四十 勅命と告白
事態が大きく動いたのは、授業も始まった三日後の夜のことだ。
馬車に乗って現れた王宮からの使者が、マルヴィナの元に、手紙をもたらしたのだ。封蝋に押された印章は、天馬の翼――クレメントのものだった。
マルヴィナは慌てて手紙を開封する。手紙には、平素の思いやりに溢れたクレメントらしからぬ、簡潔な文章がつづられていた。
『マルヴィナ、事情は聞いた。早急に、遣わした馬車に乗って、帰ってきなさい。今のラトーンでは、そなたの安全は守れない。これは、アスフォデルもシーダーも了承した決定だ。……また会えるのを楽しみにしているよ』
まさか、帰ってこいと言われるとは、思っていなかった。突然のことに、マルヴィナは戸惑ったが、クレメントたちの下した決定が正しいことは、理解できた。
(いつまで、王宮にいればいいのかしら……)
もし、永久にラトーンに戻れないとなっても、今までやってきたことは無駄にはならないはずだ。だが、心の底から納得できるかと問われれば、とても頷くことはできない。
それでも、クレメントからの手紙は、要請ではなく、勅命と見なすべきだろう。
出発まで数日間の猶予をもらえるよう、マルヴィナは使者に頼んだ。相談の末、出発は来週の月曜日となった。これで、日曜日を使って、みなにお別れを言うことができる。
クレメントは使者の他に、護衛も派遣してきた。今まで、マルヴィナが移動する際には一人だった護衛が、三人に増えた。
他にも、王都から派遣された騎士たちが、物々しくラトーン内を捜査して回るようになった。
護衛たちに守られながら、マルヴィナは残りの学校生活を過ごした。音楽の授業のあと、フィラスを捕まえたのは、そんな折だ。
あの時、自分を守ってくれたフィラスには、早めにラトーンを離れることを言っておきたかった。
それに、知りたかった。フィラスが自分を抱き寄せた理由が。
あのあと、彼は我に返ったように、マルヴィナから離れ、ひたすら謝っていた。正直言って、マルヴィナは拍子抜けしたものだ。
(あれは、何だったの?)
釈然としない気持ちを抱えながら、マルヴィナは打ち明けた。
「フィラス、わたし、次の月曜日に王宮に帰ることになったわ」
フィラスは驚いた様子もなく、首を縦に振った。
「王室の馬車を見かけたので、そうではないかと思っておりました」
「そう……。みんなも、もう、知っているのかもしれないわね。フィラスは、わたしが帰ることについて、どう思う?」
「一度、こういう事態が起きてしまった以上、妥当ではないかと思います。何より、王宮には天馬騎士団をはじめとした、多くの騎士たちがおりますし、女公殿下がまた襲撃されるより、ずっといい」
こちらの身を気遣ってくれるフィラスの言葉が、マルヴィナは嬉しかった。目を細めてフィラスを見つめる。今なら、訊けるような気がした。
というか、訊かなければ、とても王宮へは帰れない。
それに、彼に好かれているかは分からないが、少なくとも、嫌われてはいないという自信なら、今のマルヴィナにはある。
そうは思っていても、何だか気恥ずかしくなり、マルヴィナは視線を上に下にと動かしながら、質問することになった。
「話は変わるけど、フィラスはあの時、どうしてわたしを……その、抱き……寄せたの?」
フィラスは目をみはると、うつむき、口を開いたり閉じたりしていたが、意を決したように言った。
「――それは、その、わたしが殿下を特別な存在として認識しているからであって……決して、やましい思いから、ああいうことをしたわけでは……」
フィラスの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。少し時間を置いたあとで、彼は酷く真剣な顔をする。
「本当にあなたは、こういうことに関しては鈍くておいでだ。はっきり申し上げると――わたしはあなたが好きなのです、殿下」
フィラスの言葉の意味が頭に入ってこず、マルヴィナはまばたきした。
「……え? 好きって、その、どういう……」
「男として、あなたをお慕い申し上げているということです」
やや強い調子で言い切ったフィラスを前に、マルヴィナは呆然としていた。
こんなことがあるのだろうか。七歳から好きだった男の子が、自分に想いを寄せてくれているなんて。
マルヴィナが何も言えずにいると、フィラスの顔が不安げなものに変わった。
「……あの、それで、殿下のお心は?」
「わたし……わたしは……」
マルヴィナは、恥ずかしくてフィラスの顔をまともに見られなかった。でも、答えなければならない。答えなければ、間違いなく、一生後悔する。
マルヴィナは、ばっと顔を上げて言った。
「わたしも、フィラスのことが好き! 初めてあなたに会った時のことを、思い返すたびに、好きだな、って思っていたわ」
フィラスはびっくりしたように、目をみはったが、やがて、優しい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、殿下。……もう一度申し上げますが、わたしはあなたを大切に思うからこそ、王宮へ帰られたほうが良いと、考えております」
「フィラスは、わたしがいなくなって寂しくないの?」
マルヴィナがいたずらっぽく問うと、フィラスは生真面目な顔をした。
「もちろん、寂しいですが……春の休暇には、必ず帰省します。それに、わたしは今年で卒業です。そうしたら、王都に戻る予定ですし、天馬騎士になりさえすれば、すぐにお会いできます」
「休暇なんて、会える時間はあっという間じゃない。それに、卒業まで、あと七か月近くもあるのよ。わたしには待ちきれないわ」
自分は矛盾したことを言っている。王宮にいれば、会えない期間は七か月だが、ラトーンにいれば、フィラスが卒業してからマルヴィナが卒業するまでの二年間は、傍にいられなくなる。
それでも、マルヴィナはラトーンで、フィラスやみんなと過ごしたかった。
「わたしが怖いのは、待つことではなく、あなたを永遠に失うことです」
フィラスにそう言われてしまえば、マルヴィナもわがままを口にすることはできない。
「……分かったわ、フィラス。わたし、王宮に戻る」
「はい。お帰りをお待ちしております」
先程までの言葉とは裏腹に、また会う日ではなく、帰りを待つと、フィラスは言ってくれた。
そこに、フィラスの本心が垣間見えたような気がして、マルヴィナは嬉しくもあり、切なくもあった。




