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未来の女王陛下、初恋の君と再会する  作者: 畑中希月
第六章 動乱の渦中

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三十八 駆けつけたフィラス

長めです。

 時はさかのぼる。学院寮の自室で、詩集を読んでいたフィラスは、新たな馬車が到着したことに気づいた。

 今日は冬期休暇の最終日だから、帰省していた生徒たちが、次々に戻ってきているのだ。


 今朝、セオンとともにラトーンに到着したフィラスは、馬車が敷地内に入るたびに、目を凝らしてある紋章を捜していた。

 王室の印、天馬の紋章である。


 フィラスは素早く目を走らせた。

 あった。あの中に、マルヴィナが乗っている。


 だが、今出ていくのはまずい。あなたの帰りを待ち侘びていました、と言ってしまうようなものだ。できれば、スマートにマルヴィナの前に現れたい。


(頃合いを見計らって、挨拶に伺うか)


 マルヴィナの乗った馬車を見送ったあと、フィラスは引き続き詩集に目を落とした。どうにも集中できないな、と思いつつ、何気なく窓の外を見る。


 何と、マルヴィナとシュツェルツが話し込んでいるではないか。


 シュツェルツも自分と同じように、窓の外を見て、マルヴィナの帰りを待っていたに違いない。

 違いといえば、フィラスは体面を重んじるあまり行動が遅れ、シュツェルツは素直にマルヴィナに会いにいった、ということだけだ。


 その違いのあまりの大きさに、フィラスが呆然としている間にも、マルヴィナはシュツェルツとともに歩き出す。彼女たちが向かっている方向は、おそらく離れだ。


(これは……まずい!)


 フィラスはすぐさま立ち上がり、詩集を机の上に置くと、早足で部屋を出た。

 何がどうまずいのかは、頭が考えることを拒否していたが、とにかく急いで寮を出る。


「フィラス殿!」


 外の冷たい空気に触れたところで、声をかけられた。


 邪魔をするのは誰だ、とばかりに振り返ると、シュツェルツの護衛騎士であるエリファレットが歩いてくるところだった。やや硬い印象を与える端正な顔に、微笑を浮かべながら、エリファレットは首を傾げる。


「どうなされた? そのように急いで」


 相手がマレの近衛騎士でもあるエリファレットとなれば、無下に扱うわけにもいかない。加えて、彼とは少なからず親交がある。フィラスははやる気持ちを抑えながら答えた。


「急いでいるわけではないのですが、レオニス女公殿下が戻られたようなので――その、ご挨拶に伺おうかと」


「では、わたしと目的地が同じですね」


「え?」


 エリファレットは、嵌め込まれた青い宝石と装飾が美しい、一振りの短剣を示した。


「実は、我が君が護身用の短剣をお忘れになられたので、これを届けにいく途中なのです」


 ちなみに、ラトーンで武装が許されているのは、王族や監督生などの一部の生徒と護衛だけで、監督生たるフィラスも、常日頃から短剣を携帯している。

 エリファレットは短剣を下ろした。


「わたしは今、非番なのですが、窓の外を見たら、シュツェルツ殿下は女公殿下とご一緒でしたので」


「そう、だったのですか」


 エリファレットが向かっている以上、マルヴィナとシュツェルツの間に、めったなことは起こらないだろう。フィラスは少しだけ安心し、エリファレットと並んで歩き出した。


「全くシュツェルツ殿下は、ご自身の安全に対して、ご意識が低すぎます。護身のために、体術や剣術の稽古を、わたしがおつけしているのですが、なかなか本気になって下さらない」


 そう言って嘆くエリファレットに、フィラスは苦笑しながら相槌を打つ。


「シュツェルツ殿下は、それだけあなた方のことを信頼されているのだと思いますよ。優秀な護衛がついていらっしゃれば、ご自分が強くなる必要はないですから」


「それは、確かに名誉なことですが……殿下にもフィラス殿の半分で良いので、武術への熱意が欲しいものです」


 愚痴をこぼしながらも、不思議とエリファレットの口調には、主君への親愛の情が滲み出ていた。マルヴィナもそうだが、シュツェルツには、良きにつけ悪しきにつけ、人を惹きつけずにはいられない魅力のようなものが、あるのかもしれない。


(言わば、王者の資質という奴か……)


 皮肉なものだ。第二王子であるシュツェルツが、そのような資質に恵まれているというのは。


 まあ、マレのことはマレ人に任せておけば良い。幸いにしてシーラムは、マルヴィナという良き王位継承者を得ることができたのだ。彼女を守るためにも、自分は天馬騎士を目指そう。


 そんなことを考えつつ、エリファレットと会話をしていると、あっと言う間にマルヴィナの離れに着いた。


 マルヴィナとシュツェルツの姿は、既にそこにはない。おそらく室内にいるのだろう。マルヴィナの護衛騎士の女性、アレクシスと、シュツェルツの護衛騎士の一人が、距離を置いてたたずんでいる。


 犬の吠え声が聞こえる。おそらく、リオだろう。それにしても、この寒さの中だというのに、窓でも開いているのか、吠え声はやけにはっきりとしていた。


(まさか……女公殿下に何かあったのではあるまいな)


「隊長、どうなさったのですか?」


 部下の問いに、エリファレットは答える。


「シュツェルツ殿下がお忘れになった短剣を届けにきた。殿下は中か?」


「はい、女公殿下とご一緒ですよ」


 にやりと笑う騎士の顔を見て、フィラスはまたしても危機感を覚え始めた。

 その時。


「誰か! 助けて!!」


 女性の声が響き渡った。間違いない。あの声はマルヴィナのものだ。離れの中で、何かが起こっている。


 フィラスは、その場にいた騎士の面々と視線を合わせる。一同は頷くと、中に入るべく集まった。アレクシスが扉を開けようとしたが、内側から鍵がかかっており、開かない。


 フィラスの不安は高まった。マルヴィナは今、鍵を開けられない状況にあるのだ。


 アレクシスが焦れた表情をしながら、合鍵を取り出し、開錠する。

 アレクシスが扉を大きく開けると、フィラスたちはいっせいに屋内になだれ込んだ。


     *


 外に向けて大声で叫んだマルヴィナは、くるりと振り返る。

 暗殺者たちが叫び声に驚き、たたらを踏んだ。

 だが、今から窓の外に出ることはできない。うしろから斬られる。


 助けがくるまでは、早くても数十秒はかかるだろう。どうする? どうすれば、シュツェルツとリオとともに生き延びられる?


 部屋の中を見回したマルヴィナは、とっさに、あるものに目を留めた。

 そうだ。逆に言えば、あと数十秒、時を稼げれば良いのだ。


「ルズ、前に出させて」


 こちらを振り向かずに、シュツェルツは答える。


「……分かった」


 マルヴィナに何か策があると、シュツェルツは思ってくれたのだろう。その信頼が、今はありがたい。


 ナイトテーブルの上に置かれた花瓶に、マルヴィナは手を伸ばす。花瓶を掴むと、シュツェルツの前に飛び出した。


 渾身の力を込めて、花瓶を暗殺者たちに向け、投げつける。花瓶が当たりそうになった暗殺者が、腕でその身を庇う。花瓶は暗殺者の腕に当たったあとで、絨毯の上に砕け散った。


 怒気とともに、マルヴィナたちに向け、足を踏み出した先頭の暗殺者が、弾かれたようにうしろを向いた。後列にいた暗殺者に、背後から白刃が迫る。


 剣と剣がぶつかり合う音が響く。その合間に、聞き覚えのある声がした。


「ご無事ですか! シュツェルツ殿下! 女公殿下!」


 あの声は、確かエリファレットのものだ。シュツェルツが即座に叫ぶ。


「僕たちは無事だ! エリファレット、気をつけて!」


 その声を受けて、エリファレットが暗殺者の一人を斬り伏せながら、部屋の前に現れた。


 倒されることになっても、目的だけは遂げようと思ったのか、手前にいた暗殺者がマルヴィナとシュツェルツに向けて突進してくる。


 エリファレットが、その暗殺者を追って部屋に入る。敵の背中に斬りつけると、倒れ込む暗殺者の前に回り込む。マルヴィナとシュツェルツを背に庇いながら、剣を構える。


 彼のうしろから、初めて居間の様子を窺うことができたマルヴィナは、思わず息を呑む。よく見知ったプラチナ・ブロンドの髪が、目に映ったからだ。


 そこにはフィラスがいた。煌めく短剣を手に、暗殺者に立ち向かっている。フィラスが舞を舞うように動くと、暗殺者の剣が、宙を飛び、床に突き刺さった。


 短剣を抜き、再び暗殺者がフィラスに襲いかかる。フィラスは難なくその攻撃を弾くと、相手の懐に飛び込む。暗殺者の喉元に刃を突きつけたフィラスに、エリファレットが声をかける。


「フィラス殿、殺してはいけませんよ。こいつらには、あとで黒幕を吐いてもらう必要がある」


「分かっています」


 フィラスは暗殺者の腕をねじり上げると、短剣を奪う。その頃には、四人の暗殺者は一掃されていた。

 臨戦態勢は解けたものの、まだ興奮気味のリオを、マルヴィナは抱き上げて、頬ずりした。


「殿下……ご無事でようございました」


 振り向くと、気が抜けてへたり込んでしまったらしいシュツェルツに、エリファレットが膝を突いて声をかけていた。もう一人の護衛騎士も居間から現れる。


「うん。遅いよ、と言いたいところだけど、助けてくれてありがとう、エリファレット。君には命を救われてばかりだね。……それにしても、どうしてここに?」


「殿下が、短剣をお忘れになったお陰です」


 短剣を手渡されて、シュツェルツはその重みを確かめるかのように、しっかりと握り締める。


「エリファレット、本格的に武術を教えてくれる?」


「はい、むろんです。ですが、どういったお心変わりで?」


「いざという時に、女の子を守れないようじゃ、かっこ悪いと思っただけだよ。……はあ、何だかアウリールにも会いたくなってきちゃったな」


 シュツェルツとエリファレットの会話が一段落したところで、マルヴィナは二人に近づいていった。


「ルズ、守ってくれてありがとう」


「僕は何もしていないよ。マルヴィこそ、機転を利かせてくれて、ありがとう。君があいつらに花瓶を投げつけてくれなかったら、多分、僕は死んでいた」


 シュツェルツは照れたように笑った。


「エリファレット卿も、助けて下さって、ありがとうございます」


 マルヴィナが礼を述べると、エリファレットはかしこまった。


「いいえ、わたしは主君をお救いしただけですから。わたしよりも、女公殿下のために力を尽くした方々に、お礼をおっしゃるべきです」


 それがフィラスやアレクシス、エメリナのことだと気づき、マルヴィナは居間へと目を向ける。

 仰向けに倒れているエメリナの姿を見た瞬間、マルヴィナは駆け出していた。


「エメリナ卿!」


 エメリナの脇に寄り添っていたアレクシスが、安心させるように微笑する。


「エメリナは大丈夫です、女公殿下。斬られてはいますが、出血も少ないですし、ちゃんと意識もあります。応急処置は施しましたから、このまま医務室に運びましょう」


「面目ない。女公殿下、ご心配をおかけしました」


「いいえ、エメリナ卿。良かった……二人とも、ありがとう」


 マルヴィナは息をついた。そのあとで、もう一人の味方に向き直る。


「あなたもきてくれたのね。ありがとう、フィラス」


「いえ、わたしは女公殿下に挨拶に伺おうとしていたところ、偶然、居合わせただけです。ですが……」


「え?」


「ご無事で、本当に良かった……」


 フィラスは、マルヴィナに向けて、一歩前に踏み出した。

 マルヴィナは思わず身を硬くした。フィラスが手を伸ばし、自分を抱き寄せたからだ。耳元で、彼が囁く。


「あなたまで失ったら、俺は生きていけない」


「フィ、フィラス……」


「もう少し、このままでいさせて下さい」


 みなの視線を受けているだろうことが分かっていたけれど、フィラスの甘い声が心地良く、マルヴィナは、命の危険を感じて強張っていた身体の力を抜いた。すると、身長差のある彼の肩に、額を預ける形になった。


(わたし、本当に助かったんだわ……)


 不意に、生の実感が湧き出してきて、マルヴィナはフィラスに抱き締められながら、彼の音楽を聴いているかのような錯覚にとらわれていた。

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