四十一 別れ
日曜日になった。マルヴィナは寮に赴き、生徒一人一人に、王宮に戻ることになった旨と、今までの感謝を伝えて回った。多くの生徒が感極まった様子で応じてくれたことに、マルヴィナは感激した。
さらに、フィラスやセオン、シュツェルツ、スピリアン、といった、特に世話になり、懇意にしている生徒たちを居間に招いて、お茶会を開いた。
お茶菓子は、ラティーシャ特製のスフレチーズケーキだ。ちなみに、フィラスとのことは、まだみんなにも秘密である。
いつものお茶会と違うのは、マルヴィナとシュツェルツの護衛が室内の壁に張りついて、二人を厳重に警衛していることだ。
当初は、マルヴィナとシュツェルツが一緒にいるのは危険ではないか、という話も出たのだが、双方の護衛たちが話し合いをした末に、許可が出た。
何でも、この前の暗殺者たちは、マルヴィナたちの周りに人が少ない、護衛が手薄な時を狙ったと思われるので、お茶会のような場は襲撃されにくいと踏んだらしい。
「このたびは、女公殿下もシュツェルツ殿下も、災難でしたね」
スピリアンが深い同情を込めて述べ、セオンも続いた。
「全くです。ですが、王宮にはコーア伯もおいでですし、父もおります。女公殿下も、きっと安心してお過ごしになれますよ」
「そうそう。ということで、将来、わたしが王宮にお仕えする際は、よろしくお願い致します、女公殿下」
スピリアンが冗談めかして言ったので、マルヴィナは笑った。そのあとで、先程から黙り込んでいるシュツェルツと目を合わせる。
「ルズは、どうするの?」
シュツェルツは難しい顔をした。
答えにくい質問だろうとは思うが、ラトーンを離れる前に、マルヴィナは訊いておきたかった。こうして、ゆっくりシュツェルツと話ができるのは、下手をすれば今日が最後かもしれないのだ。幸い、ここにいるのは気心の知れた仲間たちだ。
「僕は、結果待ちかな」
「結果待ち?」
マルヴィナが鸚鵡返しに問うと、シュツェルツはソファーにもたれかかった。
「うん。父に宛てて、状況を説明する手紙を書いたんだけどね。手紙が届いて、それから返事がくるまでに時間がかかるからさ。まな板の魚の気分だね」
「……それは、シュツェルツ殿下も、マレの王宮に戻られる可能性があるということですか」
フィラスが確認した。シュツェルツは、皮肉っぽく笑う。
「そうだね。でも、逆の可能性もあるかもね。もう、戻ってこなくていい。殺されようが何をされようが、お前のことは放っておく、ってさ」
「ルズ……」
シュツェルツの境遇を思うと、そんなことはない、などと、楽観的なことも言えず、マルヴィナは口ごもった。
「そうなったらそうなったで、シーラムで自由になされば良いではないですか」
まさかのフィラスの台詞に、一同は驚いて彼に注目した。シュツェルツも、珍しく唖然としている。
「……自由に?」
「そうです。ラトーンを卒業すれば、進路には不自由しません。いっそ、仕官なさって、女公殿下の下で働かれてはいかがです?」
「僕がマルヴィの下で、ねえ……」
まんざらでもなさそうな顔で、シュツェルツは呟いた。
「他の奴の下につくのはごめんだけど、マルヴィの臣下なら、悪くないかもね」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ」
マルヴィナは、慌てて口を挟んだ。何となく、シュツェルツは自分の手には余る気がする。
そんなマルヴィナを見て、フィラスはほほえんだ。
「まあ、今のはあくまで一例です。わたしが申し上げたいのは、父王陛下の意向は関係なく、全てはあなた次第だということです。シュツェルツ殿下」
「へえ。言いたいことを言ってくれるね」
シュツェルツは片眉を上げたが、腹は立てていないようだった。
「でも、そうだね。これからのことを想像しながら、楽しみに返事を待たせてもらうよ」
シュツェルツはそう言って、香草茶に口をつけた。
フィラスとシュツェルツ。父親との関係で悩んでいる者同士、響き合うものがあるのかもしれない。あの、どちらがマルヴィナを迎えにいくのかで揉めていた二人が……。
マルヴィナは感慨深い思いで、二人を眺めた。
スフレチーズケーキを食べながら、マルヴィナたちは今までのことを語り合った。
お茶会が終わる間際、セオンがさり気なくラティーシャに声をかけていた。
「ラティーシャ、春の休暇中にでも、また会えないかな?」
「え……。か、構いませんけれど」
ラティーシャの表情を見る限り、戸惑ってはいても、嫌がっているわけではなさそうだ。以前は、ドゥーガルドとラティーシャがくっついてくれたらいいなあと思っていたが、叔父の結婚は、まだまだ先になりそうである。
マルヴィナは気づかれないように、くすりと笑うと、聞き耳を立てるのをやめた。
*
月曜日の朝、みんなと一緒に朝食を食べたマルヴィナは、護衛たちに守られて、いったん、離れに戻った。忘れ物がないか確認するためでもあるが、四ヶ月間過ごしたこの場所に、お別れが言いたかったのだ。
離れの前には、使者とともに馬車が待機している。
家具だけが残された自室に入り、壁を撫でると、マルヴィナは居間に出た。ラティーシャが、ぼんやりとキッチンを眺めながら、リオの入ったバスケットを手に、たたずんでいる。壁際に立つアレクシスも、感慨深げな表情だ。
もう、この離れともお別れだ。マルヴィナはラティーシャに声をかける。
「荷物は馬車に積んであるのね?」
「はい。お忘れ物がないようであれば、馬車に向かいましょうか」
「ええ」
マルヴィナたちは外に出た。すると、フィラスとセオン、アウリールとエリファレットを連れたシュツェルツ、スピリアンが立っている。
「見送りにきてくれたの?」
マルヴィナの問いに、セオンが一同を代表するように、一歩前に出た。
「はい。急なことでしたので、あいにく、プレゼントは用意できませんでしたが……」
マルヴィナはほほえんだ。
「いいわよ。きてくれただけで充分」
「ラティーシャも、いつもおいしいお菓子を作ってくれて、ありがとう。これは、みんなの総意だ」
「こ、こちらこそ、ありがとうございます。そうおっしゃって下さると、作った甲斐があります」
マルヴィナの隣で、ラティーシャが顔を赤らめた。その様子に目を細め、マルヴィナはシュツェルツたちのほうを見る。
「ルズ、ありがとう。それに、アウリール殿にエリファレット卿も」
「マルヴィ、手紙を書いてもいい?」
シュツェルツが、彼らしくもなく、おずおずと確認してくる。
「ええ、もちろん。わたしも、落ち着いたら手紙を書くわ」
マルヴィナが答え終わるのを待っていたのだろう。アウリールが前に出て、抑えた声量で告げた。
「女公殿下、今回の事件は、いくつもの思惑が、複雑にもつれ合っております。解き明かす鍵は、おそらく、身近なところにあるかと」
「え……? どういうことです?」
マルヴィナの問いに、アウリールは答えてはくれなかった。優雅に一礼すると、シュツェルツのうしろに戻ってしまう。
(答えは、自分で考えろということかしら)
「女公殿下、アウリールは良い奴ですが、時々性格が悪くなるのです。どうかお赦し下さい」
エリファレットが微妙なフォローをする。マルヴィナは苦笑した。
「分かりました。エリファレット卿、その節は命を救っていただき、ありがとうございました」
スピリアンが口を開く。
「女公殿下、戻ってこられたら、またピクニックにでもいきましょう」
友人たちとピクニックにいった日が、遠い記憶のように感じられて、マルヴィナは切なくなった。
「ええ、そうね。あの時は、本当に楽しかった」
最後に、フィラスが無言で前に出た。じっとマルヴィナを見つめ、やがて、一言だけ口にした。
「女公殿下、どうかお元気で」
それだけの言葉に、一体、どれだけの感情が込められているのだろう。マルヴィナは胸が締めつけられるような思いで、フィラスを見上げた。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、視線を外す。
「それじゃ、ごきげんよう。みんなに、運命神ロサシェートのご加護がありますように」
最後にそう言い残すと、マルヴィナはラティーシャとともに、馬車に乗り込んだ。最後に使者を乗せると、馬車はすぐに動き出す。
マルヴィナは窓の外を眺めていたが、馬車が校門に近づいてきた時、はっとした。
左右の窓を交互に見る。道を挟んで縦二列になった生徒たちや教師たちが、馬車を見送っている。その中には、以前シュツェルツと揉めた、あのピーアニィの姿もあった。
「みんな……」
マルヴィナは思わず呟き、涙が溢れてくるのを堪え切れなかった。
陰口を叩かれたこともあった。大切な親友が悪し様に言われたこともあった。
でも、彼らは確かにここにいて、自分を見送ってくれている。
(わたし、ここに戻ってきたい……。みんなと、また一緒に過ごしたい……)
涙を指で拭っていると、ラティーシャがハンカチを差し出してくれた。
馬車が校門を潜った。ラトーンの景色が遠ざかっていく。
必ずここに戻ってくる。マルヴィナは、ラトーンに至る道を目に焼きつけるため、いつまでも光に溢れた窓外を見つめていた。




