、急いでお世継ぎを定められる必要もないのでは……」
そう、クレメントは今年で三十六歳のはず。王妃を亡くして一年しかたっていないとはいえ、再婚すれば、子をもうけられる可能性は高いのだ。
しかし、マルヴィナの言葉に、クレメントはうつむいた。
「予はもう、再婚する意思を持たぬ」
「え……」
「妃のことを、予は忘れられそうにないのだ。宰相とシーダーを除いた周りの者は、みな、再婚を勧めてくるが、どうしてもその気になれない。こればかりは、理屈ではどうしようもないのだ。それに……」
マルヴィナは、口を挟まず、クレメントの次の言葉を待った。
「そなたも存じているかもしれぬが、予と妃の間には、生後半年で亡くなった王子が一人だけいた。息子は元気な子だったが、突然亡くなった。妃もそうだ。風邪もめったにひかず、健康だったのに、不治の病にかかり――」
クレメントは声をかすれさせ、片手で両目を覆った。彼は心から妻子を愛していたのだ。マルヴィナには、国王の深い絶望が見えたような気がした。
「妻子を失って初めて、予は死というものが恐ろしくなった。元々、予は幼い頃に妹も亡くしている。予が近いうちに死なぬという保証はどこにもない。それゆえ、王位継承者を早めに定めておきたいのだ。のちの争いを生まぬため、世継ぎを定めるのは、王の務め。王子を無事に育て上げられなかったのは、予の不徳だ。だからせめて、のちの世のために、それくらいはしておきたいのだ」
クレメントはマルヴィナの目を見据えた。
「予の頼みを聞き入れてはくれぬか、マルヴィナ。そなたを王位継承者に定めたあとで、再婚するようなことは決してせぬ。そなたの名誉を回復することを怠っていたのに、今更何を言うのか、と思われても仕方のない話ではあるが……」
「いいえ、そのようなことは――そもそも、叔父が陛下のお傍にお仕えすることを、お許しいただいているだけでも、名誉なことですのに……」
これは本心である。既にクレメントと因縁のある父はいない。
とはいえ、以前からクレメントがマルヴィナを王族に復帰させたいと思っていたとしても、周囲の強い反対にあえば、諦めざるをえなかったはずだ。大逆罪とは関係のない母方とはいえ、血族の叔父が宮廷で国王の側近を務めているだけでも、僥倖というべきだろう。
クレメントは、初めてにこりと笑った。
「そなたは謙虚だな、マルヴィナ。ますます気に入った」
クレメントの笑みが、邪心のないものであるだけに、マルヴィナは困り果ててしまった。自分が王位を継ぐなんて、恐れ多いことだと思う。けれど、クレメントの必死の頼みを、今この場できっぱりと断るのは、気が引けた。
様々な感情を呑み込んで、マルヴィナは答えた。
「身に余る光栄だとは存じますが、大事ゆえ、すぐにはご返答致しかねます。……あの、陛下、もうひとつお訊きしてもよろしゅうございますか」
「うむ、急なことであるゆえ、無理もあるまい。部屋を用意させるから、ゆっくり考えるとよい。それで、何を訊きたい?」
「陛下は、なぜ、わたくしを王位継承者にと望まれたのですか?」
「ああ、そんなことか」
クレメントはほほえみ、紅茶を一口飲んだ。
「一年前、そなたは妃の国葬に出席してくれた。その際、そなたの祖父に関する、心無い噂話をする者も多かったが、そなたは幼いながら毅然としていた。さすが、シーダーが育てた娘だと、予は感心したものだ。……あえて言うなら、そんなところだ」
(……わたし、陛下のおっしゃるような立派な立ち居振る舞いをしていたかしら?)
むしろ、叔父しか味方のいない状況をやり過ごすのに、ただ必死だったような気がする。その様子が、目に留まったというのなら、国王に申し訳ない話だ。
「長い話につき合わせてしまったな。悩ませてしまうだろうが、今日はゆっくり旅の疲れを癒してくれ」
クレメントは少し疲れをにじませた顔に、優しい微笑を浮かべると、立ち上がった。
疲労を感じているのは、彼も同じだろうに。マルヴィナは、感じ入らずにはいられなかった。
「はい。お心遣い、感謝致します。時間はかかってしまうかもしれせんが、しっかりと考え抜いて、答えを出そうかと存じます」
マルヴィナは国王の配慮に心からの謝辞を述べると、ソファーから立ち上がり、片膝を折り曲げ、スカートの両端を摘んで深く一礼した。




