二十八 祈り
「シュツェルツ殿下が学校を欠席なさったのは、昨日、ある知らせがマレからもたらされたからなのです」
長い話を終えたアウリールは、一度、息をついた。マルヴィナは彼の言葉を待った。どうも良くない予感がした。
「先日、ベアトリーセが亡くなりました」
マルヴィナは、一瞬言葉を失い、ようやく質問を口にすることができた。
「……なぜです? 彼女はまだお若いのでしょう?」
まさか、嫉妬に駆られた王妃に、暗殺されたのだろうか。
アウリールの顔が陰った。
「難産の末、亡くなったそうです。彼女は、国王陛下の御子を身籠っていたのです。御子は王子であられたそうですが、死産だった、と……」
「それは……」
マルヴィナは、それ以上、何も言うことができなかった。初恋の女性が自分の弟とともに亡くなったのだ。その知らせは、シュツェルツとって、酷なほどの衝撃だっただろう。
だが、それは目の前のアウリールにとっても、同様だったはずだ。
マルヴィナの視線に気づいたアウリールは、微笑して見せた。
「わたしは大丈夫です。正直、まだ悪夢を見ているようで半信半疑ですが、大人には、酒という便利なものがありますから。一緒に飲んでくれる友人もおりますしね」
アウリールは大樹を見上げたあとで、再びマルヴィナと目を合わせた。
「シュツェルツ殿下は長いこと、学校生活に馴じめておいでではなかった。ですが、あなたとご友人になられてからは、毎日楽しそうになさっておいでです。女公殿下のことを、本当に嬉しそうに話されるのですよ。特に、あなたと初めて出会った時のお喜びようといったら……女公殿下、この場を借りて、お礼を申し上げます」
「そんな……わたしのほうこそ、シュツェルツ殿下には良くしていただいて」
アウリールはシュツェルツのお兄さんというより、お父さんのようだ。きっと、マルヴィナのよく知る、気さくで快活なシュツェルツを育んだのは彼なのだろう。
「シュツェルツ殿下は気難しいところもあられるお方ですが、あなたには心を開いておいでです。どうか、これからも殿下のことをよろしくお願い致します」
アウリールの若草色の瞳に灯る真摯な光を見て、マルヴィナははっきりと答えた。
「はい。わたしでよろしければ」
ちょうどその時、自由時間の終わりと夕方の礼拝の始まりを告げる鐘が鳴り始めた。
空をオレンジ色に染めていた赤い夕日が、黒い山並みにほとんど沈みかけていた。周囲を見回し、アウリールは呟いた。
「おや、もうこんな時間ですか」
マルヴィナは、彼に何か言葉をかけなければ、と思った。
「あの、辛いお話をさせてしまって、申し訳ありません。どうか、今日はシュツェルツ殿下のお傍についていてあげて下さい」
「はい、むろんです」
アウリールは、ほほえみながら頷いた。
*
夕方の礼拝で校長の説教を聞いている時も、マルヴィナの心を大きく占めていたのは、先程聴いたアウリールの話だった。今でも、過去を語る彼の声が、生々しく耳に残っている。
(ベアトリーセさんは、どんな気持ちで亡くなったんだろう……)
恋人と引き離され、父親ほども歳の離れた男の側妾にされて、最期は赤ん坊ともども亡くなったのだ。
彼女の人生には、どんな意味があったのだろう。まだ十五歳のマルヴィナには、想像もつかなかった。
次期女王である自分も、意に添わぬ結婚をしなければならない可能性は、十分にある。今までは義務のように考えていたが、改めてそう思うと、爪先から、震えが込み上げてきた。
(……できるものなら、好きな人と結婚したいな……)
祈るように心の中で呟いたあとで、マルヴィナはシュツェルツのことを考えた。
ベアトリーセが哀れなら、彼もまた哀れだった。実の両親には愛されず、望んでもいないのに担がれて、暗殺されかけ、追われるようにして祖国を出たのだ。
「帰りたくない」と言ったシュツェルツの気持ちが、マルヴィナはようやく理解できた。毎週日曜日の、家族に手紙を書く時間、彼は一体、誰に宛てて手紙を書いていたのだろう。
――王位や王族の身分なんて、ろくなもんじゃない。
そう言っていた叔父の言葉が、今更のように思い出される。
シーラムの第二王子だった祖父も、シュツェルツと似たような状況に置かれていたのだろうか。ならば、兄であるレオニス公と敵対したのも、仕方のない話だったのかもしれない。
だが、シュツェルツは生きているし、まだ若い。マルヴィナとはひとつしか違わないが、幼いといってもいい。傍にはアウリールやエリファレットもいるし、これから、いくらでも幸せになれる。
(そのためにも、わたしはずっとルズの親友でいよう)
マルヴィナは厳かな神殿内で密かにそう誓った。
シュツェルツに比べれば、自分は恵まれていると言っていい。両親を早くに亡くしたけれど、その分、叔父が愛情を注いでくれたし、ラティーシャをはじめとした周囲のみなも優しかった。従兄伯父である国王クレメントも良くしてくれる。
しかし、だからこそ、自分はシュツェルツに足りないものを補うことができる――そう信じたかった。
マルヴィナは礼拝が終わったあとも、しばらく神殿に残り、神界に召されたベアトリーセの冥福を祈った。
*
翌朝、セオンとフィラスとともに神殿に入ると、シュツェルツが既に席に着いていた。
「おはよう、マルヴィ。ついでに、セオンとフィラスも」
「『ついでに』は余計です。……それよりも、もうお身体のほうはよろしいのですか?」
フィラスが眉を吊り上げながら言うと、シュツェルツは薄く笑った。
「平気平気。ちょっと熱が出ただけだから」
昨日のアウリールの話を思い出しながら、マルヴィナは少し緊張してシュツェルツの隣に座る。
シュツェルツが小声で囁くように言った。
「昨日、お見舞いにきてくれたんだってね。それなのに、会えなくてごめん。……ねえ、アウリールかエリファレットが、僕の具合について何か話さなかった?」
マルヴィナは、あらかじめ考えておいた台詞を口にした。
「いいえ、何も聞いていないわ」
「そう、それならいいんだ。変なこと聞いちゃったね」
シュツェルツは、いったん口を閉ざし、しばらくしてから語を継いだ。
「――この前のピクニックで、僕が言ったことを覚えている? マレに帰ったら、国を良くしたいって話」
「ええ、覚えているわ」
「マレにもこの世にも、たくさんの理不尽が溢れているけれど、僕ね、その理不尽を少しでもなくしたいんだ。そうしていけば、多くの民が安心して暮らせる世の中がきっとくると思う。……甘いかな?」
「そんなことない。わたしも、シーラムをそういう国にしていきたいから」
「じゃあ、お互いに卒業したら、僕たち、協力し合わない? きっと今以上に、マレとシーラムは友好関係を築けると思うんだ」
シュツェルツの灰色がかった青い瞳は、穏やかだった。遠くを見据えることで、悲しみから懸命に目を逸らそうとしているかのようなその表情に、マルヴィナは胸を突かれた。
「ええ、そうしましょう」
涙声にならないように気をつけながら、マルヴィナはそう答えた。




